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比較の幸福(27年3月23日)

 「幸せの国」ブータン国は、経済発展が進めば、「不幸の国」に成り下がってしまう

 以前このブログで、「お金持ちほど、世の中を搾取してきた人たちである」という意味のことを書いた。もちろん私の負け惜しみで、本音では「成功者」は、自分とは何か違うものを持っていると思っている。だから、彼らはお金持ちになった。大多数の貧乏な日本人は、そう思って劣等感を感じている。これでは幸せではない。

 ところが、まったく異なった考え方を持っている人がいる。世界ではその方が多いのかもしれない。
 たとえば、アラブの人々である。
 貧乏なアラブ人に施しをしても、それに対して感謝されることはない。持っているものが持たざる者に分け与えるのは、当たり前だと思っている。むしろお金持ちが施しを与えないと、神の罰が下る。だから逆に、貰ったほうが威張っている。これを、イスラムの教えとして信じている。

 だから、いくら日本が中東の難民支援にお金を出しても、感謝されることはないし、それを求めてはいけない。与えるほうの自己満足だけである。 
 そのような世界では、貧乏人はいつまでも貧乏でいい。ない時に貰えるだけで幸せなのである(よく考えれば、お金持ちだってすべて自力で稼いだわけではない)。

 それでは、「幸せの国」ブータンではどうか。
 いまこの国のテレビの普及率は80%を超え、インドなど近隣国の情報も入っている。経済交流も進み、お金持ちの外国人が頻繁に出入りするようになった。国内にもお金持ちが現れている。身近に富を感じるようになった。

 これまで「貧乏」しか知らなかったブータン国民は、どう感じるか。心理学者のフロイトは、「欲望は、手が届きそうになればなるほど強烈になる」と言っている。「他人からモノをもらうのが当たり前」のようにずうずうしくないブータン国は、経済発展が進めば、「不幸の国」に成り下がってしまうのではないか。

 格差は人を不幸にするが、経済発展は必ず格差をもたらすからである。中国、韓国国民の日本攻撃は、中途半端な経済発展がもたらした歪みの一つであろう。
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