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鯖江の眼鏡製造(27年1月15日)

 これまで100年もの長い間培ってきた鯖江の眼鏡技術が、このまま衰退するとは思えない

 尹大栄氏(ゆん・てーよん;静岡県立大教授)は、彼の著書「地域産業の永続性」のなかで、鯖江と中国、イタリア・ベッルーノの世界3大眼鏡産地を比較し、イノベーションの観点から、なぜ鯖江が衰退したのかを考察している。

                眼鏡枠 1992年、鯖江の眼鏡枠出荷額1208億円に対し、イタリアのベッルーノにおける眼鏡の出荷額は1084億円であった。20年前は、鯖江のほうが上回っていた。ところが2013年には、鯖江は500億円にまで減少しているのに、ベッルーノはじつに1兆円を超えていると推定される。2つの産地は、決定的な差がついてしまった。

 鯖江産地は1980年台、チタン素材の開発によって、技術的なイノベーションを起こした。だが、そこから先が続かない。利益を上げるためコストを削減しようと、中国に産地を移し、産地の特徴を見失ってしまった。

 その結果中国産地が大きな力をつけ、いまでは中国が世界最大の眼鏡産地として、イタリアや日本に輸出するまでにもなっている。
 尹大栄氏は、鯖江が中国に生産をシフトした結果、①輸出代替、②逆輸入、③中国メーカーの台頭などの負の効果が発生してしまったという。つまり、本来鯖江から海外へ輸出されるものが代替されるだけでなく、中国からの輸入で日本の生産が縮小してしまった。これは、日本の製造業全体の傾向である。
 いまや、中国の深圳地域だけで年間生産額が2200億円に上り、関連企業は300社以上あると言われる。まさに、庇を貸して母屋を取られてしまったのである。

 一方ベッルーノでは、違った観点からのイノベーションを成し遂げていた。すなわち、①ファッション化に対応したブランド戦略、②世界市場における流通網整備、③戦略にマッチした垂直統合の組織構造、である。

 すなわち、鯖江産地がチタンという素材面での技術開発に留まっている間に、イタリア・ベッルーノでは、眼鏡のファッション化に対応した世界への販売のしくみづくりという、巨大なイノベーションを成し遂げていた。

 さらに、ベッルーノの戦略においては、スマイルカーブにおける付加価値の大きい両端のところ、すなわち企画・デザイン及び販売面を、完全に含んでいる。逆に鯖江や中国では、利幅の少ない真ん中の生産部分だけを担っているに過ぎない。
 これでは、勝負になるわけがない。

               麻生津眼鏡集団 H29.10.11~13

 この大きな原因として尹大栄氏は、鯖江の眼鏡企業の零細さと、分業構造を挙げている。
 従業員の少ない小規模企業では、販売・マーケティイングのイノベーションどころか、新製品や技術開発すらままならない。また、産地の分業構造の中では、各企業間の取引ロスが発生し、市場ニーズをつかんで速やかに対応するには、あまりにも時間がかかりすぎる。

 では、鯖江の産地はもうおしまいなのであろうか。これまで100年もの長い間培ってきた、鯖江の眼鏡技術がこのまま衰退するとはとても思えない。

 いくつかの方向性は見えている。
 スイスの高級時計のように、単価が数百万円から1千万円を超えるような、超高級品の産地として生まれ変わるのも、一つの方向である。これまでも一部そのような動きはあった。今はまだ、スイス時計のような超高級ブランドのイメージはない。

 さらに、産地内外で、意欲ある若手イノベータ―が生まれている。彼らは必ずしも、眼鏡技術者ではない。これまでの眼鏡業界では思いつかないような、斬新なアイデアを次々と打ち出す。
 ほんものの改革は、固定観念に凝り固まった既存の事業者ではなく、「よそ者」「わか者」「ばか者」がけん引するのだと思う。

(鯖江産地の名誉のために言っておくと、鯖江の多くの中堅企業もチタン開発が一段落した1990年前後からは、ベッルーノと同じように、競ってブランド戦略と販売に力を入れてきた。それが功を奏しなかったというのは、業界での人材不足、とくに本気度の高いビッグな経営者がいなかったためであろう。デザイン力の差も大きな要因であった。)
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