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山岳遭難(27年1月10日)

 万全の準備を整えて、完全武装で登山するなら、そんなものは登山ではない

≪新潟県湯沢町の「かぐらスキー場」で2日から行方不明になっていた東京都の男女のスノーボーダー3人が4日朝、神楽ケ峰(2029メートル)で県警のヘリに発見、救助された。手足に軽い凍傷を負っているが、命に別条はない。未提出の登山届を「出した」と申告して、コース外に出た3人は「雪に穴を掘って座り、寒さをしのいだ」と説明し「無謀さを反省している」と謝罪している。 5日スポーツ報知より≫

 遭難者に対し批判の声が上がっている。遭難事件が起こると、必ずつぎのような意見が出る。

≪助かって良かったとは思うが、アホ丸出しやね。こういった場合の救助は実費請求するべきで、
そうでもしないと無くならない。≫
≪自業自得だし、許されないことだよ。≫
≪いい歳してアホだね。きっちり救助代は請求して欲しいものです。≫

 たしかにこの遭難事件は、遭難者自身に責めを負わせるべきかもしれない。
 しかし、遭難事件すべてがそうではない。
                 冬山 かって勝山の大長山でも、関西学院大生14名の遭難騒が起きたことがあった。大長山を少し下ったところで吹雪のため動けなくなり、無線で救助を要請。やがて天候が回復、全員無事ヘリコプターで救助され、1件落着である。
 多大な迷惑をかけたと本人や家族、大学関係者も反省しコメントを発表した。

 この遭難騒ぎでも、いろんな意見があった。多いのは、遭難者の「無謀」ぶりを批判する声であった。

 しかし、あの事件で一体誰が迷惑をこうむったのか。
 世間の人は誰も迷惑を受けていない。どころか、話題ができて喜んでいる。とくに報道機関は、紙面が埋まって大喜びである。勇んで、ネットの掲示板トビを立ち上げた人もいる。

 実際に救助にあたった人たちはどうだろう。
 危険な目にあい、遭難者がお世話になったことは事実である。救助されたことについては、負い目を持ってほしい。
 だが多くは、このことを職業としている人たちである。すなわち、県警や自衛隊のヘリコプター、地上からの捜索隊、勝山市の対策本部などだ。いずれもこういった事件がなければ、訓練だけで実戦経験を積むことができない
 だから、今回これらの人たちが出動したからといって、税金を無駄遣いしたとの指摘は全く当らない。むしろ、税金を有効活用したといえる。

 もし、無給のボランティアで出動した人たちがいたら、本当にご苦労様でしたといいたい。それでも、もし私のところに救助手伝い要請がきたなら、嬉々として(外面は迷惑なふりをして)救助に参加したであろう。不遜な言い方かもしれないが、遭難事件は「祭り」なのである。

 あのときは、遭難者身近ら救助要請を行った。リーダーはそのとき、救助要請か社会的な制裁を受けるかの決断を迫られたと思う。
 自力で下山可能だったかもしれない。しかし、若い彼らに生命の危険を負わせるわけにはいかない。結局、社会的制裁を受ける覚悟で救助要請を選択した。賢明であったと思う。もし、社会の非難を恐れて救助要請を1日伸ばしにしていたら、悲惨な事態を招いたはずだ。

 人間の行動では、大なり小なり失敗は避けられない。ただ失敗は、それが致命的にならないような規模で起こることが必要だ。その小さな失敗が大きな失敗を防ぐ。そのためには、失敗を素早く周知させることだ。隠すことが最もいけない。
 彼らにとってあの遭難は、失敗であったかも知れないが、致命的ではない。致命的な失敗とは、多くの命が失われることである。それを救ったのは、リーダーの勇気ある決断だった。不祥事を隠し、隠し切れずに破滅する企業に対し、リスク管理の手本を示したのではないか。
 ぜひとも、この失敗に懲りないで欲しいと思った。

 社会は、とくに若者の失敗をきちんと認めて、評価する必要がある。失敗を評価し、許容する姿勢がないと、人は恐ろしくて失敗をしないような仕事をする。その社会からは新しいものが生まれず、衰退する。

 遭難事件ではたいてい、登山経験のない人ほど遭難者に対し辛らつである。経験者ほど、登山にリスクは避けられないと思っているし、紙一重の経験を多くもっている。
 もし万全の準備を整えて、完全武装で登山するなら、そんなものは登山ではない。そもそも、充分な経験がなければ登山してはいけないなどと言ったら、いまだ世界は未開である。私たちの存在すらない。

 但し、ものはほどほどである。あまり図に乗ってもいけない。
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