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憲法解釈と改正にむけて(12月20日)

 こんな神学論争や小田原評定のようなことを、行っている暇があるのだろうか

 18日のフジテレビプライムニュースでは、石川健治氏(東大教授)、小林節氏(慶大学名誉教授 弁護士)、百地章氏(日大教授)をゲストに、憲法改正や集団的自衛権の解釈について議論を行っていた。おおむね石川氏は憲法改正慎重派、百地氏は積極派、小林氏は中間と、3者3様の特徴が出た番組であった。

 そのなかで石川氏の議論は、典型的な法学者らしく現実離れしており、これまでの学者や専門家に対する私のイメージそのままであった。

 すなわち学者は、つぎの2つの性質をもっている。

①簡単なことをわざと複雑にして、人を煙に巻いて悦に入る
②自分の専門分野を大切にしないと、さも大変なことのように言う

 石川氏は提言で、「ものごとは重層的に考えよ」と述べている。
 たとえば集団的自衛権について、「権利はあるが行使しない」という、これまでの内閣の解釈を、一内閣が簡単にひっくり返すのは問題だという。つまり、「行使しない」という、自らを縛るような解釈を行った場合、それを変更するのは相当の理由がなければならないそうだ。
 だが自らを縛るということなら、「・・しない」も「・・する」も、まったく同じである。何かをしたら、何かをしないことになるからである。「行使しない」も「行使する」も、利害相手が異なるだけで、同じ約束である。いったいその重みに何の違いがあるのか。

 また、憲法変更にかかわるルールも、ベースにあるルールは絶対に変えるべきでなく、それが侵されると、自由が侵される、世の中がひっくり返るという。その一つが立憲主義(憲法は政府を縛るもの)だそうだ。
 だがそのルール・土俵は、石川氏が独断で設定しただけではないか。少なくとも国民は、そんなことを考えて政治家を選んではいない。

 学者だけに言葉は明瞭で、部分的にはそれらしいのだが、全体として何を言いたいのかさっぱりわからない。この番組では、このような抽象的な話で終わってしまい、集団的自衛権の必要性や運用法などの具体論は、ほとんど聞かれなかった。

 それにしても、こんな神学論争や小田原評定のようなことを、行っている暇があるのだろうか。さすが、雲の上に鎮座する東大法学部の学者である。
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