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健康ウォークで鯖江散策(11月2日)

 そろそろ宝永地区にも、「カリスマボランティアガイド」が現れるのではないかと期待する

 宝永体協主催の「鯖江散策・健康ウォーク」に参加した。
 JR福井9時10分発でJR鯖江下車。舟津神社、萬慶寺、法順寺、松平神社、植田家長屋門、誠照寺、西山公園とまわり、西山駅から福武線に乗って帰宅のコースである。参加者は25人で、8割が中高年だ。
 小雨の中を、およそ4㎞(7700歩?)歩いた。

 この行事は毎年行われ、これまで三国、勝山、武生、大野、敦賀、今庄を訪問したという。小粒だが、それなりの雰囲気の町である。私は3回目の参加である。

 今年の鯖江は平凡な地域で、眼鏡産業以外は、何もないと思っていた。こんな殺風景なところに来るとは、企画する人もよほどネタがなくなったのであろうか。さらに、現地のガイドさんも新米で、(人生の年季は入っているが)今日がガイドになって初めての案内だという。そもそも鯖江に、ボランティアガイドさんがおられたとは知らなかった。

 舟津神社 H26.11.02撮影  萬慶寺 H26.11.02撮影
 
 ところが、私もよく知っているはずの街なのに、西山公園を除いて、初めて見るところばかりであった。西山公園にしても、これまでになく新鮮に見えた。
 いくら新米でも、ガイドさんがいたからである。なにかしら、新しい知識が得られる。

 つまり鯖江の歴史・旧跡は、7代藩主・間部詮勝(まなべあきかつ)を抜きにしては語れない。まず、このことを教えてもらった。
 間部詮勝は1811年に藩主となり、5万石ながら、寺社奉行、大阪城代、京都所司代を歴任、西丸老中を経て、最後は大老井伊直弼の下で、財政・外交を司る老中まで勤め上げた。いまでいえば、財務大臣、金融大臣、外務大臣を合わせたような、とんでもない重職である。
 安政の大獄では、逮捕者の処断をめぐって「天下の多士を失うことになる」と主張し、井伊直弼と対立して免職されてしまった。

 結局1884年(明治17年)に、81歳で不遇のうちに亡くなる。その銅像が西山公園にある。今回訪問した神社仏閣も、ほとんどが間部詮勝ゆかりの建物であった。

 この間部詮勝の「人生ドラマ」を頭に入れて観光すれば、ばく然と見るよりはるかに面白い。もし鯖江市が観光客をふやそうと思うなら、間部詮勝の「物語」をもっとアピールすべきであろう。なにしろ、幕末幕府の重要な大臣クラスである。大河ドラマを超える物語が生まれるはずだ。

 植田家(間部家家老)長屋門 H26.11.02撮影  間部詮勝の像 H26.11.02撮影

 その、間部詮勝の「物語」を発信する前線部隊が、「観光ガイド」である。
 今回のガイドさんも、初めてと言いながら年季の入った案内をしていただいた。もとより長年、立派に企業を勤め上げた人である。人前で話すことやスケジュール管理はお手のものだ。

 西山公園紅葉 H26.11.02撮影  レッサパンダの親子 H26.11.02撮影

 さて、歴史ならわが宝永地区こそが、その宝庫である。ユニークな店舗もある。そのうえ、高齢者の数だけはどこにも負けない。
 高齢になって、人の役に立つことをしたいと思ったら、ボランティアガイドは最適である。宝永地区の人はこれまで、健康ウォークだけで、7~8回もガイドを受けてきた。そろそろ宝永にも、「カリスマボランティアガイド」が現れるのではないかと期待したい。まちがいなく中高年の星である。みんなが宝永をよく知るきっかけにもなる。
 地域を知ることから、地域を愛する人が育つ。地域を愛する人がいなければ、そこは廃れるだけである。

 最後に、今回の健康ウォークを企画・案内・誘導していただいた関係者の方に深く感謝します。来年企画する人は大変ですが。
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