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原発再稼働の説明会(10月20日)

 いまの日本は、かって源平の富士川の戦いで、(放射能という)水鳥の羽音におどろき、逃げ惑っている平家そのものである!!

 九州の川内原発再稼働について、新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の住民説明会が、14日に阿久根市で開かれた。担当者が審査内容を説明したが、その後の質疑応答は、安全性を疑問視する声ばかりであった。

≪「国の説明を聞き安心できるかと思い参加したが、不安になった」、「使用済み核燃料は稼働してなくてもリスクがある」「新基準が機能して100%安全なのか」など安全性を疑問視する声が出されました。しんぶん赤旗より≫

 この様子は、18日のTBS報道特集でも放送され、そこでも住民の意見として、つぎのような反対意見が強調されていた。

≪今現在、福島で被ばくされながら収束作業に必死で取り組んでいる人がいるという時、どうして再稼働などと言えるか。≫
≪福島の時も『絶対安全』と言っていて、ではあの爆発は何だったのか、その原因も本当に分からないで再稼働などありえない。≫    

 つぎつぎとこのような意見が出され、取りつく島もない。
 このような人たちには、いくら安全性を説明しても、絶対に納得しない。事実に基づく科学的な安全と、心理的な安心とはまったく別物だからである。

 住民の中で、まともな質問や意見があったかどうかわからない(あっても放送しない)。もし、わたしがそこに参加していたら、つぎのように発言したかった。
                I_S016.gif『私は電力会社の関係者でもないし、国や県の関係者でもない、まったく個人的な利害関係はありません。
 ここにおられる住民の方は、あまりにも自分勝手な思い込みだけで、意見を述べておられます。それが我慢できず、発言させていただきます。
 
 いま、原発の安全性について説明を受けました。これから稼働する原発が、完璧に安全かというと、まだ不安なところはあります。

 ただ、どんなものでも、まったくのゼロリスクなどというものはあり得ません。ゼロリスクを追求したら、生きていくことは不可能になります。少しのリスクを覚悟しながら、ほかの大きなリスクを避けようとするのが、私たちの生命活動のはずです。

 ところが完璧な安全、ゼロリスクを求めて、住民の方が原発再稼働に反対している。これは、まったくの個人感情です。自分の思い込み、安心のために、他の人たちはどうなってもいいという、利己主義、エゴイズム以外の何物でもありません。オウム真理教の信者のような、集団ヒステリーと言ってもいい。
 あるいは単に、甘やかされて育った子供のわがままです。

 原発のリスクに比べ、それが動かないことによるリスクのほうがはるかに大きいことは、まともな人なら、わかるはずです。

 原発が動かないために、日本そして世界中でどれほどの人が苦しんでいるか、ほんとにわかっているのか。
 化石燃料を燃やす大気汚染のため、世界で300万人が亡くなっている。日本では10万人だ。CO2増加での温暖化。化石燃料の放射性廃棄物の増加。また、日本が膨大な化石燃料を購入し、そのとてつもないお金が中東に流れて武器に化け、何十万人が亡くなっている。
 そして、里山と経済と送電線を破壊する太陽光発電装置が、どんどん増えている。

 原発のリスクより、何十万tもの原油タンカーが沈没するリスクのほうが、はるかに大きいのです。広大な海岸線が、オイルまみれになってもいいのでしょうか。
 さらに、いまある50基の原発を廃炉にしていくためにも、膨大なお金と原発技術が必要です。ふつうに考えれば、わかるはずです。

 噴火のリスクにしても、キリがありません。
 そもそも、九州全土を焼くつくす巨大噴火が発生したら、原子炉破壊どころではない。500度を超える火砕流が、南九州一体を焼き尽くすのです。一瞬にして、九州半分の人が亡くなります。
 
 まともに考えようとしないで、自分だけ安心したいがために、原発の再稼働に反対する。まったく理解できません。反対のための反対だとしか思えません。

 そんな人たちのために、私たちの日本が弱くなり、環境が悪化し、財政破たんで大勢の人が自殺に追い込まれるのはとても我慢できない。茹で蛙になって弱体化した日本は、中国の格好の餌食になるでしょう。チベットのように、国民の30%が殺されてもいいというのか。  

 いまの日本は、かって源平の富士川の戦いで、(放射能という)水鳥の羽音に驚いて逃げ惑っている、平家そのままの姿です。このような臆病国家は、必ず滅亡するでしょう。

 周囲の実害に目をそむけたまま、自分たちだけの「安心」を追求する。反原発を唱える臆病で残酷な利己主義者は、必ずや後世、嘲笑と軽蔑の対象になると思います。 
 私は、日本がそのような国であってほしくありません。』

 公聴会の最後に大見得を切って、いちどこのような口上を述べてみたい。
 だが度胸のない私は、いざそういう場になったら冷や汗をかき、ヘイトやじと視線の前で立ち往生するのが、関の山であろう。私の代わりに、このようなことを言う人が現れたら、大きな拍手を送る。

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