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DJポリスと病院長のユーモア(8月18日)

 ユーモアは、その受け手がひねくれているかどうかも問われる

 東京でDJポリスと呼ばれている警察官が、絶賛されている。指揮車の上からハンドマイクを使い、巧みなトークでユーモアを交えながら、イベントなどの人込みを誘導する。
 16日の神宮花火大会にも「出現」し、帰宅者たちの笑いを誘っていた。

≪お祭りの後の混乱を心配してか、「家に帰るまで花火大会です」。最寄駅の外苑前が多くの人であふれていると「花火の余韻に浸りながら、1つ先の駅まで歩いてみてはいかがでしょうか」と、ロマンチックに勧めた。
 あまりの面白さに、多くの人からカメラを向けられると「止まられてカメラを向けられても、会場のアーティストのように私は歌うことはできません」。その瞬間、前に進むのもやっとなほど人が密集していたが、沿道は爆笑に包まれた。
 またDJポリスの隣には、女性の警察官がいたが「私があまり注目されると、プレッシャーになって、まだデビューしていない彼女が話すことができません」と気遣っていた。
   8月16日 日刊スポーツより≫

 臨機応変で巧みな話術は、簡単に習得できるものではない。それでもこのような人が増えると、世の中も捨てたものではない、と思えるようになる。


 一方、昨日の福井新聞には、県立病院長の「不適切」投稿が批判を受けているという記事が、掲載されていた。エボラ出血熱の対策に関するインタネット交流サイトの投稿で、「ちなみにエバラは焼き肉のタレです」、「ズボラは私ですね」と書き込んでいたことである。

 たしかに大勢の死者が出ていることから、あまり適切なコメントではない。すべった、おやじギャグのひとつである。戦没者慰霊祭でのスピーチに、ユーモアが不適切なのと似ている。
 このような場での「ブラックユーモア」は、一歩間違うと相手を傷つける。高度なセンスが必要である。
 
 それに、もともと日本人には、ユーモアのセンスがない。
 なぜなら、初対面に人に冗談を言うと失礼だと思っているし、人に笑われることを恥だと考えることもあるからである。それなりに権威ある学会では、ユーモアを発すると、「ふざけている」といわれる。

 しかしそうかといって、この手の発言をすべて封じ込めるのは、いいこととは思えない。
 ユーモアのセンスを磨くのは、簡単ではない。このような「失敗」を重ねなければ、みごとな「ユーモア」は生まれない。それを殺してしまったら、まことに殺伐とした世の中になる(生きている意味は半減する)。
 冒頭のDJポリスでさえ、最初からうまい喋りができたはずはない。もちろん、落語家や漫才師もである。

 日本には昔から、狂歌、狂言、川柳、滑稽本、落語、漫才など、「笑い」をたのしむ文芸や演芸が数多くある。日本人が「笑い」を嫌いなはずはない。
 さらに、国際社会では、初対面の人を笑わせ、楽しませるテクニックは、非常に重要視されている。グローバルな人材というのは、機転の利いたユーモアを発信できる人である。

 その意味では、ユーモアの受け手がひねくれているかどうかも、問われるであろう。DJポリスもいつかは「失言」する。そのとき世間は、どのような反応をするか興味がある。
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