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マキャベリ君主論より(7月17日)

 リーダーが望むのは、一部を犠牲にしても、大多数が幸福になることである
                     ただ凡人がこのまま実行するのはむずかしい


 マキャベリは、16世紀イタリアの官僚であった。あの大乱世の時代、「帝王としての考え方」を様々な角度から著述した、彼の本が「君主論」である。一貫したテーマは、非情の論理であるが、リーダーシップや国家のあり方などについて、重要なヒントが数多く述べられている。
 ここには、きれいごとは一切書かれていない。リーダーが望むのは、一部が犠牲になっても、現実に多くの人々が幸福になることだからである。

 その中に、耳の痛い言葉がある。
 「自らの安全を自らの力で守らない国は、独立と平和を維持することはできない」すなわち、「実力を持たない名声などあてにならない」という。 これは、わが「平和ボケ」日本にピタリ当てはまる。

  そのほかにも山ほどあって、簡単には咀嚼できない。

 「君主は慎重であるより、果敢であるべきだ」
 「君主は必ず悪評が立つと覚悟しておかなければならない」
 「無能な側近を選んだ君主は力量を疑われる」 
 「側近の意見に振り回される君主は評判を落とす」
 「歴史は君主にとって師匠である」
 「中立を保つことは有効な手段ではない」
 「やった後で後悔するほうが、やらないで後悔するよりはるかにましである」 
  ・・・というのはわかる。 しかし、

 「他者を強くした原因を作った者は、必ず自滅する」
 「ひとたび締結した条約を撤回しても非難の対象にはならない」
 「権力者の間では、法律や契約書は信義を守る役には立たない」
 「結果さえよければ、どんな手段でも正当化される」
 「偉大なことをしたいと考えるなら、権謀術数を習得せよ」
 「裏切りや悪行はいちどだけなら許される」
 「憎まれ役は側近に背負わせろ」
 「民衆は頭をなでるか消し去ってしまうか、そのどちらかにしなければならない」  
   ・・は、凡人がこのまま実行したら、とんでもない目に合う。

  一見矛盾と感じるようなのも見かける。

 「君主は愛されるよりも、恐れられる存在になるべきだ」
 「君主は軽蔑されたり見くびられたりしてはいけない」
   ・・と、恐ろしいことを言ったかと思うと。

 「弾圧によって人々を恐怖に陥れることは国家にとって危険である」
 「人を屈服させるためには、暴力より温情に訴えたほうがいい場合がある」  
   ・・とも言っている。

  結局なにごとも、「ものはほどほどにしろ」といっているのであろう。
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