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科学と真理(4月16日)

 「悟り」は言葉や文書で表せるものではないし、科学は「真理」のほんの一部である

 「仕事」はいくつもの、段階、階層、ステージなどと呼ばれるものの集まりである。最初の発明・発見が、市場に商品として出るまでには、無数のステップがある。いわゆるMOTでも、「研究」→「開発」→「事業化」→「産業化」のステージがある。それぞれのステージについても、いくつもの階層がある。

 細分化された「仕事」はまた、①発想(仮説)、②形にする、③文書化、の3段階で成り立つ。科学技術における、「研究」ステージでも同じである。小さい仕事なら、①②③を同時に行うこともある。

 ①発想というのは、新しいアイデアを生み出すことである。たくましい想像力が必要である。
 ②形にするのは、発想したアイデアを実現するプロセスである。職人技と根気、そしてここでもアイデアの積み重ねが求められる。
 ③文書化は、アイデアやそれをもとにした製品を特許にしたり、標準書や論文にまとめることである。きめ細かい事務能力、言語やデザイン能力が求められる。

 異論はあろうが、この中で最も難しいのは、②の「形にする」ことである。もちろん、大もとになる発想・アイデアがなければ、つぎに進めない。しかし、「発想」だけならいくらでもできる。日本人には創造力がない、と言われるが、とんでもない。日本中(いや世界中)には、妄想たくましい人がごまんといて、つぎつぎと面白い発想を出す。
 水または空気からエネルギーを取り出す。舌を付けるだけですべての病気がわかる。放射性廃棄物の実用化・・・・。 ここまで行かなくとも、企業の開発会議では、いくつものアイデアが出てくる。

 ところが、いざ誰がやるのかとなると、顔を見合わせる。アイデアを実行し形にすることが、いかに難しいか、わかっているからである。日本が高度成長できたのも、苦労してアイデアを実現したからである。難しくて、他国がやれなかったことだ。

 最後に、形にできたものを特許にしたり、論文にするのは、また別の能力である。几帳面な事務処理能力が必要である。もちろん、文書や言葉で説明できなければ、どんな偉大な発明であっても世に出ない。佐村河内氏の楽譜も、ここにあたる。利権が集中するところでもある。

 STAP研究での小保方氏の役割は、②であったろう。発想は他にあったかもしれないが、具体的に形にできたのは、彼女の職人技と根気、アイデアの積み重ねである。さらに、それを支えた組織とお金、人である。STAP細胞で小保方氏を批判している人は、単に③文書化の段階が、いい加減だと言っているに過ぎない。科学者と呼ばれる人に多い。
 もちろん理由はある。きちんと文書化、マニュアル化しないと誰も証明できないし、インチキ商法が蔓延る。
 ということは、とくに科学者にとって、この③文書化のところが「科学技術」の神髄なのであろう。

 しかし科学とは、こんな薄っぺらいものだったのかとあらためて思う。つまり科学は「真理」のほんの一部でしかないのである。


 「不立文字」という言葉がある。「悟りは言葉で表せるものではないから、言葉や文字にとらわれてはいけない。」という意味である。科学も、発想(仮説)とその実践、すなわち「悟り」で成り立っているのではないか。
 「真理」の探究は、なにも科学である必要はない。
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