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大東亜戦争(4月17日)

 半藤一利氏の「昭和史(平凡社刊)」を読むと、いかにアホな出来事と人物が重なって、あの悲惨な戦争に突き進んでいったかがわかる。

 
 たとえば、つぎの事柄である。(もちろん歴史の解釈であるから、すべてが真実とは限らない)

①満州事変
 満州にいる関東軍の「暴走」を止めようとやってきた東京からの使者を、酒宴でもてなし、酔い潰してしまった。その間に「柳条湖事件」を起こし、満州事変へと至る。

②盧溝橋事件
 「1発の銃弾」から、本格的な日中戦争に発展したとされる事件である。日本軍が演習中に、銃弾が撃ち込まれ、兵隊が一人行方不明になった。じつは立小便で離れていただけ。その兵隊を探しているときにまた、銃弾が 撃ち込まれたのをみて、連隊長が「断乎抗戦」を命令してしまったのだ。

③日独伊3国同盟
 日本軍にとって、ドイツがソ連を引き付けておくことができ、強力であってこそ、この同盟の意味があった。 しかし、ドイツとソ連が、ポーランドをめぐって、独ソ不可侵条約を締結してしまった(これでソ連の兵力が日本に向く)。その後も、日本で侃侃諤諤の意見が集約し、3国同盟に調印することに決めた日には、ドイツ軍がイギリス進行で大打撃を受けていたのである。

④真珠湾攻撃
 アメリカ駐在外務職員のサボタージュによって、真珠湾攻撃前の宣戦布告が遅れてしまった。有名な話である (もっとも、アメリカは日本の暗号をすべて解読しており、攻撃を受けることはわかっていたとされる。これを 口実にアメリカは、欧州にも本格参戦する)。しかもその2~3日前、同盟国ドイツはソ連侵攻に失敗し、敗色が濃厚になっていたのである。この時点で日本は、知らずに単独で「世界」を相手にすることになってしまったのだ。

              74式戦車 H30.10.21

 その後、戦闘が始まってからも日本軍は、情報不足や勘違い、無謀な指揮によって、どんどん追い込まれていく。極めつけは、アメリカとの終戦の取り次ぎを、今まさに日本に攻め込もうとしているソ連に頼るという、アホなことをやったことだ。その返事を待っているあいだに原爆を2発も落とされ、悲惨な敗戦を迎えることになってしまったのである。

 いずれもバカげたことではあったが、すべて後知恵である。今となっては、なんとでも言える。その時は、情報不足だけでなく、場の「空気」に支配されてしまったのであろう。
 それにしても、なんという体たらくであったのか。非常に情けない。
 また開戦後でも、勝つチャンスはいくらでもあった。

 もしかして、いまの我々や政府もよく似たことをやっているのではないか。よほど心して、子孫にバカにされないようにしなければ、と思う。
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