FC2ブログ
RSS

災害時の行政批判(10月21日)

 市民は防災意識を持ち、何でも行政の責任にしない。その代り、税金は半分以下にするほうが、「安全は自分で守る」という自覚が生まれる

 今年は、異常に災害が多い。先日も伊豆大島で、死者行方不明50人近くにもなる、大規模な被害があった。関連して、つぎのような記事を見た。

≪土砂災害の危険性を認識しながら避難勧告や避難指示を出していなかった東京都大島町。「夜中に無理に避難させれば被害を増やすと考えた」。川島理史(まさふみ)町長はこう弁明するが、「行政の不作為」が被害拡大を招いた可能性もある。2013 10.17 産経ニュースより≫

 災害が起こるたび、このように行政責任が問われる。悪いことが起こると、誰かに責任を取らせ、鬱憤を晴らしたい国民のニーズに、マスコミが対応するからである。やり玉に挙がった「責任者」は晒し者にされ、詰め腹を切らされる。

 しかし、「責任者」をたらいまわしにしている間に、ほんとの原因や根本対策が疎かになってしまう。これは、マスコミの大きな責任である。

 日本は、世界でもまれにみる災害大国である。今回のような土砂崩れ、洪水、大地震、津波、台風、噴火など、どこでも起こる。安全なところなどほとんどない。このような国土にいる限り、行政ができることは限られる。
 自分の身は、自分で守るしかない。行政に責任を取らせようとする人に限って、行政の発信する災害リスク情報に無関心であったり、避難訓練もまともに受けていないのではないか。それができない人は、あきらめたほうがいい。

 ただ、行政が責任を問われる大きな要因は、地方は役人が一般市民の3倍もの高給を食んでいるからである。もっと給料が少ないなら、責任の取らせかたもずいぶん違うはずだ。
 だから市民は、ある程度の防災意識を持ち、何でもかんでも行政の責任にしない。その代り、税金は1/3にする。そのほうがよほど、「安全は自分で守る」という自覚が生まれるはずである。


【追】
 ある公民教科書に、つぎのような記述があった。
≪何ごとも他人にたより、国家や社会にたよるだけになれば、人々は活力を失い、そして国家の組織や制度は巨大化し、そのことによって、かえって人々は自由を奪われ、社会の活力も失われていきます。・・・・≫
 すでに今の日本は、このような状態になっているのではないかと思う。
スポンサーサイト



トラックバック
トラックバック送信先 :