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人の死に時(10月18日)

 災難に遭う時節には、災難に遭うのがいい。そして生きる権利は、長く生きてきた人ほど少ない

 先日、JR横浜線踏切で、40歳の女性が74歳の男性を助けようとして、電車にはねられ死亡するという事故があった。不運であり痛ましい(どうせ死ぬなら、自分もこのような死に方をしたいものである)。ただ74歳なら、そのまま死なせてあげたほうが良かったのではないか。口には出さないとしても、多くの人はそう思っている(とっさの人助けに、いちいち年齢を聞くのもおかしな話だが)。

 高齢者の自殺は多い。。
 あるTVの公開番組で、参加者の一人が「今の高齢者は早く死にたいと思っている」という意味のことを述べた。
 これを聞いた多くの人は、「老人に死にたいと思わせる社会に問題がある。」と考える。意見を述べた人も、そのつもりで言ったと思う。確かに、福祉分野など問題は多い。改善できるところは改善すべきである。 

 だが、現時点でできることがすべて直ったとしても、早く死にたいと思う人は必ずいる。じつは、「今の高齢者は早く死にたいと思っている」のは、まさに本音である。当事者でない周りの人が、「誰もが長生きしたい」などと思っているのは、とんでもない勘違いである。

 このことは、久坂部洋氏が、「日本人の死に時」の中で述べている。里見氏と同じ久坂部洋も臨床医だけに、多くの高齢患者と接してきて、真実を悟ったのであろう。彼は、「医療はこれまで、とにかく命を延ばせばいいという方針の裏で、言葉は悪いが『中途半端に助かってしまう人』を作り出してきた」と言っている。私もそう思う。

                      良寛様
 これに関して、粋人は達観している。
 たとえば良寛は、大地震に遭った知人に対し次のような見舞いの手紙を送っている。
 「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。・・是はこれ災難をのがるる妙法にて候。」
 すなわち、人知を超えた災害や死は、逃げようとすればするほど苦しむのである。

 また吉田兼好は、「徒然草7段」で、次のように言っている。
 「飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。」
 つまり、「いつまでも飽き足らず惜しい惜しいと思っていたら、千年たっても一晩の夢のように短く感じるものだ」と言っている。「いい加減あきらめたらどうだ。」というのである。

 少なくとも「生きる権利」は、生まれたばかりの人より、さんざん生きてきた人のほうが少ない。長く生きてきたということは、そのぶん他の生物(人間も含む)を犠牲にしてきた、ということにほかならないからである。

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