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限界まで働く(10月12日)

 若い時期、死に物狂いで一所懸命働くことは、その後の人生を豊かにする。そのような、人を育てる組織を、世間は「ブラック企業」と呼ぶ

 10日に、臼井裕氏(キャノンマーケテイングジャパン(株)人事本部長)の「会社を動かす人材教育&コミュニケーション」の講演を聞いた。若い人にとっては、いい話だったのではないか。隣の席からも「わかりやすい」という声が聞こえた。

 この講義の中でひとつ、共感するところがあった。「人は30才半ばまでの間に、多様性と量的に、アッパーリミットに達するまで仕事をこなさなければならない」ということである。このことは、私が若い経営者に対し「40歳前後の10年間、死に物狂いで働くことによって、その後の人生に深みが出てくる」と言うことと、よく似ている。
 10年ほど年齢のずれはあるが、言っていることは同じである。多くの成功者が、晩年になって言うことでもある。

 ただ私は、そう言いながらも、なぜそうなるのかという説明ができなかった。
 今回の講義を聴いて、これは「トイレを我慢した膀胱のようなものだ」ということに気がついた。すなわち、酒の席などでは、必ずトイレに行きたくなる。そのとき、尿意を催してすぐトイレに駆け込んでしまうと、そのあと頻繁に通わなければならない。すこし溜まっただけで、膀胱が刺激を受けるからである。
 ところが、最初の1回目をぎりぎり我慢し、膀胱がパンパンになってからトイレに行く。そうするとつぎからは、そんなに頻繁に行かなくてよくなる。膀胱の絶対容量が増えるからだ。

 すなわち若いとき、それなりに過ごした人は、その人の受け入れ容量がそこで固まってしまう。50才近くになると、頑張りも効かず、新しいことの入る余地が、ほとんど無くなる。容量に柔軟性のある40歳前後の、若い時の頑張りの違いが、その後の受け入れ容量を、決定的に左右する。だからできるうちは、限界まで働く必要があるということなのだ。
 60才過ぎて、いくら頑張っても、もう遅い。高齢になるほど、金銭面だけでなく、知性面での貧富の差が大きくなるといわれる所以である。
                              泥棒ひょっとこ 
 ところで最近、「ブラック企業」という言葉が流行している。極端に仕事の負荷を背負い、うつ病になって自殺したケースが発生しているからである。
 しかし周りを見ても、それほど多いわけではない(珍しいからニュースになる)。それなのに、「ブラック企業」を糾弾しようとする。
 これは、飲酒運転厳罰化のケースとそっくりである。たまたま悲惨な事故があって飲酒運転が撲滅された。その結果、地域コミュニティが破壊され日本経済が沈没、かえって若くして死ぬ人が増えてしまった。

 同じように、やみくもに「ブラック企業」が排除されると、伸び代の無い労働者ばかりとなる。その結果、何もできない高齢者ばかりが増えてしまう。わがままで、生産性の低い高齢者が働く日本のお先は、真っ暗である。

 ものはほどほど。「角を矯めて、牛を殺す」ことがないようにしなければならない。

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