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「偏狭な」ナショナリズム(9月20日)

 せめて、「偏狭な」を外さなければ、お互いの認識のずれは直らないであろう

 雑誌「世界」に投稿するリベラル派論客の中で、寺島実郎氏はいちばんまともだと思う。論理は落ちついており、しっかりと筋道が立っている。原発に関しても、いたずらに毛嫌いし「反対」だけを唱えるのではなく、原発導入の歴史や米国をはじめとした外国の思惑、技術や再処理問題などを俯瞰的に捉えていた。

 しかし彼の論調の中で、ひとつ引っかかる部分がある。それは、「ナショナリズム」の頭に必ず「偏狭な」という修飾語が入ることである。
 たとえば、「世界8月号」の「能力のレッスン・特別編」で、安倍政権半年の政治を、つぎのように評価している。
 
≪・・・ また、偏狭なナショナリズムと近視眼的自己主張の中で、近隣アジアからの孤立と米国からの失望を招き、米中の接近と、米中二極によるアジア太平洋秩序の制御という流れを誘発しているという認識もない。 我々はこの恐るべき視野狭窄から脱却しなければならない≫(太字筆者 引用終わり)

 この引用文の内容についても、反論したい。「認識もない」のではなく、ずれているのである。現政権は、いたずらに中国におもねりその属国になるよりも、「日出ずる国」として、強い国を作ろうとしている。そのための経済政策ではないのか。また、あきらかに理不尽な韓国からのちょっかいは、相手にしないだけである。
 それを、「偏狭なナショナリズム」の一言で片づけてしまうところに、彼の限界がある。せめて、「偏狭な」を外さなければ、お互いの認識のずれは直らないであろう。
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