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老人力の発揮(9月16日)

 現実をあるがままに受け入れ、命さえどうだっていい。これが生物本来の姿なのだ

 今日は、「敬老の日」。台風で中止になったが、地区の小学校では、75歳以上の「老人」を対象に敬老会が行われることになっていた。昔は65歳以上であった。そうするとほとんどすべての住民が対象となってしまう。75歳以上でさえ、住民の30%を超えているのではないか。(250世帯で、75歳以上180人)

 しかしそうなると「敬老」の意味がなくなる。老人が希少だった時代とは、まったく事情が変わった。みな口には出さないが、敬老会場は「姥捨て山」の様相を呈してきた。準備、歓待する人も高齢者では、「鶴」になる人がいない。
 このような状況では、すべての人が「老人力」を発揮し、泰然自若として開き直るしかない。

 たとえば、
 14日(1昨日)に地域の壮年団の小旅行で、勝山市内を見学した。昔の壮年団だから、私が一番「若」く65歳。最高齢は、90歳くらいで、平均年齢は70歳代中頃であろう。
 私が、集合時刻に行ったときには、すでに全員集合してバスに乗車していた。幹事が人数を数えて、出発予定時刻の5~6分前に出発。10分ほどして、突然幹事のところに、「出発5分前に集合場所に行ったら誰もいない」と、電話が入る。そのときは、参加をあきらめるということであったが、さらに10分ほど経って、(運転手の気が変わったのか)迎えに戻ることにした。30人ほど乗せたバスがUターンである。

 バスが、出発予定時刻の前に出発してしまったということは、あきらかに幹事の失態である。すでに目的場所までの半分以上は進んでいる。あまり乗り心地の良いバスではない。それにも拘わらず、全員それを淡々と受け入れている。文句ひとつ言うわけでもない。
 結局、予定時刻より大幅に遅れ現地に到着した。

 これこそ「老人力」の典型である。無気力というより、現実をあるがままに受け入れている。
 高齢化が進んでいくと、命さえもどうでもよくなる。こんな気楽な生存活動は、近代の人類史上初めてではないか。というより、これが生物本来の姿なのかもしれない。

 したがって政治家は、なにも高齢者に気を使うことはない。高齢者に対する年金、医療費、介護などの施しは、思い切りバッサバッサ切り捨てればいい。高齢者は、何も言わずそれを受け入れるであろう。(そうなればいいね。)
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