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八百長相撲(9月14日)

 世の中に、八百長力士を非難できる資格のある清廉潔白な人はいない

 大相撲で、注目するニュースが二つあった。もと大関把瑠都が引退を表明したこと、そしてもと琴光喜の解雇を認める判決が下ったことである。把瑠都の引退は、惜しいが仕方がない。しかし、琴光喜の件に関しては、まだ釈然としない。その背景にあった、八百長騒動である。

 数年前、八百長を意味したメールが公にされ、大相撲をめぐる騒ぎが大きくなったことがあった。あのときは、春場所が中止になるという、前代未聞の出来事にまで発展した。しかし、あそこまでの騒ぎ方は、大げさすぎると思う。あの八百長騒ぎなど、たかが三下力士の、仲間内の馴れ合いに過ぎない。生々しいメールの遣り取りという「決定的」証拠が、たまたま公表されてしまったための騒ぎである。

 ところで、大相撲の八百長を槍玉にあげるのはともかく、それ以外のスポーツで、真に公明正大なものがあるのだろうか。野球や柔道、サッカーなど、ほとんどが審判の有意性に悩まされている。フィギアスケートや体操など採点競技は、疑惑だらけである。どちらが勝ったかわからない。 
 スポーツ以外でも、国会、地方議会は、行政との馴れ合い、八百長が当たり前である。とくに地方議会は、作文の朗読会と化している。役人は、自ら法律・条令・施設を作り、そこに天下っている。これらは、巨額の税金を遣っているだけに、大相撲の八百長なんかより、はるかにたちが悪い。

 そもそも大相撲は、世界に誇る、わが国の生い立ちに係わる伝統行事であり、神事である。伝統に則った作法そのものに、意味がある。伝統と宗教、それに沿った形式美、興行とスポーツ、これらが渾然一体になって維持されてきた。これからも、そうでなくてはならない。勝ち負け重視の西洋スポーツと、一緒くたにすべきではない。

 さらに重要なことは、あれだけの体重・体力を持ちながら、ガチンコで勝負をする力士が、少なからず存在することである。そんな競技は、世界にない。逆に、一人の力士だけで年90番(十両以上、全部で3000番近く)も行う勝負が、すべてガチンコだと、けが人は倍増するし、見ているほうも気が気でない。

 暴力団の介入、賭博に絡む八百長は論外として、馴れ合い八百長も、やりすぎがいけないのは、もちろんである。しかし人がやることだけに、完全には排除できない。そのあたりの機微をわきまえれば、成熟社会としての大人の対応ができるのではないか。
 世の中に、彼らを非難できる資格のある、清廉潔白な人などいないはずだ。
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