原発「不祥事」叩き
日本の原発で最大規模の事故が起こっても、人命が失われることはない
再稼働を目指す柏崎刈羽原発で、抜き打ち検査が行われ、テロリストなど侵入者を検知する設備が去年3月に壊れ、対策が十分機能していなかったことが分かった。規制委員会は、核物質防護などに関わる4段階評価の中で、最も深刻なレベルに当たるとの評価を下した。
東電も認めたため、この4段階の評価が導入されてから、このレベルでの評価は初めてとなるという。
柏崎刈羽原発では、去年9月に社員が中央制御室に不正侵入したことや、終了したはずの安全対策工事ができていなかったことも判明している。そのため、営業運転に入る予定の7号機の再稼働ができなくなってしまった。
このように、東電ではなぜか、つぎからつぎへと「不祥事」が明らかになり、再稼働がどんどん先延ばしになっている。

このように原発に関しては、不思議とスキャンダルが表ざたになる。これでは、スキあらば原発を無くそうとしている放射脳患者に、いくらでも口実を与えてしまう。
今回も、あら探しで発見された不備について、鬼の首を取ったように騒ぎ立てている。
なぜいつも、これほど原発のスキャンダルが表ざたになるのであろうか。
ひとつは、内部の放射脳患者の告発である(5輪演出でも統括の佐々木宏氏が内部告発から叩かれた)。原発なら、どんな些細なことでも大きなニュースになる。内部以外でも、工作員の手先が虎視眈々とわずかな粗を探し、ミスを突きまくっている。
つぎに、管理する項目があまりにも多すぎるからである。何千、何万ものややこしい項目をすべて、完璧にできるはずがない。さらに、もともと多かった管理項目が、ことあるごとに増えていく。それに合わせてマニュアルや記録がやたらと増え、現場・現物より、文書を重要視する癖がついてしまったのではないか。
そして深刻なのは、まともな人材がいなくなってしまったことである。これまで、マスコミをはじめ世間は、ことあるごとに原発を目の敵にしてきた。今度の不具合に対する東電叩きもその一環である。そのような風潮を見れば、優秀な人が原発に携わろうとするはずがない。つまり社会全体で、原発の質を落とし、自らリスクを高めようとしているのである。

しかし、いくらスキャンダルが続き世間が騒いでも、原発の再稼働や開発が止まったら、人類の未来はない。
そもそも、原発で最大規模の事故が起こっても、人命が失われるものではない。そのことは3.11で証明された。その後、日本人の平均寿命もどんどん延びている。あの時亡くなったのは、放射能を恐れて逃げ惑った人たちだけである。富士川で水鳥の羽音に驚き、錯乱・潰走した平氏になってしまった。
さらに放射能の危険を煽ったおかげで、十年もバカ高い化石燃料を買い続け、何十兆円もの国富を流出させた犯人は、八つ裂きにしても足りない。日本は回復できないほど、しょぼい国になってしまった。
今回問題になった原発テロも、それほど恐れる必要などない。
いちばん恐ろしいのは、「原発テロが怖い」と、過度に恐れる国民なのである。
日本人は、羹(あつもの)に懲りて必死に膾(なます)をふいている。バイアスに憑りつかれた放射脳患者には、このことがまったく見えていない。いまのコロナ感染騒ぎも同じである。
再稼働を目指す柏崎刈羽原発で、抜き打ち検査が行われ、テロリストなど侵入者を検知する設備が去年3月に壊れ、対策が十分機能していなかったことが分かった。規制委員会は、核物質防護などに関わる4段階評価の中で、最も深刻なレベルに当たるとの評価を下した。
東電も認めたため、この4段階の評価が導入されてから、このレベルでの評価は初めてとなるという。
柏崎刈羽原発では、去年9月に社員が中央制御室に不正侵入したことや、終了したはずの安全対策工事ができていなかったことも判明している。そのため、営業運転に入る予定の7号機の再稼働ができなくなってしまった。
このように、東電ではなぜか、つぎからつぎへと「不祥事」が明らかになり、再稼働がどんどん先延ばしになっている。

このように原発に関しては、不思議とスキャンダルが表ざたになる。これでは、スキあらば原発を無くそうとしている放射脳患者に、いくらでも口実を与えてしまう。
今回も、あら探しで発見された不備について、鬼の首を取ったように騒ぎ立てている。
なぜいつも、これほど原発のスキャンダルが表ざたになるのであろうか。
ひとつは、内部の放射脳患者の告発である(5輪演出でも統括の佐々木宏氏が内部告発から叩かれた)。原発なら、どんな些細なことでも大きなニュースになる。内部以外でも、工作員の手先が虎視眈々とわずかな粗を探し、ミスを突きまくっている。
つぎに、管理する項目があまりにも多すぎるからである。何千、何万ものややこしい項目をすべて、完璧にできるはずがない。さらに、もともと多かった管理項目が、ことあるごとに増えていく。それに合わせてマニュアルや記録がやたらと増え、現場・現物より、文書を重要視する癖がついてしまったのではないか。
そして深刻なのは、まともな人材がいなくなってしまったことである。これまで、マスコミをはじめ世間は、ことあるごとに原発を目の敵にしてきた。今度の不具合に対する東電叩きもその一環である。そのような風潮を見れば、優秀な人が原発に携わろうとするはずがない。つまり社会全体で、原発の質を落とし、自らリスクを高めようとしているのである。

しかし、いくらスキャンダルが続き世間が騒いでも、原発の再稼働や開発が止まったら、人類の未来はない。
そもそも、原発で最大規模の事故が起こっても、人命が失われるものではない。そのことは3.11で証明された。その後、日本人の平均寿命もどんどん延びている。あの時亡くなったのは、放射能を恐れて逃げ惑った人たちだけである。富士川で水鳥の羽音に驚き、錯乱・潰走した平氏になってしまった。
さらに放射能の危険を煽ったおかげで、十年もバカ高い化石燃料を買い続け、何十兆円もの国富を流出させた犯人は、八つ裂きにしても足りない。日本は回復できないほど、しょぼい国になってしまった。
今回問題になった原発テロも、それほど恐れる必要などない。
いちばん恐ろしいのは、「原発テロが怖い」と、過度に恐れる国民なのである。
日本人は、羹(あつもの)に懲りて必死に膾(なます)をふいている。バイアスに憑りつかれた放射脳患者には、このことがまったく見えていない。いまのコロナ感染騒ぎも同じである。
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