おもてなし弱者
顧客満足を勘違いしたモンスターが、あらゆるところで猛威を振るっている
20年前、私が経営コンサルタントとして駆け出しのころ、しきりと「顧客満足」を訴え、つぎのように書いたことがある。
『経営にとって最も重要なことは、その製品やサービスが、顧客に満足してもらえるかどうかである。満足の評価は、製品だけでなく企業の活動すべてに及び、さらに顧客が満足するかしないかの判断は顧客が行う。
なかで大切なのは、顧客の苦情をうまく受け止め、それを反映させることである。』
基本的には、いまも同じ思いである。
だがそのころから、モンスターが頭をもたげていた。むかしから、なにかといちゃもんをつける厄介なお客は少なからずいた。それが、「顧客優先」の風潮にのって、ますます増長してきたのである。
やがてあらゆるところで、勘違いしたモンスターが猛威を振るい始める。
学校では、モンスターペアレントが教師を追い込み、教育崩壊をもたらしている。たとえば先日、男女交際禁止の校則違反で退学したのを根に持ち、告訴した人もいる。病院やコンビニ、鉄道などでも、いらいらしたお客が、怒りをぶつける。国会では、クレームをつけるしか能がないモンスター野党が、パワハラぶりを発揮する。そのうち飲酒運転で処罰された人もモンスターとなる。
さらに、おもな団体の長になると、(5輪の森会長のように)なにか一言いえば、あちこちのモンスターから噛みつかれる。国民全体いや世界中が、モンスタークレーマーと化してしまった。森会長を擁護する声が全く聞こえないのは、まさにファシズムといってよい。多様性を認めないポリティカルコレクトネスと甘えの国である(健全な社会は一つの声だけであってはならない)。

これでは、直接お客や不特定多数の人に接している人は、たまったものではない。私自身もなんどか、支援企業からの理不尽なクレームを受けたことがある。
これではまずいと、顧客満足より「従業員満足」が強調されている。だが一旦緩んだ国民の意識は、なかなか変わらない。日本では、「おもてなし」があたりまえとされ、その価値を認めてもらえることはない。
顧客満足を重視するあまり、心に傷を受けた人はどうするか。
介護施設では、そのうっぷんが寝たきりや痴呆老人など、弱者に向けられる。保育園では、幼児がはけ口となる。はけ口がなく、うっぷん晴らしができない人や、経済困窮が加われば、自殺に追い込まれる。
それではまずい。

ではどうしたらいいか。
同じような境遇の人と向き合って、発散することである。おしゃべり女性が長生きなのは、この性癖があるからである。口数の多い人ほど長生きするのは世の常である(周りは早死にする)。居酒屋などで、お客や上司の悪口を言って発散させるのもいい。
コロナ禍の社会では、これらはままならない。たぶんこれからいびつな社会になる。
もう一つは、日記などに書くことである。思いのたけを文章にまとめると、自分が何に苦しんでいたのかがはっきりする。はっきりすれば、何をすればいいかわかる。そんな人が増えれば、呪いの藁人形と鉄くぎが売れる。
ブログは全世界に公表されるため、個人的なことは書きづらい(炎上したら、もとの木阿弥である)。それでも理不尽な意見を見聞きするたび、本ブログで発信することで、多少なりともうっ憤は晴れる。
そこまでやる人が、どれだけいるかが問題である。
20年前、私が経営コンサルタントとして駆け出しのころ、しきりと「顧客満足」を訴え、つぎのように書いたことがある。
『経営にとって最も重要なことは、その製品やサービスが、顧客に満足してもらえるかどうかである。満足の評価は、製品だけでなく企業の活動すべてに及び、さらに顧客が満足するかしないかの判断は顧客が行う。
なかで大切なのは、顧客の苦情をうまく受け止め、それを反映させることである。』
基本的には、いまも同じ思いである。
だがそのころから、モンスターが頭をもたげていた。むかしから、なにかといちゃもんをつける厄介なお客は少なからずいた。それが、「顧客優先」の風潮にのって、ますます増長してきたのである。
やがてあらゆるところで、勘違いしたモンスターが猛威を振るい始める。
学校では、モンスターペアレントが教師を追い込み、教育崩壊をもたらしている。たとえば先日、男女交際禁止の校則違反で退学したのを根に持ち、告訴した人もいる。病院やコンビニ、鉄道などでも、いらいらしたお客が、怒りをぶつける。国会では、クレームをつけるしか能がないモンスター野党が、パワハラぶりを発揮する。そのうち飲酒運転で処罰された人もモンスターとなる。
さらに、おもな団体の長になると、(5輪の森会長のように)なにか一言いえば、あちこちのモンスターから噛みつかれる。国民全体いや世界中が、モンスタークレーマーと化してしまった。森会長を擁護する声が全く聞こえないのは、まさにファシズムといってよい。多様性を認めないポリティカルコレクトネスと甘えの国である(健全な社会は一つの声だけであってはならない)。

これでは、直接お客や不特定多数の人に接している人は、たまったものではない。私自身もなんどか、支援企業からの理不尽なクレームを受けたことがある。
これではまずいと、顧客満足より「従業員満足」が強調されている。だが一旦緩んだ国民の意識は、なかなか変わらない。日本では、「おもてなし」があたりまえとされ、その価値を認めてもらえることはない。
顧客満足を重視するあまり、心に傷を受けた人はどうするか。
介護施設では、そのうっぷんが寝たきりや痴呆老人など、弱者に向けられる。保育園では、幼児がはけ口となる。はけ口がなく、うっぷん晴らしができない人や、経済困窮が加われば、自殺に追い込まれる。
それではまずい。

ではどうしたらいいか。
同じような境遇の人と向き合って、発散することである。おしゃべり女性が長生きなのは、この性癖があるからである。口数の多い人ほど長生きするのは世の常である(周りは早死にする)。居酒屋などで、お客や上司の悪口を言って発散させるのもいい。
コロナ禍の社会では、これらはままならない。たぶんこれからいびつな社会になる。
もう一つは、日記などに書くことである。思いのたけを文章にまとめると、自分が何に苦しんでいたのかがはっきりする。はっきりすれば、何をすればいいかわかる。そんな人が増えれば、呪いの藁人形と鉄くぎが売れる。
ブログは全世界に公表されるため、個人的なことは書きづらい(炎上したら、もとの木阿弥である)。それでも理不尽な意見を見聞きするたび、本ブログで発信することで、多少なりともうっ憤は晴れる。
そこまでやる人が、どれだけいるかが問題である。
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