感染症と医療崩壊
*社会・哲学* > 高齢化、医療、死生観 - 2020年12月26日 (土)
検査どころか病院も行かず治癒した圧倒的多数の感染者が確実に存在する
「医療崩壊」の危機が発生したのは、むやみに検査数を増やしたからである
新型コロナ感染拡大による、「医療崩壊」の危機が深刻化しているという。地域によっては、これ以上入院患者が増えると、対応できない人が続出する。もともと医療施設の少ない北海道では、すでに医療施設がいっぱいで、これ以上受け入れられない。
施設や装置より、医師や看護師など、人材不足が切羽詰まっているらしい。
これまでも、高齢者の激増に伴う国民の健康不安に合わせ、この業界の拡充が叫ばれていた。
そのため日本の最優秀の理系人材は、こぞって医学部に進み、毎年1万人もの医者と、数万人もの看護師が生まれている。
そのおかげで日本の医療は、多くの人々を救ってきた。私自身も、何度も医師のお世話になった。かろうじていま命があるのは、そのおかげである。日本の医療がなかったら、1回くらい死んでいたかもしれない。

現実には、日本の医療は、どれだけ国民の命を救っているのであろうか。
具体的な事例として、私自身が成人後半世紀の間に受けた、主な病院での治療内容を以下に示す(たぶん10代は病院へ行かなかったし、幼児期のことはよく覚えていない)。
①20才頃 火傷で通院(テントで熱湯を足にかけた)→数回包帯交換して治癒
②25才頃 風邪で抗生物質注射→数時間後に全快
③35才頃 風邪で高熱なのに待合室で待たされ注射→かえって悪化、数日寝込む
④40才頃 蓄膿症で耳鼻科に2~3年通ったあげく重症化、日赤で手術→2週間入院後、全快
⑤45才頃 風邪で点滴を打たれる→蕁麻疹が発生、その後20年以上苦しむ
⑥45才以降 蕁麻疹の治療で皮膚科通院、山ほど薬をもらう→慢性化した
⑦47才頃 盲腸炎の手術→2日ほど入院、その後軽い腹膜炎の後、全快
⑧50才頃 ボール盤で指先切断、北京と福井の病院で治療→時間をかけて修復中
⑨55才頃 鼻茸の手術で1週間入院→鼻が潰れ醜い顔になる
⑩65才頃 海外旅行後に発熱と倦怠感、内科で内服薬→1週間ほど寝込む
⑪67才頃 肛門にサバの骨が刺さって激痛で肛門科へ→ピンセットで抜きとり完治
⑫60代 耳だれが詰まって難聴で耳鼻科2回ほど通院→3~4時間待機したあと1時間かかって異物除去
⑬60代 花粉症、蕁麻疹の発作で、皮膚科に15回ほど通う→10回目くらいで、オロパタジンの効き目を発見
⑭72才 帯状疱疹、皮膚科で薬剤をもらう→痛みがなくなるまで2~3か月、薬が効いたのか微妙
これ以外に、毎年1~2回は風邪かインフルエンザに罹っていた。その場合病院へ行っていない。たいてい卵酒を服用し、2~3日で治った。病気になって、病院へ行かなかったほうが、圧倒的に多い。またここに、10回以上受けた歯科治療は含まれていないし、PSA検査や健診は治療ではない。
これら治療の効果はさまざまであった。
蓄膿症や盲腸炎などの、手術効果はてき面である。とくに⑪の肛門の骨を抜いてもらったときは、それまでの数日間の苦痛が一瞬で治った。蕁麻疹は、10年ほど試行錯誤したあと、効きそうな薬に巡り合った。いずれも治療を受けなかったら、いまだに苦しんでいたに違いない(帯状疱疹は、薬が効いたのかどうかよくわからない)。

だが風邪やインフルエンザとなると、状況は異なる。
50年前は、抗生物質の注射であっという間に治った。ウィルスに耐性ができ、とっくにその効き目はなくなっている。それ以降の感染症は、医師の治療を受けないほうがよくなった。③のように重篤化したり、⑤病院へ行って蕁麻疹持ちになったこともあった。病院へ行くだけで、気は使うし、運動エネルギーも費やす。ジタバタせず、じっと寝ていたほうが早く治ったと思う。風邪の症状だけでは、病院へ行かなくなって久しい。
いまの新型コロナ感染症はどうか。
まともな治療法はなく、重症者に対する対症療法しかないと聞く。この場合も、無理に病院通いをした人の多くが重症化し、人工呼吸器をつけているのではないか。とくに解熱剤がいけないようだ。感染者にとっては、検査や通院だけでも相当な負担である(これは医者にはわからない)。
また発症前2日から発症後4日間が、最も他人にうつしやすい時期だという。
それなら無理に医療従事者の手を煩わさないほうがいい。もともと感染症はたいてい、自宅で寝ていたほうが治りが早い。新型コロナウィルスも、自己免疫力でしか退治できない。みな、わずかのことで病院へ行くから、医療崩壊になるのである。
理想的なのは、重症になってから病院へ行くことである(多くの場合、重症化は過剰免疫によるもので、そのとき感染力は落ちている)。また症状がなくても、すべての人が陽性者のつもりで密を避け、大声を出さずにマスクをして行動する。
これが徹底すれば、医療機関の負担は激減する。
Gotoトラベルを止めて、日本を沈没させる必要はまったくない。

その論拠を以下に示す。
専門家の話を総合すると、新型コロナは、感染が把握されている数倍の潜在感染者がいる。現在まで国内の累積感染者数は16万人だから、潜在感染者は少なくとも50万人である(私自身の体験からはもっと多いと思う。豊洲市場3000人の自主検査では2%が陽性だった。日本人の1%としても120万人)。重症化し死亡した人は、このなかに入っていない。
彼らは、PCR検査どころか病院へも行かず、自力でウィルスと戦って治癒したのである。病院のお世話にならずに治した、この圧倒的多数の感染者の実態は、だれも把握していない。
すなわち潜在感染者を含めて、新型コロナ感染者数及び死者数は、インフルエンザのそれ(年間1000万人罹患し、1万人亡くなる)よりはるかに少ない。
さらに今年に入り、日本で死者の絶対数(超過死亡者)が減少している。これは不要不急の患者が、病院へ行かなくなったからだという仮説が成り立つ(全国の通院患者は20%減った)。そのうえ新型コロナでは、高齢者から順番にいなくなるという、千載一遇の巡り合わせになっている。もともと死にかかっていたゾンビのような人たちを救うために、若い人や日本の経済と未来を犠牲にしては絶対にいけない。

まちがいなくいまの医療崩壊の危機は、むやみにPCR検査数を増やし、患者を抱え込んでしまったからである。新型コロナ患者には、治療に関係ない隔離や防護などで、普通の何倍もの手間暇がかかる。そのうえ偽陰性はもとより、偽陽性による混乱や被害が続出している。
いま街角などで増えている格安検査の拡大など、キチガイ沙汰と言うしかない。
したがってこの状況で、検査だワクチンだと大騒ぎすることこそ問題である。いまの騒動は、医療専門家の自作自演と、それに便乗したマスコミが作り上げたと考えるほうが自然である。
現代医療は、ある程度までは効果があるのは確かである。だが過剰になると逆効果をもたらす(新型コロナで亡くなる人の多くは、自己免疫が効きすぎるからだという)。何ごとも、適正規模というものがある。ものはほどほど、過ぎたるは及ばざるがごとしである。
そしていま、新型コロナ以上に、鳥インフルエンザが猛威を振るっている。
発見された場合には、数万羽単位で殺処分されている。コロナ死者の多くは人生を謳歌し尽くした人であるのに対し、若鳥はみな志なかば、まだこれからの命である。こちらのほうが、はるかに残酷ではないか。
「医療崩壊」の危機が発生したのは、むやみに検査数を増やしたからである
新型コロナ感染拡大による、「医療崩壊」の危機が深刻化しているという。地域によっては、これ以上入院患者が増えると、対応できない人が続出する。もともと医療施設の少ない北海道では、すでに医療施設がいっぱいで、これ以上受け入れられない。
施設や装置より、医師や看護師など、人材不足が切羽詰まっているらしい。
これまでも、高齢者の激増に伴う国民の健康不安に合わせ、この業界の拡充が叫ばれていた。
そのため日本の最優秀の理系人材は、こぞって医学部に進み、毎年1万人もの医者と、数万人もの看護師が生まれている。
そのおかげで日本の医療は、多くの人々を救ってきた。私自身も、何度も医師のお世話になった。かろうじていま命があるのは、そのおかげである。日本の医療がなかったら、1回くらい死んでいたかもしれない。

現実には、日本の医療は、どれだけ国民の命を救っているのであろうか。
具体的な事例として、私自身が成人後半世紀の間に受けた、主な病院での治療内容を以下に示す(たぶん10代は病院へ行かなかったし、幼児期のことはよく覚えていない)。
①20才頃 火傷で通院(テントで熱湯を足にかけた)→数回包帯交換して治癒
②25才頃 風邪で抗生物質注射→数時間後に全快
③35才頃 風邪で高熱なのに待合室で待たされ注射→かえって悪化、数日寝込む
④40才頃 蓄膿症で耳鼻科に2~3年通ったあげく重症化、日赤で手術→2週間入院後、全快
⑤45才頃 風邪で点滴を打たれる→蕁麻疹が発生、その後20年以上苦しむ
⑥45才以降 蕁麻疹の治療で皮膚科通院、山ほど薬をもらう→慢性化した
⑦47才頃 盲腸炎の手術→2日ほど入院、その後軽い腹膜炎の後、全快
⑧50才頃 ボール盤で指先切断、北京と福井の病院で治療→時間をかけて修復中
⑨55才頃 鼻茸の手術で1週間入院→鼻が潰れ醜い顔になる
⑩65才頃 海外旅行後に発熱と倦怠感、内科で内服薬→1週間ほど寝込む
⑪67才頃 肛門にサバの骨が刺さって激痛で肛門科へ→ピンセットで抜きとり完治
⑫60代 耳だれが詰まって難聴で耳鼻科2回ほど通院→3~4時間待機したあと1時間かかって異物除去
⑬60代 花粉症、蕁麻疹の発作で、皮膚科に15回ほど通う→10回目くらいで、オロパタジンの効き目を発見
⑭72才 帯状疱疹、皮膚科で薬剤をもらう→痛みがなくなるまで2~3か月、薬が効いたのか微妙
これ以外に、毎年1~2回は風邪かインフルエンザに罹っていた。その場合病院へ行っていない。たいてい卵酒を服用し、2~3日で治った。病気になって、病院へ行かなかったほうが、圧倒的に多い。またここに、10回以上受けた歯科治療は含まれていないし、PSA検査や健診は治療ではない。
これら治療の効果はさまざまであった。
蓄膿症や盲腸炎などの、手術効果はてき面である。とくに⑪の肛門の骨を抜いてもらったときは、それまでの数日間の苦痛が一瞬で治った。蕁麻疹は、10年ほど試行錯誤したあと、効きそうな薬に巡り合った。いずれも治療を受けなかったら、いまだに苦しんでいたに違いない(帯状疱疹は、薬が効いたのかどうかよくわからない)。

だが風邪やインフルエンザとなると、状況は異なる。
50年前は、抗生物質の注射であっという間に治った。ウィルスに耐性ができ、とっくにその効き目はなくなっている。それ以降の感染症は、医師の治療を受けないほうがよくなった。③のように重篤化したり、⑤病院へ行って蕁麻疹持ちになったこともあった。病院へ行くだけで、気は使うし、運動エネルギーも費やす。ジタバタせず、じっと寝ていたほうが早く治ったと思う。風邪の症状だけでは、病院へ行かなくなって久しい。
いまの新型コロナ感染症はどうか。
まともな治療法はなく、重症者に対する対症療法しかないと聞く。この場合も、無理に病院通いをした人の多くが重症化し、人工呼吸器をつけているのではないか。とくに解熱剤がいけないようだ。感染者にとっては、検査や通院だけでも相当な負担である(これは医者にはわからない)。
また発症前2日から発症後4日間が、最も他人にうつしやすい時期だという。
それなら無理に医療従事者の手を煩わさないほうがいい。もともと感染症はたいてい、自宅で寝ていたほうが治りが早い。新型コロナウィルスも、自己免疫力でしか退治できない。みな、わずかのことで病院へ行くから、医療崩壊になるのである。
理想的なのは、重症になってから病院へ行くことである(多くの場合、重症化は過剰免疫によるもので、そのとき感染力は落ちている)。また症状がなくても、すべての人が陽性者のつもりで密を避け、大声を出さずにマスクをして行動する。
これが徹底すれば、医療機関の負担は激減する。
Gotoトラベルを止めて、日本を沈没させる必要はまったくない。

その論拠を以下に示す。
専門家の話を総合すると、新型コロナは、感染が把握されている数倍の潜在感染者がいる。現在まで国内の累積感染者数は16万人だから、潜在感染者は少なくとも50万人である(私自身の体験からはもっと多いと思う。豊洲市場3000人の自主検査では2%が陽性だった。日本人の1%としても120万人)。重症化し死亡した人は、このなかに入っていない。
彼らは、PCR検査どころか病院へも行かず、自力でウィルスと戦って治癒したのである。病院のお世話にならずに治した、この圧倒的多数の感染者の実態は、だれも把握していない。
すなわち潜在感染者を含めて、新型コロナ感染者数及び死者数は、インフルエンザのそれ(年間1000万人罹患し、1万人亡くなる)よりはるかに少ない。
さらに今年に入り、日本で死者の絶対数(超過死亡者)が減少している。これは不要不急の患者が、病院へ行かなくなったからだという仮説が成り立つ(全国の通院患者は20%減った)。そのうえ新型コロナでは、高齢者から順番にいなくなるという、千載一遇の巡り合わせになっている。もともと死にかかっていたゾンビのような人たちを救うために、若い人や日本の経済と未来を犠牲にしては絶対にいけない。

まちがいなくいまの医療崩壊の危機は、むやみにPCR検査数を増やし、患者を抱え込んでしまったからである。新型コロナ患者には、治療に関係ない隔離や防護などで、普通の何倍もの手間暇がかかる。そのうえ偽陰性はもとより、偽陽性による混乱や被害が続出している。
いま街角などで増えている格安検査の拡大など、キチガイ沙汰と言うしかない。
したがってこの状況で、検査だワクチンだと大騒ぎすることこそ問題である。いまの騒動は、医療専門家の自作自演と、それに便乗したマスコミが作り上げたと考えるほうが自然である。
現代医療は、ある程度までは効果があるのは確かである。だが過剰になると逆効果をもたらす(新型コロナで亡くなる人の多くは、自己免疫が効きすぎるからだという)。何ごとも、適正規模というものがある。ものはほどほど、過ぎたるは及ばざるがごとしである。
そしていま、新型コロナ以上に、鳥インフルエンザが猛威を振るっている。
発見された場合には、数万羽単位で殺処分されている。コロナ死者の多くは人生を謳歌し尽くした人であるのに対し、若鳥はみな志なかば、まだこれからの命である。こちらのほうが、はるかに残酷ではないか。
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