反原発者の知性
すべての技術や製品は、事故や失敗を繰り返しながら、少しづつ進化してきた
高浜原発4号機が定期検査に入り、高浜原発4基、美浜原発1基、大飯原発2基のすべてが停止することになった。テロ対策が整っていないという理由で、原発が停止に追い込まれている。東北の女川発電所が再稼働しなければ、「稼働原発ゼロ」になる。
また北海道では、高レベル廃棄地の調査に手を挙げた町が、バッシングに遭っている。福島第一では、いまだに処理水を排出できていない。意固地になって反対する人がいるからである。
こんな無体なことがまかり通るほど、日本中が核アレルギーに感染している。
人々が原発を恐れる大きな理由として、「原発は人間が制御できない」という意識がある。たしかにチェルノブイルや福島の事故では、人々は右往左往し、なすすべがなかった。その苦い経験がある。目に見えない「放射能」という、得体のしれないものもばら撒かれ、人々はわけもわからず逃げ回っていた。
そのバイアスから、原発はいずれ大惨事になる可能性がある、と勘違いしても不思議ではない。
今度の新型コロナでも、人々が恐れるのは、その正体がよくわかっていないからである。どのように感染するのか、或いは回復したとしてもまた症状が現れる。専門家の言うこともまちまちである。

しかし、そもそも世の中に、人間が完全に制御できるものなどあるのだろうか。すべての物質や人の心までもが、素粒子の段階から、偶然と確率で構成されている。釈迦は、「すべては無常であり、人間の思うようになるものはひとつもない」と悟っていた。この言葉がすべてである。
これまであらゆる事故や紛争、その積み重ねで、膨大な人が亡くなっている。
飛行機は毎年落ちるし、列車は脱線転覆し、自動車は頻繁に衝突する。家電製品、ソーラ―パネルは火災を起こし、スマホやネット環境は人々を誹謗中傷の渦に巻き込む。人類最大の発明である株式会社や結婚もうまくいかず、世に殺人事件が尽きることはない。天国の風呂場でさえ、毎年1万人もの日本人が亡くなっている。
さらに毎年、大気汚染で700万人が亡くなっているのは、公式にWHOが認めている。日本だけで、少なくとも数十万人。タンカー流出事故も悲惨である。自然災害では、予想される直径数キロの隕石落下、巨大噴火、新型コロナを上回る感染症、気候変動、コンピュータの暴走では、数億~数十億人が犠牲になる。そこまでいかなくても、豪雨や地震で毎年数万人が犠牲になっている。ダムが崩壊すれば、数百~数千万人単位で被害が発生する。感染症が深刻なのは、放射能と違い、どんどん増殖することである。
どれひとつ見ても、被害の深刻さは、原発事故の比ではない。3.11福島の事故でさえ、直接亡くなった人は誰もいない(日本最大の原発事故は、美浜原発での蒸気配管破壊事故で、5名亡くなった)。錯覚による恐怖の感情だけが独り歩きしている。その弱みに便乗し、近隣国の工作員が日本の反体制派を煽っている。

すべての技術や製品は、事故や失敗を繰り返しながら進化してきた。それでも、完璧なものはできていない。原発にだけ完全を求めるのは、妄想以外の何物でもない。むしろ、原発による経済拡大が、多くの人命を救ってきたのが事実である(私自身はむしろ、これ以上日本人の寿命が延びすぎることを懸念している)。
事実を見ないということは、日本人の知性が確実に劣化したと言わざるを得ない。
知性が感情に負けているようでは、日本はおしまいである。
そのなかでようやく、福島第一に保管されている処理水の海洋放出が決まった。わずかな光である。
高浜原発4号機が定期検査に入り、高浜原発4基、美浜原発1基、大飯原発2基のすべてが停止することになった。テロ対策が整っていないという理由で、原発が停止に追い込まれている。東北の女川発電所が再稼働しなければ、「稼働原発ゼロ」になる。
また北海道では、高レベル廃棄地の調査に手を挙げた町が、バッシングに遭っている。福島第一では、いまだに処理水を排出できていない。意固地になって反対する人がいるからである。
こんな無体なことがまかり通るほど、日本中が核アレルギーに感染している。
人々が原発を恐れる大きな理由として、「原発は人間が制御できない」という意識がある。たしかにチェルノブイルや福島の事故では、人々は右往左往し、なすすべがなかった。その苦い経験がある。目に見えない「放射能」という、得体のしれないものもばら撒かれ、人々はわけもわからず逃げ回っていた。
そのバイアスから、原発はいずれ大惨事になる可能性がある、と勘違いしても不思議ではない。
今度の新型コロナでも、人々が恐れるのは、その正体がよくわかっていないからである。どのように感染するのか、或いは回復したとしてもまた症状が現れる。専門家の言うこともまちまちである。

しかし、そもそも世の中に、人間が完全に制御できるものなどあるのだろうか。すべての物質や人の心までもが、素粒子の段階から、偶然と確率で構成されている。釈迦は、「すべては無常であり、人間の思うようになるものはひとつもない」と悟っていた。この言葉がすべてである。
これまであらゆる事故や紛争、その積み重ねで、膨大な人が亡くなっている。
飛行機は毎年落ちるし、列車は脱線転覆し、自動車は頻繁に衝突する。家電製品、ソーラ―パネルは火災を起こし、スマホやネット環境は人々を誹謗中傷の渦に巻き込む。人類最大の発明である株式会社や結婚もうまくいかず、世に殺人事件が尽きることはない。天国の風呂場でさえ、毎年1万人もの日本人が亡くなっている。
さらに毎年、大気汚染で700万人が亡くなっているのは、公式にWHOが認めている。日本だけで、少なくとも数十万人。タンカー流出事故も悲惨である。自然災害では、予想される直径数キロの隕石落下、巨大噴火、新型コロナを上回る感染症、気候変動、コンピュータの暴走では、数億~数十億人が犠牲になる。そこまでいかなくても、豪雨や地震で毎年数万人が犠牲になっている。ダムが崩壊すれば、数百~数千万人単位で被害が発生する。感染症が深刻なのは、放射能と違い、どんどん増殖することである。
どれひとつ見ても、被害の深刻さは、原発事故の比ではない。3.11福島の事故でさえ、直接亡くなった人は誰もいない(日本最大の原発事故は、美浜原発での蒸気配管破壊事故で、5名亡くなった)。錯覚による恐怖の感情だけが独り歩きしている。その弱みに便乗し、近隣国の工作員が日本の反体制派を煽っている。

すべての技術や製品は、事故や失敗を繰り返しながら進化してきた。それでも、完璧なものはできていない。原発にだけ完全を求めるのは、妄想以外の何物でもない。むしろ、原発による経済拡大が、多くの人命を救ってきたのが事実である(私自身はむしろ、これ以上日本人の寿命が延びすぎることを懸念している)。
事実を見ないということは、日本人の知性が確実に劣化したと言わざるを得ない。
知性が感情に負けているようでは、日本はおしまいである。
そのなかでようやく、福島第一に保管されている処理水の海洋放出が決まった。わずかな光である。
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