帯状疱疹闘病記 ③長文
*社会・哲学* > 高齢化、医療、死生観 - 2020年09月21日 (月)
7月に発症した帯状疱疹の経過報告である。 その①、その②から
これから、帯状疱疹レースに参加される方のために記録しました
先月20日に帯状疱疹発症が顕在化して、55日目になる。
生まれてこのかた、蓄膿症の手術を除いて、病気でこんなに長くしんどさが続いたことはなかった。風邪やインフルエンザなら、せいぜい2~4日。中国滞在時の食あたりも、5日我慢すれば、治っていた。
以下は、症状の出始め7月中旬から、今日(26日)までの経過である。
もちろん、症状や重篤度は人それぞれである。
7月12~14日ごろから(前夜祭)(初期症状)
なんとなく背中が痛い、風邪引き始めの筋肉痛のような不快な感覚であった。
熱はなく動けば紛れるし、すぐ治ると思っていた。
10日に行ったあわら温泉会社旅行で、なにかに感染した可能性もある。
7月15~16日(筋肉痛が続く)
福井のお泊りキャンペーンで、若狭の民宿に一泊。検温してもまったく熱はない。
温泉で暖まったからか、やや症状は軽くなったような気がする。
7月17日(右半身の手先や肩の違和感)
支援センターで相談業務4件ほど。
背中も痛みは続いているが、動けば紛れる
7月18日(発症0日目とする)(腫れもの発見)
自宅で湯につかったとき、右半身の上腹部から背中にかけて、赤い腫れ状の帯を発見。なんだこれは!!
体の痛さより、腫れの大きさに吃驚し、不安のどん底に落ち込んだ。
7月19日(発症1日目)(腫れ物拡大)
腫れがますます大きくなってきたので、ネットで調べると帯状疱疹に間違いない。測ったように右半身がおかしい。明日は皮膚科へ行くとしよう。水泡もいくつか見つかる。
7月20日(発症2日目)(皮膚科診断)
皮膚科では、ほんの1秒見ただけで、やはり帯状疱疹と診断された。いつも寡黙な院長が、熱心に説明してくれ、小冊子までもらった。
その時点では疱疹の痛みはなかったが、抗ウィルス薬(アメナリーフ)、鎮痛剤(カロナール)を7日分貰う。
なんとなく安心して、夕食に缶ビール半分ほどたしなんだ。
じつはここから地獄がはじまる。

7月21日~26日(発症3~8日目)(激痛)
20日の夜から、水疱瘡が拡大し、ヒリヒリ・ジクジク痛みが激しくなってきた。黒変色も少しづつ拡大。右の上腕筋肉や手の平もシクシクと痛む。背中から腹にかけ、ツボにはまると飛び上がる痛さで、寝るのも大変である。七転八倒しようにも、痛くて寝返りも打てない。
抗ウィルス薬(アメナリーフ)は、毎朝飲んでいるが、あまり効くような気がしない。
痛み止め(カロナール)は、1~2度飲んだがほとんど効かない。
それに便の出が悪い。屈伸を100回しても屁しか出ない。空腹時に牛乳を大コップ一杯飲んで、ようやく想定の半分くらい、ひねり出すことができた。
酒もビールも、20日の夕刻以後一滴も口にしていない。この30年来初めてである。
はやくこの苦痛から逃れたい。
26日、最後で7日目の抗ウィルス薬(アメナリーフ)を飲んだ。痛みは昨日少し楽になったと思ったら、寝ているうちにぶり返してきた。痛み止め(カロナール)は効いていない。
右上半身の赤腫帯に点在する水泡が潰れはじめた。シャツの腹や背中に、膿と血の混じった縞模様ができている。これも気色わるい。
7月27日~31日(発症9~13日目)(やや緩和)
病院へ行ってから、1週間経過。激痛は治まったが、まだまだ痛い。少なくとも、元気いっぱいという感じではない。動くと患部が擦れて飛び上がる。面積が広いので、水泡の破れも気になる。シミがついたシャツは、朝晩交換する。
コップ大盛りの牛乳と下剤のおかげか、ようやく朝方通じがあった。下剤は、2009年に鼻茸の手術をしたときにもらった、プルセニド(2錠)である。
28日と29日の午後、仕事で外出。動けないことはない。
29日からは晩酌で、日本冷酒をコップ2杯ほど。もちろん寝酒でまた追加。
8月1~4日(発症14~17日目)(後遺症)
あちこちの疱疹が破け、体液が浸みだしている。直径1センチ以上のずる剥けもある。こんど帯状疱疹とは異なる痛みが発生してきた。大火傷を負った因幡の白ウサギである。そのケロイドがひりひりし、時折痛みが襲う。神経の痛さもぶり返してきた。
疱疹がすべて瘡蓋になるのは、まだ1週間くらいかかりそうだ。
3日に、皮膚科に行って痛みを訴えたら、山ほど痛み止めの薬を処方された。
リリカカプセル、カロナール錠、メコパラミン錠それぞれ10日分(5000円ほど)である。もっと痛かったら、モルヒネをもらえるという。
4日に体重をはかったら、この1か月で2.5~3キロほど増加していた。ズボンのベルトの孔もひとつずれた。運動不足は如何ともしがたい。

8月5~10日(発症18~23日目)(痛さ続行)
湿疹や疱瘡は治まりつつあるが、患部の痛みが止まらない。皮膚の表面でなく、みぞおちのあたりに周期的に痛さが襲ってくる。帯状疱疹の後遺症なのか、別の病気なのかよくわからない。
痛み止め薬を飲んでも、それほど痛さが和らぐことはない。酒を飲んでも、効き目は1時間ほどである。
最初の兆候から、そろそろ1か月経過する。いつまで続くのであろうか。
8月11~20日(発症24~23日目)
湿疹や疱瘡は痕になって、まだ広がっている。寝ていたりじっと座っていると、ときおり痛さが襲ってくる。一帯はしびれて、あまり感覚がない。感覚がないのに痛さだけが襲ってくる。剣山の帯をまとっている感覚である。まだまだ患部を気にして日常を過ごさなければならない。
もちろんこの状態で、海水浴や大衆浴場に入るのは気が引ける。
完治しても、上半身にここまで広がった疱疹は消えない。上半身刺青を掘ろうかと、真剣に考えている。
8月21~25日(発症24~28日目)
症状がでてから、およそ1か月。
上半身を襲った帯状疱疹あとは、最盛期に比べて薄くなっている。
だが、いまだにその部分は、しびれたような感覚と何とも言えない痛さが続く。痛さの程度と襲われる頻度が、わずかでも減っていくのはありがたい。既定の半分以下の頻度で飲んでいる痛み止めの薬のせいかよくわからない。
その代わり、ときおり患部が痒くなる。痒くなるのは持病の蕁麻疹のせいか、あるいは家の中に巣食っているやぶ蚊やノミに食われたのか、判然としないのが困る。掻いてしまうと傷が広がる。不快な気分が延々と続く。
8月26~31日(発症29~34日目)
半日~1日ほど痛みを忘れたと思ったら、またぶり返す。痛み止めの酒がいけないのだろうか。寝転んでいても、網シャツのゴロツキが帯状疱疹を刺激する。
ただ、痛さといっても「最盛期」ほどではない。こんどは他のところが痛み出す。とりあえず、耳の後ろとかかとが痛い。耳の後ろからは、血がにじんできた。見えないだけに、何が起こっているか不安である。
9月1日~本日(発症35~55日目)
さすがに回復基調にある。
だが、9月前半は、まだ帯状疱箇所のしびれが残っていた。胃の府のあたりも時々痛んだ。胃痛なのか後遺症なのかよくわからない。とにかく、痛いのは御免である。
発症50日を過ぎたあたりから、痛みやしびれはかなり消えた。
それでも、「全盛期」の10%くらい残っている。ときおり、ジワリとした痛さに襲われ、思わず手で押さえる。
臍から上、半身の疱疹あとはまだ消えない。薄くなっても、当分消えないであろう。これでは、大衆浴場やプールで泳ぐことさえできない。刺青より醜い。

さて、だれでも一度は罹るとはいえ、なぜ今年だったのか。
コロナ自粛によるストレスや鬱憤が、溜まりに溜まっていたからであろう。なにしろ今年に入って、登山らしい登山をしていない。また、昨年からカラオケスナックに入っていないし、酒席でも大声を出すことがはばかられる雰囲気である。体を動かさず、まともに声も出せないなら、ストレス発散しようがない。
おそらく、コロナでの被害より、コロナ自粛による被害の方が1桁2桁多いのではないか。しかも、中等症以下の新型コロナ感染より、帯状疱疹の方が重症である。
日本中にコロナ脳患者を拡大させたマスコミは、万死に値する。
さらに、これまでもそうであったように、医者が患者の病気をほんとに把握しているかどうか疑わしい。医者は、教科書に基づいて診断するだけである。患者の様態をほんとに理解しているのは、患者本人しかいないと実感した。
これから、帯状疱疹レースに参加される方のために記録しました
先月20日に帯状疱疹発症が顕在化して、55日目になる。
生まれてこのかた、蓄膿症の手術を除いて、病気でこんなに長くしんどさが続いたことはなかった。風邪やインフルエンザなら、せいぜい2~4日。中国滞在時の食あたりも、5日我慢すれば、治っていた。
以下は、症状の出始め7月中旬から、今日(26日)までの経過である。
もちろん、症状や重篤度は人それぞれである。
7月12~14日ごろから(前夜祭)(初期症状)
なんとなく背中が痛い、風邪引き始めの筋肉痛のような不快な感覚であった。
熱はなく動けば紛れるし、すぐ治ると思っていた。
10日に行ったあわら温泉会社旅行で、なにかに感染した可能性もある。
7月15~16日(筋肉痛が続く)
福井のお泊りキャンペーンで、若狭の民宿に一泊。検温してもまったく熱はない。
温泉で暖まったからか、やや症状は軽くなったような気がする。
7月17日(右半身の手先や肩の違和感)
支援センターで相談業務4件ほど。
背中も痛みは続いているが、動けば紛れる
7月18日(発症0日目とする)(腫れもの発見)
自宅で湯につかったとき、右半身の上腹部から背中にかけて、赤い腫れ状の帯を発見。なんだこれは!!
体の痛さより、腫れの大きさに吃驚し、不安のどん底に落ち込んだ。
7月19日(発症1日目)(腫れ物拡大)
腫れがますます大きくなってきたので、ネットで調べると帯状疱疹に間違いない。測ったように右半身がおかしい。明日は皮膚科へ行くとしよう。水泡もいくつか見つかる。
7月20日(発症2日目)(皮膚科診断)
皮膚科では、ほんの1秒見ただけで、やはり帯状疱疹と診断された。いつも寡黙な院長が、熱心に説明してくれ、小冊子までもらった。
その時点では疱疹の痛みはなかったが、抗ウィルス薬(アメナリーフ)、鎮痛剤(カロナール)を7日分貰う。
なんとなく安心して、夕食に缶ビール半分ほどたしなんだ。
じつはここから地獄がはじまる。


7月21日~26日(発症3~8日目)(激痛)
20日の夜から、水疱瘡が拡大し、ヒリヒリ・ジクジク痛みが激しくなってきた。黒変色も少しづつ拡大。右の上腕筋肉や手の平もシクシクと痛む。背中から腹にかけ、ツボにはまると飛び上がる痛さで、寝るのも大変である。七転八倒しようにも、痛くて寝返りも打てない。
抗ウィルス薬(アメナリーフ)は、毎朝飲んでいるが、あまり効くような気がしない。
痛み止め(カロナール)は、1~2度飲んだがほとんど効かない。
それに便の出が悪い。屈伸を100回しても屁しか出ない。空腹時に牛乳を大コップ一杯飲んで、ようやく想定の半分くらい、ひねり出すことができた。
酒もビールも、20日の夕刻以後一滴も口にしていない。この30年来初めてである。
はやくこの苦痛から逃れたい。
26日、最後で7日目の抗ウィルス薬(アメナリーフ)を飲んだ。痛みは昨日少し楽になったと思ったら、寝ているうちにぶり返してきた。痛み止め(カロナール)は効いていない。
右上半身の赤腫帯に点在する水泡が潰れはじめた。シャツの腹や背中に、膿と血の混じった縞模様ができている。これも気色わるい。
7月27日~31日(発症9~13日目)(やや緩和)
病院へ行ってから、1週間経過。激痛は治まったが、まだまだ痛い。少なくとも、元気いっぱいという感じではない。動くと患部が擦れて飛び上がる。面積が広いので、水泡の破れも気になる。シミがついたシャツは、朝晩交換する。
コップ大盛りの牛乳と下剤のおかげか、ようやく朝方通じがあった。下剤は、2009年に鼻茸の手術をしたときにもらった、プルセニド(2錠)である。
28日と29日の午後、仕事で外出。動けないことはない。
29日からは晩酌で、日本冷酒をコップ2杯ほど。もちろん寝酒でまた追加。
8月1~4日(発症14~17日目)(後遺症)
あちこちの疱疹が破け、体液が浸みだしている。直径1センチ以上のずる剥けもある。こんど帯状疱疹とは異なる痛みが発生してきた。大火傷を負った因幡の白ウサギである。そのケロイドがひりひりし、時折痛みが襲う。神経の痛さもぶり返してきた。
疱疹がすべて瘡蓋になるのは、まだ1週間くらいかかりそうだ。
3日に、皮膚科に行って痛みを訴えたら、山ほど痛み止めの薬を処方された。
リリカカプセル、カロナール錠、メコパラミン錠それぞれ10日分(5000円ほど)である。もっと痛かったら、モルヒネをもらえるという。
4日に体重をはかったら、この1か月で2.5~3キロほど増加していた。ズボンのベルトの孔もひとつずれた。運動不足は如何ともしがたい。


8月5~10日(発症18~23日目)(痛さ続行)
湿疹や疱瘡は治まりつつあるが、患部の痛みが止まらない。皮膚の表面でなく、みぞおちのあたりに周期的に痛さが襲ってくる。帯状疱疹の後遺症なのか、別の病気なのかよくわからない。
痛み止め薬を飲んでも、それほど痛さが和らぐことはない。酒を飲んでも、効き目は1時間ほどである。
最初の兆候から、そろそろ1か月経過する。いつまで続くのであろうか。
8月11~20日(発症24~23日目)
湿疹や疱瘡は痕になって、まだ広がっている。寝ていたりじっと座っていると、ときおり痛さが襲ってくる。一帯はしびれて、あまり感覚がない。感覚がないのに痛さだけが襲ってくる。剣山の帯をまとっている感覚である。まだまだ患部を気にして日常を過ごさなければならない。
もちろんこの状態で、海水浴や大衆浴場に入るのは気が引ける。
完治しても、上半身にここまで広がった疱疹は消えない。上半身刺青を掘ろうかと、真剣に考えている。
8月21~25日(発症24~28日目)
症状がでてから、およそ1か月。
上半身を襲った帯状疱疹あとは、最盛期に比べて薄くなっている。
だが、いまだにその部分は、しびれたような感覚と何とも言えない痛さが続く。痛さの程度と襲われる頻度が、わずかでも減っていくのはありがたい。既定の半分以下の頻度で飲んでいる痛み止めの薬のせいかよくわからない。
その代わり、ときおり患部が痒くなる。痒くなるのは持病の蕁麻疹のせいか、あるいは家の中に巣食っているやぶ蚊やノミに食われたのか、判然としないのが困る。掻いてしまうと傷が広がる。不快な気分が延々と続く。
8月26~31日(発症29~34日目)
半日~1日ほど痛みを忘れたと思ったら、またぶり返す。痛み止めの酒がいけないのだろうか。寝転んでいても、網シャツのゴロツキが帯状疱疹を刺激する。
ただ、痛さといっても「最盛期」ほどではない。こんどは他のところが痛み出す。とりあえず、耳の後ろとかかとが痛い。耳の後ろからは、血がにじんできた。見えないだけに、何が起こっているか不安である。
9月1日~本日(発症35~55日目)
さすがに回復基調にある。
だが、9月前半は、まだ帯状疱箇所のしびれが残っていた。胃の府のあたりも時々痛んだ。胃痛なのか後遺症なのかよくわからない。とにかく、痛いのは御免である。
発症50日を過ぎたあたりから、痛みやしびれはかなり消えた。
それでも、「全盛期」の10%くらい残っている。ときおり、ジワリとした痛さに襲われ、思わず手で押さえる。
臍から上、半身の疱疹あとはまだ消えない。薄くなっても、当分消えないであろう。これでは、大衆浴場やプールで泳ぐことさえできない。刺青より醜い。


さて、だれでも一度は罹るとはいえ、なぜ今年だったのか。
コロナ自粛によるストレスや鬱憤が、溜まりに溜まっていたからであろう。なにしろ今年に入って、登山らしい登山をしていない。また、昨年からカラオケスナックに入っていないし、酒席でも大声を出すことがはばかられる雰囲気である。体を動かさず、まともに声も出せないなら、ストレス発散しようがない。
おそらく、コロナでの被害より、コロナ自粛による被害の方が1桁2桁多いのではないか。しかも、中等症以下の新型コロナ感染より、帯状疱疹の方が重症である。
日本中にコロナ脳患者を拡大させたマスコミは、万死に値する。
さらに、これまでもそうであったように、医者が患者の病気をほんとに把握しているかどうか疑わしい。医者は、教科書に基づいて診断するだけである。患者の様態をほんとに理解しているのは、患者本人しかいないと実感した。
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