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大東亜戦争の失敗

 アメリカに2発の核爆弾を落とすまで、あの斬鬼に対する仇討は終わらない

 「失敗のメカニズム(中央公論社)」では、10名の歴史家がそれぞれの視点で、大東亜戦争で日本が大きな失敗をした原因を探っている。もちろん、後付けであるが、歴史上最大の失敗をなぜしてしまったのか。いまに繋がる興味深い論説である。

 周辺諸国との軋轢。アメリカとの関係が悪化し、真珠湾攻撃を実行するまでの道筋。そして大戦中での数々の過ちから、最悪の終戦に至るまで、多くの「あってはならない」ことが起こってしまった。その失敗を各自の視点でまとめている。 


 たとえば菊澤研宗氏によれば、いったん開戦の方向に進んだ議論を引き戻すためには、組織内では上下左右及び各部門間の、複雑で多大な連絡調整を行わなければならない。その膨大な「取引コスト」を負担することができなかったのだという。

 また戸部良一氏は、当時の軍人は極度に専門化されたプロフェッショナル集団であった。あまりにも専門分野に突出しているため、周囲の意見に耳を貸すことなく、また大局観に欠けた判断をすることになってしまった。

 そのほか、真珠湾攻撃をはじめ、ミッドウェー、フィリピン海戦など、戦術の失敗は数えきれないほどあった。連合軍の暗号を解読しているのに握りつぶされたり、陸海軍の間の確執は目も当てられないほどだったという。日本を侵略しようとしている、ソ連に仲裁を期待するというおかしなこともやっていた。
 そしてこれらには、イニシアチブをとれる決定権者がだれもいなかった。

                くるくるパー
 
 猪瀬直樹氏の書いたように、日本には国家戦略というものが、まったくなかったのである。すくなくとも周知されてはいなかった。
 そのため、決定的な失敗、天下の愚策をとってしまった。
 すなわち、真珠湾攻撃をしたことである。必ず負ける喧嘩である。
 むかし、小室直樹氏が書いていたように、日本歴史上最大の失敗は、アメリカと戦争をしてしまったことである。ルーズベルトは、戦争しないことを公約として大統領になった。よほどのことがなければアメリカが開戦することはなかった。いくら、ハルノートなどで唆されても、絶対に乗るべきではなかった。



 これはまさに、刃傷松の廊下における、浅野内匠頭の行為と重なる。吉良上野介の挑発に乗って刃を向け、浅野の領地領民を見殺しにしてしまったのである。
 あとは、残された国民が路頭に迷うだけだ。
 もちろん、いったん始めたからには取り返しがつかない。いかに有利な条件で講和に持ち込めるかである。ギリギリの「一撃平和」を狙っていたのは当然である。
 だがその機会がないまま、ずるずると底なし沼に入り込んでしまった。


 忠臣蔵で言えば、いまどんな場面なのか。
 真珠湾で一太刀浴びせたおかげで、日本は原爆を落とされたうえ、敗戦という切腹に追い込まれた。そのあとは、理不尽な東京裁判とGHQによる思想工作で、日本は平和ボケお花畑の住民になってしまった。いままさに大石内蔵助が料亭に入り浸って、遊蕩三昧している時期である。これはただ、外国を油断させているだけだ。
 このまま遊び惚けて仇討を忘れたら、1000年の汚辱である。
 アメリカに2発の核爆弾を落とすまで、あの斬鬼の念を晴らすことはできない。
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