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なぜ印鑑は無くならないか

 印鑑は日本の文化である。不正をした人はバチがあたる

 新型コロナ感染を防ぐため、組織に対しテレワークが要求されている。
 その場合、日本社会で阻害要因となるのが、「印鑑」である。印鑑はこれまで、承認を必要とする書類など、ありとあらゆることに使われてきた。しかも8割以上が、単なる「認印」である。すなわち本人の姓が彫ってあるだけ。裁判所や登記所ですら、「実印」が必要な個所は限られている。

 「認印」など、どこでも買える。印鑑販売機では、たいていの姓のものが、100円で買える。したがって、だれもが偽名を書面で名乗ることができる。まことに印鑑は不思議な存在である。
実印でも、機械化が進んだ現代では、印鑑のほうがサインより偽造は容易である。

 不思議なことに日本では、いまだにこんなものを有難がっている。
 それに対し、むかしから欧米では自筆のサインで、本人証明を行っている。まだ日本では、サインだけで済ませるのは少数である。なぜ、サインに移行しようとしないのか。

               封印

 もちろん、サインにも欠点がある。
 毎回同じ筆跡で書けるはずはないし、筆跡も偽造できる。さらに、漢字でしかも長い名前の人は、きわめて不便である(寿限無寿限無後光の擦り切れ・・・・・)。それに日本ではサインに、姓と名が要求される。

 そして印鑑には大きなメリットがある。
 信頼している人に、代理決済を頼めることである。欧米では重要な契約のサインを行う場合には、かならず本人がいなければならない。また公証人が必要になる。日本にはそんな習慣はない。
 さらに印鑑は、日本の文化である。由緒あるお寺の印鑑は、歴史上の芸術として価値を持つ。


 
 そもそも、どんなセキュリテイのしくみも、完璧なものはない。人々の常識と良心に任せるしかない。
最後の砦は罰則である。
 「他人の印章を不正に使用した者」は、れっきとした犯罪である。刑法第167条の「私印偽造及び不正使用等に関する規定」に違反する。
 つまり、お天道様が見ているのである。
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