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検査至上主義が破滅を招く②

 欠陥を考えず、すべて検査で解決できると勘違いするからおかしくなる ①の続き

 ものづくりにおける検査について考えてみよう。
 たとえば(A)のように、100個の製品の中に、20個の不良があったとしよう(新しい製品をつくる場合、これくらいの不良発生は珍しくない)。検査の場で20個の不良を正確に見つける人は少ない。できるのは、検査の神様だけである。

 実際には、良品なのに不良とされる「偽不良」と、不良品なのに良品とされる「偽良品」が、必ず混在する。

     検査の実際

 良品なのに不良とされる「偽不良」の発生は、不良を絶対に出さないよう慎重に検査する場合(B)に起こりやすい。その場合、不良品を市場に出してしまう可能性は低い。だが、見かけの不良発生数が多くなって、その分利益を直撃する。
 なにしろ不良廃棄品は、原材料の仕入れから出荷までかけたコストをまったく売り上げに計上できないのである。(B)のように、「偽不良」が20個もあると、予定した売上高が40%も減少する。これでやっていける企業は少ない。

 そこで、目先の利益を重視する経営者は、検査を緩くして、できるだけ不良発生数を減らそうとする。その分見かけの不良数は、たとえば10個に減少する(C)。だが、減った分の10個は良品に紛れ込んで、市場に出荷されてしまう。市場での不良率は10/90=11%にもなって、会社の評判はがた落ちになる。



 (B)と(C)、どちらも困る。だから検査の精度を、できるだけ(A)に近づけようと努力する。神様ではないのだから、完璧にはできない。例えば(D)のようになる。本物の不良が15個で偽不良が10個、併せて25個を不良品とみなして廃棄。良品として出荷した75個のうち、5個不良品が混じる。
 まだ面白くないが、すったもんだしても、やっていかなければ、飯の食いあげになる。
 ここから検査技術を磨いて、(A)の状態に近づけると同時に、不良発生を抑えていくのである。

                学問の勧め 松平春嶽

 いまの新型コロナウィルス検出のPCR検査は、(D)のようなものである。PCR検査では、偽不良品(偽陽性)はもっと少ないかもしれない。だが偽良品(偽陰性)はこの何倍もある。これでは検査の意味をなさない。

 つまりPCR検査は、単に陽性の人(不良品)を絞り込むための検査なのである。検査の欠陥を考慮せず、検査で感染の有無を判定できると勘違いするからおかしくなる。さらに、もともとウィルス検査は、いい加減なものと思ったほうがいい。なにしろ、人体に1000兆個も住みついているウィルスや細菌の中の、たった一つを見つけ出すのである。


 そしてじつは、たいていの検査には、ものすごい落とし穴がある。
 ③へつづく 
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