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相模原障碍者殺人

 被告の思いを封印し頭から押さえてしまったら、いつかまた同じようなことが起こる

 神奈川県相模原市「津久井やまゆり園」で、障碍者を含めて45人を殺傷した被告の裁判が始まった。弁護人は事実関係を争わず、被告が心神喪失状態だったとして、無罪を主張している。

 被告は事件の正当性を主張しており、むしろそれを多くの人に訴えようと思っている。前にも書いたが、被告本人は必ず死刑になる。そのとき、反省・後悔するより、自分は正義の人として満足して死にたい。人はいったん思い込んだら、その考えを変えるのはきわめて難しい。
 それに10人に一人や二人は、被告の思いを理解する人がいる。世の中に必ず、優生思想をもつ者は一定数いる。

               かぶりつき R1.6.25

 つぎのような考え方もある。
 生きる権利があるのは、人間だけではない。豚でもアジの開きにしても、人に食われるために生まれてきたのではない。白子や数の子など、人は一口で何万という命を飲み込む。人は食べる前に、「いただきます」と一言かける。食われる方にしたら、そんな一言で罪滅ぼしされたらたまったものではない。人間なんかより我々の生きる権利を守ってほしい。
 これに反論するのはむずかしい。

 世間では、このような本音や議論はまったく聞こえてこない。
 識者と言われる評論家やコメンテーターは建前しか言わない。ブタと人間を一緒にするな、障がい者は人間として生きる権利がある。ほとんどすべての識者はそういう。

                立ち入り禁止

 だが、被告の思いを封印し、頭から押さえてしまったらどうなるか。日本はかって、部落や在日などの差別問題を封印したあげく、おかしな方に捩れてしまった。タブーは必ず、特権階級あるいは原理主義者を生む。

 今後、社会に余裕が無くなったら、世界はどれだけの人口を抱えていけるのか。際限なく増えていく高齢者は、典型的な障碍者である。本来なら姥捨て山について、真剣に考えなければならないのではないか。
 問題先送りと建前だけで、本質的な議論を避けるべきではない。
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