写真撮影
*社会・哲学* > 文化、スポーツ、演劇 - 2019年06月02日 (日)
撮影を気にしてばかりいると、ナマの良さがわからなくなる
スマホのカメラ機能が向上したおかげで、有名人が現われるといっせいにスマホでの写真撮影がはじまる。先月トランプ氏が国技館に現れたとき、ほとんどの観客は両手でスマホを掲げていた。万歳しているのかと見まがうくらいであった。自分のカメラに、有名人を取り込んだ気分になるからである。
だがほとんどの人が、いっせいにスマホを向けるのは異常である。トランプ氏だけでなく、天皇陛下のパレードでも同じである。間近に来られても関係ない。災害での避難所お見舞いのとき、すぐそばでパチパチとスマホ撮影していたのはさすがに違和感があった。

そういう私もデジカメを手にすると、何でも写したくなる。旅行や登山でも、1日100枚以上とる。なにかあると、撮らずにいられなくなる。撮り逃すと心配になるのは、一緒の強迫神経症である。
そうまでして撮った写真を見ても、大したものはない。写真を撮るときは、そのときの感動を残したいと思う。だがナマで見た迫力には遠く及ばない。撮影を気にしてばかりいると、ナマの良さがわからなくなる。盗撮する人の神経がわからない。
スマホのカメラ機能が向上したおかげで、有名人が現われるといっせいにスマホでの写真撮影がはじまる。先月トランプ氏が国技館に現れたとき、ほとんどの観客は両手でスマホを掲げていた。万歳しているのかと見まがうくらいであった。自分のカメラに、有名人を取り込んだ気分になるからである。
だがほとんどの人が、いっせいにスマホを向けるのは異常である。トランプ氏だけでなく、天皇陛下のパレードでも同じである。間近に来られても関係ない。災害での避難所お見舞いのとき、すぐそばでパチパチとスマホ撮影していたのはさすがに違和感があった。

そういう私もデジカメを手にすると、何でも写したくなる。旅行や登山でも、1日100枚以上とる。なにかあると、撮らずにいられなくなる。撮り逃すと心配になるのは、一緒の強迫神経症である。
そうまでして撮った写真を見ても、大したものはない。写真を撮るときは、そのときの感動を残したいと思う。だがナマで見た迫力には遠く及ばない。撮影を気にしてばかりいると、ナマの良さがわからなくなる。盗撮する人の神経がわからない。
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