大往生
*社会・哲学* > 高齢化、医療、死生観 - 2019年04月24日 (水)
父が永眠した。老衰・大往生である。
医者の死亡診断時刻は、昨晩4月23日21時6分(心肺停止はその30分ほど前)。大正9年生まれの99歳である。令和まであと1週間。平成の終わりとともに旅立つことになった。
25年前に連れ合い(私の母親)を亡くしたので、ここまで長生きできるとは思わなかった。あれよあれよという間に100才間近。子供の私より長いかと思っていた。あと10年も生きていたら、それこそ大逆転である。

昨年の夏までは元気であった。自転車で毎日外出、一人でカラオケにも行っていた。
猛暑にやられたのであろう。秋口に体調を崩し、そのあと急激に衰弱していった。9月はほとんど外出できなくなり、10月に要支援3の認定をもらった。トイレまでの数メートルに手すりを付け、介護ベッドを借りた。ディホームに週1回、5~6回通ったが、次第にそんな元気もなくなった。
今年にはいると、自力でトイレに行く力もなくなり、ベッド脇に簡易トイレを備え付ける。3月に要介護の認定。4月に入ると、自分で座る力もなくなった。この1~2週間はわずかの流動食。3~4日前からは、スプーンでお茶を飲むのがやっとになった。亡くなる数時間前往診に来られた医者から、入院しなければあと数日と言われた。どうせ間に合わなかったが、入院、点滴、胃瘻では、長生きしても苦しむだけである。
それでも99歳、それこそ眠るように、静かに亡くなった。大往生である。
寝込んで8か月、献身的に介護してくれた私の妻や妹、介護関係の人たちに感謝したい。今度は自分だ。
さっき葬儀社と段取りを行った。何かとせわしい
決めたことは、明日の晩が通夜 18;30~ ふくい翠光園(問屋団地)、葬儀は翌26日10時~。
医者の死亡診断時刻は、昨晩4月23日21時6分(心肺停止はその30分ほど前)。大正9年生まれの99歳である。令和まであと1週間。平成の終わりとともに旅立つことになった。
25年前に連れ合い(私の母親)を亡くしたので、ここまで長生きできるとは思わなかった。あれよあれよという間に100才間近。子供の私より長いかと思っていた。あと10年も生きていたら、それこそ大逆転である。

昨年の夏までは元気であった。自転車で毎日外出、一人でカラオケにも行っていた。
猛暑にやられたのであろう。秋口に体調を崩し、そのあと急激に衰弱していった。9月はほとんど外出できなくなり、10月に要支援3の認定をもらった。トイレまでの数メートルに手すりを付け、介護ベッドを借りた。ディホームに週1回、5~6回通ったが、次第にそんな元気もなくなった。
今年にはいると、自力でトイレに行く力もなくなり、ベッド脇に簡易トイレを備え付ける。3月に要介護の認定。4月に入ると、自分で座る力もなくなった。この1~2週間はわずかの流動食。3~4日前からは、スプーンでお茶を飲むのがやっとになった。亡くなる数時間前往診に来られた医者から、入院しなければあと数日と言われた。どうせ間に合わなかったが、入院、点滴、胃瘻では、長生きしても苦しむだけである。
それでも99歳、それこそ眠るように、静かに亡くなった。大往生である。
寝込んで8か月、献身的に介護してくれた私の妻や妹、介護関係の人たちに感謝したい。今度は自分だ。
さっき葬儀社と段取りを行った。何かとせわしい
決めたことは、明日の晩が通夜 18;30~ ふくい翠光園(問屋団地)、葬儀は翌26日10時~。
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