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新元号決まる

 民主主義でも全体主義でも、決まったことには従わなければ世の中は成り立たない

 5月1日から、新元号「令和元年」がはじまる。
 昨日の発表のときは、多くの国民が固唾をのんで見守っていた。まったく違和感がなく、すっと肝に入るいい名前である。画数が少ないので、書くのが早くすむ。これで日本全体の生産性がすこし向上する。「驢」や「靁」など、30画以上あるような文字なら大変であった(他に、万〇という候補がいくつかあったらしいが、マンは何となく卑猥である)。ロバートキャンベル氏の、「平和になるよう仕向けようという、ポジティブな言葉だと思った」という解説にも納得する。
 発表までほんの一部の人しか知らなかったのも、神秘的である。

                鬼太郎

 しかし、どんなものにでも反対する天邪鬼は必ずいる。

 今朝の福井新聞朝刊の社説では、さっそくこの元号に噛みついていた。
①決まった以上受け入れるしかないが、納得できる説明がない
②令和の「令」は、命令の令で、「命ずる」「いいつけ」「おきて」の印象がある
③選考過程をわかりやすく説明し、元号の意義を捉え直したい
④「元号で、皇帝が時を支配する」という意識を政府が持っていたら問題である
⑤生前退位の元号決定だけに、密室選定でなく国民の意向を反映させるべきだった
⑥時代を区切る方法は、個人の自由である
 これは、共産党委員長や社民党党首のコメントとまったく同じである。福井新聞の半分は「赤旗」であった。

 右翼は右翼で、元号の事前公表に抗議して首相官邸に乗り込んで、抗議文をばら撒いたという。改元は、あくまで新天皇の下で定める。新元号を定める政令も、新天皇の御名・御璽であるべきなのである。

 お互い、言いたいことはわかる。
 だが、いったん決まったことに従わなければ、世の中成り立っていかない。これは民主主義だろうが、全体主義だろうが同じである。
 多少文句をつけるくらいは仕方ないか。
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