FC2ブログ
RSS

核のゴミ

 核のゴミはゴミではない。貴重なエネルギー資源である

 原子力開発のネックは、トイレの無いマンションといわれる核のゴミの始末といわれている。福井の県知事選に出馬するいずれの候補も、関電の原発使用済み燃料は、県外搬出にこだわっている。日本全国、醜いババ抜き合戦である。
 ほとんどの人は、無責任な言動をぶつけるだけで、だれも自ら手掛けようとしない。原子力に係ろうとする人たちに対し、「暴利をむさぼる既得権益者」と、冷たい言葉を投げつける人さえいる。福島第一の廃炉作業でも新たな段階を迎えており、その画期的な作業に対しても、冷ややかである。

 これでは、優秀な人はだれも問題に携わろうとしない。いま核燃料サイクル技術が停滞しているのは、困難な業務を遂行できない、落ちこぼれ集団ばかりになってしまったからである。世間の冷たい目に耐えられる人はそういない。いまのままでは、人類が生き抜くのに必要なエネルギー開発が制限されてしまう。

                お釜

 この際、核燃料「廃棄物」くらい、福井県が喜んで引き受けるべきである。嶺南でなく嶺北、福井市内のほうがいい。そこに核開発の研究施設をつくる。核廃棄物は、貴重な資源である。

 「核のゴミ」はどのように処理したらいいのか。
 すべてのプロセスには、インプットとアウトプットがある。仕事をすれば必ず余剰が発生する。一般にそれを「廃棄物」という。それをつぎの資源にすれば、新たな価値が生まれる。発酵はそれを利用したものである。

 多くの廃棄物利用の効率が悪いのは、それが拡散しているからである。「分ければごみ、集めれば資源」である。ほとんどの資源は、集めるためのエネルギーが、かなりの部分を占める。
 だが原子力施設の廃棄物は、廃棄された時点で、極めて厳格に分別されている。

 したがって原発廃棄物は、資源を利用する上の最大障壁をクリアーしている。あとは、それを有価物に変換するだけである。永久機関でないのだから、できないはずはない。毒性が強ければ強いほど有効活用できる。そのまま熱源として利用することも可能である。もんじゅや六ヶ所村では、マスコミがわずかの失敗に目くじら立てるので、担当者は嫌気がさしてしまった。

 優秀な人材をこの分野に投入するためには、国民の原子力アレルギーを治療しなければならない。このままでは、核のゴミは永久にゴミで終わる。
スポンサーサイト



トラックバック
トラックバック送信先 :