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親戚の法要

 誰かに喜んでもらえるなら、この程度の「自分の不幸も蜜の味」である

 昨日は、叔父の3回忌法要に参列した。叔父は一昨年99才で亡くなった。100才のわずか手前であった。
 法要の本丸は、読経に続く酒宴である。わけのわからない坊主の読経を喜んでいる人は、参加者の中に、たぶん一人もいない。40分あまりの苦行である。主催者はその時間に比例したお布施を払う。その痛みが大事である。いきなり酒宴では、楽しみが半減する。

 とにかくこうやって親戚一同が集まる機会は、冠婚葬祭以外にはない。集まって大した話をするわけではないが、人とのつながりは、無いよりあったほうがいい。他のアジア諸国のように、お互い生活の面倒まで見ることはない。

              飲酒運転撲滅 H27.7.18  技術士研修会資料より

 しかし今回は、昼酒ですっかり不覚を取った。銚子が小さいので油断していたら、うっかり飲み過ぎてしまった。電車の中で居眠りし乗り過ごした。
 法要の席からタクシーで電車の駅まで行って、福井への急行電車に乗るまではよかった。気がついたら、自宅前の駅をとっくに通り過ぎ、見知らぬ田園を走っていた。帰りの電車賃390円と、2時間ほどの時間ロスである。乗り過ごした分の電車賃を免除してもらえたのと、終点まで行かないうち目が覚めたのは、不幸中の幸いであった。

 どうせまっすぐ帰っても、なにもすることがなかった。
 それに、誰かに喜んでもらえるなら、不幸や失敗は話のネタになる。この程度なら、「自分の不幸も蜜の味」である。
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