イノベーション国家
国家が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら衰退する
中央公論12月号で、吉川洋氏(経済学者)は、「企業化精神衰退の背景にあるものは・・」のタイトルで、イノベーション生みの親であるシュンペーターとアダムスミスの言葉を、それぞれつぎのように紹介していた。
シュンペーター
≪(企業化)は決して金を目当てにイノベーションを行うわけではない。もし金が目標となったとすれば、それはイノベーションの死を意味する≫
アダムスミス『一般理論』より
≪もし企業の活動が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら、そうした企業は衰退する。企業の発展は、南極探検と同じ「アニマル・スピリッツ」によって生み出される≫
この言葉を踏まえて吉川氏は、現在の日本企業の退嬰ぶりを嘆いている。2007年に135兆円あった法人企業の保有預貯金は、2017年度には222兆円にまで膨らんだ。日本では投資がなくなり、企業化精神が衰退したことになる。

この「企業」を「国家」あるいは「個人」と置き換えても同じである。
つまり、
≪国家が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら衰退する≫
いまの国会のありさまはどうだ。
統計調査は大事かもしれないが、所詮「死亡診断書」である。終わったことを調べるだけだ。さらに統計の大もと1つ1つは、きわめて主観的・有為的なものである。いくらその積み重ねを厳密にやっても、出てきたものが信頼できるはずがない。細かい数字が大事な人は、それを商売にしている人と既得権益者だけである。不労所得である年金や保険金など、貰えるだけで充分である。
前に書いたように、ほんとに大事な数字は、下1桁より上1桁のほうではないか。AI、エネルギー、宇宙開発、核武装、そして憲法改正など、国がやるべきことはいくらでもある。それが上1桁である。
それには必ずリスクが付きまとう。
国家は、個人はもとより企業に比べても、はるかに大きなリスクをとれる。むしろ格差が生まれる民間に代わって、国がリスクを取るべきである。その国家が、チマチマと細かい金の計算や、文書改ざんなんかで揉めていることこそ大問題である。
中央公論12月号で、吉川洋氏(経済学者)は、「企業化精神衰退の背景にあるものは・・」のタイトルで、イノベーション生みの親であるシュンペーターとアダムスミスの言葉を、それぞれつぎのように紹介していた。
シュンペーター
≪(企業化)は決して金を目当てにイノベーションを行うわけではない。もし金が目標となったとすれば、それはイノベーションの死を意味する≫
アダムスミス『一般理論』より
≪もし企業の活動が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら、そうした企業は衰退する。企業の発展は、南極探検と同じ「アニマル・スピリッツ」によって生み出される≫
この言葉を踏まえて吉川氏は、現在の日本企業の退嬰ぶりを嘆いている。2007年に135兆円あった法人企業の保有預貯金は、2017年度には222兆円にまで膨らんだ。日本では投資がなくなり、企業化精神が衰退したことになる。

この「企業」を「国家」あるいは「個人」と置き換えても同じである。
つまり、
≪国家が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら衰退する≫
いまの国会のありさまはどうだ。
統計調査は大事かもしれないが、所詮「死亡診断書」である。終わったことを調べるだけだ。さらに統計の大もと1つ1つは、きわめて主観的・有為的なものである。いくらその積み重ねを厳密にやっても、出てきたものが信頼できるはずがない。細かい数字が大事な人は、それを商売にしている人と既得権益者だけである。不労所得である年金や保険金など、貰えるだけで充分である。
前に書いたように、ほんとに大事な数字は、下1桁より上1桁のほうではないか。AI、エネルギー、宇宙開発、核武装、そして憲法改正など、国がやるべきことはいくらでもある。それが上1桁である。
それには必ずリスクが付きまとう。
国家は、個人はもとより企業に比べても、はるかに大きなリスクをとれる。むしろ格差が生まれる民間に代わって、国がリスクを取るべきである。その国家が、チマチマと細かい金の計算や、文書改ざんなんかで揉めていることこそ大問題である。
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