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高齢者介護殺人

 在宅で延々と介護していると、殺意が起こる悪魔の瞬間が発生する

 先日福井市で、57才の男性会社員が84才の父親を殺害した。自宅の寝室で父親の首にロープを巻き付け殺害したらしい。父親は、食事の準備や着替えなどの介護が必要で、おもに男性会社員が行っていたという。容疑者は「介護がうまくいかずかっとなったが、殺すつもりはなかった」と言っている。

 具体的ないきさつが分らないが、普通に考えたら、介護負担の蓄積による瞬間的な「爆発」ではないかと思われる。在宅で四六時中接していると、必ず一瞬そういう悪魔の時間が発生する。実行動に及ぶかどうかは、そのときの状況次第である。

 つまり高齢者介護で一番の負担が、「精神的負担」である。
 ある調査によると、その負担内容は
①休みが取れない
②ずっと面倒見なくてはいけないので、自分のことは後回しになり、何もできなくなって気が滅入る
③物忘れが激しく、5分前に言ったことを何度も繰り返し言うので、毎回返事をするのが苦痛だった
  ・・・であった。これが際限なく続く。時おり爆発しないほうがおかしい。


 まさにすべて、我が家にも当てはまる。99才の実父が昨夏、いったん死にかけたとき、私もそれなり神妙な面持ちになった(同時にほっとしたのも事実)。
 だが99才は、秋になり蘇った。歩き回るようになると、神妙な気持ちが一変する。
 一番困るのが、モノが無くなったと大騒ぎすることである。「あれが無くなった、どこへやった」と喚き散らす。掃除するたび、微妙にモノの配置が代わるのが気に入らないらしい。そうかといって、掃除しないとあっという間にごみ屋敷になる。なにしろ、何回も咬んだ鼻紙や、使い古しのイチジク浣腸を大事に保管してある。感覚がないので、悪臭など屁とも思わない(なぜか屁だけは大きい)。
 そのほか、さまざまな公害を撒き散らす。

                すっかりうば桜

 どうしたらいいのか。
 数年前、里見清一氏は、「新潮45」につぎのようなことを書いていた。
≪どこで死ぬのか。誰が「死なせる」のか。山田風太郎は、65歳になった志願者を日本武道館あたりに集めてガスで安楽死させろと書いた。京都のK子先生は、「国立往生院」を作って100歳になったら全員に行ってもらえと説いている。ビートたけしはかつて、「80歳以上は死刑!」と言った。わが編集者は、交通事故の犠牲者が70歳以上であれば、加害者は免責されるべきだと嘯いている。
 私にはいずれも荒唐無稽とは思えない。・・・・≫

 つまり高齢者は、ほどほどのところで死んでもらうしか、手立てはないのである。
 今回の事件も、父親が介護を必要になるまで生きていなければ、息子は犯罪者にならずに済んだ。明日は我が身である(まだ私の場合は献身的な家内がいるし、こうやってブログに書くことで、「爆発」のガス抜きをしている)。



 あるいは、むしろ要介護者は動けなくなって、下の世話がはじまったほうが、負担は減少する。最新の「自動脱糞・洗浄・乾燥装置」をリースし、セットするだけである。胃ろうか点滴を加えれば、寝たきり人間への、栄養剤メリーゴーランドがはじまる。
 介護の生産性は高まるが、ほんとにいいのだろうか。これはこれで大問題である。
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