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暴力的指導と飲酒運転

 まもなく自動運転車が普及すると、「飲酒運転」は死語になる

 本ブログではときどき、教育の場での暴力を容認するようなことを書いている。
 誤解しないでいただきたいが、私は何も暴力を賞賛しているわけではない。スポーツや教育指導の場だけでなく、あらゆるところで暴力はないほうがいいし、原則は禁止すべきだと思っている。

 このことは、飲酒運転にも言える。今現在、「飲酒運転」は絶対悪で、厳罰が当然視されている。最近も飲酒運転ひき逃げの疑いで、タレントの吉沢ひとみさんが逮捕され、激しいバッシングに合っている。暴力的指導も飲酒運転にしろ、社会悪であることはたしかである。そのために命を落とす人もいるのはまちがいない。

            飲酒運転撲滅 H27.7.18  技術士研修会資料より

 ただ私は、「絶対禁止」というPC(ポリティカル・コレクトネス)患者に、反発を覚えるだけである。なにごとも絶対はないし、暴力とは何か明らかでないのに、否定も肯定もできない。単に叩いたり摩ったりが暴力なら、それを好む人もいる。それが宗教だろうが、その自由は憲法で保障されている。

 さらに、暴力や飲酒で救われる人も多い。賛否はあるが戸塚ヨットスクールのように、暴力的と思える指導によって人生を取り戻す人がいる。人里離れた無人島では、やむを得ず飲酒運転しなければならない。たまにある飲酒機会を車の運転ごときで奪われたら、何のために生きてきたのかわからない。

 すなわち飲酒によって、人生を破壊する人もいれば、2倍充実した人生を楽しむ人もいる。飲酒事故では、うつ病での自殺者とのバランスをみなければならない。大気汚染で亡くなる人が毎年700万人といってもピンと来ないのと同じ、これも人は目先のこと(放射能という幽霊)に目が眩んでしまうのである。

 それでも世の中には、頑なに暴力は絶対悪と思っている人は多い。そのことも宗教であるし、自分にとって厭なことと悪とを一緒にしている。さらに世の中の不合理は、生物学的には合理的な場合が多い。真相は誰にもわからない。
 もっとも、まもなく自動運転車が普及すると、「飲酒運転」の言葉は死語になるであろう。
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