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真実と事実

 「真実を追求する」というセリフほど白々しいものはない

 「真実」と「事実」は、よく似た言葉だが、似て否なるものである。
 それぞれの定義は何か。デジタル大辞林では
【真実】うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。
【事実】現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。そのような物事・状態が確かに存在すると判断するさま。

 同じに見えるが、よくみると微妙に異なる。「真実」は「うそ偽りのないこと」ということは、本人がほんとのことだと思っているかどうか、つまり主観的なことである。これに対し「事実」は、「現実に起こり、存在する事柄」であるから、客観的に正しいと誰もが判断できる事柄である。
 つまり、「真実」は人の数だけあっても、「事実」は一つしかない。「事実」を証明するのは、きわめて難しい。映画「羅生門」のように真相は「藪の中」である。

            どうみても、うば桜 H27.4.14

 たとえば、黒い制服を着た人が少女と歩いていたとしよう。複数の人が証言したら、そのことは最低限の「事実」であろう。
 そこから先は、見る人の主観である。
 「学生のカップルが、楽しそうにデートしていた」
 「日本の官憲が、朝鮮の娘を慰安婦にするため連れ出した」
 「寛一、お宮の芝居の練習をしていた」
 「背広の父親が、自分の娘を学校に送っていくところ」
 「文科省の事務次官が、出会い系サロンから少女を連れだした」
 「有力な国会議員が、ハニートラップに引っ掛かった」
  と、いくらでも出てくる。
 
 すなわち、「事実」のほんの一部を見た人が、時期や環境を考慮し、最も確からしいと考えた事柄が「真実」である。見る人の知識や経験、思想信条などはすべて異なる。だから、見る人の数だけ「真実」はある。朝日新聞のインチキ記事も、書いた本人から見たら、「真実」なのである。
                無題
 先だっての国会における柳瀬氏の参考人喚問も、観る人によって「真実」はまるで反対になる。だからあんなことを、長々と国会でやるのはムダ以外の何物でもない。声の大きいほうが中間層を煽るだけで、そんなものは、「事実」ではありえない。
 財務省次官の「セクハラ」発言も同じ。言葉を発した本人、それを嬉しがる人、嫌がる人、それぞれ異なる真実がある。次官が辞職したのは、声の大きいマスコミが自分の真実をねじ込んだからである。
 
 したがって、歴史はいつまでたっても定まらない。
 法廷ドラマを観ていて、「真実を追求する」という主人公のセリフを聞けば聞くほど、その番組は、白々しく安っぽくなっていくのである。



 ≪追≫
 もう一つ「真相」という言葉がある。
 デジタル大辞林では
【真相】 ある物事の真実のすがた。特に、事件などの、本当の事情・内容。
 すなわち、「真相」は「事実」に近い。ややこしいから、ここでは述べない。
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