FC2ブログ
RSS

スマホと人の多機能性

 多機能と単機能では、どちらがいいか

 スマホがここまで普及したのは、なんといってもその多機能性にある。通信機能を拡張し、カメラ、ネット検索の充実、ゲーム、音声や画像の配信、時計、懐中電灯、音声発信、ワープロ、計算機など、あらゆる機能を盛り込んできた。機能を連動するなど、それぞれの価値をどんどん高めている。

 多機能機械が重宝されるのは、比較的安価に、一人1台保有できるからである。人は同時にいくつも機能を使うことはできない。一つのことをやっているとき、他の無数の機能は遊んでいる。つまりスマホは、非常に稼働率が悪い。その代わり、カメラ、携帯電話、ラジオ、マイクロTV、ゲーム機、ネット通信機など、たくさんの機械を持ち運ぶ必要がない。

 ITの進歩によって、これからもスマホの機能は無限に増えていく。形状はどんなものかわからない。自動車や車いす、あるいは帽子やメガネのようなものに、われわれが生きていくための、あらゆる機能が詰め込まれる。

                     円満仏
 一方で、人や国は専門の追求が求められている。
 人間の場合、レオナルドダヴィンチのような大天才ならともかく、普通の人はマルチになると、すべてが疎かになる。だから得意分野を作って、一つの分野の専門家になれと言われる。男子体操も、個人総合優勝者は、種目別の専門選手にはかなわない。野球でも、2刀流すら天才しかできない。人や国の間では、(自分の中で得意分野を活かすという)比較優位の原則は固く信じられている。

 しかし(佐伯啓思氏によると)比較優位の問題は、将来の可能性と現在の収益格差を無視していることにある。
 たとえばアインシュタインは、研究とタイピングが両方できる。そこで、アインシュタインが研究に専念し、有望な助手にタイプだけやらせておけばどうなるか。その助手がアインシュタインを超えることはない。グローバリズムの自由貿易では、同じ労力をかけていても、1億円入る仕事(金融、ITなど)と、100円しか入らない仕事(安価な資源採掘や農業など)の格差が止まらない。

 したがって平等な世界を目指すなら、人も国もできるだけ自己完結すべきである。
 そうなるとトップランナーがいなくなり、人類全体からみた進歩は鈍化する。どちらがいいかは、それこそ価値観の違いである。

 だから迷う。
 何でもできるマルチ人間と、ひとつのことしかできない人。
 何でもできる人間は、そのインプットに多大な時間を要している。人生は短い。たいてい何もできないうちに耄碌し、人生の終焉を迎える。中途半端な器用貧乏である。マルチになろうとしている私の末路とダブる。
スポンサーサイト



トラックバック
トラックバック送信先 :