なぜ人は生きているのか
*社会・哲学* > 高齢化、医療、死生観 - 2017年12月15日 (金)
なぜ生きているかわからなくても、生きているなら幸せな方がいい
新潮45には、「ビートたけし 達人対談」と言う記事が連載されていた。この月刊誌は、やたらと人をバカにする評論家が格を下げ、この記事はそれをカバーしている。たけしのユニークな質問が、それぞれの達人の専門性を際立たせている。
10月号の対談は、幸福学の達人・前野隆司氏(慶応大学院教授)であった。氏はもともと、ロボット学の研究家で、ロボットに心を持たせる研究を行っていた。そのうち、人間の心に関心をもつことになったという。氏のおもな主張は、人間には自ら何かしようとする主体的な意識はなく、無意識が決めたことを追認しているだけ、ということである(この理論では、すべて殺人や不倫も、自分の意思ではないことになる)。

前野氏は、人間の永遠のテーマである幸福の追求、どうすれば人が幸せになるかを研究している。
ではどうすれば幸せになるのか。
人が幸福を感じるのは、「ほどほどの目標を持っていること」、「人とのつながりがあること」、「なんとかなるという前向きの心」、「他人と比べないマイペース」の、4つの因子を持っていることだという。この因子を持つようにすればいい、この当たり前のことが大切なのである。
ただその根本には、なぜ人は生きているかという、永遠の疑問がある。これについて誰もが納得できる答えなど無い。前野氏は、生きる意味なんて本当はないという。それも寂しいが、人間以外の生物はそんなこと考えない。
もっとも、なぜ生きているかわからなくても困らない。生きているなら幸せな方がいいだけの話である。
新潮45には、「ビートたけし 達人対談」と言う記事が連載されていた。この月刊誌は、やたらと人をバカにする評論家が格を下げ、この記事はそれをカバーしている。たけしのユニークな質問が、それぞれの達人の専門性を際立たせている。
10月号の対談は、幸福学の達人・前野隆司氏(慶応大学院教授)であった。氏はもともと、ロボット学の研究家で、ロボットに心を持たせる研究を行っていた。そのうち、人間の心に関心をもつことになったという。氏のおもな主張は、人間には自ら何かしようとする主体的な意識はなく、無意識が決めたことを追認しているだけ、ということである(この理論では、すべて殺人や不倫も、自分の意思ではないことになる)。

前野氏は、人間の永遠のテーマである幸福の追求、どうすれば人が幸せになるかを研究している。
ではどうすれば幸せになるのか。
人が幸福を感じるのは、「ほどほどの目標を持っていること」、「人とのつながりがあること」、「なんとかなるという前向きの心」、「他人と比べないマイペース」の、4つの因子を持っていることだという。この因子を持つようにすればいい、この当たり前のことが大切なのである。
ただその根本には、なぜ人は生きているかという、永遠の疑問がある。これについて誰もが納得できる答えなど無い。前野氏は、生きる意味なんて本当はないという。それも寂しいが、人間以外の生物はそんなこと考えない。
もっとも、なぜ生きているかわからなくても困らない。生きているなら幸せな方がいいだけの話である。
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