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科学的合理性と倫理

 合理性だけでなく、人間としての倫理観、道徳観を加味しなければならない事柄もある
 
 世の中の政策を決めるのは、科学的合理性である。
 東京都の豊洲移転や原発再稼働などは、まさに科学的合理性を根拠として結論を出すしかない。情緒だけで云々するから、いつまでたっても物事が決まらない。たいてい、決断が遅くなるほど、ものごとは悪くなる。
 
 昨年の今ごろ、相模原で19人もの障害者が殺害される事件があった。実行犯は、障害を持つ人はムダな存在だから、いないほうがいいと考えたという。正直、そのような考えの人は多い。世間の半分はそう思っているのではないか。口に出すと叩かれるので黙っているだけである。
 障害者を排除しようとする「優生学」では、劣等な子孫の誕生を抑制し優秀な子孫を増やすことで、単に一個人の健康ではなく一社会あるいは一民族全体の健康をはかろうとする。科学的根拠もあり、一応合理的である。

        ひな人形集合 H28.2.6

 しかし世の中は単純ではない。合理的でも釈然としないことがある。
 これをどう考えたらいいのか。「人道」やかわいそうだけでは、説得力がない(アジの開きのほうがよほど残酷である)。

 これについて、曽野綾子氏の随筆に、以下のようなことが述べられていた。
 障害を持つ子供は、800人に一人ほどの割で必ず生まれてくる。その子は、他の健康な人たちの苦難を一身に背負って生まれた、イエスキリストのような存在である。そう考えたら、障害者はムダだから殺せなどと言う発想にはならない。
 クリスチャンである曽野綾子氏らしい考え方である。

 科学的合理性がすべてではない。人間としての倫理観、道徳観を加味しなければならない場合もある。豊洲移転や原発再稼働と、障害者排除とは全く事情が異なる。ただ道徳や倫理観は、どの場面で適用するかが重要である。単に、嫌いだから、怖いからでは話にならない。
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