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西暦と和暦

 これに皇紀が加われば、日本人の知能指数は一段と高くなる

 今年は、平成29年で、西暦では2017年である。年を取ってくると、この使い分けがこんがらがってくる。今年2017年を2019年と書いてしまったり、平成29年なのに平成27年とカン違いする。毎年の初めは、いつも間違いやすいのだが、なぜか今年は一段と混乱している。

 簡易計算で、西暦の下2桁に12を足したものが平成の年号である。また、以前の昭和時代には、西暦の下2桁から25を引いたものが昭和の年代であった。これを使い分ければいいのだが、その足したり引いたりが、ときとしてごっちゃになってしまう。
まことにややこしい。日本語の難しさが、ここにも現われている。
 そこで以前から、和暦を廃止したらどうかという意見が絶えない。

      コケの木

 しかし、ややこしいからといって、断じて西暦だけにしてはいけない。それぞれの時代の元号と結びついた社会イメージや歴史背景から、和暦は捨てがたい。利便性だけを重視し、日本固有の伝統を捨てて、西暦に統一にするような権利は、われわれにあるはずがない。
 「明暦の大火」、「享保の改革」、「天明の飢饉」、「安政の大獄」、「明治維新」、「大正ロマン」、「昭和枯れすすき」、「平成音頭」など、元号だからこそインパクトがある。もちろん和暦は日本独自のもので、西暦645年に制定された「大化」がその始まりである。それ以来、約250の元号が日本で制定されている。

 そもそも西暦こそ根拠が曖昧である。ある時期のローマ教王が、自分の誕生日から逆算してキリストの誕生日を決めただけである。年代を数える暦(紀年法)は、世界には山ほどある。もし欧米のキリスト文明が衰退すれば、あっという間に西暦など廃止されてしまう。そんな基準に頼るべきではない。

 それに、和暦と西暦を併用することで、われわれは毎日頭の体操をしている。これに皇紀が加われば、日本人の知能指数は一段と高くなる。
 ここでもし西暦に統一されれば、日本には痴ほう老人が溢れる。和暦廃止論者を見れば、すぐ納得できる。
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