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教育勅語の本質

 天皇が上から目線で、「臣民」に対し道徳観を押しつけるものではまったくない

 森友騒動のおかげで、教育勅語についての議論が活発である。
 政府は先月、「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」と閣議決定し、野党やリベラル派から反発が広がっている。そこで昨晩のフジTVプライムニュースで、教育勅語は道徳教材としてふさわしいかどうか、議論を行っていた。

 4人の中では、長谷川三千子氏(埼玉大名誉教授)が卓越した見識を示し、他の論客を圧倒していた。たとえば教育勅語は、全体を注意深く判読すると、「天皇ご自身が臣民の一人として、自らの行動規範を定めたものであって、良かったら国民もどうぞ」という、きわめてつつましいものであるという。リベラルの人がヒステリックに言うように、天皇が上から目線で、「臣民」に対し道徳観を押しつけるものではまったくないのである。

 したがって、『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』は、「緊急事態では、天皇ご自身が命を投げ出しても、国民のために尽くす」という意味を持っている。まさに今上天皇に引き継がれた、天皇そのものである。

   福井城址北天守 大咲き H28.4.3

 もちろん戦時中は、軍は教育勅語を天皇からの勅命として押し付けていた。戦争では、効率を最優先しなければならないからである。その使い方・解釈を、現代に当てはめようとするからおかしくなる。殺人に使われたからと言って、包丁を禁止したら、まともな食事ができなくなるのと同じである。

 そもそも教育勅語の文章解釈については、各人各時代で異なり、定訳は存在していない。戦前のものを頭から否定するのでなく、いいか悪いかは、自分の頭で考えるべきである。考えない人が、条件反射で「何でも反対」になるのである。
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