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安心のコスト

 豊洲では地上リスクのない土壌汚染対策のため、とんでもない環境破壊を行ってしまった

 豊洲問題だけでなく、近年なにかにつけ「安全」と「安心」が問題となっている。解っているはずなのに、なぜかこの2つを混同している人が多い。そこで、これを文科省「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」の見解に基づいて説明しよう。

 まず「安全」とは、「人やその所有物に危害がないと客観的に判断されること」である。科学的知見によって証明されたもの。もちろん絶対安全はなく、リスクを社会が受容可能なレベルまで極小化している状態を「安全」であるとしている。

 「安心」は、「人が予測している状態と大きく異なる状態にならないと信じていることと、なにかあったとしても受容できると信じていること」である。個人の主観的な判断に依存するもので、科学的根拠である「安全」への信頼が必要。まさに心の問題であり、好き嫌いの感情が大きく影響する。

 ややこしいがざっくり言えば、「安全」は客観的なもので「安心」は主観的なものである。

      成仏 H27.12.15
   
 そこから文科省は、「安全・安心」な社会のために、つぎの5つの条件を提唱している。

①リスクを極小化し、顕在化したリスクに持ちこたえられる
 リスクを社会の受容レベルまで極小化することで安全を確保しつつ、その状態を維持できる社会。同時に、リスクが顕在化してもその影響を部分的に止め、機能し続けられる社会。

②柔軟対応と相互協力が得られる
 安全は、予見の範囲を超えて脅かされる。これを前提として、新たな脅威が生じても常に柔軟な対応が可能な社会であること。さらに安全を実現するための地域間、国際的協調ができる社会。

③安全に対する個人の意識が醸成
 個人が安全に対する知識と意識を持ち、安全な社会の構築に必要な役割を個人が果たしうる社会。

④信頼できる安全が安心になる
 安全確保に関わる組織と人々の間で信頼が醸成され、安全を人々の安心へとつなげられる社会であること。

⑤安全・安心における矛盾を合理的に判断
 どこまで安全・安心な社会を実現するべきか、合理的に決めていける社会。


 とくに重要なのは、「③安全に対する個人の意識が醸成されている」ことであろう。いくら科学的に「安全」だといっても、その意味を理解していなかったら、その他の①,②,④,⑤など、頭から分からない。まさに、国民の民度が問われる。

 すべての人が「安心」するためには、無制限のコストとエネルギーを消費する。
 たとえば、豊洲の土壌汚染対策費用800億円で費やした膨大な化石燃料(原油換算で1億ℓ~)。温室効果ガス排出は10万トン~にはなる。大気汚染も半端ではない。直接地上にリスクのない土壌汚染対策のために、とんでもない環境破壊を行ってしまったのである。

 同じようなことが原発の停止でも起こっている。
 まさに日本では、自分さえよければいいという、民主主義社会の膿が噴き出している。
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