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価値のあるムダ

 そのムダにどのような価値があるかは、われわれ人間ごときにはわからない

 「無用の用」によく似た言葉に、「価値とは、すべて、ある観点(目的)から見たものにすぎない」(ニーチェ)というのがある。すなわち、無駄だと思っていたものは、別な観点から見ると素晴らしい価値を持っている。

 私があるメーカーの生産工程を合理化しようと、現場を見たときのことである。2月の寒い時期、全く暖房のない広い工場内で人々が作業していた。決して遊んでいる人はいないが、やたらとムダな動きが多い。責任者に「従業員の方は寒くないのですか」ときいたところ、「みんな社内を動き回っているので、暑いくらいです。」という答えが返ってきた。
 これでは、商品に投入する価値エネルギーを、社員自らの体に投入していることになる。まさに、ものづくりの効率から考えたら、とんでもないことである。

 だが一日中動き回ることで、従業員はみなスリムな体型をしていた。社員の健康管理面を考えたら、動き回ることはムダではない。それに作業の効率だけを考えると、人の動きを抑えて、そのぶんガンガンと暖房エネルギーを消費しなければならない。
 これまで一生懸命、生産合理化のアドバイスをしてきた私が、自分のやっていることにむなしさを感じた瞬間であった。

        枯淵コース下りから九谷ダム H28.11.05

 また江戸時代のこと、日本にキリスト教を布教しようと、ヨーロッパからある宣教師が来た。彼は、「未開の日本を、キリスト教で発展させよう」と意気込んでいたという。
 ところが日本人はみな、楽しそうに暮らしているではないか。貧乏でも笑顔が絶えず、冗談を言い合い、争いもすくない。逆に宣教師の済んでいたヨーロッパでは、物質には恵まれ、奴隷を使い一部の人は豊かな暮らしをしているのに、一般庶民はこんな穏やかに暮らしていることはなかった。「自分はいったい何をしようとしているのか」と宣教師は思ったという。

        武士の目

 いまは、いろんな分野の「専門家」が、専門的見地から勝手な見解を出している。専門分野を徹底的に追求しようとしている。それがトータルでうまくいかない。医者など、専門医ばかりになって、総合的にものごとを見ることができなくなってしまった。だから、「病気は治ったが、患者は死ぬ」のである。

 ある価値をとことん追求すると、何かがおろそかになる。ムダと思われることはすべて、何かの価値を持っているはずである。それが何かは、われわれ人間ごときには、わからない。
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