無用の用
*社会・哲学* > 高齢化、医療、死生観 - 2016年09月16日 (金)
ムダではないと思われることも、その裏で必ずムダが発生している
政治でも会社でも、みな血眼になってムダを減らそうとしている。
ところが実際に何がムダかは、誰にもわからない。
一見ムダと思われるものが、じつは大きな役割を果たしている。世の中にあるものはすべて「無用の用」だといえる。
「無用の用」は、孔子の言葉がもとになっている。
孔子は、『何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ』と言う。たとえば車輪は、三十本の輻が真ん中の轂に集まって出来ており、轂に車軸を通す穴があいているから車輪としての用を為す。また粘土をこねて作った器に何もない空間があってこそ器としての用を為す。さらに戸や窓をくりぬいた家の何もない空間こそが家としての用を為している。
逆に、間違いなくムダでないと思われることも、その裏で必ずムダが発生している。この法則は避けられない。自然状態で何かすれば、必ずエントロピーが増大するからである。一見ムダのない仕事というのは、限定してエントロピーを減らすだけである。全体では必ずエントロピーは増大している。
ややこしい話になった。ほんとの無用は、長生きしすぎた老人だけかも。
政治でも会社でも、みな血眼になってムダを減らそうとしている。
ところが実際に何がムダかは、誰にもわからない。
一見ムダと思われるものが、じつは大きな役割を果たしている。世の中にあるものはすべて「無用の用」だといえる。
「無用の用」は、孔子の言葉がもとになっている。
孔子は、『何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ』と言う。たとえば車輪は、三十本の輻が真ん中の轂に集まって出来ており、轂に車軸を通す穴があいているから車輪としての用を為す。また粘土をこねて作った器に何もない空間があってこそ器としての用を為す。さらに戸や窓をくりぬいた家の何もない空間こそが家としての用を為している。
逆に、間違いなくムダでないと思われることも、その裏で必ずムダが発生している。この法則は避けられない。自然状態で何かすれば、必ずエントロピーが増大するからである。一見ムダのない仕事というのは、限定してエントロピーを減らすだけである。全体では必ずエントロピーは増大している。
ややこしい話になった。ほんとの無用は、長生きしすぎた老人だけかも。
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