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科学の危機

 如何にプラスの部分を引き出し、マイナスを出さないようにするかが文明である

 金森修氏(東大哲学博士)の「科学の危機」(2015/4集英社新書)を読み、現場を知らない文化人に対し、あらためて気の滅入る思いがした。この本は、なぜか科学を危機的状況にあるものとし、「科学の科学性」を保持し続けるためには、どのように考えればいいかを哲学的立場で批判しようとしたものである。
 全体を通しても抽象的でわかりにくい本であった。

 では、なぜ気が滅入るのか。
 科学技術というものを1か0か、人に危害を与えるものかそうでないかで論じている。「たかが」その程度の人が、東大教授として多くの若者に影響を与えており、日本だけでなく人類の未来を大きく損なおうとしているからである。

 金森氏は、「科学の危機」を標榜するだけあって、ほとんどすべての巨大技術を否定している。原子爆弾につながる原子力技術はもちろん、遺伝子組み換え技術、ハーバー・ボッシュ法を開発したフリッツが、第一次大戦でその技術を応用した毒ガスについても厳しい目を向けている。
 彼も多くの国民のように、3.11の原発事故によって感覚が麻痺し、いわれなき放射能の恐怖に取りつかれてしまったのであろう。原発について、「何重もの問題を抱えた欠陥技術」とこき下ろしている。

 そもそも、問題を抱えていない技術など、世の中に一つもない。大きな問題を抱えている技術ほど、人類に対する貢献も大きい。
 たしかに毒ガスは、人を殺すためにある。それでもその基礎となるハーバー・ボッシュ法は、大気中の窒素を固定化して、20世紀の人口増に対応する食料増産に大いに貢献した。これがなければ、いまの世界人口の半分、40億人が飢え死にしている。そして、原発を中心とした電気エネルギーがなければ、その窒素肥料の製造ができないし、せっかくできた食物も腐ってしまう。
 窒素固定法と、大規模なエネルギー使用が、現代の世界人口を支えている。遺伝子組み換えも同じである。

 金森氏はつぎのように言う。
≪科学には、もはや問答無用の格別性や特権性はない。―略-
文化は科学だけではない。科学に特権性がないとするなら、他の文化が長年築いてきた多様な価値を侵害する可能性のあるものが科学の中から生み出されることには、いかなる免罪符も存在しない。≫
 この考え方も、科学というものをまったく誤解している。

 巨大技術にリスクがあるのは間違いない。
 しかし現実にもっとも人を殺めているのは原発や毒ガスではない。兵器なら、鉈や石斧である。アフリカのルワンダにおける民族紛争で、この原始的な兵器が数十万人もの人々を殺害したのを覚えているであろう。
 また、中国の大気汚染で、毎年数百万人が亡くなっている。その大きな原因は、家庭での石炭による暖房である。
 
 すべてのものは、毒であり薬である。人の役に立つ程度が大きいほど、大きなリスクを伴う可能性がある(ほとんどは感情の問題だが)。如何にそのプラスの部分を引き出し、マイナスを出さないようにするか。人類は、それに心血を注いできた。その段階で、大きな失敗をすることもある。3.11もその一つである。人はそれを繰り返しながら、文明を進展させてきた。これからもそうでなければならない。

 原発など巨大技術をもたらす科学が、危機的状況にあるというのは哲学者の完全な妄想である。逆にこのような科学・技術が途絶えれば、エネルギーに目覚めた100億の人類が生きていくすべがまったく無くなってしまう。それこそ人類の危機である。
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