楽しくない深酒
*社会・哲学* > 高齢化、医療、死生観 - 2016年01月23日 (土)
ほんとに楽しい気分になれる、死に際を楽しみに生きていく
昨晩、久しぶりに深酒をした。帰宅したのが2時を回っていたから、相当飲んだのは間違いない。まだ頭がふらふらする。昨年末からの忘・新年会は、1次会で引き揚げていたのだが、楽しかったのでつい油断してしまった。
しかしいくら楽しくても、10~20代のころのような突き上げるような喜びはない。あのころは、それほど責任を取らされることなく、何でもできると思っていた。つぎつぎアイデアも沸いて、面白くて仕方がなかった。もちろん体力もあり、時間無制限で楽しめた。
いまはどんなに酔っても、なにかに追われているようで心の底から楽しむことができない。賽の河原のように、つぎつぎと難題がぶら下がる。それを振り払うと深酒になり、2日酔いの悪魔に襲われる。
だから、ほんとに楽しい気分になれるのは、もう死ぬ間際しかないのかもしれない。これからは、それを楽しみに生きていく。
昨晩、久しぶりに深酒をした。帰宅したのが2時を回っていたから、相当飲んだのは間違いない。まだ頭がふらふらする。昨年末からの忘・新年会は、1次会で引き揚げていたのだが、楽しかったのでつい油断してしまった。
しかしいくら楽しくても、10~20代のころのような突き上げるような喜びはない。あのころは、それほど責任を取らされることなく、何でもできると思っていた。つぎつぎアイデアも沸いて、面白くて仕方がなかった。もちろん体力もあり、時間無制限で楽しめた。
いまはどんなに酔っても、なにかに追われているようで心の底から楽しむことができない。賽の河原のように、つぎつぎと難題がぶら下がる。それを振り払うと深酒になり、2日酔いの悪魔に襲われる。
だから、ほんとに楽しい気分になれるのは、もう死ぬ間際しかないのかもしれない。これからは、それを楽しみに生きていく。
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