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春の嵐と例大祭

 今日は予報通り冬に逆戻りである。夜中に大嵐がきて、少し晴れたと思ったら、また冷たい雨風になった。

 その不安定な天候の中、町内でお守りしている玄武稲荷神社の例大祭を行った。
 幸い30分ほどの式典の間だけ、太陽が顔を出していた。終わったとたん、こんどは吹雪である。なにかの怨念に祟られているのだろうか。
 式典には、いつも仕切ってもらえる近くの神主さんと、参列者が十数名。寂しいが、荒れた天候では仕方がない。

 例大祭 H31.3.31 稲荷神社 H31.3.31

 町内では高齢化が一段落した。80歳以上の人は、もう一人だけである。町内以外から毎年参拝してもらった来賓の人も、数年前から来られなくなった。こんどは我々の世代が高齢者である。新元号になると、一気に老化が進む。

 その代わりこの町内に、数年前から若い家族が入った。年寄りだけの限界町内だったのが、小学生以下の子供のいる家が4軒にもなった。少しづつでも、新陳代謝が見えてきたのはいいことである。
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サクラ咲く

 ようやく福井にも桜が咲き始めた。桜通りで2分咲きくらいか。
 残念ながら、今日からしばらく雨である。冬型の気圧配置で、雪の予報もある。これで風が吹けば、せっかくの桜がみな散ってしまう。ほんとならこの1週間は、桜の一番きれいな瞬間である。

サクラまだ H31.3.29 サクラ咲く H31.3.29   サクラ咲く H29.3.26

 来週末、晴天が戻ったとき、福井の桜はどうなっているのだろうか。
 そのとき、いま虫の息の99才の命はどうなっているか。桜はいつも潔いのだが。

核のゴミ

 核のゴミはゴミではない。貴重なエネルギー資源である

 原子力開発のネックは、トイレの無いマンションといわれる核のゴミの始末といわれている。福井の県知事選に出馬するいずれの候補も、関電の原発使用済み燃料は、県外搬出にこだわっている。日本全国、醜いババ抜き合戦である。
 ほとんどの人は、無責任な言動をぶつけるだけで、だれも自ら手掛けようとしない。原子力に係ろうとする人たちに対し、「暴利をむさぼる既得権益者」と、冷たい言葉を投げつける人さえいる。福島第一の廃炉作業でも新たな段階を迎えており、その画期的な作業に対しても、冷ややかである。

 これでは、優秀な人はだれも問題に携わろうとしない。いま核燃料サイクル技術が停滞しているのは、困難な業務を遂行できない、落ちこぼれ集団ばかりになってしまったからである。世間の冷たい目に耐えられる人はそういない。いまのままでは、人類が生き抜くのに必要なエネルギー開発が制限されてしまう。

                お釜

 この際、核燃料「廃棄物」くらい、福井県が喜んで引き受けるべきである。嶺南でなく嶺北、福井市内のほうがいい。そこに核開発の研究施設をつくる。核廃棄物は、貴重な資源である。

 「核のゴミ」はどのように処理したらいいのか。
 すべてのプロセスには、インプットとアウトプットがある。仕事をすれば必ず余剰が発生する。一般にそれを「廃棄物」という。それをつぎの資源にすれば、新たな価値が生まれる。発酵はそれを利用したものである。

 多くの廃棄物利用の効率が悪いのは、それが拡散しているからである。「分ければごみ、集めれば資源」である。ほとんどの資源は、集めるためのエネルギーが、かなりの部分を占める。
 だが原子力施設の廃棄物は、廃棄された時点で、極めて厳格に分別されている。

 したがって原発廃棄物は、資源を利用する上の最大障壁をクリアーしている。あとは、それを有価物に変換するだけである。永久機関でないのだから、できないはずはない。毒性が強ければ強いほど有効活用できる。そのまま熱源として利用することも可能である。もんじゅや六ヶ所村では、マスコミがわずかの失敗に目くじら立てるので、担当者は嫌気がさしてしまった。

 優秀な人材をこの分野に投入するためには、国民の原子力アレルギーを治療しなければならない。このままでは、核のゴミは永久にゴミで終わる。

国の赤字は無限大

 日本政府が借金すればするほど、日本国民は本物のお金持ちになる

 初めて総額100兆円を超える予算案(101兆4571億円)が成立した。国債発行は32兆6600億円である。国の基礎的財政収支は9兆2千億円の赤字で、1100兆円を超えていた「政府の借金」がまた増える。
 
 本ブログで繰り返し書いているが、いまの日本では、「政府」が借金しなければならない。日本人は、お金は遣うのでなく貯めるために働いて稼ぐ。その国民の金融資産が、溜まりに溜まって1800兆円。さすがに多すぎて、借りて遣う人がいなくなってしまった。お金も遣わなかったら腐る。だから政府は、国民の代わりに遣ってあげる必要がある。政府がいくら遣っても、そのぶんまた国民の懐に入る。政府は際限なく「借金」を増やせばいい。

 そもそも国が破たんするとはどういうことか。
 国民が働かなくなったときである。自力で衣食住を賄えず、常に外国からの援助が必要な国である。自力で生きていけるなら、国民に対する借金はいくらあってもいい。むしろ政府が借金して遣わなかったら、働く人がいなくなって日本は滅びる。

              金の成る木
 
 そして財政赤字の中身によって、その深刻さがまるで反対になる。
 同じ政府が1000兆円の財政赤字の場合でも、
 ①ほとんど外国からの借金で、国民の金融資産はゼロ
 ②ほとんど国民からの借金で、国民の金融資産は1000兆円以上

 危ないのは①で、かってのアルゼンチンやロシアなど。それでも借金棒引きすれば何とか生きてはいける。
 ②はお金持ちの国で、これが日本である。

 国民金融資産が1800兆円もある今の日本で、もし日本政府が借金ゼロだったらどうか。
 今の政府の赤字1100兆円ぶんは、国民が外国へ貸していることになる。だがこれまで、日本を除いて借金をまともに返した国はない。したがって、国民の金融資産のほとんどは不良債権になってしまう。
 すなわち、日本政府が借金をすればするほど、日本国民は本物のお金持ちになるのである。(成長国家なら企業が借金するのが本筋であるが)


 いくら探しても、この経済素人の考えを改めてくれる理論に、まだお目にかかったことがない。

高齢者虐待

 長寿社会では、人間の醜さをさらけ虐待世界を生み出したあげく、のたうちまわって死なねばならない

 厚労省の発表によると、高齢者が家族などから虐待を受けた件数が、2017年度は、過去最高の17078件だったという。もちろん高齢者が増えたことが一番大きい。高齢者の「人権」意識や社会的な関心の高まりのせいもある。
 虐待と言っても、暴力を振るったり拘束するだけでなく、暴言等の心理的虐待、介護放棄も含まれる。そしてこの17000件というのは、氷山のほんの一部にすぎない。高齢者は3000万人以上いる。いくらなんでも、0.06%ということはありえない。もっと多くの高齢者は、虐待を受けている。

                すっかりうば桜

 しかし、虐待を受けているのは高齢者だけではない。むしろ、高齢者が他人を虐待するほうがはるかに多い。認知症気味の人の暴言・暴力はとくにひどい。周りが丁寧に扱うとますます増長して手が付けられなくなる。言うことを聞かない年寄り相手に介助するのは、感情を超越した人かロボットである。そもそも長生きすることが、誰かを虐待している(存在そのものがセクハラというオヤジもいる)。

 世の中は、いじめと虐待で成り立っている。世の中に多様な人がいる限り、これらは絶対に無くならない(なくそうと思うから無理やいじめが発生するのである)。
 つまり長寿社会は、人間の醜さをさらけ出し、虐待世界を生み出したあげく、のたうちまわって死なねばならない、とんでもない社会である。日本人は長く生きすぎた。ロシアのように、アル中でピンコロする、平均寿命60歳位がちょうどいい。

新車購入

 もらい事故のおかげで大量出費をする羽目になってしまった

 先日の事故で車の大修理が必要になったので、思い切って新車を買うことにした。まだ10年そこそこで走行距離5万キロ。廃車にするには惜しい。だが、いちど前輪のひん曲がった事故車で高速道路を走るのは怖い。

 それに私の残りの年齢を考えたら、運転するのはあと10年。高齢になると今の車のままでは危ない。私がぶつけられたように、私自身が加害者になる恐れがある。車を動かす時、前後に子供がいたらとんでもないことになる。崖から転がり落ちる可能性もある。
 そこで「最新?」の、自動ブレーキ付の車を購入することにした(今の新車はほとんどそうなっているらしい)。

                危険な赤い車

 しかし、いざ営業担当と話をすると思ったようにはいかない。
 これまでのヴィッツは、助手席に荷物を置く場合、飛び出さないように板を引き上げるようになっていた。非常に便利だったのが、今度はないらしい。その代わり、電子制御のわけのわからない機能がたくさんついている。また、崖から落ちるのを防止する機能はないようだ。
 それに、前の車で夏タイヤを交換してまだ1年しか経っていない。冬タイヤだけでいいと言っても、新車にタイヤはつきものだと言われた。

 トヨタの車といえども、細かいところで規格大量生産の名残が消えていない。営業マンの融通性がないのか、業界全体がそうなのかはわからない。
 それにしても、もらい事故のおかげで大量出費をする羽目になってしまった。

高齢者のうっかりミス

 自分の身を守れない人は、必ず他人を巻き込む

 昨日のYAHOOニュースによると、埼玉県越生町の岩場「通称・聖人岩」で、フリークライミングをしていた73才の男性が、高さ10メートル付近から地面に墜落し、全身を強く打って死亡したという。岩の上からセットされたロープがあったのに、自己確保せず登っていたという情報もある。わざと確保しなかったのか、うっかり忘れていたのかは本人しかわからない。トレーニング用の岩場だから、相当難しいところもあったはずだ。

 岩登りは、俊敏性と筋力が要求される。猿のような雰囲気の人が得意である。私も20才前後には、谷川岳東面を中心として、50回ほど岩登りの経験がある。25を超えてからは、もう体が動かない。簡単なところで落ちるので、命がいくつあっても足らないと思って止めた。   
 トレーニング用の岩場でも、自己確保を忘れるととんでもないことになる。年取ると、いくつものことを同時にできない。

                微妙なバランス

 もちろんこのことは、岩登りだけではない。
 日常生活において、「ついうっかり」が命に関わることはよくある。
 23日には、若狭町の副町長が、駐車の際に頭を壁にぶつけて亡くなってしまった。車を後退させながら、車庫入れのため頭を出して後方を確認していたところ、壁に気がつかずそのままぶつかってしまったらしい。

 また昨年、近所の高齢女性が、自分の車のエンジンをかけたまま外に出て、動き出した自分の車に轢かれて亡くなった。うっかりなのか、面倒くさかったのかわからない。動作の衰えが事故につながったことは間違いない。


 この3件の事故は、いずれも自己責任で自分自身が亡くなったものである。考えようによっては、高齢の身がこれから先、人に迷惑をかけながら生き永らえるより、よかったかもしれない。自分の身を守れない人は、必ず他人を巻き込む。典型的な例が交通事故である。高齢者が自動車を運転するときは、自動ブレーキ付きか自動運転車に限定すべきである。



 もっとも(別問題ながら)自動運転車の場合は、悪意を持ったサイバーテロリストにコントロールされたら、目も当てられない。やり方によっては銃より恐い。まさに走る凶器である。さらに、飲酒運転ができないのなら、自動運転車は意味がない。

99才の別れ

 昨年9月から、あと1か月もたないと思いながらここまで来た

 自宅療養中の父親(99)が、いよいよ衰弱してきた。
 先日、介護認定する人の前で元気で手足を動かしていたのに、彼女が帰ったとたん、ぐったりと寝込んでしまった。週一度の介護の人が来てくれても、疲れたと言って湯に入れなかった。

 食べるのは1日2回、おかゆ一口にオカズ一切れ、お茶少々である。やっとこさ自力で食べている。私が介護すると、痛がって受け付けないのに、女性の介護士さんが来ると急に元気になる。

                骸骨の霊 H30.7.17

 よく、のどにつっかえて咳き込む。誤嚥らしい。食べなくても痰や唾液で誤嚥を起こす。そのたび大騒ぎしてタオルや洗面器を用意する。
 本人はいまにも死ぬようなことを言っている。

 昨年9月からしばらく、あと1か月もたないと思ってきた。今年に入ってからは、あと1週間が続いている。いまは、あと3日ぐらいの感じ。それがどこまで続くか。
 それでもまだ世の中に未練があるようで、なかなか旅立たない。
 やがて自分もその立場にたつのである。

いよいよ春

 ヌクヌクした生活をしている人こそ不安にさいなまれる。豊かな人は不幸である

 春分の日が過ぎ、ずいぶん暖かくなった。今年はどうやら、大雪に悩まされず済みそうである。その代わり、スギやマツの花粉に悩まされている。

 昨年は2メートル近い積雪で、家屋倒壊の恐怖におびえていた。貧弱なカーポートは、頻繁に雪下ろしをしなければならない。外出するときは、毎朝起き上がりざまに窓の外を確認する。除雪車が来たら、除雪された塊をどかすのに一苦労する。昨年は毎日、雪掻きと雪下ろしの筋肉労働に励んでいた。指先が凍傷になりかかったこともある。いま思えば地獄である。

              大雪 H30.2.05

 そのときは、起こっていることが悲惨だとは思わなかった。目の前の事態に対処するのに必死で、それが当たり前の現実である。いくら雪と格闘していても、精いっぱいで、ほかには何も考えられなかった。

 生まれながらに、戦火にまみれている人。1日1ドル以下の生活しかできない人。彼らの多くは、それが当たり前と思っている。金のない人は、それ以上貧乏になる心配がない。たいていの人間は、その場に直面すれば腹が据わる。
 むしろヌクヌクした生活をしている人こそ不安にさいなまれている。豊かな人は不幸である。

平成の終わり

 平成のつぎは、間違いなく私の終活時代である

 もうすぐ平成が終わる。巷では多くの人が総括を行っている。元号で時代を括るのはあまり合理的でないが、30年という時間は、天皇でなくてもほぼ親から子に繋がる一世代である。企業の事業継承も、だいたい70才位の社長から40代の息子になされる。

 私の場合平成の30年は、サラリーマンから独立し、紆余曲折し今に至る人生であった。父親が社長だったら、ちょうど引き継ぎどきである。つまり昭和天皇が亡くなったのは、私がサラリーマンの退職を決意したときである。

              仏舎利塔 H30.11.18

 私は平成に入って間もなく会社を辞めた。機械設計会社を1年、眼鏡部品会社を7年経営。一時期、眼鏡中堅会社に顧問として入る。その後9.11の同時多発テロのころ、いまの経営コンサルタントに転身した。
 その10年後の平成23年に、3.11東日本大震災が起こる。同じ平成でも、その前と後では様相は大きく異なる。その少し前にはリーマンショックがあり、日本中の製造業が青息吐息であった。よく日本は回復したと思う。

 間違いなく平成のつぎは、私の終活時代である。いま99才の父親が死にかかっており、その後の30年を私がカバーする。終わるのは、つぎの元号交代と同じになるかもしれない。長生きして、末代までの恥になるか。

豊かな社会

 無くてもいいムダなモノやサービスを作った人ほど金持ちになる

 優秀な人が医者や弁護士になりたがる社会は豊かな社会ではない、と書いたことがある。では豊かな社会とは、どのようなものか。みながお金持の社会なのか。
 そうではないだろう。もし国民全員が1億円以上持っていたとしても、遣いたいとき遣えなければ意味がない。

 豊かな社会とは、人々が欲しいモノやサービスを、必要なときふんだんに受けられる社会である。もちろん、病気になれば医者が必要だし、トラブルに巻き込まれれば、弁護士がいたほうがいい(もちろん増えすぎるのはよくない)。
 そして、余計なモノやサービスがふんだんにある。ムダに満ちた社会である。

                安部の生命

 では、どんなモノやサービスがあればいいのか。
 基本的には、「衣」・「食」・「住」である。それも雨露をしのげるだけではいけない。快適なスペースと気温を確保、美味しくて健康に良いものでなければならない。
 心を癒してくれるサービス。バーのホステスやマスター、セラピストは引っ張りだこである。経営コンサルタントは、経営者を慰めるだけでいい。数字や理屈はいらない。オカルト指導者の船井幸雄氏がもてはやされた所以である。

 これらどんな職業も上下がないことが重要である。サービス業に従事している人は、格下に見られる傾向があり、それは無くさなければならない。もともと奴隷制度の無い日本では、どんな職業も平等であった。総理大臣と靴磨きも同じ立場である。
 世の中にいろんなサービスが増えれば、それだけで人々は豊かになる。
 不思議なことに、どうしても必要でないもの、無くてもいいムダなモノやサービスを作った人ほど、金持ちになる。野球やサッカーの選手、歌手や映画俳優などである。

 すべての人の時間を3分割する。サービスを受けている時間。人に与えている時間。休息時間。何もしないで、年金だけで暮らそうとするのは、あまりにも虫が良すぎる。

交通事故②

 このペースなら今度事故が起こるのは私が85才の頃である

 これまで自動車の運転45年の中で、人間相手との事故は4回あった。幸いにも人身事故は一件もない。

 1回目は、車を乗り始めて間もないころ。優先道路を走っていたら、突然脇道から飛び出した車のどてっ腹にぶつかってしまった。こちらの車は、角に少々傷がついたくらいであったが、相手の高級車は、右ドアが派手にへこんでしまった。
 なぜか、こちらの保険で修理する羽目になった。
 
 2回目は30年ほど前、信号機のある十字路を右折しようとしたところ、突然自転車が横断歩道に突っ込んできた。急ブレーキをかけたところ、後続車に大きくお釜を掘られてしまった。これは相手の保険で修復してもらった。

              事故①H31.3.18

 3回目は15年ほど前、以前の新車を購入して数か月のことである。図書館の駐車場の中で、後を見ずにバックしていたら、後続の車にぶつかってしまった。大したキズではなかったが、双方の修理代合わせて10万円ほどかかった。かすり傷でも、人のお金だと思い切りふんだくるのが厭らしい。保険は使わなかった。

 そして4回目が、先日の事故である。
 こうしてみると、車同士の事故は、ちょうど15年おきくらいに起こっている(もちろんこれ以外に、電信柱や交通標識、柿の木などにぶつかったことはある)。まさに、災害は忘れた頃に起こる。
 このペースなら、今度事故が起こるのは私が85才の頃である。さすがにそのときは、自動運転車が普及しているに違いない。

交通事故

 もしこれで事故死でもしていたら、あの世から呪い殺したであろう

 昨日、運転歴45年の中で、最大の交通事故に見舞われてしまった。と言っても、車輛が破壊されただけである。左手の親指を突き指したくらいで、人体の損傷はないようだ。不思議なことに、相手の老人もピンピンしている。

 事故は12時30分、県道229号線(旧国道8号線)の今市付近を南下していたところで起こった。突然反対車線から、中央線を越え白い軽乗用車がふらふらと、こちらに向かってきた。やばそうなので、必死で左に寄ってみたものの、縁石に阻まれてしまう。これはやられる、と思った瞬間、相手の車の右前が、こちらの右前のボンネットの方から、ドスンドスンとぶつかり、後のタイヤあたりで止まった。こちらの車は、左側の縁石に乗り上げてしまった。

 しばらく呆然とし、ふと相手の車を見ると、運転席にはだれもいない。恐るおそるドアを開けると、高齢の男性がボーっとしている。なにが起こったかわからないらしい。自分の車は、右側全体が思い切りりぼこぼこになっており右前輪がおかしく変形している。相手の車は右側のボンネットが食い込んで、エンジン部がむき出しになっている。もちろんどちらも自力では動けない。
 目の前にあったディーラーの人が出てきて、老人を店にいれ話をしてもらった。運転しているとき気分が悪くなり、気がついたらぶつかっていたという。鯖江の病院から、福井の競輪場へ行く途中らしかった。

              事故② H31.3.18

 そこから、警察やら保険会社、車のディーラーなど、20本くらい電話でやり取りし、レッカー車が来たのが、事故から1時間以上経ってからである。困ったのが、代車を手配できないことであった。車がないと移動できない。保険会社に連絡したら、そちらで何とかしろと言われた。目の前にあるマツダディラーで借りようと思ったら、事故相手の息子さんが来られた。謝ってもらえたので、とりあえずの訪問先と、最寄りの駅まで送ってもらった。

 お互いそれほどスピードを出していなかったのが、不幸中の幸いであった。それに私が左に避けたからこの程度で済んだ。相手の車も、私の車にぶつからなかったら、つぎの車と正面衝突していたかもしれない。
 つくづく高齢者は、自動ブレーキ車限定にすべきである。いや自動運転車でなければならない。


 そもそも、なぜそんな時間帯に、私があの通りを走っていたのか。
 重箱の隅をつつき回る優秀な人たちのおかげで、意味のない印鑑を貰うためであった。もしこれで私が事故死でもしていたら、あの世から呪い殺したであろう。死ななくても、大損害であった(結局廃車にして新車を購入する羽目になった。こうなると、いくら事故の責任がなくても保険会社は一部しか補てんしてくれない)。

同一労働同一賃金

 成果主義が壊れるとソ連崩壊の2の舞になる。なにごともほどほどにしたい

 同一労働同一賃金は、ざっくりと「同じ仕事をしている人には、同じだけ賃金を払う」ということである。おもに、正規と非正規の間の差別をなくす目的で推進される。先駆けてEUは、1997年のパートタイム労働指令で「同一労働同一賃金」を定めた。欧州各国でのパートは、正社員の8割から9割の水準である。日本では、非正規の賃金は正規の6割に満たない。日本政府は、欧州並みの8割に近づけたいという。

 欧米では「この仕事、このポスト」と職務・職種を明確にして採用する。日本でも、医者や看護婦、教員、介護士など、国家資格と仕事内容が結びついている分野は、ほぼ同一労働同一賃金である。つまり、いくら腕利きのベテラン医者でも、診療報酬は、新米のヤブ医者と同じである。経営コンサルタントも、公的業務では、出来栄えに関係なく同じ報酬である。

                ぶら下がり

 しかし多くの日本の職場では、採用時にどこに配属されるか、どんな仕事をするかはわからない。多能工が進めば進むほど、明確に職務や職種を分けることは困難である。
 そして同じ仕事についていても、そこには歴然とした差がある。
 たとえば、五木ひろしが「横浜たそがれ」を1曲歌えば、100万円もらえる。新米歌手なら1000円程度である。私は200円払わないと歌わせてもらえない。歌唱力にそれほど違いがないのに、不公平である。それなのに、労働基準監督署に訴える人はいない。

 ここまで極端でなくても、サービス業に従事している人は、決して「労働=賃金」では無い。同じ時間で、同じ内容のサービスを施してもまったく違う。ナイトクラブのNO1ホステスとお茶ひきが、「同一労働・同一賃金」なんてことはありえない。顧客にどれだけ満足して貰えたかが重要で、それが次回の指名に繋がり、そのまま所得に反映する。
 わかりやすいのは、販売担当者である。マニュアルに沿ったセールス活動を行っても、実際に売れる金額は何倍も違う。生産従事者でさえ、数倍ぐらいの違いはいくらでもある。これが同じ賃金だったら、みなやる気をなくし、会社が潰れる。

 もちろん、「同一労働同一賃金」が成果主義を否定しているわけではない。だが、成果を示すのが難しい職種はいくらでもある。あまりに従業員の平等が行き過ぎると、ソ連崩壊の2の舞になる。日本はいつも極端に振れるから怖い。なにごともほどほどである。

敦賀市内観光視察

 市内に帝国ホテルのような、ビッグな宿泊施設ができればナイトタイムエコノミーが進展する 

 診断士協会の例会で、敦賀市内の視察を行った。
 敦賀と言えば、むかしから、気比の松原と気比神宮、気比高校あたりが有名である。近年はちらほらと、金ヶ崎宮や赤レンガ倉庫などの名前を聞くようになった。北陸新幹線延伸を控えた敦賀駅では、駅舎の建設が進んでいる。

 建設中の新幹線敦賀駅 H31.3.16 ムゼウム H31.3.16 金ヶ崎宮境内 H31.3.16

 まず、観光施設が並んでいる金ヶ崎緑地公園まで、敦賀駅から100円の周遊バスを利用した。徒歩30分ほどの道のりである(おかげで方向感覚が狂ってしまった)。
 そこから、杉原千畝氏の命のビザが展示してある、「ムゼウム」、「金ヶ崎宮」を訪問し、「赤レンガ倉庫」で昼食。午後は、「鉄道資料館」、閑古鳥が鳴く大和田銀行跡の「博物館」や「清明神社」を見学後、気比神宮前で店舗を構えており以前診断士が支援した商店を訪問した。
 夕食は、駅から少し離れたところの居酒屋で、豪華にフグ料理での大宴会となった(参加者の多くはこれが目的である)。

 今回は日帰りで、限られたところしか訪問できなかった。それでも訪問先では、いずれも宮司やガイドさんなどによる丁寧な説明を聞いた。なにも聞かずに漫然と見ているだけとは大違いである。

 銀行博物館 H31.3.16 博物館通り H31.3.16 気比神宮 H31.3.16

 なかでも、宮司さんの1時間を超える話の中で、あらためて「食は文化」であることに気が付かされた。どんなものも、おいしく食べるためには、調理と同時に、食べ方・作法が重要である。たしかに、カニの剥き方、へしこやウニの味わい方は難しい。もちろんお茶の作法はその究極である。麺類やご飯の食べ方も、間違えたら、おいしくないどころか、命に係わる。われわれは日本食の一部の作法を、生まれたときから、知らず知らず身につけている。
 ほとんどすべての食物がそうであるから、異国の文化が簡単になじむはずがない。基本となる食文化が違えば、他のいろんな習慣も異なる。日本への外国人の流入は、いまが限度であろう。


 もともと福井近辺は、日本では奈良や京都に次ぐくらいの歴史があり、とくに敦賀は天然の港という交通の要所であった。調べてみるといくらでも史跡は出てくる。これだけでてくると、脈絡がなくて頭が混乱する。
 だが敦賀には、混乱した頭を癒すための、夜の歓楽街が見当たらない。市内に、加賀屋や帝国ホテルのような、ビッグな宿泊施設ができれば、これらナイトタイムエコノミーが進展するはずである。夜に行き場のない観光地は、底が浅く長持ちしない。

ゴミの整理

 苦労して出した段ボール一杯のゴミなど半年もたたず溜まってしまう

 終活のひとつ、古本や書類の整理を行っている。
 すこしいじるだけで、つぎつぎとわけのわからない書類が現れてくる。コンピュータ関係の取説や契約書、町内会関係のファイル、もちろん20年前からの仕事の書類が多い。都度捨てていたつもりなのに、まさにちりも積もれば山である。コンピュータ関連の異物は、紙以外に使い物になるのかならないのかわからない機器やコードがある。パソコン本体はともかく、関連機器だけでも始末に困る。

 すったもんだしながら、ようやく段ボール一杯分くらいねん出した。
 これでも、ほんの一部である。私が70年の間に貯めこんだゴミは、その100倍はある。古ぼけた家具や数百冊の書籍、使い込んだ下着やコート、背広、その他の衣類なども多い。無くてもなんとかなるのだが、捨てるに捨てられない。
 今回輩出した段ボール一杯分のゴミなど、油断すると半年もたたずに溜まってしまう。ゴミを燃やせるストーブを探しているが、なかなか見つからない

                ゴミ袋

 もっとも、今死にかかっている父親の部屋にも、彼の膨大な「遺品」がある。だれが見てもゴミなのに、頑なにとってある。トラック1杯分はある。また食べた分は排泄する。まずは、その始末を先にしなければならない。

コカイン

 麻薬と同じ効用を持ちながら副作用のない薬物を開発したい

 タレントのピエール瀧さんが、コカインの接種で逮捕・送検された。人気俳優だっただけに、出演を予定していた番組や過去の映像処理など、業界は大騒ぎである。

 コカインは、覚せい剤と同じような作用をするという。末端価格はざっと10倍で、効能時間は30分と覚せい剤の3時間に比べ短い。覚せい剤と異なり注射の跡が残らないため、お金のある人ほど、コカインに走りやすいらしい。

 もちろんコカインは、れっきとした麻薬である。中枢神経に作用して精神を高揚させる働きをし、快感を得て一時的に爽快な気分になるという。効き目が短いため、何度も摂取するうち強い依存症に襲われるらしい。またコカインの過剰摂取は、心疾患および脳損傷を引き起こす。一方で、局所麻酔として用いられることもある。

              妖しい花弁

 ただどんな物質も、量が大きく影響する。コカインや覚せい剤、大麻などの「麻薬」とお酒の違いは、その量と質である。酒も麻薬の一緒であるが、覚せい剤のように1gでは中毒しない。
 人々が麻薬を使うのは、気持ちが昂ったり創造力が増すなどの「効用」があるからである。その効用は誰にとっても好ましい。副作用が問題なだけである。

 したがって、麻薬と同じ効用を持ち、かつ副作用のない薬物があればすべて解決する。それがあれば恐ろしい薬物に手出しをしない。北朝鮮が麻薬を輸出し、核ミサイルを開発することもない。発明者には、10回くらいノーベル賞を与えたい。
 出現しないことが不思議である。原理的に不可能なら不可能と言ってもらいたい。

 
 それでも、そんな理想的な薬物ができても、みなが飛びつくとは限らない。人はリスクが大きい危険な匂いのするものほど、引き付けられるからである。

せん妄被害

 舐められ「事件」が大騒ぎになるほど日本は平和なのである

 乳がんを手術したあと女性の胸を舐めたとして、医師が訴えられたことがあった。結局裁判では、その女性が「せん妄」状態だったとして、医師に無罪判決が言い渡された。そのときは、こんなことでは医師の仕事はできないと、女性に非難が集中していた。

 ほんとのことは誰もわからない。「せん妄」といわれた女性はもとより、胸を舐めたという医者ですら、覚えていないであろう。ほんとだったとしても、ここまで叩かれたら、記憶に残したくなくなる。したがって、事実は「藪の中」である。
 
                タコ 2匹 

 しかし、胸に唾液をつけることで、医師がどんな不当利益を得たのか。胸を舐めるとそれほどいい思いをするのか。クロだとしたら、どのような罪になるのか。

 そもそもこの事件の「被害」はなにか。女性が胸を舐められ、いやな思いをしたことであろうか。人の唾液よりもっと汚いものは山ほどある。高齢者の糞便世話のほうがよほど汚らわしい。
 私なら胸くらい舐められても、訴えたりしない。もっと大事なところを舐められても同じである(食いちぎられたら話は違う)。男性と女性が違うというのなら、それこそ差別である。女性なら、どんな些細なことも保護されるのはおかしい。
 このような「事件」が大騒ぎになるほど、日本は平和なのである。


 たぶん現代では、これこそが妄言である。
 私のような正直者の時代錯誤じじいは、そのうち人権民衆から袋叩きに遭う。

透析患者死亡事件

 コミュニュケーションの食い違いは、完全には解決できない

 東京都の公立福生病院で、人工透析治療をやめる選択肢を示された女性が死亡したことが、波紋を広げている。病院によると、女性患者のほかに30代と55歳の男性患者が治療を中止し、そのうち一人が亡くなったという。たぶん世界にはたくさんいる。

 日本透析医学会のガイドラインでは、透析治療中止の基準を「患者の全身状態が極めて不良」、「患者の生命を損なう」ことに限定しているという。東京都は、医療法に基づき立ち入り検査した。
 透析を中止したいきさつや、女性が再開を希望していたなど、詳細のニュアンスは外部の者にはよくわからない。多くの場合は、患者やその家族と医師との間の、意思疎通の問題である。

              草帽子

 しかし、このような行き違いをなくすのはきわめて難しい。患者と医師の間のコミュニュケーションの食い違いは、完全には解決できない。たいてい患者本人は、どうしていいかわからない。医師の専門的知識もいい加減である。お互い自分でもわからないことを、伝えられるはずがない。

 人工透析というのは、文字通り人工的に命を永らえるものである。
 基本的に人は、自分で食べて排泄できなかったら、自力では生きられない。原始時代から、衣服ぐらいは人工のものを身に着けても、それ以上は余禄と考えたい。
 だから、医者が人工透析をやめるのと、人を風雪のなかに裸で放り出すことを同じに扱ってはいけない。すべて自然のなすがままである。

 もっともこの場合、亡くなった女性が44歳と、まだ若いことも人々の関心を高めている。いまのところ告訴したわけでもない。80才で訴える人がいたら、それこそ袋叩きに遭っていた。

喫煙の害

 これまで金科玉条のごとく叫ばれてきた受動喫煙の害はまったくでたらめだった

 本ブログでは、世の中で煙草が徹底的に毛嫌いされていることへの疑問を何度も書いた。この私の推論が、福井義高氏(青山学院大教授)の「正論」12月への寄稿「煙草と離婚どちらが体に悪いか 受動喫煙のウソ・ホント」で裏付けされた。この寄稿文は、いいかげんな私のブログと異なり、きちんとしたデータに基づく論文を引用している。

 その要旨は以下のようなものである。
①喫煙そのものが体に悪いことは間違いない。肺がんになる確率が20倍となり、寿命は5~10年短くなる。
②ただ、厚労省推計による煙草の害による、損失額2兆5000億円という数字は誤解を招く。実際には喫煙者の追加コスト、つまり現状と喫煙者がいない状況の比較が必要
③すなわち煙草を吸わなくなると、長生きして余計に医療・介護費がかかる
④また喫煙者は早死にするため、年金の受給額も少ない
⑤煙草の課税分を含めれば、喫煙者の社会貢献度は、大きくプラスになる(オランダや米国の試算による)
⑥受動喫煙による他者への影響はほとんどない。米国の調査では、最も深刻な場合でも、受動喫煙のリスクは喫煙者の1/100以下である
⑦むしろ、21才までに両親が離婚した人の平均寿命は4~5年短くなる

 繰り返すが、これらの数字は精査された論文を引用しており、ほぼ信用できる。もちろん死亡リスク増大をもたらすものは、喫煙や両親の離婚以外にも数多くある。また喫煙や両親の離婚が、直接の原因かどうかわからないが、少なくとも相関関係はある。

 つまりこれまで、金科玉条のごとく叫ばれてきた「受動喫煙の害」というのは、まったくでたらめだったのである。したがって、いまの受動喫煙防止のためのさまざまな取組は、全面的に見直すべきである。もちろん喫煙者自身への悪影響はあるが、それこそ自業自得である。むしろ喫煙者がいたほうが、社会全体が恩恵を受ける。老害を考えたら、禁煙の方がはるかにリスキーである。

                ゾンビ

 煙草以外でも、これまで誤解に基づいて多くの冤罪が生まれ、徹底的に排除されてきた。環境ホルモン、ダイオキシン、放射能などである。われわれはこの物質を除くため、膨大な社会コストを支払ってきた。全国のごみ焼却場の装置を取換えたり、1㎜SVにこだわった除染や補償金の支払いなどである。これらはまったくムダだったのだ。
 日常生活における常識、歯の磨き方や食事の順番(野菜から食べる)なども、そのまま信じていたらえらい目に遭う。


 ではなぜいまも、みなアホなことばかりやっているのか。
 最初に一度レッテルを貼られたら、抜け出すのは容易ではないからである。つまり、ファスト&スロー心理「いったん取り込んだ印象・思考を修正することは難しい」が働いてしまう。日本には、それに加担するインチキ専門家やマスコミは腐るほどいる。もちろんそこには、既得権益という魑魅魍魎がしつこく蠢いている。
 こうして世界人類は、破滅に向かうのである。

韓国の知性

 日本人が忌み嫌う韓国も、原子力政策に関しては冷静で合理的な判断をしている

 韓国で中断されていた新古里原発5、6号機の建設再開が、市民参与型調査の結果、賛成多数で可決されたという。少し古いが、2017年10月のことである(「世界1月号」高野聡氏の投稿による)。

 市民参与型調査というのは、対象者に充分な情報を与えたうえで意見集約を行う。韓国の場合、サンプリングされた数百名の対象者が、事前学習を行ったうえで宿泊を含む討論会や学習会を何度も行い、その都度調査を行う。ふつうの世論調査では、その案件に対し知識レベルの低い人が多いため、世間の偏った情報に影響されてしまうからである。

 この韓国の市民参与型調査では、最初に行った一次調査では36.6%だった建設賛成者が、最終の4次調査では、59.9%にまで増え、建設再開が決まったという。あれほど日本人が忌み嫌っている韓国も、原子力政策に関しては冷静かつ合理的な判断をしている。
 韓国は深刻な大気汚染もある。なにしろWHOの報告では、大気汚染のため亡くなる人は世界で700万人にもなる。韓国だけでも数十万人はいる。

              極楽浄土と、遠くに槍・穂高 H30.9.23

 一方、日本ではどうか。
 日本原子力文化財団の調査によると、17年10月の調査において、「今後原子力発電を増やしていくべき」という人は、たった1%しかいない。逆に「廃止すべき」という人は65%もおり、韓国人とは大きな認識の差がある。日本では原発再稼働どころか、原発新設など夢のまた夢である。

 日本人が原発を嫌うのは、そもそも人々が原子力や放射線について、誤ったイメージを持っているからである。つまり日本では、やみくもに「原子力は危険だ」と言う人が70%、「不安だ」と思う人が60%もいる。「必要だ」と言う人は、20%にも満たない。放射線に対するイメージもほぼ同じ割合である。
 日本だけで年間数万人は亡くなっている化石燃料発電の大気汚染より、原発のほうが怖いらしい。こんな低レベルな日本国民の世論調査をもとに、原子力政策ができるわけがない。

              タヌキの勢揃い

 じつは「世界1月号」で、韓国の市民参与型調査で原発建設再開を論じていた高野聡氏も、「反原発派」である。高野氏は韓国の市民参与型調査のとき、資料やTV番組などに、賛成派から根拠に乏しい偏った情報が提供されたと主張している。韓国メディアも建設賛成側に立つ報道が多かったという。

 日本とはまるで反対である。もともと日本では原発推進に係る報道はほんの一部で、圧倒的多数が反原発に立った歪曲情報である。本屋や図書館の書棚は、反原発本で溢れている。両論併記を行っているメディアさえ少ない。そのため日本は、バイアスに罹った放射脳患者で一杯である。この病気を治すのは難しい。
 したがっていまの日本で、韓国のような原発政策の市民参与型調査を行っても、短期間で最善策をとることはできない。


 しかし、憲法改正(破棄)、核武装を含め、事態は急を要する。日本沈没を免れるためには、一気にルールを変えなければならない。モタモタしている暇はないのである。

親戚の法要

 誰かに喜んでもらえるなら、この程度の「自分の不幸も蜜の味」である

 昨日は、叔父の3回忌法要に参列した。叔父は一昨年99才で亡くなった。100才のわずか手前であった。
 法要の本丸は、読経に続く酒宴である。わけのわからない坊主の読経を喜んでいる人は、参加者の中に、たぶん一人もいない。40分あまりの苦行である。主催者はその時間に比例したお布施を払う。その痛みが大事である。いきなり酒宴では、楽しみが半減する。

 とにかくこうやって親戚一同が集まる機会は、冠婚葬祭以外にはない。集まって大した話をするわけではないが、人とのつながりは、無いよりあったほうがいい。他のアジア諸国のように、お互い生活の面倒まで見ることはない。

              飲酒運転撲滅 H27.7.18  技術士研修会資料より

 しかし今回は、昼酒ですっかり不覚を取った。銚子が小さいので油断していたら、うっかり飲み過ぎてしまった。電車の中で居眠りし乗り過ごした。
 法要の席からタクシーで電車の駅まで行って、福井への急行電車に乗るまではよかった。気がついたら、自宅前の駅をとっくに通り過ぎ、見知らぬ田園を走っていた。帰りの電車賃390円と、2時間ほどの時間ロスである。乗り過ごした分の電車賃を免除してもらえたのと、終点まで行かないうち目が覚めたのは、不幸中の幸いであった。

 どうせまっすぐ帰っても、なにもすることがなかった。
 それに、誰かに喜んでもらえるなら、不幸や失敗は話のネタになる。この程度なら、「自分の不幸も蜜の味」である。

花粉症真っ盛り

 二日酔いと花粉症状、それに蕁麻疹の3重奏で、奈落の底に落とされる

 本格的なスギ花粉の季節がやってきた。スギだけでなく、我が家にあるアカ松の花粉もすごい。昨年大雪のとき、屋根まで積もった雪の上で刈り取った芽がしっかり再生してきた。生命力の強さに驚く(逆に隣の部屋では、断末魔のうめき声が延々と続く)。

 なによりその花粉の影響がひどい。風が吹くと、薄茶色の粉が一面に舞い上がる。その一部が、私の顔面から全身を襲う。鼻水、くしゃみ、目のかゆみに加え、全身いたる所に蕁麻疹が発生する。

              葉先を切った松 H29.4.29

 いずれ劣らず快適な心境ではない。とくに蕁麻疹が現れると、ところかまわず掻き毟りたくなる。掻いてるときは気持ちいいが、間もなく皮膚がむしりとられ、血がにじんでくる。こんどは、痛さと痒さの何ともいえない不快感に襲われる。「ベテラン」の蕁麻疹患者に言わせると、これはもう麻薬のようなものだ。心地よさのつぎ、強烈な揺り戻しが来て、地獄へ落される。

 これは法要の酒を飲んでも治らない。吞む量が足らないと、浴びるほど飲む。こんどは、二日酔いと花粉症状、それに蕁麻疹の3重奏。地獄のまた底に落とされる。

体罰禁止令

 いままさに人を殺そうとする大きな子供を、体罰なしでやさしく説得できる自信はない

 児童虐待事件が、相ついで報道されている。安倍首相は、児童福祉法と児童虐待防止法の改正案のなかに、親による体罰禁止の規定を盛り込むと明言した。まもなく閣議決定し、国会に提出する方針だという。罰則はないらしい。

 また相変わらず、学校における体罰も問題になっている。背景には指導の未熟さがあるといわれる。体罰が行きすぎ、生徒が自殺してしまう悲惨な事件も起きている。これについては、いろんな法律や条例での縛りがある。学校教育法第11条でも、体罰の禁止が明確に定められている。
 多くの知識人は、どんな場合も体罰はいけない、体罰は子供の教育にはならないと言っている。

                微妙なバランス

 しかし一定の抑止にはなっても、法律をつくってこれらが無くなるとは思えない。もともと体罰や虐待はむかしのほうがはるかに多かった、少子化のせいでクローズアップされただけである。
 それに体罰と虐待とは異なる。体罰も、虐待に近いのもあれば軽い諌めもある。
 体罰を他人に対して行うのは勇気がいる。躾のため他人の子供を殴っている人は尊敬される。

 言葉だけで子供を説得できる人はまれである。テレビで説教を垂れることができるような口車のうまい人は、100人に一人もいない。大部分の人は、他人や子供を言葉だけで説得できない。
 体罰を全く受けてないというモーニングショウのコメンテーターと、オヤジにバンバン殴られて育ったビートたけしと比べてみよう。私は、口先だけの薄っぺらいコメンテーターより、後者の方が好きである。

 そしていま、体罰は絶対にいけないという、原理主義的な人が増えているのが気になる。おもてなしの顧客満足でも、行きすぎれば「カスハラ」になる。目の前の橋の上で、誰かを突き落そうとしている子供に対し、体罰なしでやさしく説得しなければならない。そんな自信はとても私にはない。

まんぷくラーメンの開発

 ラーメン以外の製品やそこまで行かなかった死体が海底に積み重なっている

 NHK朝ドラ「まんぷく」の後半は、インスタントラーメンの開発である。
 まず長谷川博己氏演じる立花萬平が、インスタントラーメンを思いつき、試行錯誤を加えて製品化に成功、デザインや販促方法を考えて商品化し、その後事業化に成功。一大産業として確立するまでを描いている。

 その立花萬平が、インスタントラーメンの事業を成功させるまでの苦労はすべて、製品開発が直面する障壁、溝である。そのことを、「魔の川」、「死の谷」、「ダーィウンの海」と呼ぶこともある。TVでは、その各段階における苦労や紆余曲折を描くことで、ドラマチックな仕立てになっている。
 それぞれの段階における障壁について説明しよう。 

【魔の川】
 この溝は、研究ステージと開発ステージの間に位置する。
 研究ステージから、新たな技術シーズを見つけ、ターゲット製品を絞りこむことである。この段階で、柔軟な発想で「戦略」を立て、どのような製品を作っていくのかが問題である。

 ドラマでは、立花萬平がインスタントラーメン「のようなもの」を作ろうと決心するまでの葛藤と、その後の開発段階での試行錯誤の連続をみごとに描き出している。満足いく製品ができるまでには、無数の失敗と、立ち止まって学習する数多くの局面があった。その踊り場を乗り越えて、ようやく自分たちが満足できるラーメンが完成する。

              三途の川

【死の谷】
 この溝は、開発ステージと事業化ステージの間に位置する。
 開発ステージでできた製品を、つぎの事業化ステージで、商品として完成させ、販売できるようにしていく。企業内部で「人・モノ・金」を調整して効率よく価値を生み出し、どのように顧客に販売するかの「戦術」が必要である。

 自分では完成したと思っていたインスタントラーメンも、そのままではなかなか売れない。売り方・アピール方法を工夫したり、TVのスポット広告を打ったりしていた。
 ドラマでは、1週間くらいで爆発的に売れるようになったが、現実はそんな簡単ではない。すぐ売れるようになったのは、現在と異なりあまり競合品がないことや、人々が新しい商品に飢えていたからであろう。いまはそんな簡単には売れない。ふつうは、ここで挫折する。

【ダーウィンの海】
 この溝は、事業化ステージと産業化ステージの間に位置する。
 事業化ステージでは、事業を行う経営体制が必要になる。つぎの産業化ステージでは、新市場の開拓や市場での優位性を保つことで競争に勝ち抜くことが必要である。この『ダーウィンの海』には、うようよ魑魅魍魎がさまよっており、新規性や珍しさだけでは越えられない。

 ドラマでは、あっという間に競合製品が現れ不良品が出回って、イメージの低下と、売上ダウンに見舞われた。特許だけでは類似品の出現は避けられないし、いったん人々に認知されれば、世の中には無数のアイデアが生まれる。その中で、つぎつぎと自社商品のレベルアップをはかっていかねばならない。味のバリエーションや包装方法、食べ方の変化である。
 最後に、ラーメン業界として同業者をまとめ、インスタントラーメンを一大産業にまで育て上げている。その紆余曲折が人間ドラマである。


 一つの商品が事業化され、産業として世の中の一部を占めるようになることはきわめてまれである。インスタントラーメン以外の製品、製品にもなれなかった技術の屍が、世界中の海底に、累々と積み重なっているのである。

新知事に期待すること

 全国先頭を切って県を消滅させれば、日本史に残る「最後の県知事」になる

 今年の福井県知事選は、5選を目指す西川氏と元副知事の杉本氏、共産党の金本氏が立候補する。他の県なら、保守2人が票を食い合いするので、共産党候補者が有利である。まさか、まともな県民の多い福井はそうならないだろう。
 もっとも県知事にだれがなっても、直接県民の暮らしに変化があるとは思えない。これまでと何が変わるのか。

 そもそも、「県」という単位は非常にあいまいである。
 憲法をはじめ、国のかたちや国民の在り方を決める法律は国が定め、予算の多くは国から流れる。警察や軍隊も国の政策がもとになる。国がなければ、基本的な暮らしの根本が成り立たない。また市町は、ゴミや上下水道の管理など、身近な暮らしを成り立たせている。暮らしの上で、なにかあると市町に頼る人は多い。
 そのなかで県という単位がないと、誰が困るのか。

                橋本佐内

 新しい知事が生まれたら、彼はいったい何をするのか。西川知事は、福井市長よりTVに出る機会は多い。だが具体的に、何かしてもらったという実感はない。私は仕事上、県の中小企業施策に係ることはあっても、別に県単位でなくていいと思う。県は国と市町を継ぐ中間管理職にすぎない。いまどきピラミッド型組織にこだわっていては、日本全体の衰退につながる。

 そこでこの際、市町と県及び国という、ややこしい3重行政を見直したらどうか。人口が減少していく日本を衰退させないため、ムダの巣靴である3重行政をなくす。全国の先頭を切って福井県そのものを消滅させれば、日本史に残る「最後の県知事」になる。
 新知事は、ぜひ徳川慶喜になっていただきたい。こんどの新元号時代の大改革である。



 そうはいっても、怪しげな人が県知事になったらこまる。沖縄県のように、反対しかしない知事が生まれたら目も当てられない。それこそいないほうがいい。いないほうがいい知事を、選挙までして祀り上げる必要があるのか。
 私も、県が何をしているかわからないのでは、それこそチコちゃんに叱られる。

大往生できるか

 ピンコロでもなく安らかな大往生でもない最悪の死に方

 秒読みに入った父親を、昨日県立病院へ連れて行った。
 ほとんど起き上がれなくなり、もう息をするのもつらそうである。やっとのことで乗用車に乗せた。座るのもやっとである。救急車を呼ぼうかと思ったが、99歳が若い人の生きる機会を奪う権利はない。ピーポ・ピーポで大騒ぎもしたくない。

 そのまま入院と思ったら、その必要はないと言う。治療する価値もないらしい。
 このまま在宅で、なにも食べず排泄もせず(まだそこまでいってないのが困る)、夢見ごこちで昇天をまつ。周りもなんとなく覚悟する。だれも知らないうち、そっと旅立つ大往生が理想である。いま病院に入るのは、どうみても往生際が悪い。

              いま墓の中に H30.6.04

 それにしても大きな病院は手際が悪い。まともに座ることもできない年寄りと我々夫婦が、4時間以上病院内を右往左往した。診察待ち、採血待ち、超音波診断待ち、検査データ待ちで、実際の対面診断、検査は30分もない。もちろんまともな治療などしない。帰宅したとたん寝込んでしまった。病原菌の巣窟に、無防備で4時間も晒されたら、健康なものも病気になる。

 行かなくていい大病院に行ったのは、先日往診してもらった、近所の内科医に勧められたからである。入院できる病院を紹介したのは、在宅で突然亡くなられたら困るからであろう。医者にしてみると、夜中にいつ呼びだされるかわからないのは、落ち着かない。


 もっとも病院に入ってしまったら、なかなか死なせてもらえない。カモがネギ背負ってきたようなもので、点滴で全身の臓器や筋肉を生き返らせる。ようやく死にかかっていた体中の細胞に、強制的に人工の栄養物が送り込まれる。意思とは反対に生命活動が活発になってしまう。あげく苦しみぬいて死ぬ。これは大往生でなく、拷問である。最悪の死に方である。

東京マラソン

 これではとても、東京オリンピックで日本人が活躍することはできない

 昨日の東京マラソンは、圧倒的な強さで、エチオピアのレゲセ選手が優勝した。冷たい雨の中を、2時間4分48秒という好タイムである。上位4選手も黒人で、ようやく5位に2時間10分21秒で、日本人堀尾選手が入った。それも最後は力尽きて倒れ込んでしまった。

 レースは、1㌔3分ペースのグループと、もっと早い高速集団が引張った。最初20キロ過ぎまでは、日本記録保持者の大迫選手や佐藤、中村選手が高速集団についていた。やがて、大迫選手と中村選手が遅れ、佐藤選手も力尽きた。30㌔前で大迫選手が棄権。佐藤、中村選手も、最後は後続グループ選手に抜かれてしまう。

 女子も上位5人が黒人だった。鳴り物入りだった日本の有望選手も、最後は悲惨な記録となった。だれ一人、MGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)の出場資格さえ取れない。冷たい雨の中という過酷な状況ながら、やはり黒人選手は強かった。日本選手のひ弱さが際立ったレースだった。川内選手がいたら、もっと活躍したかもしれないが。

              ラムネ飲み競争

 とにかくこれで、東京オリンピックでの日本人選手の活躍はあきらめた。マラソンは、陸上競技のなかで、日本人が活躍した数少ない種目だっただけに残念である。もちろん水泳も危ない。オリンピックは、参加することに意義がある。もう金メダルの数に一喜一憂するのはやめよう。ストレスが溜まり、日本中にがん患者が増える。

 テニスの大坂選手を見てもわかるように、純血の日本人が、体力勝負のスポーツで勝つのは難しい。柴犬がシェパードに立ち向かうのと同じである。勝てるとしたら、将棋である。あるいは、ゲーム脳患者、又は放射脳患者同士の戦いがあれば勝てるかもしれない。

カスハラ問題

 「カスハラ」が社会問題になっていくと、またその反動が起こる

 カスタマーハラスメント、いわゆる「カスハラ」が問題になっている。
 コンビニなどの店舗や飲食店などで気に食わないことがあると、「土下座しろ」「家まで謝りに来い」などお客の立場を利用した嫌がらせを行う。暴言や恫喝だけでなく、長時間の拘束や賠償金の請求、支払い拒否など理不尽な要求をする場合もある。

 ひところの「顧客満足経営」が日本中にいきわたり、「おもてなし」が当たり前になってくると、必ずその反動による行き過ぎが出てくる。明確な統計はないが、不断虐げられている人が「カスハラ」の加害者になりやすい。負の連鎖が起こりつつある。

              罰ゲーム

 例えば、わざわざ公開講座を聴きに行き、その内容が気に食わない、セクハラだと訴える人まで出てきた。原告である女性は、精神的苦痛を受けたとして、講座を運営する学校法人を相手取り、慰謝料など計約333万円の支払いをもとめる訴訟を起こしたという。
 講義がひどいと思ったら、聞かなければいいし退席も自由である。そもそも講師の会田誠氏は、その手のきわどい話で有名らしい。そんなことも知らず、行き当たりばったりで受講するほうがどうかしている。まさに新手の当たり屋である。むかしから「カスハラ」は、強請の定石であった。

 カスハラとは微妙に異なるが、先日は自衛隊募集のポスターのデザインに文句を言う輩も出てきた。女性キャラクターのスカートから、下着のようなものがチラリ見えるため、「セクハラではないか」と声が上がっている。
 こんなものを問題にするなら、女子フィギュアスケートやテニスのほうがひどい。あれは下手すると、尻の割れ目まで見える。しかもアニメでなく、生身の実物である。

 すなわち「カスハラ」は、ポリティカル・コレクトネス(潔癖症)の一種で、現代人の多くが罹る病気である。「カスハラ」が社会問題になっていくと、またその反動が起こる。今度は店員が客をいじめる「セルハラ」が問題になるであろう。

車の査定

 せめて10万円くらい欲しいと思ったら、「1万円」という返事が来た

 愛車マツダベリーサの車検が、7月に迫っている。2004年型だから、15年乗った。走行距離は11万1000キロ。新車に乗り換えようと、ネットの「無料査定」を登録したら、つぎつぎと電話やメールが入ってきた。
 ネット査定の例を見ると、15年前の車でも3~40万円の例が出ていた。せめて10万円くらい欲しいと思ったら、「1万円」というメールが来た。これでは、新車値引きより悪い。

 査定額1万円の古い車でもまだ十分走る。まだ故障したことないし、乗り心地も悪くない。乗った距離を平均すると、1年に7400㌔にも満たない。ただ、タイヤがすり減っているので、このままでは車検を通らない。車検を受けるには新品を購入するか、今履いている冬タイヤをすりつぶす。タイヤさえ交換すれば、あと4年は乗れる。

              雪車とカーポート H30.2.06

 問題は、4年後に買い替える元気があるかどうかである。収入は激減しているし、なにより後期高齢者の一歩手前である。その時代、自動運転車が普及していればいいのだが、まだそこまで期待できない。

 いまでも、自動停止機能の付いた車は多い。プラス高速道路の逆走防止があれば、あと10年乗れる。それには、10万円上乗せする覚悟がいる。新車を買うとき相当のカネが動くから、10万くらい大したことないと思うからいけない。それだけ稼ぐのに、どれだけ苦労するか。
 こんなに優柔不断では、とても「じじいの決死隊」にはなれない。

米朝首脳会談

 戦争は勝つまでやる覚悟がなければ、いつまでたっても独り立ちできない

 世界の注目していた米朝会談が、もの別れの形で終わった。なにも決まらず、失敗だったという人がいれば、成功だったという人もいる。もともと露払いのない首脳会談だから、どう転んでもおかしくなかった。

 北朝鮮は紛れもない犯罪国家である。何百人もの民間人を乗せた航空機を爆破し、各地でテロ事件を起こしている。外貨を稼ぐため、麻薬を大量に密輸し、その国を荒廃させている。自国民に対するいわれのない虐殺。体制維持のためには、兄弟親族見境なく殺す。
 許せないのは、数百人ともいわれる日本人拉致である。拉致された人を返す見返りに、暗に経済援助を要求する図々しさには辟易する。誘拐犯が身代金を受け取ったあげく、大いばりする社会など考えられない。
 このように北朝鮮は、とんでもない巨悪国家である。間違いなく、オーム集団以上に性質が悪い。

                大砲 H30.7.17

 しかし、いくら悪辣だろうが許されるのが、国という単位である。
 ほんとは北朝鮮よりアメリカのほうが巨悪である。インディアンを皆殺しにして乗っ取った大陸を、我が物顔に牛耳っている。一瞬にして民間人30万人を虐殺する原爆を使ったアメリカが、正義のミカタとして君臨するなど、大きな矛盾である。
 6000万の自国民を殺した毛沢東も、中国では建国の英雄である。日本では、僧侶を大量虐殺した織田信長が、日本史上最大の偉人とされる。
 すなわち、「一人殺せば殺人犯で、100万人殺せば英雄になる」。

 ところがヒトラーは、600万人殺しても英雄にならなかった。英雄になるには、もう一つ条件があった。すなわち大量に人を殺したあげく、戦争に勝たねばならないのである。
 北朝鮮はまだ、この条件を満たしていない。朝鮮戦争の勝者はまだ曖昧である。このまま終戦宣言を出せば、中国のように、戦争に勝ってもいないのに「勝った」といって、大手を振る可能性がある。核保有国がそうなったら手をつけられない。それだけは許していけない。



 日本がいまだに世界中から辱めを受けているのは、戦争に負けたからである。
 あのとき、勝つまで続けなかったのは、末代までの不覚であった。過ぎたことは仕方がない。今度の戦は勝つまでやる。その覚悟がなければ、日本はいつまでたっても独り立ちできない。