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限界の現代史

 日本は、大きな対立や他の迷惑にならない限り自分たちのやり方を進めるべき
 
 クジラ問題では、オーストラリアを中心に欧米諸国は執拗に日本を責め続ける。日本人理論的に話そうとしても、まったく応じようとしない。これで日本がIWCを脱退せざるを得なくなった。
 ここまで欧米各国が頑なのはなぜか。いくら理屈で考えても、欧米人の考え方が理解するのは難しい。

 それでも最近、現代イスラム研究者内藤正典氏の「限界の現代史」を読んで、すこし納得できた。この本で内藤氏は、「自らの価値観を疑わない西欧社会の詭弁」という項目の中で、以下のようなことを述べている。

 たとえばオランダの女性問題シンポジウムでは、イスラム教徒は女性の習慣(被り物、強制結婚、割礼など)に激しい批判を受ける。その一方、オランダの「飾り窓」批判に対しては「個人の自由だから」と平然としている。イスラム教徒が厭がる握手やハグを強制し、拒んだものは排除してもかまわないと思っている。
 フランスが公共の場でイスラム女性のスカーフ禁止令を出したのも同じである。さらに、シリア難民を拒んでいるイギリスやフランスは、かれら自身が20世紀初頭、その原因をつくったことには一切口をつぐんでいる。
 このようなことは、欧米社会では日常茶飯事である。自由、人権や民主主義という価値観は、イスラムなど他の文明に適用しないことに、まるで気がつかない。

                2武士

 すなわち内藤正典氏の言葉を借りれば、
 「西欧文明は、自らの文明を正当化することで、他の文明に対してアンフェアな状況を強いてきた。いま世界が直面している多くの問題は、異なる文明を征服しようとしてきた西洋文明の傲慢な態度と、それに対するリベンジが生み出した負の連鎖」なのである。

 西欧文明の傲慢さは、いま中東をはじめ世界で起こっている、抜き差しならない出来事の大きな要因である。IWCの理念崩壊などは、その一つの現象に過ぎない。西欧が力を失った今、中東で頻発する虐殺や弾圧、それから逃れる大量の難民、欧米で繰り返されるテロなどの問題に対し、国際社会は何もできなくなった。


 そして日本の隣韓国も、この欧米各国の傲慢さをみごとに倣っている。レーダー照射事件をはじめ、日本相手に起こしている数々のいちゃもんを屁理屈とともに出す度胸は、たいしたものである。うそをつき続ければ、広い世界の誰か騙すことができると考えている。 こんな国に関わったら、とんでもないことになる。




 じつは「限界の現代史」のなかで内藤氏は、返す刀でつぎのように日本も断罪している。
①日本は、英語をはじめとした語学に疎いため、世界の人々の考えを理解できない。日本のグローバル教育は、世界の文明を理解することができず、台頭する中国などの帝国割拠についていけない。
②日本は、難民支援のための資金は出しても、ほとんど難民を受け入れないのは怪しからん。外国人の労働力を使い捨てるような、外国人研修制度はおかしい。 
③日本は、西欧が移民でおかしくなったのを承知しながら、少子高齢化の社会で、移民を受け入れざるを得ない。それに抵抗する日本人は、「血統主義」にこだわるから世界から孤立する。
④憲法9条を持ちながらPKO派遣するのは、世界の人々には理解できない。

                 微妙なバランス

 しかし、そういう内藤氏自身の考えもまた、欧米的価値観で日本政府を非難している。日本の独自性を認めようとしていない。批判はあるが、日本は日本である。大きな対立を起こし、他の迷惑にならない限り、自分たちのやり方を進めて何が悪いのか。世間体にこだわった「出羽の守」が牛耳る社会は終わりにしたい。
 そういえば、内藤氏の本のどこにも、日本がどうすればいいのかが示されていない。

 結局、ものはほどほどなのである。なにごとも原理主義はいけない。日本のできることは、せいぜい核武装である。
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極東の騒動

 日本と中国や朝鮮半島とのゴタゴタが続くのは、アメリカの思う壺である

 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
 これは、吉田松陰の言葉である。死罪になるとわかっていても、異国の技術を学ばなければ日本は取り残されると思って密航を企てたことを言ったものだという(ほんとかどうか?)。

 むかしから、極東のゴタゴタが絶えない。日本対朝鮮半島の国、中国或いはロシアである。いまは北朝鮮問題が大きい。もちろん東アジアはむかしから、中国という超大国があって、周囲に属国を従えていた。その中で日本は、元寇に耐えるなど、辛うじて独立を守ってきた。

 昨年来、韓国は日本に対し、なにかと理不尽な行動を取り続けている。慰安婦問題から徴用工賠償、レーダー照射、あげくは天皇侮辱である。レーダー照射に至っては、誰が見ても韓国に非がある。中2病のように、駄々をこねて日本を困らせている。
 アメリカに仲介してもらおうとしてもらちが明かない。もちろんアメリカにとっても、同盟関係にある韓国に対して諌めるのは気が重い。

                北条早雲 H30.6.16

 そのうえアメリカにとって、日本と韓国が争っているのは悪いことではない。
 むしろ、日本と韓国の仲がいいと困る。さらに、中国、北朝鮮、韓国、日本、それぞれ反目していた方が望ましい。万一これらの国が団結し、極東がEUのようになったら、それこそ一大事である。軍事覇権を筆頭に、超大国としての権威が保てなくなるし、兵器が売れなくなる。
 アメリカが台湾に肩入れしているのも、北方領土問題が解決しないのも、極東トラブルの火種を絶やさないためである。中東、アフリカ、中南米はもとより、チベットやウイグルも同じである。


 もちろん、表だってそんなことを言うはずがない。建前は、人権や民主主義を守るためである。そのことが対立を長引かせている。トラブルが解決しそうになると、欧米がしゃしゃり出てきて、妥協を許さず理想を掲げ、ガラガラポンにする。だから、いつまでたっても極東(もちろん世界の)のゴタゴタは終わらない。今度の米朝会談も、紛争を長引かせる茶番である。

 そのことは、アジアに住む我々も感づいている。それでも、韓国とは金輪際仲良くしようと思わないし、中国の日本沖縄に対する破壊工作にも対抗しなければならない。
 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ」この感情は、どうしようもないのである。(感情だけの反原発者とも通ずる)

ノーベル平和賞

 オバマ氏のような口だけ指導者より、マキャベリ型のトランプ氏が平和をもたらす

 いつも物議を醸しているトランプ大統領が、ノーベル平和賞に推薦されたらしい。推薦したのは日本の安倍首相で、時期は昨年の米朝首脳会談のあとだという。まさに、それまで日本の上空を飛び交っていた北朝鮮のミサイルが、ピタリ治まったときである。タイミング的にはふさわしい。ミサイルが飛ばなくなるなら、いくらでも推薦していい。
 
 もっともノーベル賞と言っても、医学・物理・化学賞に比べ、平和賞や文学賞は権威が低い。さらに、「現在進行形の事柄に関わる人物」も受賞対象になるから、選考に向けロビー活動や政治行動が多く起こる。その選考結果を巡り、世界中でたびたび物議を醸す。

                トランプ

 したがって、これまでのノーベル平和賞受賞者をみると、胡散臭いのがたくさんいる。
 佐藤栄作、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)ゴルバチョフ、ジミーカーター、アウンサンスーチー、アルゴア、バラクオバマなど。影響力のあるアメリカ大統領が多いのは仕方ない。だから、北朝鮮との交渉如何によって、トランプ大統領の目もある。むしろオバマ氏のような、核廃絶は唱えるだけ腰が引けた指導者より、ほんとうはマキャベリ型のトランプ氏のほうが平和をもたらすのである。

 推薦数は毎年100件以上とされ、トランプ大統領が推薦を受けたとしても、受賞の可能性はかなり低い。推薦されなければ選定されないのだから、確率はゼロではない。かっては、ヒトラーが推薦されたこともあったというから、金正恩を推す人もいるはずだ。
 トランプと金正恩がダブル受賞するなら、そこに韓国の文大統領も割り込んでくる。そのシナリオに向けて、まさにいま米朝首脳会談がはじまる。

沖縄県民投票結果

 戦争で奪い返す覚悟がないのにウダウダいうのは情けない

 沖縄で、米軍の辺野古移設を問う県民投票が行われた。予想通り、『反対』が7割と圧倒的多数を占めた。反対者しか投票に行かないのだから、こうなることは目に見えている。こんな複雑な問題を、単純な3択で問うことが無理筋であることは、最初からわかっていた。また住民がいくら反対したとしても、日本政府がそれに従うはずがない。そんなものに従っていたら、それこそ無責任である。

 世の中には、できないことを承知で反対する人が、かなりの割合でいるから困る。ほんとに辺野古移設が中止になったら、とんでもないことが起こる。イギリスのEU離脱、韓国の無理筋日本批判と同じ、ガキのわがままである。反原発も同じで、その中2病を、中国の工作機関と化したマスコミが後押ししている。

 福井県のように、社長の割合が日本一の地域では、沖縄住民のような無理筋要求はしない。社長は責任ある立場として、その組織と生存環境を守る義務がある。できないのを承知で駄々をこねていては、現実社会が成り立たないことを知っている。

              大合唱

 そもそも基地があることで、ほんとに沖縄が苦しんでいるのか。どう考えても疑わしい。
 沖縄が困っているのなら、人々は他県に移住するはずである。それなのに、逆に沖縄県では人口が増えている。沖縄は、大都市圏を除き、日本で唯一人口が増えている地域である。H28年度も、東京都に続いて2番目の増加率であった。
 これではとても、沖縄県民が苦しんでいるとは思えない。基地のことでは悩んでいるのかしれないが、トータルでは、日本でいちばん住みよい県である。人口統計は、賃金統計より信頼できる。統計はウソをつかない? 

 そして現実に、辺野古移設がガラガラポンになれば、沖縄は独立に向かう。沖縄は日本領といっても、実質はアメリカが戦争で奪ったものである。日本に「返還」したのは、ややこしい沖縄県民の扱いを、日本にまかせただけである。それなら、戦争で獲られた領土は、戦争で奪い返すしかない。その覚悟がないのに、ウダウダいうのは情けない。
 まさにこのことは、北方領土や竹島にも言える。

あとの祭り

 今できることをしておかないといずれ後悔する

 いま、勝山左義長祭りがおこなわれている。4~5年前にはじめて見物し、小さな町の活気に驚いたことがある。一本気の酒蔵で300円の試飲を楽しみ、市内に設置された櫓での太鼓と尺八の踊りを鑑賞した。久しぶりに、また行ってみたいが、身動きが取れなくなった。

 昨年から老衰気味の父親が、いよいよ衰弱してきたからである。
 昨年夏の初めまで元気だった父が、夏の暑さに精を抜かれ、9月には青息吐息になった。介護認定を受けて、デイケアホームに通い始めた。10月からは、週に一度キャバクラのような施設にいくことで、いっとき元気を取り戻した。このまま100才を超すだろうと、誰しも思っていた。

                すっかりうば桜

 ところが寒い冬がはじまると、その元気も失せてきた。
 辛うじて独力でトイレまでは歩く。だが少し動くと、肩で息をする。心の臓が追い付かないらしい。食事も1日1~2度おかゆを口にするだけである。味覚が衰え、やたらと濃い味を要求する。下手すると醤油をそのまま飲む。いまさら血圧がどうの、腎機能がどうたら関係ない。もともと酒は飲まない。

 まともにしゃべる元気も、風呂に入るエネルギーもなくなった。あとどれくらい持つか。いよいよ秒読みである。いま隣の部屋が静かである。生きているかどうか不明。この際、酒でも飲めば元気になるか、あるいはメルヘン爺になるか。今できることをしておかないと、それこそ左義長の、あとの祭りになる。

ゼネレーションギャップ

 2世代も離れた若者の思いを、70才にもなるじじいが理解できるはずがない

 企業経営コンサルタントになったはじめは、工場診断が中心であった。もともと機械系の技術者で、工業系での診断士資格を取得した。そのうちいろんな業種の企業診断を依頼されるようになった。5~6年前までは若気の勢いで、知らない業種も手掛けてきた。

 最近年を取るにつれ、経営者とのゼネレーションギャップを感じるようになった。とくにサービス業で、50歳以下の経営者に対してのギャップが大きい。まだ製造業では、製品とその出来栄え、つくり方を中心にみるため、経営者の年代はそれほど意識しない。

              妖しい花弁

 サービス業の場合、その企業のお客は、ほぼ経営者と同じ年代である。サービス業は直接お客と接している。その事業を評価するには、若いお客の立場になる必要がある。2世代も離れた若者の思いを、私のような70才にもなるネトウヨじじいに理解できるはずがない。音楽の好みや、企業内での人の接し方、日々の行動パターンなど、生活感覚がまるで異なる。

 小売業でも、婦人服や化粧品販売事業の診断は難しい。むかし子供服専門の小売店の診断を行った。かわいい女の子の洋服一杯の雰囲気で、お客は若いお母さんばかり。いたたまれず、そそくさ店を出てきてしまった。
 もはやオヤジを対象とした事業しかわからない。

ものづくり補助金

 生産性向上のための補助事業が、かえって国全体の生産性を混乱させる

 2月18日より、ものづくり補助金の公募がはじまった。
 今度は変則的で、2段階の締め切りがある。1段階目は2月23日という、公募開始から1週間に満たない。これでは、公募を待ち構えて提出準備を整えていた企業しか応募できない。もっとも気配が濃厚だったので、目ざとい企業はすでに提出準備を終えていた。たぶん特定の申請者にも便宜をはかっている。
 逆に2段階目は5月8日と、公募開始から2か月以上もある。

 それにしても、あまりにも変則的である。いずれも、事業期間は12月27日(小規模型は11月29日)までである。2月23日締め切り分は、採択決定も早めるというから、4月決定なら事業期間が9か月ある(小規模型は8か月)。逆に、5月8日締め切り分申請だと、採択決定も時間がかかる。早くて7月だから、事業期間は5カ月くらいしかない(小規模型は4か月)。

 これまでも、申請から2カ月以上経過して採択が決定、さらに事務手続きで1か月程経たないと、事業開始(設備の発注)できなかった。そのため、設備の導入が間に合わないことがあった。そこで今回、第一段階締め切りでは、公募期間と公募数を絞って、申請から短期間で採択決定できるようにしたものである。
 ここ数年工作機械を中心に、納入まで1年以上かかった。ものづくり補助金公募があると、さらに集中する。現実に企業はいろんな裏技を使っていたはずだ。


              毒花

 それでも、段階を決めて公募・採択するのは、きわめて合理的である。申請、審査、採択作業だけでなく、事業そのものも平準化される。平準化は、ムダをなくす一番手っ取り早いやり方である。

 予算・決算の都合もあるのだろうが、事業期間はできれば2年欲しい。最長であるから、早くてもいい。何でも一気にやるから負荷が増大する。システムが膨らみ、事務処理機関の人数が増える。なによりスピードが遅くなる。だから締め切りは、5段階ぐらいにしたらどうか。毎年1回不定期に公募するのも生産的でない。1年中、2~3か月おきに公募を繰り返した方がいい。
 企業の生産性向上のための補助事業が、かえって国全体の生産性を混乱させているのなら、本末転倒である。

AIによる生産性向上

 コンピュータが普及するたび余計な仕事が増えた。AIも同じ穴のムジナか

 AIが本格導入されれば、人手不足が解消されるのか。
 たとえば現在、日本には6000万台の自動車が登録されている。今後10~20年以内には、その半分が自動運転車に取って代わる。自動運転によって運転業務が激減するなら、「輸送・機械運転従事者」約220万人の仕事が無くなる。

 もっと大きいのは、自動運転になるとシェアリングが普及し、自動車数が激減することである。すなわち自動車の生産に携わっている人が減る。ざっと、1000万人分の労働力をはじく。

 また、AIによる通訳機能が進化すれば、海外企業との煩わしい翻訳業務が減る。通訳もいらない。すでに通常会話程度なら、AI通訳機は下手な通訳者よりうまい。もとより技術を伴う取引では、並みの通訳者では専門用語が理解できない。技術者同士で専門用語は通じるから、AI通訳機を組み合わせれば充分意思は通じる。
 したがって語学教育に携わっている人を含め、少なくとも100万人の労働力が不要になる。

 さらに、電子決済が100%近くになれば、取引のすべてが自動的に会計処理される。つまり、会計士という「高度」な人材も不要になる。いまは政府が、わざと税金の計算をややこしくして、彼らの仕事をつくっているだけである。
 農業や建設業の無人化も進む。
 その他いろんな分野で、人間がいらない仕事が発生する。数千万単位で労働者が余る。

                いじけた猪

 さて、これらの余剰人材はどうなるのか。
 理想的なのは、生産性が上がった分を全員の仕事時間を分け合い、短時間労働を達成することである。給料が同じで労働時間半分なら皆が満足する。同時にこれまで疎かにしていた軍事産業への人材投入をはかる。もちろん、直接自衛隊員も増やす。じじいに加えて中堅層が加われば、戦力は倍増する。 



 もっともAIも、これまで何十回となく行われてきたコンピュータ革命のひとつにすぎないのではないか。これまでも、情報化、マルチメディア、ネット通信、IT、IOTなどが、鳴り物入りで入ってきた。その流れで、AIが出ている。これまでは、いくらコンピュータが普及しても、労働力は減っていない。余計な仕事が増えるだけであった。AIも同じ穴のムジナのような気がする。

地方企業の人手不足対策(生産性向上)

世の中にはびこっているムダをなくせば、20%くらいは生産性が向上する

 都道府県ランキングで、福井の優位性を示す指標の一つに、「完全失業率」がある。総務省の労働力調査によると、2018年7~9月平均で、福井県は1.4%と3番目を示している(トップは三重県と石川県の1.3%)。ここまで低いと、完全に人手不足状態である。

 ではどうしたらいいか。
 まず、比較的失業率の高い(東京・大阪は3%近い)都会の人たちを地方に分散させるという案がある。国の政策で彼らには、数百万円の補助金を支給するという。
 だが都会で失業率が高いのは、地方の人が都会へ、いい仕事を探しに行くからだ。都会でも、ほんとにあぶれている人は少ない。安い仕事ならいくらでもある。手続きの面倒な補助金を使ってまで、賃金の安い地方に来る人は限られる。

 また(2月5日)に書いたように、有り余っている高齢者を有効活用するのもいい。
 それでも高齢者は、ある程度いざというときのため「じじいの決死隊」して温存しておく必要がある。それに、小手先を繕うだけでは根本的解決にはならない。

 したがって、人手不足解消の本家本元は、生産性を向上させる「少人化」でなければならない。「生産性向上」である。世の中に生産性の高い会社が残れば、必然的に人手不足は解消される。賃金も上昇する。
 その「生産性向上」を促すのが、プレッシャーである。ある程度のストレスがなければ、人は考えることを怠り、安楽に流れる。安易に外人労働者に頼るのは愚の骨頂である。

              さばえものづくり2018 H30.10.27

 そのストレスのひとつが、企業における外注工程の「内製化」である。
 工程を外部に発注する理由は、①自社内で行うより外注の方が低コスト、②技術的に自社ではできない、③工程能力不足(人手不足)でできない、などである。

 このなかで、「①外注の方が低コスト」には問題があることが多い。
 もし、外注先の低コストが人件費の違いだけなら、外注先の企業はますます低賃金の社員ばかりになる。それではまわりまわって、自分の首を絞める。
 そのうえ外注を行うときは、直接の支払い以外に、つぎのような見えないコストが発生している。

①払い出し、受け入れコスト
 数量・品質チェック、梱包、伝票作成など、払い出しと受入時には、相当な手間とコストを要する。
②配送コスト
 運搬のための荷役車両やスペース、積み下ろし人員の確保を含めた運搬コストがかかる。
③生産リードタイムが長くなる
 払い出し前と受け入れ時には、運搬のために仕掛品が溜まる。仕掛品の量は生産リードタイムに比例する。
④管理、コミュニュケーションコスト
 担当者を決め、頻繁に外注先とのコミュニュケーションをとる必要がある。
⑤不良発生コスト
 外注先を含めた仕掛品が増えていくと品質異常の発見が遅れ、不良対策に大きなコストが発生する。さらに一般には、取引する段階が増えるほど、過剰品質に陥り歩留まりが激減する。
⑥ヌシの増殖
 外部との調整を一括して人っている外注担当者は、大ヌシの尊になることが多い。
 それでなくても外注担当者は、外注が内作に代われば、自らの権威を示す場が無くなる。だから必死に抵抗する。
⑦ナマケモノの増殖
 工場内の作業者も、余計な仕事を増やしたくない。経営者といえども同じである。だから、いったん外注に出した仕事は、いつまでも続く。変えたくない、変わりたくないのである。


 現実に多かれ少なかれ、多くの工場でこのようなムダが発生している。
 思い切って内製化し、世の中にはびこっているこのコストをなくせば、全体の2%くらい生産性は向上する。その一つの手法がM&Aである。どの程度の規模が適正か、試行錯誤で決めるしかない。

企業の生産性向上

 ハイリスクを背負えない日本人は、いまの仕事でチマチマと効率を上げるしかない

 なぜ日本企業の生産性は低いのか。
 宮川努学習院大教授は、「生産性とは何か」の中で、およそつぎのように書いている。
≪日本企業の生産性が低い要因の一つに、開業率の低いことがあげられる。つまり生産性の高い企業が参入し、低くなった企業が退出すれば全体で生産性が高くなる。その自然循環がなされていない。
また生産性が高い製造業ほど、海外移転が進んでいる。もちろんこれは経済全体ではマイナスの生産性となる。製造業が移転すれば、働く人は生産性の低いサービス業に従事せざるを得ない。

 ただ存続している個々の企業においては、生産性向上効果のほとんどが、既存の財の生産性変動ではなく、新しい財の導入と古い財の削減による生産性上昇効果によるものである。企業内の財の削減は、労働生産性の向上をもたらしている。≫

              タヌキの行列

 考えてみれば当たり前である。いまの製品を効率的につくる方法を考えるより、高く売れる新しい製品をつくったほうが儲かる。放っておけば、古い製品はどんどん価格が下がる。それ以上に効率を上げ続けるのは至難の業である。

 もっとも、高く売れる新しい製品をつくるのも難しい。むしろ古い製品の効率を上げるより困難である。千三つといわれるリスクを負わなければならない。冬山遭難でさえ槍玉に挙げるようないまの日本人に、ハイリスクでつぎつぎ製品開発を行うような気概があるとは思えない。

 したがって凡人は、いまの仕事の延長でチマチマと効率を上げていくしかない。それさえできなかったらおしまいである。
 では具体的にどうすればいいのか。

不適切動画

 企業はこの新たなリスクを管理し、われわれはある程度の穢れを許す

 このところ、ネット上に不適切動画といわれるSNS投稿がつぎつぎと現れ、問題になっている。くら寿司、すき家、セブン-イレブン、ファミリーマート、ビッグエコーなど。つい最近は、定食チェーン「大戸屋」で、ズボンを脱いで顔を隠した男が、くねくね踊りを披露している。4~5年前は静止画だったのが、いまは動画になって、ますますリアリティに富むようになった。

 内容は、氷を床に投げつけ、調理用のお玉を股間に当てる。コンビニの店員は商品のおでんを箸で食べながらはしゃぎ、別の店では舐めた商品をレジ袋に入れる。寿司チェーンでは、わざとゴミ箱に捨てた魚をまな板に戻す。汚らしいと言えば、汚らしい。
 以前中国で、肉が床に落ちたのをかまわず、そのままハンバーグの材料にしたことで、マクドナルドが窮地に陥ったことがあった。また一流ホテルの清掃者が、トイレを拭いたぞうきんでコップを拭くなどの動画が拡散されたこともあった。

 日本もようやく中国に追い付いた。中国で簡単にSNS拡散ができるようになると、それこそパニックになるであろう。
 お客を対象とする企業経営だから、イメージの低下ははかり知れない。すべての企業は、この新たなリスク管理する必要がある。

                赤ふん

 しかしわれわれ一般市民は、破廉恥動画でそれほど目くじらを立てることはないと思う。拡散したから大げさになるだけで、どこでもありそうなことばかりである。わずかの穢れなど気にしていたら、食事などできない。
 飲食店では、多かれ少なかれ調理する人の体液が入り込む。潔癖症の人は、汗と唾にまみれた手打ちそばや、寿司屋でじじいのこねくり回した握りなんかとても食べられない。あるいは灼熱の酒蔵で、上半身裸の名人杜氏が米麹の出来具合を確かめるため、ボロボロと口に含む映像のほうが、よほど汚らしい。他人のケツを洗った温泉の大浴槽に、いい気持ちで浸かる人の気がしれない。顔を洗う人さえいる。

 それがここまで大げさになるのは、スマホが普及し、誰でも簡単に動画を拡散することができるようになったからである。ブログを書くより、動画のほうがはるかに簡単である。簡単だから、誰でも同じことをやる。アメリカで銃による殺人が無くならないのと同じである。

 批判する人は、何でも批判したい(このブログも同じ)。アメリカの歌手が指に「七輪」とタトゥしたのを批判する人もいた。おかげで歌姫はすっかり日本嫌いになったという。それすら批判する人は、飲食店の悪ふざけなら堂々と批判できる。
 不適切動画の頻発は、人間の「承認欲求」だという。それなら、なんでも批判したくていられない人も、「承認欲求」の塊なのである。


 ではどうするか。
 ほんとに「不適切動画」をなくそうと思ったら、中国のように、SNSを自由に使えなくするしかない。銃規制によって銃殺人をなくすのと同じである。あるいは、同じような動画をどんどん流す。バカッターコンクールを行う。同じようなものが毎日1万本もでてくれば、批判するほうも疲れる。ニュース価値がなくなり、「不適切動画」が問題視されなくなる。

 そもそも世の中は、ある程度の穢れを許すことで成り立っている。
 それが嫌な潔癖症の人は、たった一人で「無菌室」に入るだけである。

森林がゴミの山に

 使いすぎて禿山になるのは困るが伐採せず放置しておいてもいけない

 いま日本は、国難ともいうべき人口減少に悩まされている。日本の人口は、今後30年で2000万人減少する。毎年70万人、小さな県が一つ無くなる勘定である。

 その一方で、増え続けているものがある。日本の森林資源である。
 周知のように、日本の国土の66%は森林である。そこに蓄積された木材の体積は、じつに50億㎥になった。それが毎年、1億㎥も増えている。
 日本国内の木材需要量は、約7000万㎥で、半分以上輸入材である。国内木材の消費量は2000万㎥しかない。

                金の成る木

 つまり日本では、毎年膨大な森林資源が蓄積されている。蓄積される段階で、大気中のCC2が吸収される。木材の重さの半分が炭素であるから、1億㎥(比重1として)の半分およそ5000万トンを吸収している。いまはまだいい。

 森林には寿命がある。森林が一定以上になると樹木が生長できなくなり、腐敗がはじまる。木が枯れると大量のバクテリアが発生し、分解してCO2を発生する。ある年数からは、CO2を吸収するより、排出の方が多くなる。

 したがって、森林土壌にいるバクテリアが大量発生しないうちに、高齢の樹木を伐採する必要がある。間伐が環境にやさしいといわれるのは、そのためである。使いすぎて禿山になってもいけないが、伐採せず放置しておいてもいけない。森林は、資源でなくゴミになるのである。すべてはほどほどである。

感動経営

 「感動」できない人は、まともなお客にも経営者にもなれない

 先日、診断士協会のスキルアップ研修会、「従業員の主体性を引き出し、業績を高める企業支援のあり方」に参加した。講師は、(株)佐々木感動マーケティング代表の佐々木氏である。氏はキャリアコンサルタントとして、おもに「人」と「会社経営」の両面にフォーカスした企業支援を行っている。

 内容は、事業を伸ばしている企業における、人づくりの成功例をあげたものである。坂本光司法政大教授の「日本でいちばん大切にしたい会社」と同じ、人を大事にする経営の実践例である。とくに目新しいことではなく、あたりまえのことをやるだけである。それができないのが世の中である。
 レクチャーの中で、あらためて考えたのは以下の2点である。

               イッチーノ
 
 まず仕事の優先度について。
 仕事には、つぎの4つの種類がある。 
①緊急性が高く重要な仕事→お客への対応、クレーム処理、発送業務など
②緊急性が低くても重要である→未来への投資、5S・安全活動、経営理念の確立・浸透
③緊急性は高いが重要でない→優先度の低い打ち合わせ、突然の来客
④緊急性も低いし重要性もない→使わない資料作り、目的にないムダな仕事

 このなかで、①と④についてはたいていわかる。わかるから①の仕事はやるし、④はしない。だが、②と③は微妙である。たいてい、②(緊急性が低くても重要である仕事)を後回しにして、③(緊急性は高いが重要でない仕事)をやりたがる。②の仕事は煩わしいし、すぐ結果が出ないからである。
 じつはこのとき、②を優先するかどうかによって、その組織の優劣が決まる。めんどくさい②の仕事より、大したことはないが急ぎの仕事の方が魅力的である。まわりの受けもよい。だがこれを続けていけば、②を実行する力が無くなり、組織はじり貧を免れない。
 もちろんこの4つについて、それぞれ具体的な仕事がどんなものか、会社で明確にしておく必要がある。それがいい加減だと意味がない。

              客が来ない H30.8.18

 つぎに、「満足」と「幸福」の違いについて。
 端的に言えば、「満足」は「今だけ、金だけ、自分だけ」であって、「幸福」は「三方よし」の世界である。
 会社なら「満足」は、給料、ボーナス、休暇、役職などの待遇である。「幸福」は、達成感、働き甲斐、成長、社会貢献など、主体的に動くことによって感じるものといえる。欲求5段階では、「満足」は低次の欲求、「幸福」は自己実現の欲求を満たす。
 つまり、経営においての「感動」は、お客様の「満足」を超えたところにある、「幸福」状態である。
 
 だが、これまでこの2つを混同して使っていた多くの人にとって、いまさら違いといわれても困る。「満足」が低俗となると、「満足度日本一」常連である福井県のイメージが悪化する。             
 またこれは、製品やサービスを供給するほうも同じである。ここ数年来、私がセミナー講師になってしらけてしまうのは、自分自身が感動できなくなってしまったからである。感動できない人は、お客にも経営者にもなれない。

禁煙から禁酒へ

 そのうちP・C患者は、人々のすべての行動にいちゃもんをつける

 東海道新幹線の車内販売で、クリーミーな泡ビールの販売をはじめると言う。新型の電動式サーバーを缶ビールに取り付け、超音波の振動できめ細かい泡をつくる。スタッフが夕方と夜の車内を回り、おかきのおつまみとセットにして1杯500円で販売する。
 リーズナブルな価格で、透明カップに入った冷たいビールは、見ただけで涎が出る。
 
 だがこの企画は、意外と評判が悪い。ネット記事に対するコメントを見る限り、私のようにもろ手を挙げて賛成する人はほとんどいない。

≪これだけお酒が元の事件があるのに販売ですか…公共の空間では酒類の販売はやめた方が良いと思う≫
≪アルコール類の匂いが苦手な人への配慮を!≫
≪タバコの臭いが苦手な人がいるように、アルコールの臭いで気分が悪くなる人間も居ると思う。≫
≪飲酒は昔より悪いってこと分かってきたんだから、そろそろ明るいイメージで販売するの辞めた方が良いのでは?≫
≪タバコは規制するんだから、アルコールも規制するべき。暴れる人いるし。禁酒車両を設けるべき。≫
≪公共の乗り物は禁煙&禁酒にすべき。特に酒絡みは犯罪にもつながることが多い。≫

              日本酒で宴会 H28.9.04

 このようなコメントばかりのところを見ると、世の中には酒や酒飲みの嫌いな人で満ち溢れていることがわかる。日本中に、ますますポリティカル・コレクト病が蔓延している。こんな潔癖症ばかり集まった日本は、大丈夫なのか。酒飲みの文化が無くなれば、日本中にうつ病患者がごまんと増える。
 そのうち外出先での、人々のすべての行動にいちゃもんがつくであろう。

 音楽を聴く→音漏れが気になる
 雑誌や新聞を見る→鬱陶しい
 ランニングをする→人にぶつかったらどうする
 鼻糞をほじる→汚らしい
 醜い顔をさらす→見たくない
 息を吐く→同じ空気を吸いたくない
 大声で話す→うるさい
 小さい声で話す→こっそり人の悪口を言うな

池江選手の闘い

 オリンピックで金メダルを取るより、もっと大きな感動をわれわれに与えてくれた

 競泳の池江璃花子選手が白血病を公表したことで、日本中が吃驚し心配している。来年のオリンピックに向け、日本競泳会のトップアスリートであり、伸び盛りの18才である。美人の世界的スイマーということで、病気でなくとも日本中の注目を浴びていた。
 彼女の病気は、新聞の1面に掲載され、TVのワイドショウでも連日取り上げられている。いま白血病は不治の病でないとはいえ、治療には年単位の期間が必要である。

 たくさんの著名人がコメントを出している。多くは池江選手の病気を案じ、早期の回復を願ったものである。その中で桜田義孝五輪相は、「盛り上がりが下火にならないか、若干心配している」、「本当にがっかりしている」などと発言し、それが物議を醸している。野党から一斉に批判の声が上がり、国会でも取りあげられている。
 たしかに桜田大臣の言葉は、他の人とはニュアンスが違っていた。やや不適切かもしれない。

              未来へのトンネル H29.12.19

 しかし桜田大臣は、決して悪気があったわけではない。単に言葉の使い方の問題で、こんなものを、いつまでも引っ張るものではない。繰りかえし表に出せば出すほど、発言の内容がわい曲・増幅され、肝心の池江選手を傷つける。野党やマスコミは、政争の具にしたり、視聴率を上げるために叩いている。それこそ不適切で、いい加減慎むべきである。

 それよりもっと大切なことがある。本人の思いの影響である。
 池江選手のツィッターコメントは、ようやく手が届くところまできた夢を一時断念し、新たに病気との戦いに向かう、気持ちの切替えをしっかり打ち明けていた。それがまた健気で胸を打たれる。これは彼女しかできない。池江選手は、同じような病気で苦しむ人を勇気づけた。そしてオリンピックで金メダルを取るより、もっと素晴らしい感動を日本中に与えてくれたのである(少なくともじじいの遭難騒ぎとは比べ物にならない)。

悪夢の政権

 あれは悪夢ではなく、いまもつめ跡の残る現実だった。現政権こそ悪夢であって欲しい

 安倍総理が自民党大会で、「悪夢の民主党政権」と言ったことが話題になっている。これまで、あたり障りのない言葉しか言わなかった総理にしては、少し踏み込んだ発言である。与党自民党の中にも戸惑う議員がいたらしい。

 世間では、その通りという人がいれば、今の政権のほうが悪いという人もいる。もちろん、当時民主党だった人はおもしろくない。旧民主党員を中心に、反発が広がっている。なんとかこの言葉を「不適切発言」に格上げしたくて、うずうずしている。

              夢舞台 H29.4.02

 だが、あの民主党政権時代が、ほんとに悪夢だったらよかった。悪夢なら、目覚めたらなにごともなく終わる。せいぜい寝汗をかくだけだ。民主党はあの時代を夢にするため、民進党と名前を変え、さらに国民新党や立憲民主に姿を変え、必死にかっての痕跡を隠そうと企んでいる。

 しかしあれは夢ではなかった。まちがいなく現実だったのである。悪夢どころか悪魔の政治で、あのとき民主党のばら撒いた毒まんじゅうが、いまだに日本を蝕んでいる。
 具体的には、普天間移転のちゃぶ台返しからはじまり、東北大震災や原発事故処理のお粗末、その後の破壊的なエネルギー政策、消費増税、尖閣の火付けなど、毒まんじゅうの後遺症がいくらでも出てくる。後遺症どころかいまだに国民は、大量にばら撒かれたまんじゅうの毒を食らい続けている。

 したがって、旧民主党だった人を中心に、2大政党制などできるはずがない。2大政党にするなら、自民党が分れたほうが現実的である。維新や希望の党あたりを巻き込めば、すっきりした2大政党ができるのではないか。



 もっとも悪夢なら、いまの自民党政権である。移民法案や水道法、種子法の改悪は行っても、肝心の憲法改正の道筋すらつけられない。原発推進には及び腰で、まもなく消費増税である。これが夢なら、はやく覚めて欲しい。

冬富士遭難

 山岳遭難じじいは、一旦ことがあれば、「じじいの決死隊」に変身する

 昨日までの厳寒の3連休は、高山の遭難が相次いだ。
 そのなか冬富士で行方不明になっていた、60代と70代の2人が無事下山していた。5合目から6人パーティーで登山を開始し、それぞれ6合目と8合目から遅れ始め、本体とは別行動を取ったらしい。
 冬富士は厳しい寒さだけでなく、強風とアイスバーンで滑落する事故が絶えない。むかし私の先輩も、3月末の冬富士で滑落遭難死した。

 したがってネットなどでは、この2人に対する風当たりは強い。無事だったことを喜ぶ人より、厳しく罵倒する人のほうが多かった。

≪無事ならお灸を据えるべき。冬山、高齢。山なめんなよ。≫
≪年寄りは現役世代や社会に手数をかけないように存在することを第一考えて日々を送るべし。≫
≪体力も無いのにええ歳さらして!人迷惑な!≫
≪登る前に判断できんかったのか?探さなくてもいい、自己責任論だ≫
≪どんだけ迷惑掛けてるか判ってるのか、遭対協出て無くて、警察だけだったとしても、大切な税金が使われたんだぞ!!≫
≪大迷惑な登山した連中には費用負担は当然として法律で登山禁止や反則金等を設定するべき!そもそも冬の富士山登山禁止ですよね?≫
≪70代がこの時期に富士山?自殺か?それなら樹海に行け≫

 2人がどんな人で、なぜ遭難したかよくわからない。だが、客観的に見れば、「年寄りの冷や水」といわれても仕方ないであろう。そしていまの日本では、一旦このような事故があると、遭難者をいっせいに責め立てる。ぬるま湯の日本人そのままの姿勢である。相手が若者だろうが同じである。

 「失敗を恐れるな」と言いながら、人が失敗すると、よってたかって潰しにかかる。これがいまの日本の現実である。これではだれもリスクをとろうとしない。

                じじいの決死隊

 では高齢者の「無謀登山」は、どう考えたらいいか。
 危険を承知の高齢者登山について、いっそ冬富士を、高齢者の墓場にしたらどうか。山岳遭難と言っても、富士山は地形が単純だから、樹海より発見が容易である。ヘリによる救出も可能だし、気温が低いので放っておいても腐敗しない。春になってまとめて収容してもいい。登山で遭難しなくても、ヌクヌク無駄飯を食らい、その後チューブに繋がって生きていくより、トータルでの国民負担は少ない。

 さらに高齢者対象なら、救助隊もあわてずじっくり捜索できる。格好の遭難訓練にもなる。「税金が使われた」と言って騒ぐ人がいるが、遭難してもしなくても税金は無駄に使われている。むしろ税金が有効に活用される。
 そして山岳遭難じじいは、一旦ことがあれば、「じじいの決死隊」に変身するのである。

建国記念日

 皇紀2679年にもなる日本国における歴史と伝統は重い

 今日は、建国記念の祝日である。2月11日を「建国記念の日」と決めたのは、紀元前660年の神話における神武天皇の即位日を換算したもの。今年は皇紀2679年になる。

 他に日本のような国はない。ほとんどが20世紀に入り植民地から独立した国、或いは前政権を倒し革命を達成した日を、建国日として定めている。日本以外で古いのは、西暦1000年のハンガリーである。初代王のイシュトヴァ-ン1世がハンガリー王国を建国した。いま一番威張っているアメリカでさえ、せいぜい1776年である。
 それだけ日本国の歴史と伝統は重いということになる。

                「縄文のビーナス」と「仮面の女神」

 ただハッタリ好きな韓国は、日本よりはるかに古い紀元前2333年10月3日を、「開天節」とし、建国記念日のひとつとして掲げている。建国神話で、檀君が古朝鮮王国を建国したとされる日だという。ちなみに韓国のもう一つの建国記念日は、「光復節」である。1945年に日本がポツダム宣言を受諾し日本統治から解放された日を定めている。

 別に古いのがいいとは限らない。またこんなところまで張りあって、しつこくストーカーされるのは、たまったものではない。建国記念日が色あせる。
 韓国に対しては、静かに無視することが一番である。

国の借金

 いまだに「未来につけを回す財政赤字」というインチキを信じる人がいるのか

 先日財務省は、国債と借入金などを合計した「国の借金」が、昨年末現在で過去最高を更新したと発表した。債務残高が1100兆5266億円になり、前回から8兆7581億円増加したという(YAHOOの時事通信ニュースより)。

 財務省や時事通信は、「国の借金は悪いことで、子や孫の代に付け回すから、増税は必至」だと言いたいのであろう。マスコミは、いまだにその財務省のプロパガンダ記事をそのまま流している。こんなものに惑わされたらいけない。

              金の成る木

 まず、「国の借金」というのがおかしい。日本国がどこかに借金しているわけではまったくない。単に政府の借金である。そして政府の借金は、そのお金を借りた相手がいる。また借金は、支払いするために行う。その多くは誰あろう、われわれ日本国民と日本企業である。つまり、「国の借金」が増えた分、国民は確実に金持ちになる。いまや日本には、国民と企業の金融資産だけで2000兆円もある。

 さらにこの間、日本の経常収支はプラスを維持している。2018年度は20兆円増えた。だから日本全体では、借金どころか資産が増えている。借りてくれるところがないので、金融機関では預金がだぶついている。むしろ政府借金の増え方が少ないので、デフレが続いている。世界でも珍しい国である。

 日本にはその他、大変な資産がある。日本国の総資産は1京円を超えている。これらを、きちんと情報として発信しないのは、まともなマスコミではない。
 そもそも、「未来の子孫が、借金の取り立てに合うから増税して緊縮財政しなければいけない」という財務省のウソを、いまだに信じる人がいることが信じられない。取り立てを行う最大勢力は日本の老人で、もう間もなく死に絶える。彼らの持っていた貸金の証文は、2足3文となって三途の川の渡し代に消えるのである(いずれ、鬼が取り立てに来るのだが)。

数字は信用するな

 すべての問題は問題にするから発生し、すべての災難は災難と思うから災難になる

 いまだに、厚労省の不正統計が問題になっている。このようなことは、大騒ぎする人がいるから問題になるだけで、実害のある人などいない。言うに事欠いて、「世界の信頼を失う」など、笑止千万である。チマチマほじくっている方が恥ずかしい。
 もともと、いい加減な数字を集めた統計資料ほどいい加減なものはない(たとえば給与は、該当者のスキルや経験、年齢、労働時間などで変わる。そもそも、直接メリットのない調査に、企業がまともに対応するとは思えない)。あえて細かい数字を出すのは、目くらましと思ったほうがいい。

 統計なら、もっといい加減で有害な数字がある。
 中村智彦氏(神戸国際大教授)の記事にあるが、国や自治体の政策のもとになる「経済効果」や「経済予測」こそ、結論ありきの自作自演である。とっくにそんなことは、みな気づいている。またハコモノを作る場合、当初見積もりが何倍にも膨らむのは当たり前になっている。それこそ、ムダに税金が使われる。下1ケタの統計ミスより、こちらの方が、はるかに実害が大きい。

                団子3兄弟 H30.6.16

 厚労省の統計ミスを、いまさら大問題にし、パーキンソンの凡俗法則のごとく、時間を費やしているのは、バカバカしい限りである。数字のミスを問題にするなら、何倍にも膨張したオリンピック予算のほうが重大である。

 このことは、「原発絶対安全神話」を信じたふりをし、いざ事故が起こると、「騙された」と言って大騒ぎする人たちそっくりである(統計ミスにしろ原発事故にしろ、起こってしまえば大したことはないのだが)。

 すべての問題は、問題にするから起こる。同時にすべての災難は、災難だと思うから災難になるのである(そこまで割り切れたらいいな)。

大量虐殺

 放っておいて世界中の牛や豚が病気にかかれば、そのうち全頭に免疫がつく

 また家畜の大量虐殺がはじまった。
 豚コレラの発生が愛知県の養豚場で確定した。その農場から子豚を出荷していた長野県、岐阜県、滋賀県、大阪府の農場でも「陽性」が確認された。それぞれの養豚場で殺処分がはじまった。対象は計1万6000頭にもなるという。

 このような「大虐殺」は、これまでもしばしばあった。
 平成22年、宮崎県で家畜伝染病「口蹄疫」が発生し、牛や豚30万頭が殺処分されたことがある。どのようにして殺処分するのか。韓国では、地面に掘られた大きな穴に生きたまま豚を追い込んで、つぎつぎと生き埋めにした映像がある。悲惨なのは家畜だけではない。全頭処分を余儀なくされた宮崎県の畜産農家1238戸のうち、35%が廃業に追い込まれた。

                ブタ

 豚コレラは豚やイノシシの病気で、人には感染しない。口蹄疫も人に感染することはない。牛肉や豚肉を食べたり、牛乳を飲んだりしても口蹄疫にはかからない(ただウイルス汚染された肉が流通すれば、他の地域に口蹄疫を拡げてしまう恐れがある)。かかった家畜の死亡率は数%以下である。また治る病気である。隔離して病気を治すことができなかったのであろうか。このままでは、すべての家畜がいなくなる。

 牛や豚といえど、命ある生き物である。人間が自分の都合で飼っている。その命をいただく前に、勝手に処分するのは言語道断である。豚にとってみれば、人権と同じように豚権を大事にしろといいたい。いまのままでは、牛・豚の祟りで人類が絶滅するであろう。


 どうしたらいいか。
 難しいが、いっそのこと放っておいたらどうか。もちろん治療は行う。世界中の牛や豚が病気にかかれば、そのうち全頭に免疫がつく。今のように、大虐殺するから病気に弱い家畜ばかりになる。中長期的には、雑種をたくさんつくり、特定の病気にかからなくする。
 もっとも狂牛病と同じで、大山鳴動しても、世界中で牛数頭の可能性が大きい。

 私のように文句を言うのは簡単である。とことん放っておくほど勇気のある人は、潔癖症の多い現代では、だれ一人いないであろう。

いい女ランキング最下位

 自虐ネタでもとことん引っ張る。まちがってもいい女になろうと思ってはいけない

 「幸福度ランキング」、「生活満足度」など、多くの都道府県ランキング指標で、福井県は上位を独占している。このことは、福井県ではいろんな産業や文化が振興し、人々が豊かな暮らしを楽しみ、健康や学習能力が高いことを示す(ほんとか?)。

 しかし、唯一全国最下位のランキングがあった。
 gooランキングが、昨年12月に発表した「いい女がいそうな都道府県ランキング」である。この評価で福井県は、和歌山県と並んで、堂々の最下位を獲得した。ワンクリックのネット投票であるが、いくら怪しげな調査でも最下位は最下位である。

 ちなみにトップ3は、つぎの県であった。
 ①福岡県、②秋田県、③徳島県
 これでいくと、人口の多さには関係ない。2位の秋田県人口は100万人に満たないし、3位の徳島県に至っては、福井県より少ない。おそらく、そのときの美人女優の質と量の印象が影響するだけである。

              どうみても、うば桜 H27.4.14

 しかし、せっかくの最下位ランキングである。このランキングを定着させ、逆手にとってみたい。
 たとえば、ブランドランキングで最下位の茨城県は、全国47都道府県で最も魅力がないと、不名誉なレッテルを張られている。いまこの県では、お笑いタレントを採用したり、必死に巻き返しをはかろうとした。最近はあきらめて、「47位の県?上等でございます」と、挑発的なコピーを発信している。

 また長野県南箕輪村のマスコットキャラクター・まっくんは、2011年の「ゆるキャラグランプリ」では堂々最下位の「栄誉」に輝いた。「日本一人気のないキャラ」を逆手に取った自虐ネタでアピールし、確実にファンを増やしてきた。つまり最下位で自虐キャラという個性で、他のキャラとの差別化がはかられたのである。
 どんなものでも、トップと最下位は希少価値がある。


 では、福井の最下位ランキングはどのように活用すればいいか。
 まず、このネタをとことん引っ張ることである。まちがっても、いい女になろうと思ってはいけない。いまさらトップになるのは、コストパフォーマンスが悪すぎる。

 そして、この自虐ネタをもとに「ふくい美人コンテスト」を行い、「最下位?」を福井の観光大使に任命する。怖いもの見たさで、世界中から観光客が集まる。

少子化の原因

 少子化の最大原因は、ポリティカルコレクトネス(PC)だったのである

 麻生大臣が、少子化問題に触れ、「子供を産まなかった方が問題だ」と言って、バッシングに遭っている。だが産まない人を責めても、またいくら大臣を槍玉に挙げても、この問題は解決しない。
 その少子化の原因として、派遣労働者の増加とか賃金の低迷などが取りざたされている。政府批判にはもってこいだからである。

 もっと根本的な原因がある。
 行き過ぎたポリティカル・コレクトネスである。男性に対してのセクハラバッシング、女性に対しては不倫バッシングである。

 先週、俳優の新井浩文氏が「強制性行容疑」で逮捕された。昨年はTOKIOの山口達也氏が女子高校生へのセクハラで廃業する羽目になった。むかし横山ノックも、女子大生への「おさわり」で晩節を汚した。その他自治体の首長や議員など、つぎつぎとセクハラで失脚する人がでてくる。有名人でなくとも、教師や会社役員など、それなり地位のある人のセクハラ行為が、毎日のように報道される。

 むかしから、男性が女性に迫ったとき、どこまでいけるか永遠のテーマであった。女性が受け入れるのを待っていたら、一生迫れない。そのハードルが、どんどん高くなっている。現代では、「拒絶するのも好きのうち」は死語となった。わずかでも空気を読むのを間違えたら、一生浮かばれない。
 これでは、世の男性が消極的にならざるを得ない。繁殖能力がなくなるのは当然である。

              もうすぐうば桜 本文とは無関係です 

 つぎに、少子化の大きな要因として、女性に対する不倫バッシングが挙げられる。
 いくら合意の上でも、女性代議士の山尾志桜里氏やベッキーなど、女性の不倫に対する風当たりは強い。代議士ともなれば、「露チュー」さえ許されない。

 いつも人間の本質を突いた仮説を提供している橘玲氏は、次のようなことを言っていた。
 結婚して子供のいる女性が不倫すると、集中的にバッシングされる。どちらか一方でも結婚していてはいけない。逆にお互いが独身なら、どんな形であれ恋愛に何の制約もなくなった。だとすれば、世間の不倫騒動を見て独人女性が考えることは、「結婚して子供を産むとろくなことがない」ということである。


 すなわち男性のセクハラと人妻不倫へのバッシング。これが無くなれば、人間が生物になって、繁殖活動にいそしむことができる。少子化の最大原因は、ポリティカルコレクトネス(PC)だったのである。
 1000年後の歴史教科書には、「ポリティカル・コレクトネス潔癖症が、アジアの優等生だった日本を衰退させた」と記載されるであろう。

人手不足解消

 高齢者を怠惰にする高額年金を退治しなければ日本の未来はない

 いま日本企業は、人手不足にあえいでいる。その企業の要請で、昨年度は保守層の反対を押し切り「移民促進法」を決めた。ほんとに日本にはもう働く人はいないのか。外国人労働に頼らないためには、国内労働力の状況を見極める必要がある。

 たしかに、日本の労働力がひっ迫しているという見方は多い。たとえば神林一橋大教授は、第58回エコノミスト賞記念論文の中で、昨年度の労働力調査を分析し、日本の労働力の供給余力はわずかしかないと述べている。
 つまり、定義を見直して失業率を拡大しても、完全失業者は従来定義での169万人に対し、15万人ほどしか増えない。しかも現在就労している人では、「もっと長時間働きたい」という人より、「今より労働時間を減らしたい」という人の方が多いのだという。

              サツマイモ坂井丘陵地H25.5.13

 しかしこの調査はあくまで、「失業者」の定義にもとづいたものである。調査1か月前までに職を求めた人、あるいは求職していないがすぐ職に就ける人の合計に過ぎない。それ以外の(調査には表れてこない)潜在労働力は含まれていない。
 いま日本の15歳以上で、働いていない人は4500万人いる。フルタイムでなくても効率が悪くても、とにかく働ける人は、少なくともその半分いる。

 働く意思はあるのに求職していない人や、働く覚悟ができず猶予期間が欲しい人は多い。働く意思はなくとも、能力を持っている人は、数百万人単位存在する。団塊世代を見渡しても、8割はピンピンしている。それ以上の年代も半分は労働可能である。たっぷり年金を貰っているので、働きたくないだけである。それにいまさら人にこき使われたくない。

              体育祭仮装すもうH25.5.19

 どうしたらいいか。生易しいことでは解決しない。
 まず高齢者から高額年金を没収したら、働かざるを得ない。年金は生かさず殺さずの範囲。外国人労働者を増やすよりそのほうがいい。なにも大した仕事をする必要はない。高齢者の仕事は、衣食住の一部を賄えるだけで充分である。場合によっては、「じじいの決死隊」として、待機だけでいい(予備兵3000万人確保)。独裁者ならそうする。

 また労働力不足の原因には、若い人の働く内容の変化がある。
 若い人が第一線で働かなくなった。猫も杓子も、「管理」「事務」業務につきたがり、現場に立とうとしない。本来は50歳くらいまで、体力と知力を活かし、改善・改革しながら現場仕事を進め、大いに失敗を重ねるべきである。管理やアドバイス業務につくのは、そのあとでいい。

 もともと年齢に合った働き方がある。野球や相撲のように、若いときは幅広く現場で活躍。その後、経験を活かす緩やかな仕事につく。その根本的なサイクルが崩れ、医者と弁護士、公務員や士業の志願者ばかり増えるから、人手が不足し外国人に頼ることになるのである。

イノベーション国家

 国家が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら衰退する

 中央公論12月号で、吉川洋氏(経済学者)は、「企業化精神衰退の背景にあるものは・・」のタイトルで、イノベーション生みの親であるシュンペーターとアダムスミスの言葉を、それぞれつぎのように紹介していた。

シュンペーター
 ≪(企業化)は決して金を目当てにイノベーションを行うわけではない。もし金が目標となったとすれば、それはイノベーションの死を意味する≫

アダムスミス『一般理論』より
 ≪もし企業の活動が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら、そうした企業は衰退する。企業の発展は、南極探検と同じ「アニマル・スピリッツ」によって生み出される≫

 この言葉を踏まえて吉川氏は、現在の日本企業の退嬰ぶりを嘆いている。2007年に135兆円あった法人企業の保有預貯金は、2017年度には222兆円にまで膨らんだ。日本では投資がなくなり、企業化精神が衰退したことになる。

                骸骨の霊 H30.7.17

 この「企業」を「国家」あるいは「個人」と置き換えても同じである。
 つまり、
≪国家が数字と冷静な確率計算のみに依存するようになったら衰退する≫

 いまの国会のありさまはどうだ。
 統計調査は大事かもしれないが、所詮「死亡診断書」である。終わったことを調べるだけだ。さらに統計の大もと1つ1つは、きわめて主観的・有為的なものである。いくらその積み重ねを厳密にやっても、出てきたものが信頼できるはずがない。細かい数字が大事な人は、それを商売にしている人と既得権益者だけである。不労所得である年金や保険金など、貰えるだけで充分である

 前に書いたように、ほんとに大事な数字は、下1桁より上1桁のほうではないか。AI、エネルギー、宇宙開発、核武装、そして憲法改正など、国がやるべきことはいくらでもある。それが上1桁である。
それには必ずリスクが付きまとう。

 国家は、個人はもとより企業に比べても、はるかに大きなリスクをとれる。むしろ格差が生まれる民間に代わって、国がリスクを取るべきである。その国家が、チマチマと細かい金の計算や、文書改ざんなんかで揉めていることこそ大問題である。

昆虫はすごい

 ゴキブリは人類最後の栄養豊富な食料として重要な昆虫になる

 昆虫の種類数は数百万種ともいわれ、地球の全生物の半数以上を占める。丸山宗利氏(九州大)の著書「昆虫はすごい」は、その地球上で最大の勢力を誇る昆虫の不思議な生態を、実例を挙げて説明したものである。
 
 たとえば、植物との戦いである。多くの植物は、動物に食われないように毒素をもっている。毒の効かない相手には、間接的に嫌がらせをする植物もある。モンシロチョウがキャベツを食べると、寄生蜂をおびき寄せる物質を体から発散させてしまう。寄生蜂が体内に入ったモンシロチョウは悶絶する。

 またカマキリのメスは、オスの頭を食べながら交尾することはよく知られている。そこで、自分が食べられるのを嫌うオドリバエのオスは、メスに別の種のハエを食物として贈呈する。メスがそれを食べている隙を狙い、やおら交尾に至るのである。

 また社会生活を営むアリやハチの巣にちゃっかり居座ってしまい、巣に蓄えてあるエサをおいしくいただく昆虫が、かなりの種類いるらしい。あろうとことか、アリやハチの幼虫まで食べてしまうのだという。アリは目が見えないため、臭いをつけていれば姿かたちが異なっていても、気づかれることがないからである。
 もちろん天罰は下る。いったん住民であるアリに見破られたら最後、よってたかって嬲り殺しにされる。

 昆虫に限らず生物の生き様は、食べることと繁殖することである。その2つに尽きる。この本ではその生々しい実態を、具体例を挙げつぎからつぎへと記述している。

                イッチーノ

 そしてこれら昆虫の特徴は、変態と飛翔である。いずれも生活環境を変えることになり、多様性をもたらしてきた。そしてどちらも食べること、及び出会いの機会を増やすことに貢献する。つまり(昆虫に限らず)生物の生きる最大の目的は、自分に近い遺伝子を残すことである。体というのは単に遺伝子の乗り物にすぎない、という仮説には説得力がある。


 またある種の昆虫は、人間に害を与える。自身の毒素だけでなく、病原菌や原虫を媒介するからである。これまでに何度か、人類を壊滅に近い状態に追い込んだ。14世紀のヨーロッパでは、ノミ媒介のペストによって人口の半数が死に絶えた。いまでも熱帯地方では、カの媒介マラリアで毎年100万人単位の人が亡くなっている。またあらゆる吸血性の昆虫が、得体のしれない病気をもたらす。これらは数十年の潜伏期間を経て、心臓欠陥などでの死を招く。
 おそらくわれわれの何割か(ほとんど?)は、昆虫由来の得体のしれない病気を抱えているはずだ。その体内の病原菌を撲滅するためには、適量のアルコールと放射線照射が有効である。

 むしろ多くの人が忌み嫌うゴキブリは、刷り込みの被害者である。黄色い悲鳴をあげるからびっくりするだけで、ゴキブリは完全に人畜無害である。将来はゴキブリこそ、人類最後の食料として重要な昆虫になる。今のうちに各家庭で、大量養殖しておいたらどうか。

アレルギーとひざの痛み

 また花粉症の憂鬱な季節がはじまった

 数年前から、アレルギーによる蕁麻疹に悩んでいた。そのため定期的に、オロパタジンというアレルギー薬を服用している。薬が切れて全身かゆくなり始めると一粒飲む。

 ところで、なぜ蕁麻疹が出るようになったのか。いくつか原因が考えられる。ひとつは、花粉症が嵩じたものである。だが季節かまわず発症するのはおかしい。
 怪しいのが毎日飲んでいた牛乳であった。
 NHKの健康番組に触発され、5年ほど前から毎朝コップ1杯の牛乳(300CC)を飲むようになった。朝練後の筋肉増強と、便秘解消にはもってこいである。効果てきめんで、季節ごとに患っていた風邪にも罹りにくくなった。

 いいことばかりではない。やがて全身が痒くなり始めた。皮膚科に通っても治らない。次第に症状がひどくなり、いたるところ痒くてたまらない。搔くとみみず腫れのようなぶつぶつができる。

              毒花

 そこで、むかし貰って使わなかったオロパタジンを飲んだら、ウソのように痒みが止まった。しばらくして痒くなると、また薬を飲む、その繰り返しになった。これでは一生薬漬けである。薬が切れたらまた蕁麻疹が出る。
 考えたあげく、牛乳を飲むのをやめたら、気のせいか改善してきた。蕁麻疹の発症は、牛乳の疑いが濃厚である。

 牛乳をやめると、こんどは左ひざがおかしくなった。10月の登山でひざを痛めてしまった。こんなことは初めてである。それ以降の登山も、下りでひざが痛くなる。おそらく関節を支える筋肉が衰退してきたのであろう。
 これも困る。牛乳を飲めばよくなるのだろうか。

 問題なのは、牛乳が蕁麻疹の原因かどうかの因果関係がはっきりしないことである。悩んでいるうち、また花粉症の季節になった。鼻水とかゆみが襲ってくる。

明石市長の「暴言」

 これまであった多くの「不祥事」も、一皮むけば違った展開になったかもしれない

 明石市長の「暴言」が、ワイドショーやネットで話題になっている。
 公開された音声データでは、「すまんで済まん! そんなもん!立ち退きさせてこい、お前らで!きょう、火付けてこい!」など、激しい言葉が続いていた。
 じつは明石市長のこの「暴言」のあとには、別の言葉があった。それを含めて、賛否両論が渦巻いている。東京町田市の都立高校教師の「暴力」問題と同じような経過である。

 神戸新聞に掲載されていた、「暴言」に続く市長の言葉である。
 ≪とにかく今月中に頭下げて説得して判付いてもうてください。あと1軒だけです。ここは人が死にました。角で女性が死んで、それがきっかけでこの事業は進んでいます。そんな中でぜひご協力いただきたい、と。ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。(担当者)2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。市民の安全のためやろ、腹立ってんのわ。何を仕事してんねん。しんどい仕事やから尊い、相手がややこしいから美しいんですよ。後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は≫

 これについてあるコメンテーターは、市長の「暴言」を批判し、この言葉についても「試験でも一番難しい問題を残すから、いい点数が取れる」と語っていた。いかにも試験秀才らしい言葉である。
 また前大阪市長の橋下氏は、「どんな功績や背景事情があろうとも、ダメなものはダメで、明石市長の言動は、一発アウト」としていた。
 いわゆる「知識人」には、このような見解を示す人が多い。

              大合唱
 
 しかし学校の試験と異なり、現実の世の中では、簡単なことだけやっていては物事が進まない。土地買収では、90%片付いても、一つでも残れば0点である。
 また橋下氏は、たぐいまれな舌先三寸の持ち主である。「暴言」でないように見せながら、ネチネチと理屈で追い詰めていく芸当は、誰にもできることではない。明石市長のような大風呂敷は受け流せても、理屈で責められたら精神的に参る。やられた方は、その場だけの「暴言」よりダメージを受ける。事務方ならこちらのほうがパワハラと感じる。

 そしてこの「暴言」事件では、長年にわたって問題を放置していた職員に、大きな咎があった。相応の叱責がないほうがおかしい。だから、「休まず・遅れず・働かず」の役所職員に喝を入れた。叱られたほうもすっきりしたはずだ。任期を穏便に勤め上げ、金だけ貰う地方政治家が多い中で、明石市長はきちんと仕事をしている。いまどき、叱ることのできるトップは貴重である。
 市長はその他にも多くの施策を実行し、市では人口が増えているともいう。

 したがって明石市長は、運転手への「このハゲー」罵声議員や、仕事も「暴言」もしない、いるだけ政治家よりはるかにましである。実際この「暴言」のおかげで、工事はその後進展したという。住民にとっても、やるべきことを長年放置した職員へのパワハラより、事故の起こる環境を放置される方が深刻である。

 そして市長が、素直に自身の暴言を認め、有権者に信を問う会見に潔さを感じた人は多い。
 もっともこの録音テープ公開は、2か月後に迫った首長選挙に向けた足の引っ張り合いとみるほうが自然である。

                首相候補
 
 今回の「事件」や「教師の暴行事件」を含め、公表された一部だけを切り取って批判するのは、大きな間違いを生む。
 これまでもあわら市をはじめ、セクハラ市長やパワハラ市長、政務活動費の使い込み議員が、つぎつぎと辞職に追い込まれている。それらの事件も、一皮むけばまったく異なる展開になったかもしれない。むく人がいなかっただけである(むけばむくほど真っ黒になる人もいる)。


 すき家のアルバイト従業員が動画投稿で、股間にお玉を当て、「おまたにおたま」とやったのはどうか。有名飲食店でなければ、センスの悪いダジャレで済んでいた。