FC2ブログ

失敗の責任 「続続失敗百選」より⑤

 誰かに責任を取らせるのは、ゼロリスクを求め何も進まないよりはるかに良い

 以前は、原発のような巨大技術になると、装置や運用方法についての不具合を改善することはタブーとされていた。複雑なシステムの一部を修正すると、別なところでもっと大きな不具合が発生する可能性があるからである。したがって、このようなシステムではPDCAの継続的改善でなく、決められたことを確実に行うことが要求されてきた。医薬品、医療の世界でも同じで、現場での勝手なカイゼンはできなかった。

 それが、福島第一事故の検証では、つぎつぎと装置の弱点が洗い出され、膨大な改良点が見つかっている。改善によって、間違いなく福島のような過酷事故の確率は、激減することもわかってきた。

            般若

 しかし、それでも事故はゼロにはならない。もし事故が起こったら、誰がどのように責任を取るのであろうか。
 裁判では、失敗を予見できたかどうかが、責任を問われる大きな要素である。知っていたら犯罪で、知らなかったら無罪である。これでは、なにか事故があって責任者が無罪になったら、その人は無知(バカ)だったということになる。国民にバカになれと言う制度がいいとは思えない。

 一方で、「福島原発、裁かれなくてもいいのか(古川元治他)」のように、『今までに起きたことがない「未知の危険」であっても、起きる可能性が予測される危険については、責任を問える』とまで言う人がいる。すべて起こったことには誰かが責任を取らなければならないとなると、ヤクザの鉄砲玉である。それでも、ゼロリスクを求めて何も進まないよりはるかにましで、このやり方は一理ある。そのため企業には会長がいるし、謝罪要員としてホテル支配人が存在する。

           仁王

 また技術論的には、中尾氏の言う「まさか」の失敗は、どこまで失敗の発生確率を許すかという問題になる。一般には、法律や規範、道徳、世論の動向などで決まるが、それではきりがない。世間は感情的である。「使い続ける限り事故が起きたらメーカーの責任」としたら、製造業は成り立たない(製造物責任は10年で消滅)。

 そこで技術者は、安全率を見込んで装置やシステムを設計する。普通は4倍程度である。安全率は、多ければいいというものではない。設定の失敗がまた、恐ろしい状況を生み出す。

 その典型的な例が、福島汚染地区の放射線量基準の設定である。国際的には、100㎜SVまでなら問題ないとされる。安全率5倍を見て、20㎜SVが基準である。被爆地でなくても、その程度のところはいくらでもある。ところが日本では、感情(勘定)に任せ1㎜SVという、とんでもない基準を設定してしまった。これでにっちもさっちもいかなくなる。いまだ復興が進まないのはこのためである。必要以上に厳しい基準は、(神戸製鋼のような)検査偽造が発生する温床ともなる。

 また、福島第一の原発事故では、1000年前の貞観地震の再発を想定しなかったとして、非難されている。ではどこまでの災害を想定すればいいのか。いまでは、1000年前どころか、40万年前以降の活断層や、歴史上起こった100倍もの破局噴火にまで関心は移っている。そこまで見るなら、原発事故以上の災害は、いくらでもある。視野が狭い人たちは、原発事故しか見えない。


 日本では絶対不可能を無視し、いまだゼロリスクを主張する人が無くならない。善意に解釈すれば、大事故のバイアスが残っているからで、悪く言えば無知な阿呆か補償金目当ての権益者である。
 日本は、「こんな人たち」を相手にしているから、何も進まない。政治家は、嫌われる覚悟のない人は、なってはいけないのである。

   「続続失敗百選」⑥に続く
スポンサーサイト



文書主義が現場を殺す 「続続失敗百選」より④

 すべてが文書で示されれば、マニュアルにない事態に対応することができなくなる
 
 いま日本のものづくり現場は何かおかしい。原発事故だけでなく、昨年から、日産や神戸製鋼、三菱マテリアルの検査不正発覚など、異常とも思える不祥事が続いている。
 これに関し、中尾政之氏(東大機械科教授)は「続続失敗百選」の中で、「シュラウド事件」と呼ばれる、東電のトラブル隠蔽とその後の経過について述べている。この事件は、現在へ続くものづくり不祥事の重要要因を示唆している。 

 「シュラウド事件」は1989年、GEが福島第一1号機の定期点検中に、原子炉内シュラウドにクラックを発見し、その証拠ビデオを東電の要請に応じ、隠蔽した事件である。10年後の2000年、当の検査担当者が通産省に内部告発、保安院がGEに対し本物の検査報告書を提出させ、東電のトラブル隠しが発覚した。とくに原発9基のシュラウドクラックを隠蔽したことが大問題になった。

 その結果、東電社長が辞任。東電の原発はすべて停止のうえ、プルサーマル計画は白紙撤回された。5機のシュラウド修理には、750億円を費やした。
 その後、「安全管理体制」を徹底強化する。

 問題は、その「強化」された管理体制の中身である。
①原子力立地本部を6部に分割(組織横断的取組は弱体化)
②原子力品質監査部を独立新設し、マニュアルに基づく内部監査を強化
③保安院は、安全管理審査の規制を強化。詳細なマニュアルの整備とエビデンス(証拠となる記録)の作成を課す。
④品質マネジメントシステムによる保安院の審査を年4回実施。指摘・指導が激化した。
⑤東電の文書管理の業務量が激増。マニュアル至上主義が先鋭化した。

       キツネつき   文書作成

 ここからがおかしくなる。
 そもそもシュラウドというのは、単なる隔壁である。クラックが入っていても、致命的なトラブルにはならない。福島第一原発を作った本家のアメリカでは、水中溶接での補修でよいことになっていた。日本では、「クラック無きこと」という、非現実的な古い規定を順守していたため、もしクラックが見つかったら大ごとになる(現に、余計な手間をかけたあげく修理に750億円も費やした)。事情をよく知った人ほど、隠そうとするはずである。

 悪いことにはこの事件の結果、マニュアルの整備とエビデンス(記録)の作成で、文書量はとんでもなく増大した。職員は、現場に出る機会がないままエネルギーが消耗していく。わずかな安全面での改良すら、詳細なマニュアルとエビデンスを要求される。現に、これまでの東電やもんじゅの「不祥事」は、ほとんどが文書の不整合や記録の不一致でしかない。これだけ文書で縛られていると、現物で改善しようとする意欲は削がれる。

 その結果、現場を熟知している人がどんどん少なくなる。すべてが文書で示されれば、マニュアルにない『まさか』の事態に対応することができない。「現場、現物」に代わって、「文書、記録」がすべてになってしまった。

 この状況が、福島第一の事故をもたらす。それを反省することもなく、文書主義はいまの規制委員会とのやり取りにまで、連綿と続いている。原発再稼働の申請書類は、10万ページを超すともいう。あげくには自殺者まで出した。文字通り、文書主義が現場を殺してしまったのである。

   「続続失敗百選」⑤に続く  

赤報隊事件(NHKスペシャルより)

 ヘイトスピーチやネトウヨを抑えこむと、また「赤報隊」が出現する

 27日のNHKスペシャルでは、実録ドラマとして草なぎ剛が主演し、未解決事件のひとつ「赤報隊事件」を取り上げていた。この事件は1987年、朝日新聞阪神支局に目出帽の男が侵入し、持っていた散弾銃で29歳の記者を殺害、42歳の記者に重傷を負わせたものである。その4ヵ月後に、同社名古屋本社の社員寮テレビに散弾銃を発射、1月には朝日東京本社で散弾銃の跡が見つかった。翌88年には、静岡支局爆破未遂、さらに竹下登元首相と中曽根康弘元首相への脅迫状送付、リクルートの江副会長宅襲撃などの事件を重ねた。

 そのたび「赤報隊」を名乗る者から「日本を否定するものは許さない」、「反日分子は極刑とする」などの犯行声明が送られた。最後は90年5月の愛知韓国人会館放火事件である。
 犯行の背景として、朝日新聞社の戦後の報道姿勢がある。旧日本軍の中国大陸における残虐ぶりをねつ造、針小棒大に煽って中国を反日国家へと誘導した。さらに中曽根総理の靖国参拝を外交問題化させ、以後日本首相の靖国参拝を断絶させてしまったのである。このあたりから慰安婦問題の虚報もはじまっている。この偏向ぶりに、心ある国民は声を上げられないまま、鬱積した思いを抱いていた。

 ドラマでは、殺害された記者の幼い子供や奥さんが登場。元自衛隊員の犯行を匂わせたり、怪しげな右翼の大物・小物を悪役にしている。草なぎ剛扮する記者を通して、(青臭い正義感ながら)暴力テロを徹底糾弾するなど。予備知識なしにこのドラマを見た人は、つい「被害者」である朝日記者と朝日新聞に同情したくなる(この誤った正義感もその後、朝日新聞社の歪んだ体質を固めてしまった一因ではないか)。

 またドラマでは、草なぎ剛扮する記者の口から、現代における在特会などのヘイトスピーチや、ネトウヨの跋扈するネット空間拡大にも、警鐘を鳴らしていた。ドラマは、本音ではこのことを伝えたかったのであろう。

          焼き場 H30.1.30

 しかし、最後の「忠告」はまったく余計である。
 もちろん現代社会では、テロや暴力はご法度である。朝日記者が言うように、言論に対しては、暴力テロでなく言論で返すべきである。だからこそ、ヘイトスピーチやネット空間を排除してはいけないのである。それこそ、再び「赤報隊」が出現する。

 もともと朝日新聞は、一旦記事にすれば毎日数百万人が閲覧し、社会に大きな影響を与えることができる。特権階級であった。それに対し、当時の右翼はせいぜい拡声器で演説したり、チラシを撒くくらいしかできなかった。

 それが現代は、誰もがネット発信すれば、場合によって大新聞に匹敵するくらいの影響力を持つことができる。右翼でも、発信できる場さえ持てれば、わざわざ暴力を使う必要はない。既存のマスコミが、ネットでの言論を除け者扱いするのは、あまりにも身勝手すぎる。
 つまりヘイトスピーチやネトウヨの活動を、危険な風潮だと言って抑制すれば、当時のような暴力テロが発生することは避けられなくなってしまう。

 もちろん暴力的な言論はよくないし、それはヘイトも朝日も同じである。限度をわきまえて、お互い自重すべきである。 
 いまは、政府がヘイトスピーチを規制することと、メディアを抑制することで、バランスを保とうとしている。暴力がいけないのなら、その絶妙なバランスを取り続けるしかない。

ボーリング限界

 今朝、地域体育協会主催のボーリング大会に参加した。
 ここ20年以上、毎回参加しており、200点を目標にしている(もちろん2ゲームで)。今日は10点もオーバーした。1ゲーム目は115点。2回目になるとスタミナを使い果たし、まともに投げられない。

      ストライク H30.1.27

 他人のストライクやスペアに拍手するのはいいとして、自分が拍手をもらう機会がない。上達しないので、あまり面白くはない。周囲を見渡しても、同年代がいない。参加者の顔ぶれが変わっていく。同年代は、ほとんどが上級者だから話が合わない。
 こうやって文句言いながら、いつまで参加できるのであろうか。

ICANと日本のマスコミ

 報道機関は、つぎつぎと人々の誤った認識にお墨付きを与えている

 先日来訪したノーベル平和賞受賞のICAN事務局長が、安倍総理に面会を拒絶されたと騒いで帰って行った。総理の外国訪問に合わせて来日し、無理難題を言ってごねるなど、まるでヤクザの嫌がらせである。ノーベル賞といっても、平和賞と文学賞ほど怪しげなものはない。とくに平和賞は、過去に受賞した人をみれば、どれほど胡散臭いかわかる。
 したがって、ICANの尻馬に乗って政府を非難する日本のマスコミも、いかがわしさでは負けていない。

 そのICANを支持する報道機関は、現政権の進めているほとんどの政策にも反対している。とくに、皇室、平和憲法や安保法制、米軍基地、インフラ整備、原発や高速増殖炉などについての立ち位置は明確である。  
 逆にその報道機関にこれらの記事が掲載されたときは、その見出しだけで内容はわかる。論拠はほぼ出尽くしており、8割は紋切型である。


 例えば沖縄米軍基地の反対理由は、ほぼ以下のとおりである。
 ①日本の米軍基地の70%が沖縄にある、②米軍人の犯罪、事故、騒音、強姦が多い、③基地があるから狙われる、④大東亜戦争の捨て石にされた、⑤不十分な沖縄振興予算、⑥沖縄の犠牲で安全保障が成り立っている。
 沖縄で何かあると、これらの定型論に多少色を付けて記事に仕立て上げる。そのマニュアルを各報道機関が共有している。

 また、反原発者の論拠は、
 ①廃棄物の捨て場が無い、②事故が起これば周辺は住めなくなる。③日本では災害で原発が破戒される、④テロやロケット攻撃に遭う、⑤原発近隣で白血病患者が多発している。
 いずれも、放射能に対する言われなき恐怖が根底にある。

 これらの決まりきった理論には、明確な反論ができる。このブログでもさんざん行ってきた。

              越前3の峰のお花畑 正面が別山、左奥に石川3の峰 H29.7.15

 しかし、世論を動かすのは理屈ではない。感情、ムードである。正しい論理がそのまま通らないのが世の中である。
 ファスト&スローで指摘したように、人々は目に付きやすい印象・思考に流されやすく、それを修正するのは容易ではない。とくに、最初に出会った論説や強烈な事象はいつまでも残る。その誤った論理を補強するための情報には事欠かない。とくにいかがわしい報道機関は、つぎつぎと人々の誤った認識にお墨付きを与えている。

 たとえば福島第一原発の過酷事故の恐怖が、いまだ国民の頭に染みついている。
 あのとき4つの原子炉がつぎつぎと爆発した。なにも情報がないまま、その映像を見せられた国民は、その恐ろしさに震え上がった。日本中が放射能汚染で住めなくなると脅す人もいた。
 そのバイアスから抜けきらないうち、つぎつぎ恐怖を煽るマスコミや原発本が発行された。正確な情報を入れる前に、重篤な「放射脳」に感染してしまったのである。ここまで来ると容易には回復しない。それに付け込む人も、つぎつぎ出てくる。

 問題なのは、この漠然としたいわれのない不安にイデオロギーが入り込んでいることである。米軍基地や原発を縮小・廃止することで、日本がいっそう弱体化していく。それを望んでいる国はどこか。日本以外のすべての国である。
 われわれは、そのような泥沼に入り込んでは絶対にいけない。

安倍総理の平昌訪問

 平昌へ行くのはあくまで文大統領を威嚇するため。優先順位を間違えてはいけない

 安倍総理が、2月9日からの平昌冬季五輪開会式に出席するという報を受け、ネトウヨを中心に反対運動が強まっている。若手自民党議員のほとんども反対しているという。総理官邸にも、多数の反対メールが寄せられているそうだ。国民の8割が反対している。

 反対の理由は、「日韓合意が不履行の状態で訪韓すれば、それを認めることになる」、「5輪に政治を持ち込んでいる韓国に、総理が行くべきでない」、「日本はなんでも許してくれるという、間違ったメッセージを送る」、「韓国や北朝鮮が五輪を政治利用するのを、わが国が加担しているとみられる」、などである。

 現に韓国では、鄭鉉栢女性家族相が、慰安婦日韓合意に基づき設立された韓国の「和解・癒やし財団」を年内に解散させたいと述べている。国際社会でも、対日圧力を強める考えを示した。元慰安婦を追悼するための「慰安婦歴史館」を発足させる計画も明らかにしている。まともな日本人なら、こんな韓国とは金輪際付き合いたくない。

           にらみ H28.12.5

 しかしこの際、安倍首相は韓国を訪問すべきである。乗り込んで文大統領に引導を渡す。だから、5輪開会式前の首脳会談が大前提である。会談では、慰安婦合意の徹底履行と同時に北朝鮮への圧力を約束させる。さらに、世界中に設置された慰安婦像の破壊通告をする。韓国へ行くなら、それくらいしないと意味がない。こんなことができるのは安倍総理だけである。

 かって韓国の朴大統領と中国の周主席が、日本との対話を拒否していた。そのとき安倍総理は、「問題があるから対話をする。対話の窓口はいつでも開けておく」と言っていた。その言葉に矛盾があってはならない。平昌へ行くのは、あくまでも文大統領に圧力をかけるためである。オリンピック開会式の参加は、そのついでにしか過ぎない。絶対に優先順位を間違えてはいけない。


 総理の身の安全を心配する人がいる。もし伊藤博文のように暗殺されたら、英雄になり100年は語り継がれる。もっとも伊藤博文と異なり、安倍総理はあまりにも清廉すぎる。加計疑惑で1兆円ぐらい動かしていたら、もっと大物になれたであろうに。

電脳死 「続続失敗百選」より③

 原発など重要機器は、電気に頼らない「本質安全」を追求することが重要である

 中尾氏は、福島第一原発事故拡大の大きな技術的要因は「電脳死」だという。
 あの地震と大津波では、司令室の電源が切れ、計器盤が見えなくなった。天井の板が落下し、制御室が大混乱したという話もある。中央操作室からセンサも読めず、装置の動作部、バルブが操作できない。

 もちろんすべての電源も入らない。そのため何をするにも、現場へ行って手動で操作する必要があった。自動車のバッテリを使って、少しづつ電力供給し測定を始めたが、すべての正確なデータを把握するまでには至らない。さらに、バルブなどの動作部は、手動操作するような設計になっていなかった。バッテリや電源車、圧縮空気などを工夫しながら、操作するしかない。
 その結果、圧力容器の減圧、消防車による注水、ベントの開放などすべてが遅れ、メルトダウンにまで至ってしまったのである。

            はげわらしべ
 では今後、原発事故再発防止のために、どうすればいいのか。
 ひとつは、確実な非常用電源と接続盤を確保しておくことである。3.11以上の津波やミサイル攻撃、火砕流などでも破壊されないような、核シェルターを構築する。これはだれでも考えることで、すでにいま再稼働する原発では行われている。
 もちろん直接の電源だけでなく、センサや頭脳にあたる部分の電源と機能の確保も重要である。

 そして原発では、電気に頼らない「本質安全」を追求することが必要になる。
 中尾氏は、つぎの4つを提案している

①手を使ってバルブを容易に開けるようにする
 原発だけでなく、最新の家電製品は本体に操作スイッチがなく、リモコンが壊れると操作不能になる。これは危うい。

②高台から電源を引っ張ってくる
 電源の場所を代えることで、消極的な安全はプラスされる

③高所の池から重力で水を落とす
 その配管路は手動操作可能でなければならない

④原子炉を海上に浮かべる
 原子力潜水艦や原子力空母は、攻撃され沈没しても放射能が広がることはない。したがって、原発は海に浮かべたほうが一番安全である。海上での風力発電に比べたら、はるかに環境にやさしい。

            わらしべ
 さらに電脳死の恐怖は、原発に限らない。
 北朝鮮は、核による電磁パルス攻撃を仄めかしている。強力な電場と磁場は、システムに有害な大電流と大電圧の渦巻きを引き起こし、回路網を破壊する。この攻撃を受けると、日本中のすべての電脳が破戒される。1年以上復旧できないとされ、電気が無くなった日本は、天明の飢饉を超える阿鼻叫喚の世界になる。日本人同士が友喰いを始める。

 電磁パルスまで行かなくても、サイバー攻撃も深刻である。
 政府は、サイバー攻撃に関する情報を共有し対策を考える官民の協議体を新たに創設する方針を固めた。東京五輪・パラリンピックを控え、北朝鮮によるサイバー攻撃のリスクが高まる中、インターネットの安全を保つ「サイバーセキュリティー」能力の強化が急務だと判断した。


 事故が起こったから原発を廃止してしまえ、というのは、最も愚かな選択である。やみくもにリスクを恐れ、人類の未来を考えようとしないものは、人間ではない。ダチョウかサルである。

     「続続失敗百選」④に続く

リスク不感症 「続続失敗百選」より②

 これまで大した事故が起こらなかったのだから今度も大丈夫と言う感覚

 多くの失敗要因のなかで、中尾氏が最も重視していたのが「リスク不感症」である。これまで大した事故が起こらなかったのだから今度も大丈夫、と言う感覚である。これは、誰の心にもある。
 折しも昨日突然、本白根山で噴火が起こり、スキー客がいるところに無数の噴石が降り注いだ(ヘリコプターの窓枠や不時着などで騒ぐのがバカバカしい)。隣の白根山とは異なり、しばらく活動していなかったので、まったく無警戒だったという。
 このような、想定外の事例はいくらでもある。

①福島原発事故
 2001年にアメリカは、同時多発テロに遭ったことで、原発に対する飛行機自爆、電源喪失などの対策(B.5.b)が検討・実施されていた。日本の保安院にも説明されたという。日本でも、2000年ごろから貞観地震の調査が行われ、1000年に1度の巨大津波対策が検討されていた。
 それでも日本では、2011年まで安全に原発運転がなされていたので、これらの減災対策を実施に移すことができなかった。これに文書主義などの組織疲労が重なり、リスクに対する不感症が加速されていった。これが、福島原発の過酷事故につながっていく。

②津波による被災
 東日本大震災のとき、大槌町では地震の40分後に津波が襲来し、住民の1割が逃げ遅れて被災した。とくに60才以上の高齢者の割合が多かった。足が遅くて逃げられなかった人はわずかである。なぜ高齢者が多かったのか。
 多くの高齢者は、昭和の三陸津波やチリ地震津波を経験し、生き延びていた。今回の津波の規模は、それを大きく上回った。高齢者は、かっての津波到達地点の「成功体験」によって、「今度も大丈夫」という気持ちが、リスク不感症につながったのではないか。

③津波予報
 東北大震災のとき、気象庁が3分後に発令した津波警報は、過小評価のM7.9をもとにしたものだった。この津波警報では、3M高さの予想だったため、これなら家の2階に上がれば大丈夫と考えた人がたくさんいたはずである。
 じつは沖合の水圧計には、大津波の兆候が示されていた。だがこれらは故障が多く、気象庁では、まさかこんな大津波とは考えなかったという。その結果このデータは無視され、大規模な津波警報を出すタイミングが遅れてしまったという。

④笹子トンネル天井落下
 トンネル内の天井版は、トンネル外壁にボルトで固定している。コンクリートに穴をあけ、埋め込みボルトを接着剤と一緒に固定するものである。笹子トンネルでは、施工35年後に接着剤が劣化し、ボルトが抜け天板が落下。通行中の自動車が潰され、9名が死亡した。
 じつはこの事故の6年前、ボストンで、同じようなボルト抜け・天板落下による死亡事故が起きていたという。ボストンでは速乾性の樹脂を使っており、定期点検も不充分であったらしい。笹子では速乾性を使っておらず、点検者のモラルも高いということで、ボストン事故を無視してしまった。対策を怠ったため、ボストン以上の惨事につながったのである。

               白根山系

 普通われわれには、いろんなバイアスがかかっており、それがリスク認知を歪め、「想定外」が発生する。おもに、以下のようなバイアスによるものである(日本技術士会・青本による)。
 リスクを管理するものは、これらのバイアスがあることを認識しておかねばならない。

1)正常性バイアス
 異常性がある程度の範囲の場合、こんなものは普通であると考えてしまう傾向のこと。リスク情報の異常性を減じ、日常性の中に埋め込んでしまおうとするもの。

2)楽観主義バイアス
 何か起こった時、破壊に至るような見方よりも日常からの軽い逸脱として、楽観的に解釈しようとする傾向。心理的ストレスを軽減しようとする働き。

3)ベテランバイアス
 過去のリスク対処で得られたリスクに対する耐性が災いし、それ以上の新たなリスクに対する判断を遅らせる可能性のこと。(まさに②が当てはまる)

4)バージンバイアス
 経験したことのないリスクに対し、リスクを過大に、あるいは過少に評価してしまい、正確なリスク認知を得られない可能性のこと。

5)カストロフィーバイアス
 極めてまれにしか起きない被害規模の巨大なリスクに対して、リスクを過大に見てしまうこと。また身近で起こった出来事が、同じように起こるのではないかと思ってしまうこと。

              白根山

 失敗の責任⑤で延べるように、世の中にゼロリスクはあり得ない。また、わずかなリスクでもそれ以上にリスク軽減をしようとすれば、膨大なコストと転嫁リスクが発生する。放射脳患者のように、精神に異常をきたす人も多くなる。
 ほんとのゼロリスクを求めるなら、この世に生を受けないことしかない。
 幸せに生きようとしたら、良寛のように達観することである。

  「続続失敗百選」③に続く

「まさか」の失敗 「続続失敗百選」より①

 「まさか」の失敗も簡単な対策で防げるため、ナレッジマネジメントは重要である

 久しぶり、300ページクラスの本を読んだ。中尾政之氏の「続続失敗百選」である。この本では、これまでの「失敗百選」、「続失敗百選」とは異なった観点からの失敗を取り上げている。
 つまりこれまでの失敗本で取り上げていたのは、おもにヒューマンエラー(人のちょっとしたミスで起こる事故)であった。一方この著書では、非常に確率が低くても、一旦起きたら大きな事故に結びつく事案について考察している。著者の言葉を借りれば、「ついうっかり」の失敗から、「まさか」の失敗である。

 現代は年功型企業文化の喪失やネットの普及から、内部告発が当たり前となり、不祥事はあっという間に拡散する。いまや失敗は隠すことができない。事案やその証拠は、いくらでも検索できるし、解決策も豊富である。
 また、昔のように欧米に追随できなくなり、失敗も学ぶことができなくなったことも挙げられる。

 そのため、軽めの失敗は当たり前になるとともに退治され、「まさか」の失敗の存在感が相対的に増してきた。とくに、3.11以後その傾向は強くなってきた。

         東尋坊の断崖 H27.10.31
 
 この「まさか」の失敗の発生確率は、非常に低いがゼロではない。大津波や原発事故のように、一旦起こると破滅的な結果をもたらす。その「まさか」の失敗といえども、簡単な対策があれば、被害を最小にしたり防げることがほとんどである。したがって、「ついうっかり」と同じように「まさか」の失敗のナレッジマネジメントはきわめて重要である。

この本では、福島第一原発事故をはじめ、韓国セウォル号沈没、STAP細胞ねつ造、はては日本の裁判において検察立件有罪率99.9%など、興味深い具体例を豊富に盛り込んでいる。

 今週は、その「続続失敗百選」の内容をいくつか挙げてみよう。

   「続続失敗百選」②に続く

訃報に寄せて

 西部邁氏の死は残念だが悲しくない。蓮ちゃんの死は悲しみしか起こらない

 評論家の西部邁氏が、多摩川に入り死去した。78才で、自殺だと見られている。警視庁と消防が救出したが、約2時間後に搬送先の病院で死亡が確認されたという。
 西部氏は保守の論客とされ、ときおりテレビで話す内容はまさに正論で、いつも感心して聞いていた。日本が取るべき道は、アメリカを離れ、強力な軍備を有する完全な独立国家として生きていくことである。

 しかし、いまの日本の政治状況をみれば、実現はほど遠い。憲法9条に自衛隊を明記するなどというチンケな改正さえ、ぐずぐずと決まらない。西部氏の言うように、日本が最強の核武装と軍隊をもった覇権国家になるのは、あと何十年かかるかわからない。とてもそれまで待つことはできなかったのであろう。

 78才と言えば、日本男性の平均寿命に近い。西部氏はすでに、言いたいことをすべて発信し、それなりに信奉者もつくった。もう新しい発想はしなくていい。
 あとは生きている人が、彼の信念に沿って実行するだけである。

               荒島岳頂上 合掌 H29.6.05

 同じく、川で流され亡くなった人がいる。
 越前市の田中蓮ちゃんである。昨年12月に行方不明になり、大掛かりな捜索にもかかわらず見つからなかった。それが先日、40キロ離れた九頭竜川の河川敷で、遺体となって見つかったのである。日本中心配していたことが、ほんとになってしまった。見ず知らずの私でさえ、身につまされ涙腺が緩む。

 西部氏は78才で、蓮ちゃんはまだ3才である。西部氏の場合、残念ではあるがそれほど悲しくはない。蓮ちゃんの死には、悲しみしか起こらない。子どもは絶対、死んだらいけないのである。

出版物と読書

 コンサルサービスと同じで、無料では読むほうも気合が入らない

 出版物の販売高が、ピークの半分近くにまで下がっているという。ネット・スマホの普及で、速報性を売りにした週刊誌は厳しくなり、漫画もネットで読むほうが手軽である。文春のごとく、スキャンダルで好調な雑誌は例外で、書籍全体の発行部数は長期低落している。もちろん新聞の発行部数も同じである。
 いまや国民の大半はスマホとにらめっこで、新聞や週刊誌どころか、文庫本すら読んでいる人は、めったにいない。

 私自身、ほとんど本を買わなくなって久しい。狭い部屋が本で一杯になっているからである。けち臭い性分なので、雑誌すら捨てることができない。埃がこびりつき、無残に変色した古本が並んでいる。30年も前の社会・経済誌など、役に立つかどうかわからない。こうやって年寄りの家がゴミ屋敷になる。
        似非学者
 そこで20年ほど前から、図書館で借りることにしている。月刊誌なら、1~2か月遅れでも読める。溜まらないから場所に困らない。読んで面白くなかったら、そのまま返却すればいい。

 何よりいいのは、借りた本は返さないといけないので、少なくともページをめくる(借金したほうが事業に身が入るのと同じである)。買った本では、いつでも読めると思うから、並べるだけで安心してしまう。読んでないから捨てられないという悪循環に陥る。本屋と出版社の苦境に追い打ちをかけていた。

 30年以上この回転を続けている。毎年ざっと300冊。30年で1万冊。話半分でも5000冊は、図書館を利用している。だが気合を入れて読むのは1割もない。支援機関のコンサルサービスと同じで、無料では本気になれない。自宅にゴミが増えないだけいいか。

親の年収と学校の成績

 年収の高い親は知能程度が高く、それが遺伝しただけである

 親の年収が高いほど、子どもの学校成績が良いという調査結果が文科省から出されている。調査対象すべての科目で、該当するそうだ。

 専門家によると、年収の高い家の子供のほうが学習環境が整っているからだという。塾などの直接の教育投資以外にも、親が本を読むよう勧めていたり、朝食をきちんと取るなどの生活態度がいいからである。もちろんそれらの影響を否定はできない。

            茹で鼠

 しかし、親の年収と子供の成績との関連性は、もっと直接的であろう。年収の高さと知能程度はだいたい比例する。親と子供の知能程度は、遺伝によって引き継がれる。そして、学校の成績は知能程度にほぼ比例する。つまり、知能程度と年収そして成績が比例しているという、ごく当たり前の事実である。
 親の知能程度と年収の相関関係を調べることで、このことが明確になるはずである。この因果関係を外して、いくらピントはずれの対策を打ったとしても効果は薄い。

 だとしたら、いくら生活習慣を変えても、格差解消にはならない。それに実社会では、知能程度の低い貧乏人ほど子だくさんである。学力の低い子供がどんどん増える。

 では知能の低い子供をなくすにはどうするか。
 知能の高い人と低い人をかけあわせて、平均の子供をつくる。優性政策の逆張り、官制結婚である。あくまで平等を目指すならそうするしかない。

 もしこんなことができたとしても、こんどはエリートがいなくなる。日本の技術力や外交力は停滞する。格差を解消するのがいいか、日本にエリートがいなくなり、世界の落ちこぼれになるか。
 現実はほどほどのところで、ジタバタするしかないのである。

スマホと人の多機能性

 多機能と単機能では、どちらがいいか

 スマホがここまで普及したのは、なんといってもその多機能性にある。通信機能を拡張し、カメラ、ネット検索の充実、ゲーム、音声や画像の配信、時計、懐中電灯、音声発信、ワープロ、計算機など、あらゆる機能を盛り込んできた。機能を連動するなど、それぞれの価値をどんどん高めている。

 多機能機械が重宝されるのは、比較的安価に、一人1台保有できるからである。人は同時にいくつも機能を使うことはできない。一つのことをやっているとき、他の無数の機能は遊んでいる。つまりスマホは、非常に稼働率が悪い。その代わり、カメラ、携帯電話、ラジオ、マイクロTV、ゲーム機、ネット通信機など、たくさんの機械を持ち運ぶ必要がない。

 ITの進歩によって、これからもスマホの機能は無限に増えていく。形状はどんなものかわからない。自動車や車いす、あるいは帽子やメガネのようなものに、われわれが生きていくための、あらゆる機能が詰め込まれる。

                     円満仏
 一方で、人や国は専門の追求が求められている。
 人間の場合、レオナルドダヴィンチのような大天才ならともかく、普通の人はマルチになると、すべてが疎かになる。だから得意分野を作って、一つの分野の専門家になれと言われる。男子体操も、個人総合優勝者は、種目別の専門選手にはかなわない。野球でも、2刀流すら天才しかできない。人や国の間では、(自分の中で得意分野を活かすという)比較優位の原則は固く信じられている。

 しかし(佐伯啓思氏によると)比較優位の問題は、将来の可能性と現在の収益格差を無視していることにある。
 たとえばアインシュタインは、研究とタイピングが両方できる。そこで、アインシュタインが研究に専念し、有望な助手にタイプだけやらせておけばどうなるか。その助手がアインシュタインを超えることはない。グローバリズムの自由貿易では、同じ労力をかけていても、1億円入る仕事(金融、ITなど)と、100円しか入らない仕事(安価な資源採掘や農業など)の格差が止まらない。

 したがって平等な世界を目指すなら、人も国もできるだけ自己完結すべきである。
 そうなるとトップランナーがいなくなり、人類全体からみた進歩は鈍化する。どちらがいいかは、それこそ価値観の違いである。

 だから迷う。
 何でもできるマルチ人間と、ひとつのことしかできない人。
 何でもできる人間は、そのインプットに多大な時間を要している。人生は短い。たいてい何もできないうちに耄碌し、人生の終焉を迎える。中途半端な器用貧乏である。マルチになろうとしている私の末路とダブる。

自動運転車の実現

 飲酒運転が可能になれば、確実な地方創世によって日本経済は大復活する

 自動運転乗用車の技術開発が進んでいる。米国では、(事故を含めて)テスラ車が実績を積み重ねている。
 もちろん自動運転には、高額な装備がいる。だが技術的には、日本でも充分運行可能である。むしろ安全性は、普通のドライバーより高い。通行車両の多い交差点での右折など、人間はたいてい一か八かの決断で動く。自動運転では、ソフトの改良を積みかさねていけば、安全性は飛躍的に高まる。そもそも人の生命にかかわる安全を、人間の感性だけに頼ることがおかしい。

 したがって、そろそろ日本の道路でも、自動運転車が走っていてもおかしくない。はじめ高額でも、普及すれば格安になるし、メリットは有り余るほどある。

           水牛車で浅瀬を渡る H26.6.19撮影

 日本ではまだ、自動運転車が路上を走っているという話を聞かない。
 日本では、事故が起こったときの責任の所在が明確でないからである。だから規制当局も腰が引けている。
 それなら、事故の責任は車両メーカーに全面的にとらせればいい。もちろん保険でカバーする。メーカーは倫理面での責任を負うだけである。高齢者でも任意保険に入れるのだから、保険は充分可能なはず。もしかしたら、人間が運転するより掛け率は低いかもしれない。

 自動運転車のメリットは大きい。
 たとえば車の周りに、小さな子供がまとわりつくことがある。1000回に一度くらい、アクセルとブレーク、あるいは前進とバックを間違えて発進してしまう。ときどきニュースで聞く。想像したくないし、もしそんなことになったら生きていられない。

 このような事故が起こった場合、自動運転車のせいにした方が楽である。車両メーカーを恨めばいいからである。もちろんこのことは、すべての事故に当てはまる。おそらく交通事故は激減する。交通事故の大半はヒューマンエラーである

           飲酒運転撲滅 H27.7.18  技術士研修会資料より
 そして、自動運転車の普及を誰よりも待ち望んでいるのは、われわれ左党に他ならない。これまで我慢してきた(後ろめたかった)飲酒運転を、心置きなくできる。その結果、日本中のうつ病患者が激減し、自殺者が激減、出生率が向上する。夜の経済活動が倍増し、明るい日本の未来が開ける。とくに地方創世には、これ以上の方策はない。

 意味のないEV車なんかより、自動運転車の普及を目指したほうがいい。50万円高くても買う。

フグの肝臓

 人間は毒をうまく取り入れることで、75億もの個体を地球上に増やしてきた

 愛知県のスーパーが、フグの切り身をその内臓と一緒に販売していたというニュースがあった。購入した客から「フグの肝臓が入っている」と保健所に連絡があり、確認したところ、ヨリトフグの肝臓が含まれていたらしい。食品衛生法では全てのフグの肝臓は販売・提供が禁止されているという。

 当局では「商品を見つけたら絶対に食べず、返品して欲しい」と呼びかけている。
 スーパーの店主は「20年も前から売っていて、これまで問題なかった」と言っており、ネット上ではこの店主に対し、罪の意識がまったく無いとして批判が集まっていた。
 そのあと店主も思い直したらしく、「肝に銘じて、今後は販売しない」と、うまい反省の弁を述べている。

             九州下関フグ亀H25.5.29

 しかし、このスーパーで売っている「ヨリトフグ」の肝臓に含まれている毒素は、ほんのわずかである。厚労省が、フグの肝臓ならどんなものも販売禁止などと言うのはおかしい。理不尽な規制・ルールは修正すべきである。禁止されていないのなら、フェイクニュースである。

 そもそも、すべての食物は毒である。
 熟していない青梅の種中心部には青酸が含まれており、子どもが100個も食べれば死ぬかもしれない。同じく杏子やびわ、すももなど、その種にも青酸が含まれている。トマトの未熟な実にも、トマチンと言う毒素があり腹痛を起こす。ジャガイモの芽や緑に変色した皮には、ソラニンと言う毒素が含まれている。また銀杏を大量に摂取することで、おう吐、下痢、呼吸困難、けいれんなどを起こす。きのこの猛毒はよく知られている。

 つまりほとんどの植物は、動物に食べられることを想定しておらず、虫よけの成分として毒素を含んでいる。動物も同じで、肝臓に毒が溜まるのはフグだけではない。美女の猛毒は国を破滅させる。

 これらの天然の毒素に加え、土壌や大気、海洋に散乱しているあらゆる化学物質が、動植物に取り込まれている。まったく無害の食物などあり得ない。毒素の接種を少なくしようと思ったら、食べるのを減らすのが一番である。それにたいてい、美味しいものほど体に悪い。そしてすべての毒は薬であることを忘れてはならない

 人間はあらゆる毒をうまく取り入れることで、75億もの個体を地球上に増やしてきたのである。
 なんでも禁止するなら、人間の知恵が退化し、いまにサル並みになってしまう。

ブランド力を高める

 お金持ちを増やして買い物をさせることは合理的だが、貧乏人の祟りが怖い

 日本製品で、世界トップクラスのレクサスやフーガでも、ドイツのベンツやBMWの、半値程度で売られている。また、ワインの2倍手間がかかる日本酒が、ワインの半分以下の値段しかついていない。ひとえにブランド力がないからである。
 そのブランド力を高めるためには、日本人が日本のいい製品を高い値段で買わなければならないと書いた

 その足を引っ張っている制度がある。いわゆる地域おこしである。
 片山善博氏(元総務大臣)は、地域創生支援で発行されるプレミアム商品券や割引宿泊券が、人々のデフレマインドを助長させると言う。ふるさと納税による返納品も同じである。これらはいっときだけ消費を刺激するだけで、呼び水にはならない。しかもこれらは、お金持ちほど有利な仕組みである。

             金は天下の廻りもの H27.9.26
 ではどうすればいいのか。
 まず、官主導のこれらの安売りのしくみを全廃することである。少なくとも、金持ちに対しての恩恵は不要である。格安商品券制度は、健全な消費活動を損なっている。いいものをそれなりの価格で買おうとする意欲を阻害していることはまちがいない。

 つぎに、税制を変える。
 たとえば金融資産に対する相続税を重くする。先年改正された相続税は、金融資産に限ってさらに税率を上げたい。すると高齢者は、死ぬ前に焦って高い物を買う。その高齢者が死んだら、買い戻してもかまわない。すくなくともそのぶん、消費とGDPが増える。
 そもそも高齢者の保有している金融資産は、その個人のものであって、遺族のものではまったくない。

 じつは、これとまったく正反対のことを言う人もいる。
 故渡部昇一氏は、お金持ちに対する徴税を激減させ、日本にもっとお金持ちを増やすべきだと説いていた。お金持ちの旦那衆が、優れた目利きとなって、優秀な人材やブランドを育て上げる。伯楽になれる人は、あくせくしない余裕のある人でなければならない。

                   犬は寝て待つ
 まったく違うが、どちらも筋は通っている。
 相続税は重くしても軽くしても、どちらでもいい。ただ、中途半端はいけない。重くするなら100%近い重税、軽くするならゼロにする。いまの「兵力の逐次投入」のごとく、チマチマした税制ではものごとは解決しない。中途半端、やりすぎではなく、ほどほどの加減をとる。

 もっともわれわれ貧乏人は、お金持ちには妬みしか覚えない。なんだかんだ言っても、貧乏人を搾取した結果お金持ちになった。合理的であることと感情を両立させることは難しいのである。

憂鬱なPSA検査

 数か月ごと恐怖の生検宣告を受ける覚悟するほうが体に悪い

 今日はPSA検査日であった。前立腺がんの予備検査で、2010年4月から年に2~3回行っている。今回は14.3と、前回よりやや下がった(それでも充分高い)。次回の数値如何で、生体検査を受けると言われた。

 最初2010年4月の3.26から、翌年9月には6.53。この時には生体検査を受けた。肛門から太い案内棒と針を刺して検査用の臓器片を採取。あのときの痛さと恐怖、その後1カ月余りの不規則下血の不快感を思うと、いまだにうなされる。

 その生体検査でがん細胞は発見されなかったが、その後も「順調」にPSA値は上昇を続けている。2013年12月には9.1、昨年9月には18.3と、担当医から「がんを心配している」と言われるまでになった。
 今回、昨年と同じような数字が出たら、恐怖の生体検査の宣告を受けなければならなかった。
 
            薔薇族

 そもそもPSA検査と言っても、癌の検査をするかどうか判断するための検査である。その生体検査の結果、治療が必要なら治療する。いまの前立腺がんの治療は、ほぼ切らなくて済むらしい。甲状腺がんと同じ、がんもどきも多い。患者にとっては、治療より生体検査のほうが苦痛のような気がする(しかもいまは治療しないのだから、症状はひどくなる一方である)。
 
 またPSA値は、前立腺癌の有無だけでなく、その他の条件によって、大きく変わるという。前回9月の測定では、前日登山の疲労が残っていたため、PSA値が上昇したのではないか(そんなの聞いたことないと担当医には言われたが)。また、自転車で病院に行くと、会陰部を刺激することでPSA値が上昇する。風邪などの病気、アルコールや薬品の摂取、下半身の活躍で変わるし、にんにくを食べると下がるという話もある。

 とにかくがんの宣告を受けるより、生体検査の宣告のほうが恐ろしい。PSA検査日には、痔の気のある肛門が(破裂の恐怖に)慄きうずく。数か月ごとに、そんな思いをするほうが体に悪いのではないか。やめたいのだが、始めるとやめられないのが一番苦痛である。

セクハラ・暴力への処分

 処罰をやりすぎると、溜まったマグマによる強烈な反動が来る

 13日に両国国技館で行われた土俵祭は、異例の立行司が不在で行われた。現役最高位の立行司・第40代式守伊之助が、セクハラ問題で謹慎中のためである。今朝の新聞報道によると、式守伊之助氏は3場所出場停止後、辞職することになった。
 また日本水泳連盟は、小関選手の「暴行事件」を受け、2月にグアムで実施する予定だった競泳の代表合宿を中止したという。

 なぜこんなことになったのか。
 相撲協会によると、伊之助は、沖縄県巡業の12月16日の夜、宿泊先のホテルで食事中に泥酔し、部屋に送って行った若手行司に数回キスし、胸を触ったらしい。また小関選手は、昨年末の日本代表合宿中に、同じ飯炊き当番だった後輩が(サッカーに興じ)遅れてきたことに対し、数発殴ったという。

             太っ腹
 いずれも、大げさな反応と対処のやり過ぎではないかと思う。どうも最近、世間はほどほどとか寛容の気持ちを忘れている。ことの善悪を、一かゼロかの殺伐とした基準で下そうとする。わずかばかりのふざけや隙も見逃さない。有名人に対し完璧な人間性を期待しすぎている。冗談も通じない。流行りのポリティカル・コレクトネスが悪用され、世の中がどんどん窮屈になっている。
 これでは今に、強烈な反動が来る。不満のマグマが溜まりに溜まる。暴力の全面肯定はできないが、どんなものも完璧ということはあり得ない。

 と思っていたら、同じことを影響力のある人たちが言い出した。世の中はうまくなっている。
 カトリーヌ・ドヌューブさんらフランス女優たちである。彼女たち100人は、世界中に広がっているセクハラの追及について、「行き過ぎだ」と批判し、少しの踏み込んだ行動で男性が職をなくしたり罰せられることは行き過ぎと発信している。
 なにごとも「ものはほどほど」、中庸なのである。

大雪

 これほどの大雪でも、センター試験で遅刻した人はほとんどいない

 久しぶりの大雪である。屋根や車はすっぽり雪をかぶった。12時の時点で、福井市の積雪は69㎝になった。富山市(49㎝)や金沢市(51㎝)より20㎝も多い。気温が低いので、道路はアイスバーンである。明日までに、まだ数十㎝積もるのかと思うとぞっとする。

 見上げると、いまにも軒先が崩れそうである。我が家で築50年以上経つ部屋の天井が、ミシミシきしみ始めた。か細い支柱で支えているカーポートもたわんでいる。いま地震が来たら、ひとたまりもない。風前の灯である。

久しぶりの大雪 H30.1.13 除雪済み H30.1.13 車両前除雪 H30.1.13

 道路に面したところは、車の出口を確保するのに一汗掻いた。これでもし、除雪車が通ったら、せっかくの除雪が水の泡になる。除雪車で押し分けて固まった小山のような雪を、人力で持ち上げるほうがはるかに重労働である。
 
 ちょうどセンター試験の日である。JRやえち鉄も欠便が続出している。それなのに、市内のある試験会場では、こんな大雪でも遅刻者は2~3人しかいなかったという。その気になれば何でもできる。大したものである。
 それに、かっての38豪雪(213㎝)や56豪雪(117㎝)に比べれば、まだ極楽のようである。今回も山形県の肘折では268㎝もあるという。また、スクワット200回するより、雪かきを5分もすれば体中があったまる。家の周りの雪かきだけで、1日暖房はいらない。

5年目のアベノミクス

 インフレとデフレのどちらがいいかは、日本が主体的に生きるかどうかの問題

 アベノミクスが正味5年を経過した。景気は「いざなぎ景気」を超えて戦後2番目の長さで、日経平均株価は2倍を超えた。人手不足で、新卒の就職率は完璧である。

 だが依然として賃金や物価が上昇せず、2%のインフレ目標は遠い。成長率が低迷し、日銀も政権も、何とか物価を上げようともがいている。好景気でもデフレ、というおかしな現象が発生している。
 不思議なのは、介護分野や建設・製造分野では、人手不足で需要に供給が追い付いていない。理屈では、需要に対し供給が少ないと、賃金が上昇しインフレになるのではなかったのか。なぜ、供給力が少ないのにデフレを脱却できないのか。

              不用品のたたき売り H28..10.23

 一つは、人手不足業種の生産性が伸びていないからである。というより、求人が殺到しているのは、(医者を除いて)高賃金でなく、付加価値の低い業種である。通常の介護や保育、建設労働者、飲食業のサービス従事者などだ。当然ながら、生産性の高い(ブランド価値の高い)業種の人手は足りている。あるいはそのような職業は、一人前になるのに時間がかかる。

 つぎに、人手不足の対象となる若年層は、圧倒的に数が少ない。その反面、賃上げとは無縁の年金生活者がどんどん増えている。彼らは所得が少ないので、需要を増やそうとしない。いくつになっても、「老後」のための備えに励む。

 ではどうすればいいのか。
 生産性をあげるのがまっとうな道である。だがそのためには、知恵と努力、度胸がいる。
 われわれ凡人が、すぐできることはないか。
 働いていない高齢者が、人手不足で生産性の低い業種に参入することである。働いて収入が増えれば、年寄りも多少は所得が増える。所得が増えれば、死ぬ前に買い物をする。相対的に若者の所得が増える。苦し紛れの策でも、実現すれば効果抜群である。

               金の成る木

 ここで、「なぜデフレはいけないのか、経済成長が必要なのか」という人がいる。
 デフレは物価が下がるから、同じ金額でたくさんのモノやサービスを買うことができる。人々の暮らしは良くなると考えるのが自然である。人によっては、インフレよりいいかもしれない。

 ただデフレの恐怖はそのメリットを超える。
 デフレの問題点は、働いてモノやサービスをつくる人の価値が減っていくことである。つまり、金持ちがますます金持ちになり、働く人が苦しくなる。まともな労働ができなくなってしまう。

 こうなると近隣諸国、とくに中国に圧倒的に差を付けられる。いまでさえ軍事力で10倍もの開きがあり、拡大に歯止めがなくなる。飲み込まれるのは時間の問題である。日本がチベットやウィグルになる。
 そうなっていいなら、デフレでも構わない。

 日本と子孫の繁栄を望むなら、年金じじい(ばばあも)が低賃金の職種を独占し、必死に働くことである。最低賃金は、高齢者には適用しなくてかまわない。忙しくなればおかしな妄想をしなくなり、老害も少しは減る。

老害退相の原発ゼロ

 国民の無知とバイアス・不安に付け込み、勝手な思いを実現させようとする老害の極みである

 昨日、小泉・細川元総理は、稼働している原発を直ちに停止し、2050年までに全ての電力を自然エネルギーでまかなうことなどを盛り込んだ法案を、記者会見で発表した。
 小泉氏はこの会見で、「安倍政権では原発ゼロを進めるのは難しい。原発ゼロは国民多数の賛同を得て実現する。」、「原発ゼロの国民のエネルギーは高まっている。必ず日本の政治を変えていく」と述べた。

               すっかりうば桜
 老害を振りまくのは、もういい加減にしてほしい。
 福島第一原発事故の恐怖が、いまだ国民の頭に染みついている。その国民の無知とバイアス、それに伴う不安に付け込んで、自分勝手思いを実現させようとするものである。とても納得できるものではない。

 そもそも、原発の何が悪いのか。原発で、どんな悪いことが起こるのか。原発の不安を煽るなかで、その危険性を論理的に説明できた人はいない。得体のしれない恐怖と、原因不明の「被害者」をクローズアップし、人々の感情に訴えているだけである。
 きちんとした議論をしないで、漠然とした不安とポピュリズムだけで、無責任な行動を取ることは断じて許されない。だからこの法案に賛同するのは、無責任政党だけである。

 勢いだけで現実を捻じ曲げようとするのは、郵政民営化のときとそっくりである。あのときもわれわれ国民は、民営化の何たるかわからず、ヒトラー演説並みの小泉総理の煽動に乗せられてしまった。もう後悔はしたくない(あのときは米国金融利権、今度は石油利権絡みだという噂もある)。
 
             三途の川

 原発ゼロは郵政民営化よりはるかに罪深い。人間の可能性と人類の未来を縛る、世紀の愚挙である。少なくとも小泉氏が現役で、責任感と考える力が残っていれば、こんなバカな提案はしなかった。
 あのルーピーも現役総理時代には「学べば学ぶほど、辺野古移転しか選択肢がないことが分かった」と言いつつ、首相を辞めたあとは一転、移転反対に豹変した。責任の重圧から解放され、一部勢力と大衆人気におもねるためであろう。引退後にサル並みに思考能力が衰えるのは、まったく同じである。

 これこそ、自分勝手で世間の迷惑のことなど考えない、老害の極みである。自分ではいいことだと思っているから、なお始末が悪い。少なくとも高齢運転で死傷者を出した人は、自らが起こしたことを後悔している。
 もし小泉氏の提案が実現しそうになれば、体を張ってでも阻止しなければならない。じじいの決死隊の出番である(じじい同士の決戦は醜い)。

地域マスコミの偏向

 私がこのような記事を書かなくなったら、あちらに飛んでいる証拠

 福井新聞の左傾化にはうんざりする。
 今朝の朝刊社説は、「沖縄米軍ヘリ不時着」であった。とにかく現政府のやることに反対するだけ。見出しさえ見れば、本文は見なくてもわかる。無責任を通り越し、理屈もなにもあったものではない。いつから、こんなおかしな新聞になってしまったのか(もっとも福井は、日刊福井のほうがひどいが)。

 以下は私の妄想である(8割は当たる)。

 一つは主たる論説委員が、中国や北朝鮮のハニートラップで、籠絡されてしまったからである。あわら市長は、性格上たまたま表沙汰になっただけ。毒牙にかかっている者は山ほどいる。まず男性政治家が嵌められ(福井の自民党国会議員)、つぎに影響力のあるマスコミに食指が及ぶ。地方紙の論説委員は、格好の標的である。

 そして、パチンコマネーである。
 宅配の福井新聞には、別冊でパチンコ特大広告がある。おそらく年間数億円規模である。地方紙の大きな収入源である。この広告が途絶えたら、社員のボーナスが激減する。広告主には頭が上がらない。
 もちろん広告主と北朝鮮はズブズブである。

 
 県内新聞だけではない。
 地方紙のほとんどは汚染されている。全国紙では朝日、毎日をはじめ、マスコミ全体の問題である。フェイク論説を垂れ流し、無垢な人々を洗脳している。
 こうやって北朝鮮(背後には中国がいる)は、日本での「世論戦」を制しつつある。憲法改正を阻止して軍事力を弱め、国の骨格であるインフラ拡充を抑える。原発を廃止してエネルギー小国にし、日本を弱体化させることに成功している。

           玉入れ H29.5.21

 それでなくても、パチンコの害毒は日本中に蔓延している。
 パチンコ業界も、いまだ20兆円規模の一大産業を形成している。
 日本中にギャンブル依存患者をつくり、借金、自己破産から、家庭崩壊、一家離散、自殺へと追い込んでいる。強盗や万引きといった犯罪の引き金にもなる。炎天下の車両での、悲惨な幼児放置も、後を絶たない。人心は荒廃し、凶悪犯罪が激増する。
 パチンコ汚染は、アヘンより性質が悪い

 そのパチンコ業界の片棒を担いだあげく、言論をもって国民を洗脳し、日本をおかしな方向に導こうとしている。このようなメディアの存在意義はあるのか。


 本ブログでは、このことを何回も取り上げている。
 しつこくここまで書くのは、私のところにハニートラップの気配がなく、健全な生活を送っている証拠である。したがって、私がこのようなことを書かなくなったらおしまいである。そのときは妖艶な毒牙にかかり、あちらの世界に迷い込んでいる(大勢を左に引きずり込むとは、よほど甘美な世界なのであろうか 涎)。

三橋貴明氏の逮捕

 これで大人しくなったら、彼はそこまでの人物だったのである

 評論家の三橋貴明氏が、妻に対する傷害の疑いで警視庁に逮捕された。自宅で妻を転倒させ、腕にかみついたり、顔を平手で殴り1週間のけがを負わせたという。妻が110番通報して発覚した。有名人だから、この程度で逮捕、報道されたのであろう。平手で殴ったり噛みつくくらいなら、誰でも経験する(私もやられた)。
 
 三橋氏は、中小企業診断士の立場からユニークで的確な経済評論を行ってきた。大方は納得できる。彼の理論の正当性を普及させたい人は、この事件を財務省の仕組んだハニートラップと騒ぐ。氏は、近年あまり人の意見に耳を傾けず、攻撃的な傾向が強くなった。それで敵も増えた。権力者なら、人を貶める方法はいくらでもある。ついこの前も、スパコン開発の第一人者齋藤元章氏が、詐欺容疑で逮捕されたばかりである。

             びっくり妄言
 そもそも偉才と呼ばれる人は、みな突飛な行動を取る。
 家庭円満で、世紀の仕事を成し遂げた人はいない(証明はできないが)。
 聖徳太子や織田信長、葛飾北斎、伊藤博文、夏目漱石、坂田三吉たちの破天荒、暴力的な生活ぶりは、知る人ぞ知る。角力で最も歴史に名を遺したのは、乱暴大関の雷電である。最近では、在野の天才と呼ばれた小室直樹氏、DV三昧の井上ひさし氏、青色ダイオードでノーベル賞を受けた中村氏の強欲ぶりなど、偉人でまともな人はいない。

 聖人君子も一皮むけば、すべて阿修羅である。日本に奇才が少ないのは、品行方正を求めすぎるからである。
 なかには今回の事件で、妻(18)が30歳も若いことを問題視する人もいた。これも奇行の一つである。分別臭くこのことを咎める人は、したくても能力がないからである。このところ世界中で騒ぎになっている、セクハラ・不倫然りである。式守伊之助さんの泥酔セクハラなど、取り上げる方がおかしい。

 三橋氏がほんとの偉才なら、こんなことで懲りずに、ますます「奇行」に磨きをかける。逆にこれで大人しくなったら、彼はそれまでの人物だったのである。
 だからDVに遭いたくないのなら、結婚する相手は凡人に限る。

差別と恫喝

 差別問題の本質は、「相手にとって厭なことをするな」と言うことである

 大晦日放送の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル!」で浜田雅功さんが、エディー・マーフィー主演の映画「ビバリーヒルズ・コップ」を真似て、黒塗り顔、縮れ毛で登場したことが、ニューヨークタイムスやBBCで取り上げられるなど、物議を醸している。

 黒人作家で日本在住13年のバイエ ・マクニールさんは、浜ちゃんブラックフェイスについて、≪ブラックフェイスで出演する日本の人へ。黒人であるというのは、オチや小道具じゃないんだよ。(略)お願いだから日本でブラックフェイスは止めて。カッコ悪いから≫とツィートした。

 また国際ジャーナリストの木村正人氏は、≪黒人の人たちから見れば、ブラックフェイスは黒人に対する偏見を植え付ける黒人差別表現以外の何物でもないのです。≫とし、≪知らなかった、悪気はなかったでは済みません。2020年東京五輪・オリンピックを前に日本の国際感覚が厳しく問われているのです。≫と、記事に書いている

 やった方は差別と思わなくても、該当者が差別と思えば差別である。現代のポリティカル・コレクトネス社会では、なんでも差別になるのである。

            コケにされた
 しかしこの問題の本質は、「相手にとって厭なことをするな」と言うことでないか。差別以上にひどい侮辱、侮蔑、名誉毀損、信用毀損はいくらでもある。差別云々はその一部でしかないはずである。

 その意味で、世界中に建てられている「慰安婦像」こそ、そのシンボルである。世紀の冤罪事件として歴史を偽り、日本人を侮蔑、貶めている。悪気がないどころか、嫌がらせ以外の何物でもない。明白な意図をもった、日本人に対する人種差別ともいえる。

         トリカブト満開 H28.8.19

 ところで、
 世界中で蔑まれながら、なぜ韓国は日本に対し、ここまでしつこいのか。慰安婦問題は、2年前「最終的不可逆的」に、決着したはずではなかったのか。

 ひとつは、韓国人は恥を知らないからである。よく言えば、世間体を気にしないでわが道を行っている。逆に日本人は、最初に挙げた事件のように、海外の反応をうのみにして、すぐ反省しすぎる。

 そして、北と統一したときに、核をちらつかせ、「合法的に」日本を恫喝するためである。
 彼の国の理屈では、「約束はしても、『守る』とは約束していない」。これではすべての約束は意味がない。つまり韓国は、未来永劫この件を解決するつもりはない。侮蔑、差別を定着させようとしている。

 だから日本は、躊躇している暇はない。ここに至ったら、選択肢は実力行使しかないのである。

元号改め

 少なくとも私が生きている間、和暦と西暦の換算は容易にできる

 昨年は平成29年で西暦2017年と、ややこしい年であった。29と2017とでは、下一桁が同じ奇数で大きさが近く、感覚的にも似ている。そのため、「平成27年」としばしば勘違いした。あるいは「西暦2019年」と間違える。ボケたせいか、年末まで慣れなかったのが悲しい。もし平成29年が西暦2027年だったら、もっとミスが続出したであろう。

 幸い今年は、平成30年で、西暦2018年である。これは取り違えしにくい。間違えたら、ほんとにボケた証拠である。

              ボケ
 
 さていよいよ来年は、天皇陛下が譲位され、元号が変わる。
 その場合、新元号1年が2019年、新元号2年が2020年と続く。これであと10年、私が生きている間は、和暦と西暦の換算は容易にできる。

 もっといいのは、平成31年が新元号の元年になることである。
 新元号に30を足せばそれが平成に換算した年になる。おそらく、譲位の日取りを決めるとき、このことも考慮したに違いない。昭和から平成に代わったときは、昭和64年が平成元年であった。このため昭和と平成の換算がややこしい。平成に入ると昭和生まれの人の年齢などがわかりにくいため、よく年をごまかされた。


 一部で、和暦を廃止し西暦一本にせよ、という声がある。
 だが、西暦ほどいい加減なものはなく、いつ廃止されてもおかしくない。また和暦と西暦を併用することで、われわれは毎日頭の体操をしている。この体操をしなくなったらボケが増える。ボケが和暦廃止を唱えているのである。

電子マネー

 高齢者は電子マネーなど遣わず、1000円単位決済する店で買い物する
 
 コンビニやスーパーで買い物すると、1円単位での支払いに難儀する。支払いのたび財布をひっくり返し、1円玉を数える。少しでも足らなかったら、お釣りをもらう羽目になって、財布が1円玉で膨らんでしまう。ポケットに入らない。
 食券販売機を利用するときも、いちいち財布の「小銭事情」を考慮しなければならない。少しまちがうと10円玉が溜まる。タクシーを利用したとき、1000円札を出してお釣りを受け取る。これで財布がずっしり重くなる。持ち物は1グラムでも軽いほうがいい。
 いまや神社の賽銭箱は、バチあたりにも、小銭の墓場と化している。


 だから電子マネーの一発支払いは、この上なく便利だと思う。支払いが面倒で買い物しないことが無くなり、経済は活性化する。偽札が多く貨幣の信用がない中国では、急速に普及している。おそらく近い将来、日本でも決済のほとんどが電子マネーに代わる。

 この電子マネーは、政府にとっても大いにメリットがある
 まず脱税が困難になる。誰が誰にいくら支払ったか、瞬時に明確になりビッグデータに蓄積される。国民のすべての資産が明確になる。
 企業にとっても便利である。支払いと財務資料を連動させれば、その都度決算内容が判別する。面倒な計算や会計士が不要になる。これまで複雑なお金の計算を行っていた優秀な人たちは、もっとクリエイティブな仕事について、世の中は豊かになる。

               金は天下の廻りもの H27.9.26
 しかし、問題のない制度はない。
 電子決済は、大規模に悪用される可能性が大きい。世界中では、毎日数百億回の決済が行われている。ごっそりやられたら取り返しがつかない。発覚しない程度に、わずかずつ窃取する輩が続出する。電子空間で行き交う膨大なお金は、知らず知らずにハッキングされ、ちびり取られる。合法的にむしられることもできる。IOTはそれを促進する。
 悪知恵に長けた輩が頭を絞れば、できないはずはない。知らないうちに、誰かがぼろ儲けする。1回の決済で0.01円程度なら目立たない。悪知恵者が10000人にもなって、やっと社会問題になる。

                  金が飛んでいく

 もっともわれわれ旧人は、なんとなく電子マネーを遣いたくない。ややこしい計算をしなくなると、ボケる。そうかといって、1円や10円単位の現金決済は面倒である。
 ではどうするか。
 高齢者は、1000円単位の決済で買い物すればいい。生活丸ごと千円単位である。
 たとえば、片町スナックでの請求は、たいてい1000円単位である。1円や10円玉が増えることはない。その代わり1万円札が無くなる。最後に、三途の川の渡し賃さえ残ればいいのである。

無知なおっさん

 ほとんどの国民はバカなのだから、それを前提にものごとを決めるしかない

 年末「朝まで生テレビ」での、村本大輔氏(漫才師)の発言が、ネトウヨの間で波紋を広げている。
 村本氏はこの番組で、憲法9条を「読んだことない」と言った上で、「戦力、交戦権は、放棄した方がいい」、「なぜ中国や北朝鮮が日本を攻撃するという発想になるのか」と疑問を述べた。尖閣についても、「もともと、中国から取ったんでしょ?」と言い、さらに「自分が殺される状況ならどうする」と聞かれ、「殺されます。だって誰かを殺すわけでしょ?」とも発言したらしい。

 これには左翼転向した小林よしのり氏ですら、村本氏を「無知なおっさん」と呼ぶなど批判がとまらない。
 その番組に出演した筑波大の落合陽一氏は、ツイッターで「初学者がその場で考えた結論は、先人が既に議論済だ。歴史を学ぶことから現代的発展を探す姿勢は小学校から始まる」とし、「なぜ学校で疑問が生まれる材料が揃ったとき、議論してこなかったのか。横並びの同世代の初学者の中で、その場が貴重であることを認識していなかったのか。」などと、歴史を学ぶ意義について述べた。
 普通これが良識的な見解である。

           越前海岸波高し H29.12.28
 
 しかしどの政論番組にも、たいてい「おバカタレント」が出演し、無知な国民を代弁している。たいていの国民は、学校で教えられたことはそのまま覚えるか、反対の耳から抜ける。学校では、歴史についての議論などしたことがない。「こんな人たち」が、ネットを使えるようになり、一億総評論家になってしまった(もちろん私も)。
 ほとんどの国民はバカなのだから、それを前提にものごとを進めるしかない。

 一方で、専門家や教科書の「事実」が正しいとは限らない。むしろ間違っていることのほうが多い。
 「真理の大海は、すべてのものが未発見のまま横たわっている」というニュートンの言葉がある。人間の浅知恵がすべて真理を極めることなど、金輪際あり得ない。人の歴史はその最たるもので、その時々の膨大な人の行動と心理が融合し、反応したものである。見る人が1000人いたら、その数倍以上の解釈が成り立つ。ものごとのすべては仮設なのである。
 歴史学者と称するものが、「政治家は歴史を知らない」などと放言するのを聞くと、その思い上がりにこちらが赤面する。

 歴史の真実を極めることはできない。歴史は自分のものではないからである。歴史から学んでいるという人も、前提となる事実が間違っていることに気づいていない(もちろんそれでも、自分の経験よりまし。「賢者は歴史から学ぶ」)。



 まあ、こんな身もふたもないことを言っていたら、なにもできない。
 だから政治は、トップの決断を重視する。そこでは「中庸」が大切なのである。(左右いづれも)おバカな国民と、専門家を両立させることで、ものごとを進めていくしかない。

少年期のトラウマ

 それなりの犠牲を払っても、大きな獲物を得られるかどうかは天命である

 小学生のころ、点数を溜めると景品を貰えるキャラメル菓子があった。月、火星、水星、木星、金星、土星、太陽の7種類があって、それぞれ1点~50点の点数を持ち、500点集めると安価な玩具、1500点集めると天体望遠鏡が貰える。あるいは、月から太陽までの7枚すべてそろえても、1500点とみなされる。

 当時私は、1~2年かけてようやく1200点ほど集めた。これでは500点商品は貰えても、目標の1500点にはほど遠い。カードも「月」だけが集まらず、天体望遠鏡には届かない。
 うまいことに、その「月」カードを持っている友人がいた。彼は、そのカード以外にはたいして持っておらず、トータル保有点数もほとんどなかったはずである。

        競馬  どっちが勝った?      鹿人  H28.3.24

 ここからが、バカなところである。
 普通なら、私の持っている500点(1000点でもいい)と、友人の「月」カードを交換すれば、WIN-WINになる。私は7枚のカードで天体望遠鏡、友人は500点分(1000点分)の景品がもらえる。

 ところが交渉がもつれ、友人は怒って「月」カードを燃やしてしまった。500点か1000点かで、交換条件が合わなかったのである。私が天体望遠鏡を受け取るのを、妬んだのだと思う。
 ほんとは私自身も、せっかく集めた膨大な点数カードを手放したくなかったのである。1000点渡せば、確実に交換できた。だが単なる1枚の「月」カードとの交換は、あまりにも惜しい。それだけ見た価値はまったく異なるからだ。

 しかたなく私は、500点2つで、しょうもない景品を受け取った。どんな景品を貰ったかは覚えていない。もちろん友人は何も貰えない。お互い目先の欲にとらわれ、しょぼいことになってしまった。



 これが一生のトラウマになった。
 以来私は、他人との交渉ごとは、必ず譲歩が付きものになってしまった。見返りを期待するからである。「損して得取る」の格言である。

 あれから60年。
 いまだ、その友人とは犬猿の仲である。

日本力向上の3要素

 日本人が優秀なら、人口減少に対処できるし「反原発」を唱えたりしない

 この先日本はどうなるであろうか。いつまでも繁栄する国であってほしい。そのためには何が必要か。基本は人間の質と量、そして充分なエネルギー確保ができること。この3である。これらは、日本が先進国として繁栄できる条件である。

①人の質
 真に日本や世界人類のことを思い、知恵を出す人を増やすことである。万世一系体制のなかで、文明を共有している日本人でなければならない。
 5段階評価で、上位に位置する人をできるだけ増やす。ものごとに対する姿勢が良ければ、知恵と技術はいくらでも出てくる。もともと東アジアの民族は、アングロサクソンに比べ、5%以上知能程度が高いという。

②人の量
 もちろん少子化対策である。いまの出生率(1.3)は、話にならないくらい低い。これは直接目に見えないだけで、大量虐殺以上の大惨事である。その深刻さに、誰も気がついていないことが問題である。このままでは、日本に人がいなくなる。虎視眈々と目を付けている周辺国にとっては、涎がでるほどおいしい。
 したがってこの先50年、高齢者対策はしない。定年退職した65才以上は、すべて徴兵する。

             仁王
③エネルギー
 核エネルギーを中心に、自前のエネルギーを確保する。中断している核燃料サイクルの技術開発を再開し、全力を挙げて促進する。すでに、中国とロシアでは実用化段階にまで至っており、差が開けば国力で決定的に敗退し侵略を許す。
 たしかに、原発を中心とした核エネルギーは、欧米を中心に減少しつつある。だがその結果、地球全体では温室効果ガスが増え、途上国では資源採掘での死者が一向に減らない。原発停止は、先進国のエゴなのである。


 この中で、最も重要なのは「①人の質」である。ほんとに良質な日本人なら、子孫を増やすための手立てをうまく考えるし、いたずらに「反原発」などを唱えたりしない。
 日本がこのまま衰退していくとしたら、質の良くない国民ばかりだった、ということになる。

年初めの覚悟

 ここまで甘やかし、肥大化させたのであるから、並みの覚悟では済まない

 金正恩委員長は新年の辞で、米本土を攻撃できる核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルの実戦配備を宣言。「米本土は核打撃圏にある」とし、「核のボタンは私の事務室の机の上にある」と強調したという。

 対話路線から中途半端な経済制裁、言葉の応酬など、武力攻撃の気配だけ見せているうち、とんでもない化け物を育て上げてしまった。まさにゴジラである。これで日本は、未来永劫核兵器を持った化け物に、脅され強請られる。現に北朝鮮は(脱北?元高官を通し)、「拉致被害者を返して欲しかったら、カネをよこせ」と言い始めた。

          日本海波高し h29.12.28

 こんどこそほんとに、日本人は覚悟を決めるべきである。日本の決死隊が玉砕すれば、米軍は北朝鮮を壊滅する。しなかったら、日米同盟は終わりである。
 チキンレースの緊張感は、いつまでも続かない。とくに北の孤独な独裁者は、もう限界にきている。ストレス状態を続けるより、いっそ核戦争を始めたほうが気楽である。緊張の糸がぷっつり切れると、あと一直線しかない。
 そろそろ危機が現実化しそうである。
 
 ここまで甘やかし、肥大化させたのであるから、並みの覚悟では済まない。日本人の多くは、核シェルターどころか、Jアラートさえバカにしている。半分は犠牲になる。大東亜戦争で負け、その70年後にまた、近隣国家の核武装に屈するなど、あってはならない。いくら犠牲を払っても、いま叩いておかなければ、子孫に申し訳が立たない。
 今年こそ、暇を持て余している高齢者は、決死隊に志願したい。命を惜しむ必要のない集団は強い。

元旦

あけましておめでとうございます
      今年もよろしくお願いします

 
      飲むイヌ

 このブログも、なんだかんだと、今年の3月で5年になります。
 5年続けてこの程度なので、そろそろ潮時でしょう。それなりの年齢にもなります。怖いのは、始めるより辞めるのが難しいこと。

 以前のような馬力は出なくても、チビチビ仕事は続けます。年を取っても、経営コンサルタントという仕事は、できることが増えています。ただ、格安の仕事を受け、後悔しないようにだけはしたい。

 とりあえず、15日は恐怖のPSA検査。ここを乗り切れば、つぎの半年は頑張れる。
 その前に、ナマコで一杯。