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暴力に対する拒絶反応

 「暴力そして人を殺してはいけない」というのは、八百長と同じ談合である。

 相撲界では、「暴力問題」を機に、とうとう日馬富士が引退することになってしまった。
この問題に表れるように、いまの日本では、問答無用に「暴力」は悪とされている。正当防衛でない限り、暴力は絶対的に許されない。いくら侮辱されたとしても、決して殴ってはいけない。
 つまり一般には、暴力は絶対的に悪とされている。「人を殺してはいけない」と同じである。


 しかし、殺人や暴力は絶対的に悪いことなのか。
 世の中には、「絶対」は絶対にない。例えばあなたが豚だったらどうか。相手の人間が、あなたを屠殺して食べようとしたとき。あなたがそいつに噛みついても、誰もあなたを非難しない(その代り袋叩きする)。

 つまり暴力や殺人を禁止する対象は、人間でしかない。コレラ菌にこんなことを言っても、聞いてはくれない。最近街中に出没する、クマやイノシシも同じ。まさに馬耳東風である。

                   サルマタ

 人はだれも、自分がされて厭なこと、恐れていることを避けたい。そこで、暴力や人を殺すという、「される人にとって厭なこと」は、お互いにやめておきましょう”というルールをつくった。厭なことといけないことを、一緒にしたのである。これを人間同士の「談合」という。もし暴力を「絶対」禁止したら、我々は生きていけない。他の生物を食べることはできないからである。
 
 すなわち、「暴力はいけない」、「人を殺してはいけない」というのは、人間同士の「決め事だから守らなければならない」だけである。八百長と同じ、談合なのである。
 八百長や談合の重要性を認識したい。
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成人雑誌の撤去

 日本に活力を起こすためにも、健全なエロ文化を復活させるべきである

 成人向けの本を販売しないというコンビニが現れ、論争になっている。女性に不快感を与えると考えたからである。もっともこの本を買うのは、じじいが多いそうだ(私は買ったことないが)。ネットを操れる若い人は、エロ本よりもっと生々しい音声付の動画を、無料で見ることができる。

 成人誌を売らないことについて、大むね賛成の声が多い。自治体も賛同している。このままなら、2020年のオリンピックで、海外からの観光客に恥ずかしいという声も多かった。コンビニも、女性客の集客アップを期待している。
 
       すっかりうば桜        九州下関 奇怪岩H25.5.29

 しかし、歌麿の春画や源氏物語に見られるように、もともと日本は性に関して、おおらかであった。吉原など遊郭でも、花魁に入れ込んで所帯を潰す男どもがわんさかいた。したがって、慰安婦は決して性奴隷でなく、顧客である日本軍兵士にとって、女神のような存在であった。
 それにいま欧米を中心に、日本の浮世絵春画の鑑賞がブームである。生命体としての本能を掻き立てるからであろう。
 
 エロスは、人間の本姓である。他人に迷惑さえかけなければ、恥ずかしいことではない。繁殖能力の衰えた、じじいやばばあにとっても、バーチャル楽園である。本国でおかしな規制や自己暗示に縛られている海外の旅行者も、日本の健全なエロ文化に浸りたいと思うはずである。
 その象徴である成人向け書籍が、撤去の憂き目にあっている。

 なぜこうなってしまったのか。
 戦後赤線防止法ができたのが、大きな間違いであった。性は恥ずかしいもの、見せてはいけないものとして、できるだけ隠ぺいしてきた。だが隠ぺいするほど犯罪性が高くなる。出生率も激減した。なにかボタンを掛け違えている。

 日本に活力を起こすためにも、思い切ってエロを復活させるべきである。少なくとも80才以上に、売春防止法は適用すべきではない。この世の楽園をつくって、そのまま昇天させたい。

晩秋の足羽山

 継体天皇のお尻からみる白山連峰は絶景である

 久しぶりの晴天なので、昨日の午前に足羽山に登った。いまの時期、愛宕坂の見晴らし台から、真っ白な白山が見えるはず。だが昨日は頂上付近に雲がかかっていて、はっきり見えなかった。

 そのかわり足羽山腹から上は、モミジやイチョウの紅葉が、終わる前の輝きを見せていた。とくに、護国神社の東側を巻く道路の周囲が綺麗である。いまのところ、まだかろうじて紅葉と呼べる。花も紅葉も、見ごろを外せば見苦しくなる。
 茶店あたりの紅葉 H29.11.27 紅葉とタワー H29.11.27 継体天皇像から白山 H29.11.27

 その後、おそらく足羽山の最高地点である、継体天皇像のところまで登った。ここまで自宅から徒歩40分。そのときちょうど、御前峰あたりににかかっていた雲が流れ、純白の白山頂上を拝むことができた。ビューポイントは、継体天皇のお尻の下。右足の背後あたりである(ほんとの絶景は、一番右の写真で左側に写っている博物館の屋上)。

 ここからの白山は、ちょうど葉の落ちた桜の間から見える。花の季節は、景観を阻害している建物も隠れ、また違った趣があるはず。愛宕坂の見晴らし台も、駅ビルが邪魔をしていて、まともに白山を拝むことができない。代わってこの場所が、足羽山における白山眺望の穴場となった。

核兵器禁止条約

 日本に参加することを強要する人は、日本の安全を考えていない

 今年7月採択の核兵器禁止条約に日本が参加しないことで、左派系の市民がしつこく政府批判を行っている。工作員として、日本に核兵器を持たせるわけにはいかない。そのような本音はおくびにも出さず、ひたすら「人道的立場」から、日本の非核化を訴える。

 たしかに世界で唯一の被爆国である日本が、この禁止条約に入らないことは、批准した国から見れば、奇異に思えるかもしれない。工作員でなくても、日頃からヒバクヒバクと耳にタコができるくらい聞かされている「優等生」も、日本政府の対応には反発を感じるであろう。
 単純に考えれば、こんな非人道的な兵器など、地上からなくしたほうがいいと、誰もが思う。その意味で、理想のシンボルとしてなら、条約はあってもいい。

              達磨 縦 

 しかし、条約は中身が問題である。これは核を持っていない国が、核保有国や核に依存する国に対して、ひたすら廃絶を要求する。NPTと異なり、核保有国同士の現実対応を無視している。肝心の核を持っている国が従うはずがない。
 岸田外相が言ったように、この条約は「核兵器国と非核国の対立を一層深め、逆効果になりかねない」のである。いくら非核国が核を持たないと言っても、保有国にとってはそれこそ「負け犬の遠吠え」、非核国の自己満足にしか見えない。さらに日本のような、力のある国に非核化を宣言してもらえれば、こんな都合のいいことはない。

 すなわち、日本が参加しない公式の理由は、核兵器禁止条約は核保有国と非核国間の分断が固定化され、核廃絶どころか、核保有国を縛るNPTの影響が一層低下してしまうからである。そうなると、本丸である核保有国の核軍縮がおぼつかない。本末転倒である。建前ではあるが、正論である。

 もし民主党政権であったらどうか。おそらく無条件にこの禁止条約を締結したであろう。米国の核抑止に依存しながら、米国に核廃絶を迫るという、ややこしい行動をとる。日米同盟は破たんし、日本はチベットになる。彼らは本気で中国に迎合し、日本の安全を考えていない。

              カマキリ
 もっとも、核兵器は絶対にゼロにはならない。
 核兵器は、苦労して人類が作り上げたものである。万一、兵器自体が無くなっても、その作り方まで消えることはあり得ない。必ず闇で作られる。禁酒法と同じで、無いはずのものは管理できない。最悪である。こんな当たり前のことを棚上げし、真面目くさって議論しているのが、国際社会なのである。        
 
 そして核という、現時点で最強の武器が無くなれば、人類の危機対応力が激減する。宇宙怪獣キングキドラに対抗する手段が無くなってしまう。大隕石の衝突、アルマゲドンが発生したときは、神に祈りを捧げるしかない。
 文化大革命やルワンダ虐殺に見られるように、ほんとの大量殺人は、斧や鎌などの原始的な兵器である。核が無くなれば力の空白で、殺戮に溢れた悲惨な世界が訪れる。

白鵬の待った

 負けたときどのような態度をとるかによって、その人の価値が決まる
 
 大相撲九州場所は、やはり圧倒的な強さで白鵬が優勝した。ただ11目の結びの一番で、嘉風に負けたことを不服として、土俵上で抗議したことが問題になった。ただでさえ日馬富士の暴行事件で、大混乱の渦中にある大相撲に、また前代未聞の不祥事が発生した。

 この一番で白鵬は、立ち合いでもろ差しを許した瞬間、力を抜いて棒立ちとなった。押し出されてしまった後、立ち合いが成立してないと思った白鵬は、土俵に上がらないなど執拗にアピールした。八角理事長は「白鵬の勘違い。自分で判断したらだめ。」と苦言を呈している。

            雷電
 理事長の言うように、これはいただけない。
 勝ち負けを決めるのは自分ではない。それに勝負には必ず相手がいる。
 先のオリンピックでも、女子レスリング吉田沙織選手が決勝で敗れ、連勝を阻まれた悔しさで、うずくまってしまった。ここで相手を祝福できたら、もっと株は上がっていたであろう。

 どんな強いアスリートでも、勝ち続けることはあり得ない。いま高収益の企業も同じである。必ずいつかは負けるし、企業は衰退する。そのときどのような態度をとるかによって、アスリートや経営者の価値が決まる。
 自分の勝負だけにこだわるのは、あまりにも見苦しい。

 もっとも、戦争だけは絶対に勝たねばならないし、負ける戦争をしてはいけない。

沖縄米兵飲酒事故

 重武装の日本軍なしに米軍撤退を主張するのは、無責任か工作員かのいずれかである

 沖縄県で今月19日、基地米兵が飲酒死亡事故を起こしていたことで、いつも大騒ぎする極左系のメディアが、やけにおとなしかった。昨年4月の選挙のときには、「都合よく」米軍属の男の殺人事件が発生。また知事選か何かのときは、女性米兵の「たかが」飲酒運転が、それぞれ沖縄メディアの格好の餌食になった。こんどは選挙期間を外しているので、取り上げないのかと思った。

 しかし黙っていては、工作員として恥ずかしいと思ったのであろう。またこんな「チャンス」を見逃すはずはない。23日の福井新聞社説は、「沖縄米兵飲酒次項・基地配置を見直すべきだ」と、本性を現わしていた。記事では、≪国土の1%にも満たない沖縄には国内の在日米軍専用施設の約70%が集中する。大型輸送ヘリの事故も相次ぎ、戦火にまみれた島は平和と安寧の願いとは程遠い。県民の怒りは増幅され、米軍基地配置の抜本的見直しを求める要求がさらに強まることになろう。≫と、いつもの主張を繰り返している。

               なんんじゃら仏

 米兵だろうと観光客だろうと、人がいれば必ず何かが起こる。飲酒運転も、ゼロであるはずがない。現実は、米軍による事故や不祥事は、沖縄県民の起こすそれより圧倒的に少ない。「いくら犯罪率が低くても、沖縄を守るべき兵士は完璧でなくてはならない」というなら、セクハラばかり起こしている大学は、すべて廃止しなければならない。

 もちろん沖縄だけでなく、日本国土に米軍があることは、大問題である。本来なら、米軍に匹敵する日本軍の存在がなければならない。中国の侵略に備えるためには、いまの10倍の予算規模が必要となる。その覚悟なしに米軍基地の撤廃を主張するのは、この上なく無責任である。あるいは中国の工作員なのか。いずれでしかない。

子育て市議

 議会に出るくらいの仕事は子連れでもできる。保育利権を膨ませるべきでない

 熊本市の女性議員が、7か月の長男を抱いて市議会場に入ったことが、物議を醸している。決められた人以外が議場に入ることは、禁じられている。だがこの女性市議は、「子育て女性でも活躍できる議会であってほしい」と説明したという。
 彼女は、妊娠がわかったときから、乳児を連れての議会出席や託児所設置を訴えてきた。その改善がはかられないため、子連れでの入場に踏み切ったという。

 これについて、「個人的な理由で議事進行を妨げたのは問題」と批判する人がいる一方、「子育て世代の議員活動について議論が必要だ」と理解を示す人も多い。
 たしかにこの破天荒な行動が、子育て女性の「社会進出」在り方に、一石を投じたともいえる。この場合は、育児と仕事の物理的な両立である。

             子連れ
 しかしこれは、そんな難しいことではない。
 両立できるかどうかは、仕事の内容によるだけである。F35戦闘機のパイロットが、乳首を吸わせながら、操縦するわけにはいかない。幼児をおぶって、一日中炎が降る中で、溶鉱炉に石炭をくべる仕事も無理であろう。一方で、それほど危険でない仕事はいくらでもある。たいていの仕事は、いっときの集中と大部分の弛緩の繰り返しである。子育ての合間に仕事することは充分可能である。議員の仕事はその典型である。

 すなわち議会に出席する仕事など、子連れだろうができる。たいていの議会は、質問する議員と、答弁する首長や担当役人が働いているだけである。他の出席議員は、アリバイつくり、或いは証人としての役割しかない。せいぜい「熱心な人が」ヤジを飛ばすくらいで、居眠りしていても充分務まる。その証拠に件の女性議員も、それまで出席すらしていなかった。子供の泣き声が居眠り議員を覚醒させ、ヤジを黙らせる効果もある。

 それより、どのような仕事であろうと、子供を産み育てる以上に重要なことはない。すべての仕事は、子育てする人を補助するものである。ものごとの軽重を考えて話を進めないと、単に保育利権が膨らむだけになってしまう。


 もっとも今回の女性市議は、ただ売名のためといわれても仕方がない。ルールを破る前に、ルールを改善するために全力を尽くす。それが議員の仕事ではないのか。仕事のできない議員は必要ない。市議なんかより、はるかに重要な仕事である子育てに、専念すべきである。

レスリングでの事故

 リスクを恐れてすべてのスポーツをしなくなったら、悲惨な世界が出現する

 今年9月に行なわれた男子レスリングの強化合宿で、有望選手が重大事故に見舞われていたことを、週刊文春が公にしていた。他のメディアも追随している。

 事故は、スパーリングで2人が組み合った状態で、後方に投げてマットに倒れたとき、頭から落ちたといいものである。頚椎損傷の重傷で、現在も入院生活を余儀なくされている。一命を取り留めたものの、首から下が自力で動かせない。車椅子に乗ることを目標にリハビリに励んでいるという。

              茹で鼠

 悲惨な出来事である。だが体を動かすスポーツをやっている限り、このような事故は避けられない。隠していたわけでもない。公表しなかっただけである。当事者のプライバシー問題でもある。だからスクープでもない。公表したところで、再発防止ができるわけではない。

 むしろ文春の記事は、記事にすべきではないことまで公にしたのではないか。
 怪我をした選手、対戦していた選手、双方の心の傷を抉り出すだけである。ただでさえ傷ついた精神は、回復不能になる。誹謗中傷にも晒される。

 格闘技では絶対安全は望めない。このようなリスクがなければ、競技として誰も顧みない。リスクを恐れて、人々がすべてのスポーツをしなくなったらどうなるか。精神を病んだ人たちばかりの、悲惨な世界が出現する。同じことは組体操にも言える。

サンフランシスコの慰安婦像

 核武装を含めた軍事力を背景に、少女像のプロパガンダなど跳ね返すような国になる

 サンフランシスコの市議会が、市民団体が建てた「慰安婦像」の寄贈を受け、この像を含めた土地が私有化されることになった。このことを受け、大阪の吉村市長は、「このままではサンフランシスコの姉妹都市関係の解消も辞さない」との強硬姿勢を見せている。

 それにしても、朝日新聞が吉村市長に異議を唱えているのは、厚顔無恥以外の何物でもない。19日の社説では、≪ちょっと待ってほしい。姉妹都市の関係のもとで育まれてきた交流は、双方の市民の歴史的財産である。市長の一存で断ち切ってよいものではない。≫などと述べている。これこそ茶番である。
 この新聞は、ありもしない慰安婦問題を世界中に広めた張本人である。本来ならサンフランシスコ議会へ行って土下座し、腹を掻っ切らなければならない。まあ、恥を知らないこの新聞は絶対そんなことはしない。だから「朝日新聞死ね」は、決して言い過ぎではない。

           義経 H29.11.05

 もっともこの場合、下手に政治が動いても、誤解に誤解を重ねてしまう。日本には、共産党議員を除いて口車のうまい人はいない。日本を貶めたい共産党議員は、間違えても日本のためには働かない。

 現に市長の強硬姿勢に対し、政府や「有識者」は慎重である。現在アメリカでは、ハリウッドや政界の大物がセクハラのスキャンダルに晒されており、タイミングの悪さもある。いたずらに「性奴隷は事実無根だ」とほんとのことを言っても、信じてもらえるとは思えない。痴漢冤罪者は、あがくほど深みに嵌る。
 さらにこれまで、安倍総理が断腸の思いで行った慰安婦についての日韓合意も、ぐちゃぐちゃになってしまう。

 ではどうしたらいいのか。
 まず歴史家や有識者が、事実を淡々と発することである。それも、韓国の10倍の量で圧倒する。韓国人は、ウソを1000回繰り返し、真実をねつ造した。であるなら、真実を10000回言えば歴史的事実として確定する。これを粘り強く行う。これには1兆円規模の予算をつけたい。質と量で圧倒すればいい。

 つぎに民間の有志は、「慰安婦像」を無力化する像をつくる。
 たとえば、韓国人慰安婦が日本軍人を足蹴にする、寛一・お宮のような像。慰安婦が大量の札束を抱えている像。そして、慰安婦と日本の若い軍人との恋物語の像などである。ツーショットで仲良く並んでいれば、日本軍のイメージは変わる。日本軍人の、萌えキャラ画像を多数発信するのもいい。萌える日本鬼子の再来である。
 これらを、つぎつぎとつくる。1000個もつくれば、観光資源になる。

 そして本筋は、日本が少女像のプロパガンダなど跳ね返すような、こわもての国になることである。
 9条のお経ばかり唱えていた日本は、これまで外国からいくら理不尽な行為をされても反撃できず、辛酸を舐めてきた。こんなことをつぎの代まで続けるわけにはいかない。重核武装を含めた軍事力を背景に、日本の立場をはっきり世界に伝える。王道は、この道しかない。

政治批判

 ピントはずれの政治評論も、ぬかみそをかき混ぜる効果はある

 衆院総選挙後、このブログでは政治問題を取り上げてこなかった。
 だが、アメリカトランプ大統領のアジア歴訪、日中首脳会談など、重要事項は次々起こっている。総理をはじめ担当の政治家は、日夜苦労を重ねている。われわれは外から、断片的な知識と浅知恵で、無責任な文句をつけるだけである。もちろん、本ブログも例外ではない。

 本来なら政治は、政治のプロである政治家に任せるべきである。政治家がいくら頼りなくても、外野のわれわれ連中より情報を抱えている。もちろん外部には言えないこともある。だから、いまのマスコミが浅知恵で政権批判をするのは、なんとも白々しく思う。

               ペッ

 しかし、人々が全く声を上げなくなったらどうなるか。いくら政治のプロでも、権力は絶対的に腐敗する。これは与野党を問わない。
 たしかに、ピントはずれのモリカケ問題など、愚劣の極みである。吉田清次のねつ造報道に匹敵する、戦後最大の報道犯罪でもある。先だって、維新の会の足立議員が、「朝日新聞死ね」で物議をかもした。ついでに旧民進党議員を犯罪者扱いし、厳重注意を受けたという。発言の信ぴょう性はともかく、新たな見方を提起したことは評価していい。

 人々が政治に対し、まったく声を上げなくなってしまったら、それこそ問題である。多少稚劣でも意見を述べる人がいることで、腐敗臭が減少する。ピントはずれの政治評論も、糠みそをかき混ぜるくらいの効果はある。

オレオレ詐欺

 詐欺と普通の取引との違いは、「信頼」と「忍耐」があるか無いかである?

 相変わらず、オレオレ詐欺被害が止まない。
 最近は、「振り込め詐欺」と呼ぶようにもなった。手口が巧妙になり、振り込ませるケースが減少し、実態に合わなくなったことで、新たに、「母さん助けて詐欺」、「ニセ電話詐欺」、「親心利用詐欺」と呼ばれるようにもなった。「うそ電話詐欺」や「電話de詐欺」を採用している地域もある。

 詐欺の撃退法はたくさんある。武勇伝も聞かれる。それでも、詐欺するほうから見れば、100回に1回的中すれば丸儲けである。1日10回電話して、10日に1回だけ50万円の客が釣れれば御の字である。これで1か月150万円儲かる。

          キツネつき

 そもそも、詐欺と「正当な」商取引との違いは何か。
 基本は、ウソをつくかどうかである。だが「まともな」商取引でも、100%正直なものはない。たいていの商品は、売り手と買い手の「情報の非対称性」を利用して儲ける。骨とう品の世界は、詐欺商法と紙一重である。また、薬九層倍とも言われた薬商売が儲かるのは、効くかどうか誰にもわからないからである。同じことは健康食品にも言える。われわれコンサルの世界でも、同じ仕事をして10倍もギャラが違う(だから「清貧派」は浮かばれない)。ウソとインチキのマスコミ報道はもっとひどい。オレオレ詐欺より性質が悪いのもある。

 これらは極端としても、あらゆる商品やサービスも、お互い100%分かっていて取引するわけではない。温泉旅館の宴会盛り付けで、カタログでは10匹あった甘エビが、8匹しかなくても、たいていの人はがまん・忍耐する。
 そこには、甘エビ2匹分の「信頼」または忍耐が介在する。
 すなわち、詐欺と普通の取引との違いは、「信頼」と「忍耐」があるか無いかである。詐欺と呼ばれた商売でも、相手に「信頼」と「忍耐」さえあればかまわない。

 ま、これはあまりにもきれいごとすぎる。
 どんなことも、厳密にしたら成り立たない。だからほどほどのところで、いい悪いを決めているだけなのである。

晩秋の朝

 「朝日新聞死ね」が、今年の流行語大賞になれば、日本の未来は明るい

 急に寒くなった。この時期になると、毎朝起きがけに窓を開け、雪が積もっているかどうか、確認しなければならない。今朝は冬型で、雪こそ降っていないが、冷たい雨が降ったりやんだりである。

 今朝は町内の一斉清掃日であった。同時に廃品回収もあり、表に出した新聞や雑誌が、濡れ放題に濡れている。雨の中清掃場所に行くと、あらかた落ち葉回収が終わり、みな引き上げる最中だった。8時にスタートするのに、間違えて8時半に行けばそうなる。もっともいくら回収しても、枯葉は木に残っており、賽の河原である。

         稲荷神社 掃除 H29.11.19

 間違いは誰にでもある。
 間違いを認めて、謝罪や後始末をするかどうかで、その人の価値が決まる。

 その意味で、朝日新聞は最低である。性懲りもなく、誤報やねつ造記事を量産している。
 政界では、その新聞を批判した維新の足立議員の発言が、波紋を広げている。「死ね」は言い過ぎだとして、足立氏は「朝日新聞廃業せよ」に訂正するそうだ。
 新聞側が過ちを認め、「朝日新聞死ね」が今年の流行語大賞になれば、日本の未来は明るい。

日馬富士の暴行事件

 すでに羅生門の世界に入っているから証言は矛盾する。真相は誰にもわからない

 相撲界では、日馬富士の暴行事件が、マスコミの餌食になっている。
 この「事件」では、暴行から被害の貴乃岩が入院するまで2週間もあったり、師匠の貴乃花親方の言動がはっきりしなかったり、不可解なことが多い。貴ノ岩が、頭蓋骨陥没で脳髄液が飛び出すほどの大けがをしたと言っても、真偽のほどは不明である。

 そのためTVや週刊誌などで、多くのコメンテーターがいろんな想像をめぐらしている。ネットでもさまざまなコメントが飛び交う。大多数は、有無を言わさず暴力を振るった日馬富士と、事件を隠そうとした協会を悪者にしている。弟子である貴ノ岩を守ろうと、相撲協会と距離をおく貴乃花親方を応援するコメントは多い。
 相撲協会の隠ぺい体質、日馬富士の酒癖の悪さ、貴乃花の理事長をめぐる争い、そしてモンゴル力士同士の八百長互助会の噂も飛び出している。この「事件」をきっかけに、また八百長疑惑が再発しそうな気配もする。マスコミはそれを必死で抑えている。
 
               雷電

 たぶん「モンゴル互助会」での、星の貸し借りはあると思うし、あってもいい。ガチンコ信条の貴乃花でさえ、兄弟での優勝争いでは明らかに手を抜いていた。
 もともと大相撲は、純粋に勝負を争うスポーツではない。人間離れした体を作り上げた力自慢たちの、神に捧げるショーである。純粋勝負とプロレスの間である。ただでさえ休場力士が多いのに、すべて真剣勝負にしたら場所ごとに死人が出る。無条件に八百長はいけないというのは、(自分以外は)100%正義でなければ気が済まない、ポリティカルコレクトネスにどっぷり染まっているからである。

 そもそも真相は誰にもわからない。一部始終、真剣に見ていた人など誰もいない。本人同士もよくわからないはずである(わかっていたら暴行しない)。まして同席していた他の力士たちも、断片しか知らない。だから証言は矛盾する。すでに羅生門の世界に入っている。

EV車やFCV車の未来

 EV車やFCV車は、日本では暴走族向けの社会システムを構築する

 最近のモーターショーでは、各社こぞって電気自動車(以下EV車)や水素自動車(以下FCV車)を展示している。日産をはじめ多くのメーカーが、EV車に力を入れている一方で、トヨタとホンダはFCV車の開発が中心である。

 このEV車やFCV車の開発目的は、化石燃料を使用しないクルマ社会をつくり、地球温暖化ガスの排出を抑えることである。またこれらの車は、走行中に排気ガスを出さず、静かな走行ができる。したがって、「環境にやさしい」と思われている。たしかに街中で、排気ガスの中で暮らす人たちにとってはありがたい。

           悪霊の憑いた放射脳患者のお祓い

 しかしことは、そう単純な話ではない。地球全体でみた場合、EV車やFCV車が、ほんとに2酸化炭素や排気ガスを抑えることができるのか、極めて疑わしい。温室効果ガス排出は、低減されるのではない。単に国境を越えて移動しているだけで、世界全体ではむしろ増加する可能性が大きい。

 すなわちEV車やFCV車でも、電気エネルギーを蓄えるためには、どこかでそのエネルギーをつくる必要がある。従来の化石燃料発電からの充電なら、却って温室効果ガスが増える。自分のところだけが排気ガスを逃れる。これこそ、身勝手なエゴ以外の何物でもない。
 もともとEV車やFCV車は、原発との抱き合わせで開発されてきた。夜間の余剰電力を利用できるからである。中国はそれを見込んでEV車に誘導している。

 だが日本はまだ放射脳患者が多く、原発増設ができていない。したがって健全な社会システムの構築ができない。日本では再生可能エネルギー、とくに太陽光発電に力を入れている。これは夜間の蓄電はできない。昼間充電して車は夜走らせる。つまりEV車やFCV車は、日本で暴走族向けの社会システムを、構築しようとしているのである。

日産のISO9001抹消

 ISOは、不必要なルールを見直すことで、継続的な改善を求めている

 日産の無資格検査問題が発覚したことで、「ISO規格」の審査機関が、日産の国内全6工場の国内向けの生産に関する認証を取り消したという。神戸製鋼所も審査機関が入って再審査しており、この会社も取り消される可能性がある。
 さすがにここまで大事になれば、審査機関もメンツにかけて対処せざるを得ない。

 ヤフーニュースのネットコメントでは

≪問題発覚してから取り消しって、ISOの意味あるの?≫
≪うちの会社もISO持ってるけど何の役に立つのかわからない。≫
≪ISOが面倒で経費と時間ばかり使って、何も役に立ってない事がよく解る出来事。≫
≪iso9001 持ってても意味ないけど、失うとダメージ大きい。取らないほうがいい≫
≪取り消したらどんな影響が出るんだろうね?
  何も影響がない。なんてことになったらそれこそISO取る必要あるの?ってなりそう。≫
≪ISOの認可をした時点で既に不正はあったはずで、見抜けずに認可を下しておいて後になって取り消すなんてISO機関の審査が如何に適当かって事を自ら露呈したような物だね。≫

 なかなか本質を突いた、鋭い指摘が並んでいる。

            仁王

 しかし、このことでISO9001をすべて否定するのはやり過ぎである。
 ISOの考え方は悪くない。ISO9001は、企業における経営管理の基本的な仕組みを提供するもので、何をしていいかわからない企業にとっては、バイブルと同じである。その使い方と運用を適切に行うことで、ガラクタ企業が見違えるように変身できる。レベルの低い審査員と推進員がいなければ、おかしな方向にはいかない。

 もっとも組織や基準、規定がしっかりして、品質に自信がある企業は、ISOなど必要ない。トヨタでは、独自の高度な仕組みを有しているから、ISOを超える品質を保証できる。ISO9001は、なにも高度な品質を保証するものではない。

 それに不祥事があったからISOを取り消すというのもおかしい。日本の大企業の自動車メーカーが、たかがISO認証程度を取り消されるのは、前代未聞の恥さらしである。


 そして国交省は、もともとの規定が「絶対に必要なものだ」と言い切れるのか。ルール違反をしたのは問題としても、それとは別にルールそのものの必要性の話が出てこないのは不思議である。ISOでは(規制を遵守するとともに)、不必要なルールを見直すことでも、継続的な改善を求めているのである。

なぜ医師が不足するのか

 医者が不足しているというのは、医療業界の自作自演

 ≪香川県内の県立病院で昨年度、時間外労働が2千時間を超える勤務医がいたことが7日、県への取材でわかった。また勤務医約50人が、労働基準法に基づく法定労働時間(1日8時間、週40時間)を超えた時間外労働を可能にする労使協定(36〈サブロク〉協定)の上限を超えて働いていた。県は背景に医師不足があるとし、「医師確保に努めているが、妙案はない」としている。11月7日、朝日新聞デジタルより≫

 医者の数は30万人を超えている。しかも毎年5000人増えている。日本の人口は減っているのに、医者は増える。
 それなのになぜ、医者が不足するのか。
 一般に言われているのは、高齢化で病気になる人が増えたからである。しかも高齢者は、健康保険料を払わなくていいため、どうでもいい病気で医者を煩わせる。

           般若

 もう一つは、医療の専門分野が細分化したからである。むかしは内科に行けば、たいていの病気を診てもらうことができた。私が子供のころ、目が痛くても内科で治療してもらったことがある。今では当たり前の、小児科や皮膚科、耳鼻科などあんまりなかった。

 つまり現代では、いくつもの病気を抱えている人、年寄りほどたくさんの医者に診てもらわなければならない。高齢者で医者の10人かけもちは当たり前である。医者にかかるほうも大変なら、見るほうも細切れで、きわめて効率が悪い。


 したがって、医者不足を解決するなら、一人の医者がいくつもの病気を診ることである。どうせ年寄は大した病気を持っているわけではない(命の重さも軽い)。専門分野、たとえば耳鼻科や皮膚科の病気の8~9割がたは、どんな医者でも診れるはずだ。ほんとは医者でなくてもいい。

 医者が不足している云々というのは、医療業界の自作自演のような気がする。毎年増える医者の既得権益を、確保しなければならないからである。だから今後、人口減で医者が余りそうになったら、また専門分野を細かくする。今でもややこしいのに、病人はどの医者にかかればいいのか、ますます分からなくなる。

お城でまちおこし  尾道・津山③

 日本中がお城で満ち溢れたら、どのような国になるであろうか

 尾道~津山の旅行では、お城の存在が我々の関心のひとつであった。なにしろいま、多くの地方では城郭の再建に取り組んでおり、観光の目玉にしようとしている。

 まず尾道では、駅から出てすぐ南側から見ると、一段と高いところにある「城郭」が、いやでも目に入る。かって博物館として建てられ、いまは廃墟となっているそうだ。じつは、単なるお城風の建物で、歴史も文化的価値もないらしい。観光案内のパンフレットを探しても、見当たらないはずだ。それにしても、尾道観光のメインである寺院などより、はるかに目立っている。

  尾道城址? 29.11.11     福山城天守 H29.11.12

 つぎに、新幹線へ乗り継ぎの福山では、列車の待ち合わせ時間を利用して、駅のすぐ裏手にある福山城を見学した。ここは国の史跡に指定されている。日本城郭が円熟期のもので、十数年前に日本100名城にも選定された(つまり各県には名城が平均2つ以上ある)。
 現在の天守は、鉄筋コンクリートで復興されたものである。三の丸の南側塀垣は福山駅舎と平行に建っており、ホームから天守や伏見櫓が聳立する本丸跡を間近に望むことができる。わが地元の福井城址とは、比べるのも恥ずかしい。
 それでも、次に述べる津山城跡に比べたら、まだはるかにスケールは小さい。

 津山城石垣 H29.11.12 津山城再現予想図 H29.11.12 津山城天守台 H29.11.12

 そして、津山市の中心に鎮座する、津山城址である。建造物は、櫓が1箇所残っているだけであるが、積み上げた石垣の連なりだけでも見ごたえがある(まるでピラミッドの下半分)。小高い山を利用し、本丸を囲むように、二の丸、三の丸が配置されている。全体の広さと高さは、姫路城を超えるのではないか。二日酔いの体では、とても一気に登ることはできない。
 石垣の上から下方を覗くと、高度感で足がすくむ。文化庁の規制で、まともな柵が設けられていない。小さい子供や花見時の酔っ払いなど、転落事故もあるに違いない。すべての建物を復元すると、膨大な予算と時間が必要である(こんなリスクにこそ国がお金をつぎ込むべきであろう)。

  津山城大櫓から市内 H29.11.12     津山城東界隈 H29.11.12

 いま、たいていの地方都市では、城郭の復元に取り掛かっている。福井県嶺北だけでも、福井城址以外に勝山城、大野城、丸岡城など目白押しである(束になっても津山城にはかなわないが)。なにしろかって日本には、25000以上の城があったとされる。整備され見学できる城だけでも、200を超える。

 こうして日本中がお城で満ち溢れたら、日本はお城の国として、評価されるに違いない(バカにされるだけか?)。また一段と海外観光客が増える。そのなかで、日本一のスケールを売り物にすれば、津山城も世界遺産になれるであろう。

 城があれば、城下町はつきものである。
 だがどこにでもある古民家は、住民の癒しにはなっても、観光客には食傷気味である。すでに日本中で小京都が林立している。形だけでなく、猥雑な生活臭と経済活動がなければ長続きしない。やはり人口増は、現代日本最大の課題である。

尾道 夜の散歩  尾道・津山②

 どの店の経営者も、世代交代しないまま年齢を重ねている

 昨日まで、一泊で岡山~広島を旅行。土曜の夜は尾道に宿泊した。尾道市の人口は約13万人。鯖江市と越前市を足したくらいである。
 この町でも「貧困女性の実地調査」を試みた。たいていこれで地域の本音が聞ける。
 尾道駅から東へ徒歩15分。久保町に「新開」と呼ばれる歓楽街がある。細い路地が入り組んでおり、昭和レトロのスナックやクラブ、バーなどが軒を連ねている。造船業が盛んだったころの名残である。規模は福井の片町の1/3くらいか。

 駅近くの居酒屋で、飲み放題夕食会の終了後、お昼の観光で目星をつけておいた方向に向かって繰り出す。最初私を含めて3人。だが2人は早々に脱落。全身にアルコールが回って、とても歩けないらしい。結局残ったのは私一人。

          尾道の歓楽街 H29.11.11

 歓楽街では、狭い路地にスナックやバーが軒を連ねている。あちこちから、客の歌うカラオケや、年配女性の嬌声が聞こえる。通りには酔客が歩き回っていて、結構盛況である。思い切って入ってみようと思うが、どうせなら空いているところがいい。ドアの前で耳を澄ませて、音のしないところを探して歩いた。ほとんどの店では、お客が入っている。
 どこにしようか迷っていたら、丁度ある店のママがドアを開き、中を覘いたら誰もいない。せっかくだから、この店に入る。
 
 カウンターだけの、一人で切り盛りしているこのお店の経営者は、30代から40年以上この仕事を続けているという。もうこれくらいの年では仕事を辞める人も多いはず。尾道のスナックが紹介されているナイトマップを見せたら、2~3割は廃業していた。急に機嫌が悪くなったのは、ナイトマップに自分の店が載ってないからか。
 むかしは、どの店も妙齢のママさんが切り盛りしていて、それなりに色気があった。だが今はたいてい、60~70才代の高齢ママである。世代交代しないまま、年齢を重ねている。そろそろ水商売の女性経営者に対し、「ママ」の称号は廃止されると思う(それに「オネ-チャン」も)。

 宴会飲み放題の酒も効いて深酒になりそうなので、1時間足らずで店を出た。その間にも、だれ一人お客が入る気配がない。ママさんの客あしらいの様子を見ると、この店だけ客が入らないのもわかるような気がする。年季が入っている割に、あまり居心地がいい店ではなかった。

 高度なサービスを提供するところほどお客が多いので、一人一人のお客の満足度は低くなる。このようなあまりお客が入らない店でも、お客の満足度は低い。結局どの店に入っても同じだったのである。

岡山・広島へ  尾道・津山①

 今日から、一泊2日で中国地方を訪問する。主催は福井県診断士協会。旅行先は、広島県の尾道市、岡山県の津山市である。観光施設・公共交通の視察、食・観光関連サービスなどの体験・視察を行う。

 これらは山陽の小京都として有名で、それなりに観光客も多い。宿泊施設は少ないということだったが、何とか一人一部屋のホテルを予約することができた。
 もちろん、夜の「貧困女性実態調査」も独自計画に盛り込んである。

尾道(広島県):
 大林宣彦監督(新・尾道三部作)?の映画でおなじみの港町である。瀬戸内海の眺めながら山腹に設けられたお寺を巡る遊歩道も整備され、その景観と尾道ラーメンを楽しめる。駅から東へ徒歩15分のところ、市役所近辺には一大歓楽街がある。だれが沈没するか?

津山(岡山県):
 稲葉浩志?のふるさととして脚光を浴びている城下町である。街並みだけでなくB級グルメとして、ホルモンうどんが有名になった。「牛肉料理」を新たなブランドに掲げようとしている。

        雨の日の傘

 今朝はあいにくの雨模様。厳しい行程が予想される。
 参加者はあまり若くない。誰がいつぽっくり逝ってもおかしくない。そろって帰宅できれば幸せである。

 帰宅は、明日深夜になります。
 それまで本ブログはお休みです

働き方をどう改革するか

 あらゆる人が働けるようにすることが望ましい

 「働き方改革」を進めている厚労省は、現在の残業時間を減らそうとしている。残業時間の上限を月60時間にするなど、労働時間を徹底して減らす。1988年に決まった週40時間労働以来の、就業時間短縮計画である。

 下の図は、1980年から今までの、日本の名目GDOの推移と、日本の就業者数の推移である。見事に一致している。1980年からバブル期に向け、名目GDPが上昇すると同時に、就業者数も増えている。バブル絶頂の1998年には、ともにピークを迎えた。バブル崩壊に伴い、GDPが低迷すると就業者数もそれに倣う。4~5年前から名目GDPが伸びるにつれ、就業者数も伸びている。

 日本の名目GDP推移 日本の就業者数推移

 つまり働く人がふえるほど、経済規模が大きくなる。当たり前である。
 ただ、バブル期をピークとしてGDPも就業人員も下がってきた。そして今の日本も、今後はあきらかに就業者数が減少していく。そのうえ労働時間まで縮小していくと、どうなるであろうか。
 月60時間の残業時間など、決して長くない。これからは、働きたくても働けない人が増える。ある試算では、年間のGDPが8兆円以上も減る。あるいはこれまでと同じように、そのしわ寄せは零細企業の経営者が被る。過労死は増える可能性がある。

 厚労省の仕事時間の規制は、国民が働こうとしているのに、国の方から「働くな」と言っている。勉強しない子供に「勉強しろ」といってもいけないが、「勉強するな」というほうがよほど悪い。これからどんどん働かない人が増える。日本の唯一の資源が乏しくなるのだから、やっていけるわけがない。 

 望ましい施策は、あらゆる人が働けるようにすることである。
 高齢者向けには最低賃金を引き下げる。残業時間は減らさなくていい。労働時間は、現在の労基法を守れば充分である。学校も、夏休みか週休2日制の、どちらかは廃止する必要がある。
 いくら財政赤字が増えても日本はびくともしない。だが日本人が働かなくなったら、おしまいである。

因果関係

 なぜ下痢になったのか。因果関係を正確に当てることは、きわめて難しい

 この2~3日、どうも腹具合がおかしい。頻繁に下痢をする。
 風邪気味のせいかもしれない。あるいは、悪いものを食べたからか。いくつか思い当たるふしがある。

 まず、酸っぱいカレーである。残り物のカレーを冷や飯にかけ、そのままレンジであっためて食べたら、酸っぱかった。腐っていた可能性がある。ご丁寧に3食続けて食べた。酸味が効いて美味しかったのは、腐敗菌が繁殖していたからか。

 つぎに、なべ底にこびりついていた残り物のおでんである。1週間は経っていないと思う。悪いことにこれも加熱しないで食べてしまった。カビが生えていたような気がするが、人は自分に都合の悪いものは見えない。
 考えてみれば、毎日食しているもの、すべてが怪しい。
 いくら煙草を吸わなくても、こんなものばかり食べていては健康を害する。

                 美人薄命 
 じつはいちばん怪しいのは、フグ毒である。
 先日小松観光の際に、フグの卵巣の糠漬けを買った。御存じフグの卵巣は天下の猛毒で、それを糠漬けにして発酵・毒抜きしたものである。それを酒の肴にしていた。塩辛いのを我慢して、かなり口に入れてしまった。多少毒が残っていた可能性がある。そういえば舌や足の先が少ししびれている。
 すべて美味いものには、リスクがある。

 もっとも、風邪が治ってしまったのは、ふぐ毒のおかげかもしれない。
 なぜ下痢になったのか。因果関係を正確に当てることは、きわめて難しい。たいてい思いがけないところに、原因が潜んでいる。我々の知り得る範囲は、世の中のほんの一部にしか過ぎないのである。

流行語大賞

 どのようなものが選ばれるかは、選考者のセンス次第である

 毎年、年末になると、いろんな団体から「流行語大賞」なるものが発表される。なかで最も「権威」のあるのが、『ユーキャン新語・流行語大賞』である。

 その2016年大賞は、「神ってる」であった。その他トップ10は、「ゲス不倫」「聖地巡礼」「トランプ現象」「PPAP」「保育園落ちた日本死ね」「(僕の)アモーレ」「ポケモンGO」「マイナス金利」「盛り土」であった。
 2015年より前は、「トリプル3」、「爆買い」、「ダメよ~ダメダメ」、「集団的自衛権」、「今でしょ!」、「お・も・て・な・し」、「じぇじぇじぇ」、「倍返し」などが大賞として選ばれている。

             貧困女性 

 さて今年は、どのような言葉が大賞に選ばれるのか。ざっと予想してみよう。
 「貧困女性の実態調査」、「このハゲー」、「ちーがうだろー」、「・・・リーヌ」、「忖度」、「一線越えた」、「排除の論理」、「モリカケ」あたりか。いかにも、ネトウヨらしい選択である。

 今年はノミネートされた30語の中から、一般投票が行われる。そろそろ30語がノミネートされるはず。私の予想した言葉が、その中に入っているかどうか。入っていなかったら、選考委員のセンスが悪い。

秋晴れの富士写ヶ岳

 自然の紅葉は、干からびて人々が目を背けたくなる前に自ら散り落ちる

 今日、秋晴れの富士写ヶ岳(942M)に登った。厳冬期に入る前のわずかのチャンスである。天候を見て前の晩に決めた。白山に行きたかったが、日照が短く行動時間が限られるのと、8~9時間の行動に耐える体力がない。この山なら、往復3~4時間である。
 富士写ヶ岳には、昨年も同じころ登った。

 ダム湖の逆さ紅葉 H29.11.07  アダムとイブの木 H29.11.07  頂上から遠くに白山

 朝、7時過ぎ。ラッシュの前に自宅を出る。約1時間で、登山出発点の駐車場に着いた。
 コースは、いつものつり橋我谷コースである。ダム湖に映る逆さモミジが、刈込池を彷彿とさせる。
 登山道では、先月の台風の後が生々しく、取り付き付近にはまだ倒木が散乱していた。こうやって嵐のたびに、若くて元気のいい木だけが残る。その証拠に、いつの間にか「アダムとイブの木」なる、人目憚らずお盛んな樹木が出没していた。

 頂上下の白樺モミジ H29.11.07 下りの尾根筋の紅葉 H29.11.07 下りの陽だまり紅葉 H29.11.07

 絶好の登山日和で、頂上ではくっきりと雪の白山連峰が見えた。
 とくに晩秋の紅葉がいい。この山には、赤く燃えるモミジやヤマボウシが少ない。代わりに、ダケカンバ?やシラカバなど黄色が見事である。一枚一枚の葉は、枯れかかっていても、まとまると綺麗である。太陽のスポットライトを浴びると、またみごとに映える。一人一人はたいしたことなくても、数を集めてライトを当てれば見栄え良くなるAKB48と同じである。
 
 もっとも、皺だらけの熟年女性では、いくらたくさん集まっても毒気が増すだけである。自然の葉なら、そうなる前に自ら散り落ちる(偏屈年寄りはこんなことばかり書くから嫌われる)。

小松市訪問

 この町ではコンビニやスーパーを、1軒も見つけることができなかった

 昨日、町内体協主催の健康ウォークで、小松市を訪問した。
 これまで通過するだけ、せいぜい小松空港に来るくらいで、直接小松市内を訪れたことはない。人口は約11万人弱。海抜は数メートルで、周囲に小高い山もない。

 まず観光スポットの一つコマツの杜へ入る。コマツが、工場を海岸の方に移転した跡地につくられたもの。会社創立90周年を節目とした記念事業の一環でもある。小松駅の東口へ出ると、すぐ左手に黄色い巨大なダンプが目に入る。 「コマツ930E」という300トンダンプである。チリの鉱山で鉱石の運搬に使用され、10年経ったところで日本に初めて持ち込まれたもの。日本でこれだけ巨大なダンプを目にすることはない。
 
  30Eダンプ H29.11.05     前田利家公 H29.11.05

 市街地は、無料ガイドさんの案内で、駅の西口周辺を2時間余り散策した。駅前の電線地中化が進んだ「れんが花通り」から曳山交流館、錦窯展示館、材木町の街並みを通って、小松高校の裏にある小松城址。つぎに芦城公園を通って、小松駅に戻るコースである。
 この市は戦災を逃れたため、昭和初期の建屋が「こまつ町家認定」として100軒以上残っている。たしかに古民家としての価値はある。だが何か中途半端な感は否めない。古民家というより、ただ古いだけの家もある。

   小松材木町 H29.11.05     小松城址 H29.11.05

 2時間余り市街を歩いて、コンビニやスーパーといった食料品店を、1軒も見つけることができなかった(駅舎内のセブンイレブンのみ)。それどころか、昼食しようと飲食店を探すのも一苦労であった。意識して規制をかけているのか、あるいは採算が合わないから出店しないのか。そういえば小松駅に着いてから、ほとんど歩行者の姿を見かけなかった。コマツが移転してしまった影響が大きいのかもしれない。代わりに車の通行がやたら多い。

 今治市と同じように、大学を設置する計画で建物をつくっている。ここは公立大学である。なんとしても、若者を呼び込みたいのであろう。地方都市の足掻きである。

女性活躍社会とは

 ほんとの女性活躍とは、家庭で子育てを女性が確実に行うことである

 来日したトランプ大統領の長女イバンカ氏が、女性の活躍を考える国際会議で講演。女性が社会で力を付けることの重要性を訴えたという。社会から女性が取り残されることがないよう、日米両国が後押しすべきだと述べた。実業家のイバンカ氏は、3人の子どもを育てる母親でもあり、女性活躍の場を広げる活動に力を入れている。

 女性が社会で活躍するとはなにか。
 一般には、会社勤めをして男性と一緒に、バリバリ働くことと思う。男性とキャリアを競い、企業の管理職の割合を増やす。女性議員をいまの何倍にも増やすことである。

 たしかに、これまで仕事をしていなかった女性が、外で働くことによって、当座は経済成長の力になれる。企業にとっても、質のいい人材を確保できるし、多様化した顧客ニーズを満たすイノベーションが期待できる。それ自体は悪いことではない。

          あっぱれ H28.12.5

 しかし、しつこく「女性活躍」と叫ばれることには、なにか抵抗を感じる。一所懸命子育てをしている専業主婦に対し、「家に籠っていないで外で働け」と言っているように聞こえるからだ。

 よく考えてみよう。
 女性、いや人間として最も重要な仕事はなにか。
 子孫をつくり育てることである。世の中でこのこと以上に重要な仕事はない。あると思うなら指摘して欲しい。そしてこれは、男性が逆立ちしてもできない(もちろん補助的な仕事はできる)。
 したがって、ほんとの女性活躍社会というのは、世界で最も大事な女性にしかできない仕事を、女性が確実に行うことではないのか。その他の仕事は、そのための環境をつくるだけである。あるいは子育てを終わった人の、余禄にしか過ぎない。

           子連れ
 
 子育てをしていた女性が、外で働こうとすると待機児童が増える。したがって、外に出て働く女性の何割かは待機児童の面倒を見る。他人の子供を育てるのが、「女性活躍社会」なのはおかしい。

 社会に出て働くのは、子孫を生み育てることができない、男性を中心とすべきである。そして彼らは、家庭で子育てをしている女性を支援する、兵糧部隊であるという自覚を持たねばならない。

 したがって以下の数字は、日本で女性がますます活躍してきた証拠である。
 ≪世界経済フォーラムが発表した男女格差の度合いを示すランキングで、日本の女性の地位は5年前から順位を下げ、144カ国中114位。特に女性の『政治参画』は123位と著しく低くなっている。≫
 
             化石の一物

 そんなことで、人口減少・人手不足の日本は成り立つのか。
 心配いらない、年金や生活保護を頂きながら、毎日ぬくぬく悶々と無為に過ごしている人たちが、日本には何千万人もいる。彼らは、「出産・子育て」という、大切で難しい仕事はできないかわり、介護やサービスなど高齢者相手の仕事は充分できる。議員の仕事ならもっと簡単である。

いつまでモリカケなのか

 マスコミと野党は、慰安婦問題を払拭するための疑惑追及をやるべき
 
 選挙が終わっても、野党や日本のマスコミは、相変わらず日本のトップを叩くことに余念がない。あろうことか「首相は、米国大統領の応対やASEANN、APECのまえに、モリカケ問題を説明しろ」と喚いていた新聞もあった。もちろん彼らは、「権力を監視」するという大義を持っている。だがモリカケは、パーキンソンの凡俗法則を地で行く。やっている方は恥とは思わない

 疑惑のこじつけならいくらでもできる。だがモリカケで、首相に法的責任があるわけではない。倫理上の問題もない。私はいまだに、モリカケの何が問題なのかさっぱり理解できない。マスコミが騒ぐから、なにか悪いことをしたにちがいないと、国民が思っているだけである。
 これを「戦後最大の報道犯罪」という人もいる。少なくとも、マスコミへの信頼は地に落ちた。
 
           むっつり仏

 そもそも、首相になる年代まで、清廉潔白・石の地蔵のような人がいると思うのが不思議である。そんな人は、何もできない昼行燈である。かって民主党政権には、首相自らが贈与税を誤魔化し、国民の納税意識を萎えさせた人がいた。北朝鮮の拉致犯罪者への援助疑惑のあった首相もいた。あのとんでもない人たちでさえ、そのことで首相を辞めたわけではない。


 さて、こんどの国会では、立憲民主党、希望の党、民進党の3党が合同で「森友・加計学園問題追及チーム」を結成するという。また国会での野党の質問時間を、与党の4倍にすることも要求している。これでまた、モリカケで時間を潰すことは目に見える。こんなことをやっているから、国会議員は要らないというのである。

          ハニートラップ

 しかたがない。それなら疑惑追及を徹底してやっていただきたい。彼らはそれしかできない。
 モリカケだけでなく、すべての疑惑追及を行う。とくに最近、旧民進党議員を中心に下半身スキャンダルが続出している。文科省のトップである前川次官が、貧困女性実態調査と称し、買春を行ったという疑惑も根強い。これらを放置すると、日本は性に奔放だということになってしまう。
 きっちり対応できれば、日本は慰安婦問題で真摯な対応をしている、というメッセージを世界に広げることができる。

秋の終わりと命の終わり

 まともに歩けなくなったら、もう先は短

 この4日間は絶好の晴天日であった。この1か月余り、台風などの影響で悪天候が続いていた。それなのに、今シーズン最後の登山チャンスを逃してしまった。めずらしくゴタゴタ仕事が詰まっていたからである。残念である。
 おそらく今日あたりから、白山は雪になる。11月に入ると2000M級はもう冬山である。来年春まで、低山しか行けない。いまさら、50年前に使った冬山装備を引っ張り出すわけにはいかない。

 仕事といっても大したものではない。チマチマした文書作りである。パソコンの前にいずかって、ああでもないとキーボードをたたく。頭の回転が鈍くなり、昔の倍以上時間がかかる。長時間の猫背なので、背中が痛くなる。終わったら酒を飲む。体にいいわけがない。秋が終わるにつれ、命の炎も消えていく。

             天国の生き仏 H28.4.24

 40代、製造業を営んでいたころ、1年のうち300日、毎日10時間は、「ゴム切り」という仕事をしていた(何の仕事かは別の機会に説明)。屈んだ状態で、左右の手先に思い切り力を入れる仕事である。帰宅はたいてい日付けが変わるころ。

 これを続けていたら、全身がおかしくなってしまった。下半身に血液が回らず、痛くて立ち上がることもできない。週2回は針治療を余儀なくされた。いまでも左右の肩の高さが、5センチほど違う。完全な職業病である。そのために仕事を辞めたようなものである。続けていたら、命はなかった。
 いま再び、その症状が出てきた。まともに歩かなくなったら先は短い。

質の低下は新聞も同じ

 どの組織も、検査の主要機能である「異常のフィードバック」ができていない

 一昨日(10月31日)の福井新聞社説では、『揺らぐものづくり大国~現場力どう再生するかだ』と題し、日産神戸製鋼の「検査偽装」について取り上げていた。
 記事では、出荷検査や検査データの改ざんを、『言語道断だ』、『悪質極まりない』と筆を極めて非難。現場力の再生のため『人員増も含め最新デジタル機器の導入などの投資』を提案している。

 たしかに、一連の検査に係る不祥事は、ほめられたことではない。とくに神戸製鋼の場合(具体的にどんな違反があったかわからないが)、必要な品質が確保されていなかったとしたら深刻である。これまで品質の良さで世界の信頼を得ていた、日本のものづくり製造業が揺らいでいる。これをきっかけに、つぎつぎと不祥事が表に出てくるかもしれない。

              びっくり妄言

 しかし、冒頭の福井新聞社説のような皮相的な見方では、根本問題は解決しない。
 その意味で、近年の福井新聞の質の低下も大きな問題である。もともとこの地方紙は、中国の工作機関かと思うほど左傾化が進んでおり、同時に記事の品質レベルも怪しくなっている。質が悪いのは、製造業だけではなかった。

 たとえば、社説記事の中で、『かつては、過剰なまでの検査で「高品質」製品しか出回らないようにしてきた。それが日本企業の強さの原点でもあった。』と述べている。
 だが、検査で高品質が保証されるわけではまったくない。検査は、①異常のフィードバックと②流出防止の機能、を持つだけである。あくまでも「品質は工程で作りこむ」しかない。むしろ「過剰なまでの検査」は、病人を拡大再生産する現代医学と同じで、高コストで余計な機能まで付加することになってしまう。

 また記事では「人員増も含め最新デジタル機器の導入などの投資」で、検査の充実を「提案」している。
 だが、検査を含め各工程での品質確保は、訓練された優秀な人たちが知恵を絞ることで、はじめて可能になる。この記事のように、やみくもに『言語道断だ』、『悪質極まりない』と叩くだけでは、現場は委縮してしまう。なにより優秀な人材を確保することができない。ただでさえ人手不足の製造現場には閑古鳥が鳴く。

               太いお墓 H28.10.09

 さらに根本問題は、ほんとに検査のルールや基準が、実情に合っていたかどうかである。
 ここまで違反が常態化していたということは、その基準となるルールや数値基準が実情と合わなくなっていた可能性が大きい。多くの場合、安全率を数倍見込んで製品を設計するため、多少基準を下回っていても全く問題ない。あるいは、たとえば圧縮強度を求められる素材の引張強度が不足しても、充分使用することができる。必要のない特性や過剰品質のための検査なら、良識ある人はムダだと思う。
 この場合、躊躇なくルールや基準の方を見直すべきであった。ルールは守らなければならないが、常に見直さなければならない。いまの日本国憲法と同じである。


 そして、組織としてのリスク管理こそが、まったくお粗末であった。
 検査の主要機能である「①異常のフィードバック」が速やかになされていれば、問題はここまで大きくならなかった。悪い情報ほど早く知らせる。つまり、しくみや体制そのものの異常を見逃さないことである。その意味で、福井新聞の主張する「検査の充実」も、あながち間違いとは言えない。これは、すべての組織に当てはまる。

進化論の最前線

 神の目から見た正義は、人間の利得とは相いれない。環境変化は受け入れるべきなのか
 
 池田清彦氏の「進化論の最前線」(2017年1月17日発行)を読んで、私にとっての新しい知見をいくつか得ることができた。

 まず進化論はこれまで、大まかにダーウィンの進化論とラマルクの用不用説を中心に展開してきた。だがこれらの理論だけでは、どうしても説明できないことが多い。小進化は説明できても、大きな進化についてはできない。具体的に動物の本能の獲得である。サケは生まれた川に戻ってきて卵を産む。また、ある狩バチの仲間は、エサとなる虫の急所に正確に毒針を指す。これらの本能が無ければ生きていけない動物が、少しづつ進化していたのでは、途中で滅びてしまう。
 
 つまり池田氏は、これらの大進化はすべてが偶然であると仮説を立てている。
 そしてそこでは「ゲノム編集」や「細胞内共生」など複雑な要素が絡み合う。ただその辺りになるとこの本は、ややこしい専門用語が続出してわけがわからなくなる。「エピジェネティクス」、「バイソラックス変異体」、「ホメオティック遺伝子」などの耳慣れない言葉がつぎつぎでてくる。また人間の脳が大きくなったことと体毛が薄くなったことが関係するなど、理解不能な考察が多かった。

             キリンの首

 それでも池田氏の、言語脳に関する仮説は、なるほどと思った。
 日本は、科学を母国語で学ぶことができる数少ない国のひとつである。その言語に関する神経回路は、7~8歳までの幼児期につくられる。幼児期にしっかり作られた言語脳が、その言語による学習の理解を促進する。国語がいかに重要かわかる。もちろん、幼児期に日本語以外の言語を習得すれば、バイリンガルになる。ただ普通の人は、どちらも中途半端になる。したがって、ものごとの理解力を増すには、まず母国語である日本語をしっかり学んでから、第2言語を覚えるべきである。


 また、いま外来種との交配による遺伝子汚染が問題になっている。これは環境全体にも悪影響を及ぼす。
 だが地球の長い歴史から見ると、このことが進化を促進させてきた。遺伝的に離れた種族と交わることで、多様性の幅が大きくなる。人間の生存環境にとっては問題であるが、生物全体の進化発展のためには悪いことではない。人間の遺伝的進化が期待できない今、神の目から見た正義は、人間の利得とは相いれない。
 環境変化は甘んじて受け入れるべきなのであろうか。
 そもそも地球から見たら、人間の存在などどうでもいいのである。