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稲田大臣の「失言」

 このままでは、口先だけ達者な詐欺師しか政治家になれない

 都議選での稲田防衛大臣の応援演説が、大きな問題になっている。
 その発言内容は、「応援する候補は、自民党の下村博文幹事長代行との強いパイプ、自衛隊・防衛省とも連携がある。ぜひ二期目の当選をお願いしたい。防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いをしたいと思っている。」だという。

 法律専門家によると、公選法136条「その地位を利用して、投票の周旋勧誘、演説会の開催その他の選挙運動の企画に関与し、・・・」に違反するそうだ。素人にはどうでもいい法律でも、無理やり当てはめると、そうかもしれない。その意味では軽犯罪法違反である。
 だから鬼の首でも取ったように、(工作員である)野党やメディアははしゃぎまくっている。与党からも、自衛隊を安易に政治利用したと受け取られかねない発言で、「普通ではあり得ない軽さ」と、擁護する声はほとんど聞かれない。

     わらしべ

 しかし、この発言内容が絶対にまちがいであるとは言い難い。違法かどうかは、解釈次第である。
 そんなことよりこれは、ポリティカルコレクトネス(PC)を笠に着た言葉狩りではないか。いくら政治家であろうと、発言すべて吟味しているわけではない。稲田大臣にしても安倍総理にしても、弁舌さわやかではない。(私も同じで)舌足らずな人は、ときどき焦って思いがけないことを口走ってしまう。間違えたと思ったら、修正すればいいし、本気ならそのまま押し通せばいい。
 自民党のイメージを下げたいのであろうが、金子議員の公用車使用など、あまりにチマチマした事柄に精力をかけすぎる。まったくばかげている。

 さらに「自分が間違ったとき」の姿勢として、5段階評価基準に照らしても、大臣の行動はハイレベルな①または②のクラスに値する。それに対し、今回も批判ばかりしている野党やメディアこそ、いてはいけない人たち(⑤最低ランク)なのである。間違うことのない人など世の中に一人もいない。

 
 問題なのは、こんなことで騒ぎだてすれば、口車のうまい詐欺師しか政治家になれなくなってしまうことである。我々は、民主党政権の菅直人とかいう、とんでもない政治家に懲りたはずではなかったのか。彼は「失言」こそしなかったが、日本をどん底に陥れた張本人である。
 もし今回、これで罷免されることでもあれば、日本は口先達者な工作員一味に支配されてしまうであろう。
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29年版の5段階評価

 オリジナルの5段階評価表の改訂版である。

4~5年前に作ったものをベースに、1~2年ごとに、少しづつ手を加えている。ざっと見ただけでは、どこが変わったかわからない。それでもあと50したら完成し、新理論として定着しているかもしれない。



平成29年版5段階評価表

 

年代別

ルールの対応

自分が間違ったとき

他人の間違いに対し

会議や会話のとき

会員(お客)として

他人や組織を見る目

①いなければいけない人

25歳以下

(子孫を増やす)

新しくルールを作る

間違いを反省し是正する(賢人)

具体的適切な解決策を提示する

他人に話すように仕向ける

会の維持・改善に努める

いいところしか見えない

②いたほうがいい人

2540

(子孫を育てる)

ルールを改善する

間違えて、謝ってばかりいる(善人)

的外れな解決策を提示する

発言の内容が面白い

きちんと会費だけは払う

いいところを指摘する

③いてもいなくてもいい人

4060

(子孫を見守る)

ルールどおり仕事する

間違いを起こさない(見習い)

無関心

たまに話しても、面白くない

催促しないと会費を払わない

何もわからない

④いないほうがいい人

6080

(子孫のお世話になる)

ルールを守らない

自分の間違いがわからない(愚人)

解決策を持っているのに提示しない

ほとんどしゃべらない

文句ばかり言う

悪いところしか見えない

⑤いてはいけない人

80歳以上

(子孫の足を引っ張る)

ルールを変えようとしない

間違いを認めない(悪人)

非難・批判ばかりする

自分のことばかり話す

脱退を勧誘する

悪いところだけ指摘する


             にらみ H28.12.5

 

今回加わったのは、「他人や組織を見る目」である。

組織の人材育成や自己啓発のための心構えとして、肝に銘じたい。

 

たとえば、他人や政治家の悪口しか言わない評論家がいる。政権に対する、野党やメディアの反応を見ると、まさに「⑤いてはいけない人」に成り下がってしまった。憲法改正論議に関する「ルールの対応」への姿勢も最低である。その他の項目についても、ろくな評価はできない。    

そのような「いてはいけない人」のいいところを探すことが、はたしてできるであろうか。


 ちなみに、私自身の自己評価は④である。まだ下には下がいる。


連勝中の天才棋士

 世の中の複雑怪奇な現実に目覚めると、ただの人になってしまう

 中学生の最年少棋士、藤井聡太四段が、竜王戦決勝トーナメントに臨み、10代対決に勝利し、公式戦連勝記録を29連勝まで伸ばした。30年ぶりの偉業である。なにしろ、プロになって負け知らずである。連勝中には羽生三冠も入っており、藤井四段の実力は本物である。

 将棋の指し手は無数にあり、並の人間の頭では解析できない。だからプロ棋士になる人は、学業でもずば抜けて秀才である。試験によるエリートコース突破など、屁でもない。現に米長元名人の兄弟は、「みな出来が悪いから東大に行った」。そのトップ集団の中での連勝であるから、藤井四段はとんでもない頭脳の持ち主であることは間違いない。

      ほっとけ鳥

 しかし、いくら将棋が複雑だといっても、9×9マスという、限られた範囲内での組み合わせにすぎない。膨大な計算が得意な電子計算機には勝てない。現にアルゴリズムが進化したAIには、人間の棋士は勝てなくなってきた。いくら藤井四段でも勝つことはできないであろう。

 何もケチをつけようとしているのではない。
 人間が機械に勝てないのは、当たり前である。白鵬がブルドーザーを押し出すことはできないし、私のおんぼろ乗用車でさえウサイン・ボルトより速い。限られた枠のなかでも、人間の限界に挑戦するのは素晴らしいことである。
 
 言いたいことは、「世の中の出来事は、将棋の数兆倍も難しい」、ということである。あらゆる自然現象や、無数の人々の頭の中の組み合わせを考えると、数兆倍どころではない。こんな複雑な世の中では、いくら頭がよくて努力を積み重ねても「成就」することは不可能である。世界の複雑怪奇さから見たら、いくら天才でもどんぐりの背比べである。
 それにいくら藤井四段が連勝を続けても、一足飛びに名人や10段になることはできない。将棋の世界は、実力主義であるとともに、年功序列も生きている(こんなことはどうでもいいか)。
 
 14歳の藤井4段は、この現実に目覚めるであろうか。あと5年は気づかないでほしい。目覚め、白けてしまったら、「20才過ぎてただの人」になる。

越前一丁締め

 手締めを引き受けた人は、「越前一丁締め」の普及に努めていただきたい

 宴会の最後に、「締め」を頼まれることがある。これは日本独特の風習らしい。むかしは大仰な「万歳三唱(一唱?)」が多かったが、最近では「手締め」が増えた。この手締めにも、いろんなランクがある。本格的なのが「三本締め」で、それを簡単にしたのが「一本締め」である。さらなる簡易版を「一丁締め」という。「一丁締め」を「関東一本締め」ともいうから、ややこしい。

三本締め(正式版)
 「いよーお」ではじまり、「パパパン パパパン パパパン パン」の手拍子を3回繰り返す。ここで「いよーお」は、「祝おう」からのかけ言葉である。また、3回の手拍子の間に、「よっ」、「もう一丁」などの掛け声を入れると景気づく。

一本締め(やや簡易版)
 手を10回叩くことで、会の締めを行う方法である。基本的なリズムは「いよーお!パパパン、パパパン、パパパン、パン」である。10回という数は、最後に会が問題なく丸くおさまるということを意味し、それに感謝して行うのが一本締めだという。

一丁締め=関東一本締め(簡略版)
 「いよーお パン!」で、一回だけ手を叩いて締める。手締めをもっとも簡単にしたもので、最近はこれが多くなった。ただ、正式なパーティではやらない。

      雷電

大阪締め
 そのほか、大阪には「大阪締め」というのがあるらしい。打~ちまひょ(パン パン)、も一つせ(パン パン)、いおう(祝う)て三度(パパン パン)と、のんびりとした手締めである。あまり聞いたことがない。

越前一丁締め
 そういえば、むかしどこかで「越前一丁締め」というのを見たことがある。
 これは参加者全員に、不知火型土俵入りのように、両手・両足を大きく開いてもらい、へその前で一回柏手を打つ方式である。和服やタイトスカートの女性は、それほど足を広げなくてもいいそうだ。傍流ながら、「越前文化遺産」の可能性がある(あまり信じないほうがいい)。


 もともと手締めの音頭は、とどこおりなく宴席を終了させた主催者側が、「無事終りました」と感謝のために行うものである。したがって手締めは、来賓に頼んではいけない。主催者でないのに、手締めを引き受けてしまった人は、仕方がない。このブログ記事を参考に、オリジナル「越前一丁締め」の普及に努めていただきたい。

天下り利権と破壊工作

 敵国のメディア浸透を許してしまった日本は、諜報戦に敗退しつつある

 先週行われた前川元事務次官の会見を聴くと、加計問題は文科省の既得権益から派生したものだということが鮮明になってきた。大学への「組織的」な天下りあっせんが禁止されても、実質の許認可権を握っておけば、天下り権益は確保される。むしろ「組織的」な天下りができなくなったため、文科省は大学の許認可権益を守ろうと必死になっている。

 もちろん、天下り先確保のために許認可権を守る省庁は、文科省だけではない。ただこれまでの政権は、官僚に牛耳られていた。たまたま今回は、文科省の政府に対する抵抗と、工作員に支配された野党やメディアのスクランブルが重なって、大騒ぎになってしまった。

          達磨 縦 

 この一連の報道を見ていると、日本のメディアは、得体のしれない大きな力に動かされているとしか思えない。政権に対する攻撃ぶりが、尋常ではない。メディアの役割の一つは政権チェックであるといっても、これでは異常すぎる。事実を曲解・歪曲してまで批判するのは、行き過ぎである。地元の福井新聞でさえ、ここ数年おかしくなってきた。

 考えられないことではない。準戦時体制の今、世界は諜報戦の渦中にある。
 日本と敵対する外国勢力の工作が、メディアに浸透してきたからである。日本の仮想敵国(中国、朝鮮)の息のかかった人の多くが、メディアに就職しようとする。メディアに属する人たちの割合が、工作員で占められていく。一部を除いた新聞とTV、系列の週刊誌はひどい。ある程度以上になると自己増殖するから、もう止められない。日本は諜報戦に敗退しつつある。
 新聞やTVに毒された、高齢者、有閑マダムなど、ポピュリズム集団を説得するのは容易ではない。


 救いはある。
 メディアの中で論調が異なるのは、いわゆる月刊オピニオン誌である。正論、Voice、新潮45、Will、Hanada、文芸春秋など、一部を除いた月刊誌は、新聞やTVとは一線を画している。玉石混合のネット情報も、新聞やTVよりはましである。
 つまり、ある程度読解力とネットリテラシーのある、知識層だけはまだ騙されていない。

命の重さ

 亡くなる人が若いほど悲しみは大きい。若い人は死んではいけない

 先週後半は、市川海老蔵さんの妻の麻央さんが、乳がんで亡くなった話でもちきりであった。麻央さんは、それまでの苦しい闘病の日々を、ブログに書き綴っており、日本中の注目を集めていた。かって泥酔暴行事件を起こすなど、問題児の海老蔵さんが、麻央さんの病気を境に、変わったように見えたことも同情を誘っていた。

 官房長官ですら、記者会見でこの件に触れ、「本当に残念でならない。残された海老蔵さんや子どもたちのことを思うと言葉もない」と冥福を祈った。また麻央さんのブログについて、「病気と正面から闘う姿は、きっと多くの患者さんに勇気と力を与えてくれたと思う」とたたえたという。
 幼い子供二人を残し、34歳の若さで亡くなったことは、まことに痛ましい出来事であった。

       円満仏

 同じころ、もっと痛ましいニュースがあった。
 大阪で、夜釣りに出かけようと自宅前で、車で出発の準備をしていた35歳の父親が、後方からの車を避けようと幅寄せしたところ、2歳の息子を巻き込んでしまったという。その子は胸や腹などを強く打ち、病院に運ばれたが、まもなく死亡が確認された。
 34歳どころか、まだ2つである。
 
 夜の11時30分という深夜に、小さい子供を連れだしたことについて、責める人は多い。だが親は、はかり知れない責任を感じているし、後悔しきれない辛い出来事であることは紛れもない。どんなことがあったとしても、子供を亡くす悲しみは筆舌に尽くしがたい。とくに2歳児は一番かわいい盛りである。

 自分の幼い子を、自らの運転する車で轢いて死なせる事故は多い。パチンコに興じて、幼児を炎天下の車に放置し、亡くなる事故は何度もある。 
 亡くなる人が、若ければ若いほど悲しみは大きい。82才でなくなった野際陽子さんとは、次元が違う。若い人は死んではいけないのである。

政界コント

 人はどこかで発散させなければ生きていけない。人生、「すべてはギャグ」なのである

 森友学園から加計学園問題が下火になったと思ったら、こんどはコントショーが始まった。
 まず元文部事務次官が、怪しげなところに入り浸っていたことを指摘されたときの、「貧困女性実施調査」といういいわけは、典型的なコメディショーであった。

 つぎに、森友学園の籠池元理事長が、寄付されたという「100万円」の紙束を、安倍昭江さんに返そうとした出来事があった。元理事長は、昭江さんの経営する店の前で、これ見よがしに「札束」をちらつかせる。おかしいと思った記者が、「もう一度見せてもらっていいですか。中は白い紙のように見えましたが」というと、慌てて「ま、よろしいがな」と懐を押え、去っていった。そのとぼけっぷりが、何とも喜劇的である。

 また、自民党女性議員のパワハラ事件が、ワイドショーを賑わせている。東大法学部から厚労省に入ったあと政界に進出した、衆院2期目の豊田議員である。
 公表された音声データでは、当時の男性秘書に対し、「この、ハゲーっ!」「ちがうだろーっ!」などと罵り、時たま「ボコッ」とひっぱたく音が入る。件の秘書は、ひたすら「ごめんなさい」、「叩かないでください」と謝り続ける。この音声がインターネットやテレビで一斉に流れ、日本中があきれ返った。
 
         なんんじゃら仏

 パワハラ被害に遭った元男性秘書は、まことに気の毒である。
 だがこのばあい、パワハラしたほうが女性だから、大きなニュースになった。40才の「うら若き」女性が、55才のおっさんを罵倒する。人がオオカミに噛みついたようなものだ。男性がやったらシャレにならない。元男性秘書にとって深刻でも、われわれは吉本新喜劇を見ているようである。

 これについて民進党の蓮舫代表は、「国会議員としての資質があるとは到底思えない。党を辞めさせて終わらせる問題ではない」と非難していた。だが代表こそ、パワハラの塊に見える。これまでの言動から、蓮舫代表の身近な男性は、軒並みやられていそうな気がする。代表を辞めるときは、凄まじい録音テープが出回るに違いない。
 民進党が放った数々のブーメランは、壮絶な「政界喜劇」として歴史に残るであろう。

 それでも「ま、よろしいがな」。
 責任ある地位にある人は、必ずどこかで発散させなければ生きていけない。内にこもる人は自殺する。それも人生、「すべてはギャグ」なのである

グローバリゼーションと自由貿易

 世の中は不公平にできていることだけはまちがいない

 これまで正しいと信じられていた「グローバリゼーション」が怪しい。
 佐伯啓思氏は、新潮45の2月号、「反幸福論」(グローバリズムという怪物)の中で、「自由貿易が経済を成長させるという命題は、経済学者の過剰宣伝」と喝破している。

 佐伯氏は、およそ以下のように述べている。
 グローバリズムの親戚である自由貿易は、「比較優位」にもとづいている。
 ただ比較優位が成り立つのは、比較するものがほぼ同じ価値を持つ、ということが前提である。また、将来の可能性や成長性は無視している。
 たとえばアインシュタインは、研究とタイプが両方できる。そこで、アインシュタインが研究に専念し、有望な助手にタイプだけやらせておけばどうなるか。アインシュタインを超える研究は、絶対生まれない。

 またある国が、付加価値の高い工業製品(たとえばシリコンチップ)に特化し、別な国は農業製品(ポテトチップス)を必死に作り続ける。これは公平と言えるだろうか。ポテトチップスをつくっていた国も、シリコンチップをつくりたいと思うはずである。
 資本や技術の移動が容易になった現在では、十分可能である。そうなると、世界中がシリコンチップ競争になる。

        難民の行列 H29.6.11
 
 もっと深刻な問題は、業種間格差及び集中格差である。金融やITといった分野では、一部の卓越した知恵者が世界中の富を集める仕組みになっている。製造業のように大きな設備投資や雇用をしなくても、開発商品はいくらでもコピーできるからである。
 つまり世の中には、同じ労力をかけていても、1億円入る仕事と、100円しか入らない仕事がある。この格差は、グローバリゼーションでますます拡大する。

 こうなると、グローバリゼーション、貿易自由化、保護主義などといったものが、経済成長や雇用不安、地域間格差、所得格差とどう結び付くのか。その関連性はきわめてややこしい。これに北朝鮮のごとく、軍事力が加われば、わけがわからなくなる。
 結局、世の中が不公平にできていることだけはまちがいない。

ポリティカルコレクトネスの大罪

 少子化の最大原因は、ポリティカルコレクトネス(PC)だった

 映画「バトルシップ」の放送が、中止になったという。
 映画の中で、米国の軍艦がエイリアンとの戦闘で沈没する場面が、先日伊豆半島沖で起きた米海軍イージス駆逐艦の衝突事故を連想させるからだそうだ。
 あまりにも気を遣い過ぎではないか。

 このような、ポリティカルコレクトネス(PC)といわれる潔癖症が、日本に蔓延している。
 PCの意味は、直訳では「政治的に正しい言葉使い」とある。一般には、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別や偏見が含まれていない言葉や用語、表現を用いることである。
 
 看護婦が看護師と呼ばれるようになって久しい(年寄にはピンとこないが)。また最近、スチュワーデスという名称を聞かなくなった。これは客室乗務員になった。家内、奥さん、主人、亭主はもちろん差別用語で、これらは、配偶者、連れ合い、パートナーとかいう。男女の区別をなくしたおかげで、識別が困難になった。昔の「トルコ風呂」という名称が、いつしか「ソープランド」になった。なぜかこれは国民に定着している。

              能登の温泉

 言葉だけではない。あらゆるものが、PCに侵食されている。
 禁煙権にはじまり、著作権、暴力団取締、個人情報なんたら、不倫、大麻、飲酒運転禁止など、つぎつぎと禁止事項が増える。「共謀罪」と異なり、普通に生活しているだけで、知らずに踏み込む。どうにも息が詰まる。

 最近の具体例として、女優が2人、線路内に入って撮った写真をSNSに投降したことが炎上。芸能活動を自粛する羽目になってしまった。芸能界でさえ、不倫がバレてとんでもない目に合ったのは、数えきれないほどある。


 問題なのは、セクハラとか性暴力の垣根がどんどん低くなっていることである。電車の中で、わずか手を触れただけなのに痴漢扱いされる。あげく逃げ回って、ビルから転落死するという悲惨な事件も起こった。痴漢冤罪は日常茶飯事である。ジャーナリストの山口氏が、強姦罪で「被害者」女性から訴えられたのも、記憶に新しい。

 むかしから、男性が女性に迫ったとき、どこまでできるのかが永遠のテーマであった。女性が受け入れるのを待っていたら、一生迫れない。そのハードルが、どんどん高くなっている。現代では、「いやよ、いやよは好きのうち」を信じて行動に移ったら、一生浮かばれない。
 少子化の最大の原因は、ポリティカルコレクトネス(PC)だったのである。

宇沢弘文の経済学から

 電気料金を車の維持と同じくらい高くすると、人々は電気をありがたく思う

 先年亡くなった宇沢弘文氏は、「哲人経済学者」の異名をもち、社会的共通資本についての考察などで世界の経済学者に影響を与えていた。その彼は1974年刊行の「自動車の社会的費用」で、自動車を徹底的に毛嫌いしている。

 ≪現在日本で生活している人々は、絶え間なく自動車の脅威にさらされている。朝早くから夜おそくまで、場所によっては一夜中、自動車が私たちの生命、健康に害毒をもたらし、生活環境、自然環境を汚染し、破壊し続けている。・・≫

 当時は自動車事故で、年間100万人が負傷し、2万人が亡くなっていた。激減したとはいえ、いまだ毎年約80万人が負傷し、5000人近くが亡くなっている。ざっと、戦後からこれまで、日本だけで5000万人が負傷、60万人が死亡したということになる。排ガスなどの悪影響を含めると、実際その数倍はある。
 日本はやや落ち着いてはいるが、東南アジアを中心とした途上国では、以前この勢いが続いている。これまで、全世界では数億人単位が負傷し、死亡者は1000万人以上にはなる。これは大戦争における、戦闘での死者を大幅に上回る。

           危険な赤い車
       
 それでも今の世で、自動車の無い生活は考えられない。ひところに比べ、事故の割合は圧倒的に減ったし、自動車での人やモノの移動は社会の経済活動の大きな割合を占めている。自動車によって失われた人命より、救われた命の方が圧倒的に多い。だから人口は増えつづける。このことは、ほとんどの文明に言える。 
 今後も、いくら犠牲を払ってでも、自動車は普及し続ける。


 一方原発は、ほとんど犠牲者がいないのに、先進国では毛嫌いされる。電気が無いと社会生活が破たんするのは、自動車以上である。人々が合理的にものごとを考えることができなくなっている。

 もっとも車を買うと、いろんな税金をとられるし、保険もかかる。家庭の電気代はそれに比べたら、圧倒的に安い。だから電気は、空気や水と同じだと思っている。電気料金を今の10倍にすれば、人々の考えも変わるかもしれない。

秘密の程度

 公開できる情報が多い方が優良企業であるが、たいてい公開したら抹殺される

 義家文科副大臣の発言が問題になった。「加計学園関連文書の存在を証言した職員は、国家公務員法違反に当たるかもしれない」と述べたことである。国家公務員法には「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする」と定めてある。
 野党や大方のメディアは、今回の文科省告発が内部告発者の保護のための「公益通報」に当たるとして、義家文科副大臣を非難している。

 内部告発については、昔から多くの議論があった。中国漁船が巡視船に体当たりしたビデオを流出させた職員は首になったし、多くの内部告発者はいい目を見ていない。技術士の資格取得試験問題でも必ず出題される。正解は、「まず上司に報告し、内部で解決するよう努力する」であった。たいてい、いきなりの外部漏えいには問題がある。

          立ち入り禁止

 組織における「秘密」はどのように管理すればいいのであろうか。
 組織の情報には、必ず公開すべきものと、絶対に秘密にしなければならないものがある。公開すべきものとしては、会社の商品やサービス内容、上場会社なら決算情報などがある。秘密にしなければならないものは、従業員のプライバシー、新製品開発や作り方等の企業秘密であろう。

 じつはその間には無数の情報がある。どこまで公開するか秘密にするか、非常に悩ましいところである。たとえば「社長の愛人」、「社員の年収」を公にするかどうかは、地域や企業の文化、時代背景によって大きく異なる。
 そしてその程度が、企業のレベルを決める。もちろん、公開できる情報が多い方が優良企業である。
 だが、たいていは公開した途端、その企業は世の中から抹殺されるから難しいのである。

諺で一蹴?

 間違いなく、日本ではまもなく「堪忍袋の緒が切れる」

 韓国との慰安婦問題が治まらない。
 日本側の二階自民党幹事長は、訪韓中に韓国与党の秋代表と会談し、慰安婦合意について、両国間の約束なので守らなければならない、と主張した。
 これに対し秋代表は「約束なので守らなければならないというのは、契約法上の論理に過ぎない」と反論し、最後に「千両の借りも一言で返す」という韓国のことわざを出し、「お金より信頼が大事」と一蹴したという。

 もちろん、こんな秋代表の理屈が通るはずがない。これでは、国同士で合意や条約を結ぶような近代国家ではなくなる。合意をやり直したいのなら、それなりの方法、取るべき道があるはずである。諺で外交交渉ができると思っているのが信じられない。

        恐怖の恐竜

 もっとも韓国をまともな国と思ってはいけない。諺だろうがなんだろうが、使えるものはすべて使う。だから、「泣く子は餅を一つ余計にもらえる」という諺を実践している。それに加え、「嘘も百回言えば本当になる」を、粘り強く地でいっている。

 日本側から見たら、韓国が何を言っても、「恩を仇で返す」と見る人がいる。韓国のようなわけ知らずの国は、つかず離れず、放っておくのがいちばんいい。それでも日本には、相手が何か言ってきたら返事しないといけないという、礼儀正しい人が必ずいる。その人たちも、まもなく「堪忍袋の緒が切れる」はずである。

温泉旅行と実施調査

 この2日間、上諏訪温泉と草津温泉を訪問しました

上諏訪温泉からビーナスライン
 長野県諏訪市の温泉で、古くは諏訪大社の門前町として、江戸時代には諏訪藩の城下町、甲州街道の宿場町として栄えた。日本最古の温泉保養施設である片倉館(重要文化財)の千人風呂が有名。日本一高く吹き上がっていた間欠泉は、噴出量が衰え人工的に加圧して噴出させているという。
 われわれが宿泊したのは、上諏訪温泉「しんゆ」で、この温泉で最大の旅館である。諏訪湖の眺めがよく、清潔で接客もいい。珍しく若い女性の仲居さんが多いと思ったら、日本人ではなかった。
 
 翌日は、「ビーナスライン」を通って、草津温泉へ。途中、車山のてっぺんからのアルプスや、八ヶ岳連峰の眺望が見事であった。

 車山から白樺湖 H29.6.16 車山から 八ヶ岳連峰 H29.6.16 国道292横手山から眺望

草津温泉(群馬県)
 草津温泉の歴史は古く、大和時代の日本武尊や奈良時代の開湯伝説があり、歴史上では鎌倉時代に源頼朝が入湯したとされる。また優れた効能で、日本三名泉(草津・有馬・下呂温泉)のひとつに数えられる。

 古い温泉だけに、宿泊したホテルも、昨日とは打って変わった年代物であった。古いのはいいとしても、階段や廊下など、掃除した形跡がない。ネパール人の若いボーイさんたちは、もう少し修業が必要である。むき出しの配管や電気配線も、触らないよう注意が必要であった。

 翌朝は、源泉が集中する「湯畑」を見学。
 草津温泉の源泉は熱い。そのお湯の効能を薄めずに冷ますため、「草津節」などを唄いながら、長い木の板でかき混ぜる「湯もみ」をする。入場料600円を払い、その「湯もみショー」を見学した。2階建ての見学席に300人ほど入る館内で、約20分のショーがある。中高年の「乙女」たちが実演した後、見学者を集って「湯もみ」をさせる。これを1日6回行うという。単純計算なら、1回18万円。年間4億円の収入となる。
 最初満員だった見学者は、終了時には30人くらいに激減していた。ショーといっても、板を左右に動かすだけだし、司会進行も通信講座のように単調で面白くない。せっかく参加型のショーを行うのだから、もう少し気の利いたトークでもあれば盛り上がるはず。一見客狙いでも、これではそのうち廃れるかもしれない。

 草津温泉湯畑 H29.6.17 「乙女」たちの湯もみショー H29.6.17 草津閑散ショー H29.6.17

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ああ勘違い

 まだまだ世の中には知らないことがたくさんある 

 今日から2日間、研修旅行に出る。長野の上諏訪温泉と群馬県の草津温泉を訪問。現場の地熱及び地中熱を研究する予定。
 とくに草津温泉は、自然湧出量では日本一を誇る日本3名泉のひとつである。豊富な湧出量を利用し、18ヶ所もの無料共同浴場や 6ヶ所の大規模な日帰り入浴施設を備えているという。「草津節」を唄いながら、長い木の板でかき混ぜる「湯もみ」で有名である。

 ところで、生まれてこの方「草津温泉」は、滋賀県とばかり思っていた。関西方面に行くとき、東海道線を通ると必ず「草津駅」を通過する。阪神高速でも、上下線とも草津パーキングが目に付く。だから物心ついて50年、この「草津」を通るたび、いつかこの有名な温泉に入りたいと思っていた。

 今回「草津温泉」の企画が無かったら、死ぬまで勘違いしていたであろう。
 いまにして思えば草津を通過するとき、列車や車の中からいくら眺めても、普通のビルしかなかった。まったく温泉らしい雰囲気が無いのが不思議だった。
 まだまだ世の中には知らないことがたくさんある。
       
         蜘蛛の巣仏

 今回は地熱研究と並行して、温泉地における「貧困女性の実施調査」も行う予定(必ず報告します)。
 したがって2日ほど、本ブログはお休みします。

大安禅寺の花菖蒲

 昨日、福井市のはずれにある、大安禅寺の花菖蒲祭りを見学した。一昨年訪問したときは、ほとんど枯れ菖蒲であったが、昨日はまずまずの見ごろであった。バスツァーの中高年の団体にも遭遇した。

大安禅寺 菖蒲祭り H29.6.13 大安禅寺 菖蒲園 H29.6.13

 本館に入ると、2つの石が並ぶ「縁結び夫婦岩」が、目に付いた。ヨタヨタ歩いている高齢者たちには、縁がないのではないか。かといって、花を愛でている様子もない。いったい彼らは、何しに来たのであろうか。
 庭園を尻目に、千畳敷にある松平家の墓地までひと登り。墓場で、「幽体離脱」の体験をしてきた。

  縁結び H29.6.13      また幽体離脱 H29.6.13

 昔からこの寺は、和尚の「法話」が有名である。40年ほど前、先代和尚の法話を数回聞いたことがある。内容は覚えていないが、綾小路君麿の漫談を聴いているようであった。毎日、信者相手に訓練しているのだから、話術にも磨きがかかる。
 いまは若和尚の、高橋玄峰氏である。いくら住職とはいえ、30代の「若造」が、親くらいの年季の入った高齢者を手玉に取るのは、物凄いことである。綾小路君麿でさえ、50才過ぎてやっとその心境に達したのである。

共謀罪反対

 半世紀以上も反対運動を続けてきて、まったく説得力がないのが不思議

 1時間ほど前から、共産党の宣伝カーが近所を回っている。最初何を言っているかわからなかった。どうやら「共謀罪に反対しましょう」と言っているようだ。昨日も近くの市道で、共謀罪反対をアピールしていた。もちろん、共産党のことだから、「森友問題」や「加計問題」も、抜かりなく入っている。
 原発再稼働のときには、県庁前に陣取って、朝から晩まで交代でアジっていた。

 おそらく、数年後の憲法改正のときには、この何倍もの反対運動が盛り上げる。共産党は、原発やTPP、安保法制など、反対するのが仕事だから、しょうがないと言えば、しょうがない。

     なんんじゃら仏

 しかし、いくら共産党が反対運動をしても、市民はしらけている。街頭演説でも、見事なほど立ち止まる人はいない。演説を聞く人など、これまで見かけたことがない。たいてい、迷惑そうなまなざしで通り過ぎる。
 これが東京や大阪などの大都会なら、それなりの人数が集まるから、演説するほうもやりがいがある。

 福井で延々と反対演説を繰り返しているのは、たいてい同じ人である。50年以上、飽きもせずぶれもせず、まったく同じ主張を続けている。大したものである。そして、これだけ長い間反対演説を続けてきたのに、説得力がつかないのも不思議である。
 できるならその「才能」は、違うところに発揮してほしい。

放射線とテロ

 被ばくパニックテロを防ぐには、われわれが放射線を恐れないことしかない

 先週、茨城県にある原子力研究開発機構の研究所で、作業員5人が被曝した。最初肺から22,000ベクレルのプルトニウムが検出されたという報道があった。これは国内最悪の内部被曝である。ただ再測定では、体内プルトニウムは、検出されなかったらしい。体の表面に付着した放射性物質を誤検出していた可能性がある。

 どちらにしても、この程度では急性被ばくの症状は出ないし、体内プルトニウムはすぐ排出される。これが原因でがんになる可能性は少ない。22,000ベクレルといっても、人間4~5人分である。満員電車に乗れば、周囲の人から10万ベクレル以上の放射線を浴びる。むしろ、被曝したという事実がストレスで、病気になる可能性の方が大きい。

       悪霊の憑いた放射脳患者のお祓い

 この事件であらためて感じたのは、放射能に対する日本人の敏感さである。
 有機溶剤や塵埃などを吸い込んだとしても、死亡また気絶でもしない限り、ニュースになることはない。それなのに、わずかな放射線漏れでこれだけ大騒ぎになる。

 日本ではこれまで、放射線で亡くなった人は極めてわずかである。広島・長崎原爆は熱線と爆風だし、第五福竜丸のとき亡くなったのは、輸血で肝炎にかかった人だけである。このときビキニ海域で、致死量の放射線を浴び、2週間放置した人でも元気になっている。放射線は思ったほど危険ではない。放射線に対し過敏に反応する必要はない。

 それより、これだけ放射線恐怖症が多いと、「汚い爆弾」テロが効果的になる。世界には、無数に放射性物質が散らばっている。病院や研究室にある、がん治療器や放射線殺菌器などである。これらを盗みだし通常爆弾で爆発させれば、放射性物質は数キロ範囲に拡散する。 
 そのとき危険なのは、混乱やパニックである。医療機関には、無数の思い込み患者が殺到する。3.11のように、自殺する人も出る。それが他の地域にも飛び火して、収拾がつかなくなる。なにも原発施設を狙う必要などない。

 これを防ぐのに、すべての放射線装置を隔離することは不可能である。回避する方法はただ一つ。われわれが放射線を恐れないことである。

永平寺参(まい)ろーど②

 永平寺参ろーど禅ウォーキングに参加した。2回目である。京福鉄道旧永平寺線の跡地約6キロメートルの遊歩道を歩くウォーキングイベントで、10年ほど前から、毎年2回行っているという。永平寺町観光課が主催である。

 スタート地点まではえちぜん鉄道を利用。乗車した「福井口駅]では、駅舎ベンチでアベックが朝っぱらから乳繰り合っている。それを横目に、「永平寺口駅」まで20分乗車。その駅の南側からスタート。ゴールまでは、1マイル(約1.6㎞)ごとに「1参る」の標識がつけられている。駅から、「4参る」で永平寺門前町のゴールにつく。

 難民? H29.6.11  愛宕観音堂から永平寺 H29.6.11

 休日とあって、永平寺はそれなりの賑わいである。歩くのに苦労するほどではない。
 山門前から小高い所にある、愛宕観音堂から眺めた永平寺本堂は、なかなかであった。もっとも、150mほどの高さを登るのに20分かかったし、途中では恐怖の仏像がまとわりついてきた。

 帰りは途中の蕎麦屋でビールをひっかけ、尿意を我慢しながらの参道である。この道は、途中にトイレがないのが致命的である。

巨人連敗

 穏やかな心でいるためには、好き嫌いはほどほどにしなければいけない

 昨日9日の試合で、巨人は日本ハム戦に勝ち、やっとのことで14連敗を免れた。プロ球団での最高記録は18連敗だから、やがて最高記録を更新するところであった。

 むかし長嶋監督のころ、一度最下位になったことがある。その時以来の低迷である。もっとも、連敗数は少なくとも、トータルの負け数では、ヤクルトに勝っている。下には下がいる。さすがにアンチ巨人の私でも、ここまで弱くなると気の毒になる。

     養浩館 池 H29.4.05

 子供のころ、素直に巨人・大鵬・卵焼きが大好きであった。
 20年ほど前、松井選手が大リーグへ行ってから、すこしづつ巨人が嫌いになり、今では完璧なアンチ巨人である。

 なぜかわからない。
 たぶん、ファンで居続けることに耐えられなかったからである。ファンだったときは、試合のたび、ハラハラドキドキの緊張の連続であった。勝てばいいが、負けると悔しくて眠れなくなる。それでは体が持たない。
 そこから、巨人ファンを止めようと決心し、ようやく20年かけて達成した。

 それで気楽になったかと思うと、そうでもない。こんどは逆に、巨人が勝つと悔しくなる。穏やかな心でいるためには、好きでも嫌いでもだめなのである。これも、ほどほどでなければいけない。

加計問題の行方

 こんな「事件」で政権異変が起こったら、日本の民主主義こそ幼稚

 北朝鮮攻撃が一段落したら、加計問題が騒がれ始めた。つまらないことで騒ぐ方がおかしいのだが、政府対応もまずい。
 何ら悪いことをしてないのに、野党やマスコミの細かい指摘に、いちいち反応している。その反応を逆手にとられる。出てきた文書がほんとかどうかなど、まったく関係ない。中身がほんとだとして、何が問題なのか。

 この騒動で唯一の問題は、加計氏が総理と長年の友人関係だったことである。
 だが、家族ならともかく、社員や友人に便宜を払うのは悪いことなのか。むしろ美談である。賄賂が動いたわけでもない。総理ともなれば、日本人全員が知り合いである。そもそもへき地に定員100人余りの学校を作っても、たいした利権などあるわけない。

        帽子行燈

 繰り返すがこの問題は、韓国の朴政権を退陣に追いやった構図と同じである(疑惑がほんとにしても、朴氏に比べたら遥かに微罪だが)。朴政権も、何ら法違反をしたわけでないのに、国民の気に入らないというだけで弾劾されてしまった。北朝鮮の息のかかったハンギョレ新聞(日本の朝日・毎日)が、あることないこと煽りに煽ったからである。国民感情だけで自分たちが選んだトップを弾劾するのは、民主主義が未熟だからである。

 もっとも日本でも昨年、東京都知事の桝添氏が、わけなしに辞めさせられてしまった。これをみたら、日本もほめられたものではない。再びこのささいな「事件」がきっかけで、日本の政権に異変が起こったら、とても韓国をバカにしてはいられない。日本の民主主義のほうが、はるかに幼稚だということになる。

日本の核武装を急げ

 北朝鮮攻撃が頓挫し、「核保有国は攻撃されない」という神話が現実化した

 日本海で訓練していた、米軍の空母2隻を含む機動部隊が、周辺を離れるという。ひと頃騒がれた北朝鮮危機がひとまず遠ざかった。

 しかしこれは、問題が先送りになっただけだ。我々はゆで蛙になってしまった。
 これから確実に北朝鮮は、核弾頭の性能を格段にレベルアップさせる。ICBMを含む核ミサイルを、無数に保有する。世界は北朝鮮の思いのままで、破滅すれすれ恐怖の暗黒時代が始まる(つい先ほども、北朝鮮がミサイルを発射したというニュースが入った)。

     いまに見て色鳥

 さらに問題なのは、「核保有国は攻撃されない」という神話が、いっそう真実味を帯びてきたことである。
 現にアメリカの国防長官は、「我々が北朝鮮を攻撃すれば、反撃によって信じられない悲劇になる。」と腰が引けている。あれだけ戦争好きな米軍でさえ、一度たりとも核保有国は攻撃しなかった。米国以外にもこれまで核保有国を大規模攻撃した国はない。もちろん核による報復を恐れているからである。

 したがって今回アメリカが、北朝鮮攻撃に踏み切らなかったらどうなるか。自衛のために、世界中の国々が核保有に向かう。大特急で日本も核開発を推進しなければならない。開発は極秘に行う。日本に山ほどあるプルトニウムの有効活用の道も、一気に開ける。
 平和主義などと、ボケのたわごとを並べている暇はない。

絶対譲れない

 天皇家の万世一系が崩れると、日本は日本で無くなる。そうなる前に必ず内乱が起きる

 これまでこのブログで、いろんな主張をしてきた。エネルギー問題から、金融・経済、政治問題など、自分なりに合理的に考えているつもりである。ただその時点で最良と思ったことを書くので、環境が変われば考え方も変わる。環境が変わらなくても、納得できる情報が入れば頭のなかは変わる。

       継体天皇像 H29.1.29

 しかしその中で、絶対に変わらないし、譲れないことがある。
 天皇家の、男系継続。万世一系である。2000年以上続いてきたこの制度は金輪際なくしてはいけない。
 もし万世一系が崩れると、日本が日本で無くなる。これは理屈ではない。日本存続の最重要課題である。これだけは何があっても譲れない。女系天皇が生まれると、その時点でまちがいなく大暴動が起きる。起きなければおかしい(まさかそのための共謀罪?)。ISがとんでもないことになっているのは、イスラムにおける絶対的な権威者がいないからである。


 先月、天皇陛下譲位の特例法案を審議する運営委員会では、「女性宮家の創設等」の検討を政府に求める付帯決議案を示したという。与野党間の駆け引きにしろ、国体破壊の女性宮家創設が検討されるなど、我が国の皇統からすれば、到底あり得ない。

 男系の継続は、難しいからこそ価値がある。
 具体的に側室制度は、男系存続の知恵であった。復活するとしても、この数十年そんなことは考えられない。男系存続のためには、旧宮家を復活させるしかない。日本最大の非常事態には、否応ない。内乱で滅びるよりはるかにいい。

テロ実行者の狙い

 欧米住民を重視した扱いは、貧困国にとっては我慢できない

 イギリスでテロ事件が発生し、7名が犠牲になった。つい先日、イギリスのマンチェスターコンサート会場での自爆テロ事件では、8歳の女児を含む22名犠牲になり、59人が負傷したばかりである。

 イギリスの2つのテロの合間に、アフガニスタンの首都カブールで自爆テロが起こり、これは80名以上が死亡、負傷者は350名に及ぶという。犠牲者の大半はアフガン市民とみられる。じつはカブールでは、今年1月と2月にも、議事堂や裁判所近くで、3月には警察署や国軍病院などでそれぞれ爆発があり、警察官ら計100人以上が死亡している。
 規模や継続性からいって、こちらの方がはるかに深刻である。
 
      羊の奇兵隊

 「先進国」から見ると、どちらのテロも理解に苦しむ。
 原因の根本は貧富の差である。世界中の情報が簡単に手に入る今、貧しい人が貧しさに我慢できなくなっている。さらに、自分だけが良ければという「民主主義」が世界正義としてまかり通ってきた。こんな状態でいくらテロ撲滅を叫んでも、テロをやろうとする人には馬耳東風である。
 
 マンチェスターでテロのあったとき、公演を行っていたアリアナ・グランデさんは、こんど被害者のためのチャリティコンサートを開くという。少なくとも200万ポンド(2.8億円)集めたいとし、そのお金はテロの被害者のために遣われるそうだ。直接の金銭補償だけでなく、欧米でのテロ事件はニュースでも大きく取り上げられる。亡くなった人の個別取材など、日本のメディアでさえ、扱い方はイギリステロの方が、圧倒的に大きい。

 このような、欧米住民を極端に重視した扱いは、貧困国の住民には我慢できない。
 だから、テロの本命は先進国である。テロ実行者にとっては、アリアナ・グランデさんのチャリティコンサートは、これ以上ない絶好のターゲットである。警備には、万全を尽くす必要がある。

荒島岳追悼登山

 先日、昔の山仲間の奥さんが亡くなった。私より一回り近く若い。今日が葬儀である。
 奥さんと山に行ったことはないが、その山仲間とは40年前に、越後の山、谷川岳周辺、丹沢・三つ峠など数十回同行した。その後事業を始めてからは、内助の功のおかげで順調だったようだ。

 荒島岳から3の峰~経ヶ岳 H29.6.05 荒島岳頂上 合掌 H29.6.05 荒島岳頂上から、白山連峰 H29.6.05

 遠隔地なので、葬儀に参列できない代わり、本日一人で荒島岳追悼登山を行った。
 勝原スキー場跡から登り3時間余。荒島岳の頂上から、はるか新潟を望んで、合掌。頂上にあるお宮さんにもお参りし、冥福を祈った。

 梅雨前の貴重な晴天のため、平日にも関わらず県内外から、20組以上のパーティに出会った。もちろんほとんどが高齢者で、彼らもそろそろ潮時である。

自殺者数の不思議

 怪しげな統計をもとに施策を云々すると、大きな間違いを生ずる

 2017年版の自殺対策白書が閣議決定された。
 自殺者数は03年の3万4427人をピークに減少。2016年は2万1897人となり、22年ぶりに2万2000人を割った。それでも、2万人を超えている。10万人当たり19人で、これは、先進国の中では図抜けて多いという。ちなみに2015年に、アメリカは12人、フランス12.3人、中国でさえ7.8人しかいない。

 その代わり、日本での殺人事件はきわめて少ない。殺人事件は、2010年で383人、10万人当たり0.3人と世界で最も少ない。アメリカ4.7人、フランス1.2人、ドイツですら0.8人である。
 殺人を犯せば、その10倍も自殺者が減るという仮説も成り立つ。

       わらしべ

 しかし、この統計数字は何かおかしい。
 すべて統計データというものは、ひとつひとつを積みかさねたものである。その一つ一つが間違っていたら、全体の数字はまったく意味をなさなくなる。

 じつは日本には変死体が毎年15万体もある。この多く10万人程度が、他殺ではないかといわれている。そもそも、日本で自殺といわれているものも、多くは他殺かもしれない。

 人を殺すとき、犯行を隠そうとしたら、他殺には見せたくない。できるだけ自殺か事故に見せようとする。あるいは親族殺人の場合には、周囲も見て見ぬふりをする。孤独死で腐乱していれば、毒殺や絞殺、それに病死との違いなどわかるはずがない。たいてい病死でかたずけられる。警察の気が向いた時だけ、他殺とされ事件化される。つまり殺人といえど原則禁止だけで、あとは大目に見ている。如何にも日本らしい、柔軟性豊かな対応である。
 当たらずと言えど、遠からずであろう。
 もちろんこれは日本だけではない。とくに途上国の統計は信じられない。

 もっとも日本は、いくら自殺や他殺が多くても、死亡率は低く平均寿命は世界一長い。これ以上寿命を延ばすより、健康寿命を長くすることが重要なのではないか。
 怪しげな統計をもとに、施策を云々すると、なにか大きな間違いを生ずる。

痴漢とハニートラップ

 中国の破壊工作が進化することで、また出生率が一段と下がる

 霞が関司法クラブの記者会見で、山口敬之氏の準強姦被害が不起訴となったことについて、「被害者」の若い女性が不服申し立てを行った。名字は伏せたものの「匿名の被害者女性と報じられたくなかった」として、異例にも顔と名前を公開して記者会見に臨んだ。

 その「被害」の内容を聞くと、「加害者」と二人で、2軒ほど飲食店を回り、正体不明になったところで、嵌められたというものである。韓国慰安婦と同じで、女性が涙ながらに訴えたのを見ると、誰もが同情する。萬に一つこれがほんとのことだったら、と思うと、反論するには物凄い勇気がいる。

          ひねわらしべ

 しかしその思いが、つぎつぎと痴漢冤罪を生み、無垢な男たちを奈落の底に追い込んできたのである。客観・公平な検証が大切である。さらにこんなことが罪になるのかと思うと、世の男性は委縮してしまった。女性の記者会見で、多くの男性はビビッたであろう。おそらく今後、いっそう肉食男性が激減し、出生率が下がる。日本存亡の危機である。

 それに、この話は何となく胡散臭い。
 残念なことに、私はこの年まで妻以外の女性と、2人だけで飲食店に入ったことがない。男女2人きりでアルコールを伴う飲食をするのは、夫婦以上の関係である。梯子して泥酔なんかしたら、ナニされてもいいはずである。

 したがって今回の事件は、「ハニートラップ」という声に共感する。山口氏が、あるグループに不都合な事実を暴露したからである。あるいは、現政権のイメージダウンを狙ったともいえる。ハニートラップは、中国のお家芸である。森友、加計、ハニートラップと、中国の破壊工作は、確実に日本に食い込んでいる(一度嵌められてみたい)。

「ほどほど」と「中途半端」

 「やりすぎ」「ほどほど」「中途半端」のバランスをとるのが人生である

 私の座右の銘は、「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。このブログで何度も、「ものはほどほどがいい」と、言い続けてきた。
 その「ほどほど」とよく似た言葉に、「中途半端」がある。同じようでも、両者はまったく似て非なるものである。

 どう異なるのか。ある国語辞書によると、
 「ほどほど」・・・度が過ぎないで、ちょうどよい加減であること。適度。
 「中途半端」・・・始めた物事が完了しないでいること。態度などが徹底せず、どっちつかずの状態であること。また、そのさま。

 たとえばテストで、合格点が60点だったとしよう。勉強しなかったら零点である。普通は、60点より上の70点か80点を目指す。95点でもいい。運と勉強時間、能力がそろえば、目指した点数は何とかなる。
 ところが100点を目指すと、とたんに厳しくなる。卓越した知識と能力と合わせ、一瞬の不注意も許されない。100点を取るには、95点を取るに比べ100倍もの時間と頭脳が必要になる。ひとつの科目にそれだけ費やしていたら、それ以外の勉強などほったらかしになる。だから100点など目指すべきでない。80点か90点で我慢すべきである。
 これがほどほどである。

 「中途半端」とは、ここで80点どころか、60点もあきらめてしまうことである。50点不合格でも良しとしてしまう。

 すなわち「ほどほど」と「中途半端」の違いは、目標到達点の違いである。「中途半端」は、目標の到達地点に達する前に投げ出してしまうことである。
 「中途半端」以上に問題なのが、「やりすぎ」である。
 「やりすぎ」「ほどほど」「中途半端」のバランスをとれば、人生はうまくいく。

 つまりテストの場合には、
  やりすぎ;徹底して満点を狙う
  ほどほど;合格点よりやや上を狙う
  中途半端;合格点に達する前に諦める

      サクラ咲く H29.3.26

 その他、いくつか例を挙げてみよう。

 飲酒
  やりすぎ;前後の見境が無くなるまで飲む
  ほどほど;騒いで歌ってストレス発散する
  中途半端;人知れず飲みアル中になる

 禁煙
  やりすぎ;周囲1キロ以上禁煙、喫煙者とは絶交する
  ほどほど;自分では吸わないが、周囲の喫煙は歓迎。香りを楽しむ
  中途半端;煙草ではなく、大麻で我慢する

 武力
  やりすぎ; 北朝鮮
  ほどほど; 「普通」の国
  中途半端; 日本

 学費
  やりすぎ;アルバイトが本業になる(これでいいときもある)
  ほどほど;学費と生活費程度をアルバイトで稼ぐ
  中途半端;バイトしないで「社会が悪い」と大学を中退する

 貧困女性実施調査
  やりすぎ;立場をわきまえず、毎週3回以上通う
  ほどほど;むかしやったことがある
  中途半端;やったことがないのに批判だけする

 民主主義
  やりすぎ;些細なことまでこだわる(ポリティカルコレクトネス)
  ほどほど;決めたことは守る
  中途半端;皆が勝手に自己主張する

 死にどき
  やりすぎ;死んで周りの人を安心させる(やっと死んでくれた)
  ほどほど;ひっそりと息を引き取る(惜しい人を亡くした)
  中途半端;死んだとき、周囲を困らせ悲しませる(逆縁)

 この「ほどほど評価」と5段階評価で、人格評価ができる。
 それでも、厳密な分け方はできない。こんなことにあまりこだわると問題である。これもほどほどにしなければいけない。

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PKO派遣人材

 暇と元気をもてあましている、じじいの決死隊の出番が来た

 5月28日のNHKスペシャル「変貌するPKO 現場からの報告」では、昨年夏に南スーダンで自衛隊が遭遇した、「戦闘」事件についての報告があった。昨年7月11日から数日間、自衛隊の宿営地を挟んで、政府軍と反政府軍が銃弾を打ち合っていたという。隊員たちの頭の上を弾丸が飛び交い、弾痕が壁に突き刺さる。正当防衛での武器使用は可能とはいえ、ほとんどの隊員は、なすすべもなく見守っていた。

 PKOといっても日本の自衛隊は、道路工事などのインフラ整備が中心であった。
 匿名の自衛隊員の証言によると、多くの隊員は死を覚悟しビビッていた。実戦経験のない若者だから当たり前である。もっとも5月末までに撤収することが決まっているため、自衛隊は間もなく南スーダンにいなくなる。

       いざ決戦

 それでも、PKOが無くなるわけではない。紛争地の治安が解消するためには、何らかの実力部隊が必要である。強力なPKOがなければ、世界はますます混沌化する。

 難しいのは、武装勢力の装備が充実してきたことである。そのため、これまで「停戦監視」や国づくり支援が中心だったのに対し、地域の人々を守るために、武器使用の実力行使が避けられなくなった。紛争地のPKOは、大幅に生命リスクが増大してきた。
 そんな状況で、数百名の若者を危険地帯に派遣するのは問題である。ただでさえ、日本には若者がいない。最近では欧米先進国からのPKO派遣が激減し、代わりにアフリカやインド、中国からの派遣が増えている。貴重な自衛隊の人員を、PKOに充てるのも、勿体無い。

 やはりここは定番の、じじいの決死隊である。もちろんばばあも入れる。60才以上で、暇と元気をもてあましている人は山ほどいる。どうせ先は短い。自分が死ぬことで、子供一人でも助かるなら本望である。孤独死より戦死のほうがいい(そのためにも自衛隊は、正式な軍隊にする必要がある)。
 なんといっても、高齢者は死ぬのが仕事なのである。