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教育勅語と教育基本法

 教育勅語の否定は、日本国憲法や教育基本法に背くことになる

 森友学園騒動で、「教育勅語」がクローズアップされた。
 じつはこの「教育勅語」は、戦後すぐの1948年、国会の決議で公式に否定されている。天皇主体の軍国主義教育の柱で、憲法や教育基本法の理念に反するとしていた。多くのリベラルの人は嫌悪感を抱いており、関連の幼稚園で暗記させていることに反発している。

 その教育勅語は、いったいどういうことを述べているのか。
 原文は非常にわかりにくい。そこで国民道徳協会が簡潔に訳した、教育勅語の核心部である12の徳目を紹介しよう。

①親や先祖を大切にしましょう
②きょうだいは仲良くしましょう
③夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
④友だちはお互いに信じあいましょう
⑤自分の言動をつつしみましょう
⑥広くすべての人に愛の手をさしのべましょう
⑦勉学にはげみ職業を身につけましょう
⑧知識を高め才能を伸ばしましょう
⑨人格の向上につとめましょう
⑩広く世の人々や社会のためにつくしましょう
⑪規則に従い社会の秩序を守りましょう
⑫正しい勇気を持って世のため国のためにつくしましょう

 これをみると、当たり前のことを言っているにすぎない。それに原文の、「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」は味がある。これに反対する人はへそ曲がりである。

      似非学者

 ではこの教育勅語は、いまの教育方針とどう違うのか。
 以下は、現代の教育基本法のなかの、第二条(教育の目標)である。

1.幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
2.個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
3.正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
4.生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
5.伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 ほとんど同じように思える。少し詳しく見よう。

 教育勅語にあって、教育基本法にないもの
A-1 きょうだいは仲良くしましょう
A-2 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
A-3 友だちはお互いに信じあいましょう
A-4 自分の言動をつつしみましょう

 教育基本法にあって、教育勅語にないもの
B-1 豊かな情操と道徳心を養うこと
B-2 個人の価値を尊重
B-3 男女の平等
B-4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する

 あまり変わらないように見える。「B-1豊かな情操と道徳心を養うこと」のように、むしろ教育基本法のほうが、戦前回帰みたいである。

      天空の白山 H28.5.28

 一つ大きく異なるのは、個人に関する考え方である。
 教育勅語では、「A-4 自分の言動をつつしみましょう」と言っているのに対し、教育基本法では、「B-2 個人の価値を尊重」することを推奨している。現代は、「つつしむ」のではなく「個人を主張する」のである。

 もちろんどちらも正しい。正しいが、どちらも過ぎると大変である。原理主義のように完全実行しようとすると問題が起こる。「つつしみ」が過ぎると独裁になり、「個人の主張」が過ぎるとエゴの集団になる。
 したがってものはほどほど。それこそ個人の性格に合わせ、いいところを参考にすればいい。それに教育勅語のほうが、すっきりしてわかりやすい。内容に関しては、なにも問題ない。

 また教育勅語を否定することは、日本国憲法(19条;思想及び良心の自由)や教育基本法(2条1;幅広い知識と教養を身に着けることを目標)に背く。現代史を学習するためにも、教育勅語の暗記をカリキュラムに取り入れる教育機関があっていいはずである。

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高校生の雪崩遭難

 ここで雪山登山をやめるのは、今回亡くなった人たちに対する冒涜である

 先日栃木県那須で、高校生と教員8名が、雪崩に巻き込まれて亡くなった。これから原因究明に向けての調査が始まり、責任者が洗い出される。報道によると(メディア報道の半分はマユツバ)事故のときの状況は、高校生がやばいと思っていたのに強行したり、雪崩発生時に「伏せろ」と叫ぶなど、ベテラン指導者らしからぬ言動があったという。

 そしてこのような事故があると必ず「行事をやめるべき」と言う人が現れる。実際に文科省は、この事件を受けて、都道府県の教育委員会に緊急の通知を出し、高校生以下は原則として冬山登山は行わないよう、改めて指導を求めたという。

       雪だるま

 しかし、事故があるたびに「全面禁止」するというのは、まるで能がない。登山に限らずなにかやれば、必ずリスクが付きまとう。当たり前である。実際の行動の中でリスクを予知、回避する能力を身に着けていくのが、本来の教育ではないのか。事故は悲しいが、それを活かすことで本物の知恵と力がついていく。ここで冬山登山を止めてしまうのは、亡くなった人たちに対する冒涜である。

 文科省は、教育によって人材の育成をはかる組織である。禁止だけならサルでもできる。事故があればやめてしまうような姿勢では、組織としての存在意義がまったくない。文科省の教育の目的には、「自主的精神に充ちた、心身ともに健康な国民の育成を期すること」とある。大切なことは、批判をうけても逞しく優秀な人材を育て、未来の日本と人類の継続を確実にすることなのである。

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恐怖のPSA検査

 病気は山ほどあるのに、PSA検査だけでこんなにエネルギーを遣うのはおかしい

 昨日、定期のPSA検査を行った。PSAは、前立腺の異常を示す数値である。これが大きいと、がんの恐れが高まる。5~6年前から、年に2~3度の検査が続いている。
 前回12月のときは、それまで5~9を往復していたのが、13.5に跳ね上がっていた。今度の数値如何では、また恐怖の「生検」である。

 「生検」では、肛門に極太の器具をぶち込んで、そこから前立腺の内部へ管子を伸ばす。肛門から前立腺にかけて、尿道や大腸をキズだらけにしながら、あちこち10か所ほど肉片をむしり取られる。5年前に「生検」した時には、下半身の何ともいえない痛みと、1か月くらい「下血」があった。できれば、もう2度と受けたくない。

    血のションベン

 だから毎回の検査日は、診察室で医者から数値を聞く瞬間、不安が最高潮に達する。命は惜しくないから(ほんとはうそである)がんの宣告より、「生検」の勧告が怖い。
 幸い昨日は、前回より少し数値が下がって、「生検」は先延ばしになった。

 このPSA検査だけで午前中が潰れる。「生検」となると、2日ぐらいはまともに動けない。
 そのうえこれらは治療でなく、単なる検査でしかない。前立腺異状による不快な症状が治るわけではまったくない。普段の生活でも、なにを節制していいのかわからない。担当医は、何もすることはないと言う。
 このままでは、これからも死ぬまで、年に数回づつ不安におののくことになる。

 冷静に考えると、病気の数は山ほどあるのに、PSA検査だけでこんなにエネルギーを遣うのはおかしい。たまたまPSAに目を向けているとき、ほんとは他に重大な病気が潜んでいる可能性が大きい。国会での森友学園騒動と同じである。
 それでも検査を止められないのが、不安商法の所以である。

エネルギーの未来

 フェードアウトしなければならないのは、いたずらに反原発を唱える人たちである

 昨晩同じような時刻に、NHKとBSフジ(プライムニュース)で、原発関連の討論番組を行っていた。
 その一つ、NHK特番「福井スペシャル」は、原発の安全性やコスト、再生可能エネルギー、最新の火力発電設備、日本の未来エネルギーについての議論である。国の計画では、2030年に原発エネルギーが20~22%、再生可能エネルギーが22~24%である。これでいいのか、ということである。

 飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所長)は、再生可能エネルギーについて、楽観的な見通しを語り、もっと増やすべきと言う。また消費生活アドバイザーの辰巳菊子氏は、原発は怖いし、CO2を排出する石炭火力発電所は作るべきでなく、再生可能エネルギーが増えて電気代が高くなるのも困るという。一方で、来馬氏(福井工大教授)をはじめ原発推進者は、この場での雰囲気に負け、腰の引けた発言に終始していた。
 そのため、番組全体の意向として、原発は将来に向けフェードアウトしていく、というコンセンサスとなってしまった。

     哀

 このような番組では、突っ込んだ議論がおざなりになり、原発の危険性ばかり取り上げられる。再生可能エネルギーの致命的欠陥が表に出ることもなく、コスト計算も反原発者の歪んだ算定方式が強調される。司会者の色眼鏡が、議論をそのような方向に誘導する。その結果、世論が誤った方向に導かれてしまう。

 ただこの番組では、秋元圭吾氏(地球環境産業技術研究機構)の言葉が救いであった。彼は番組の途中、おおよそ次のことを述べていた。
 「エネルギーは50~100年の長期視点に立った政策が必要で、巾と奥行きのある議論が重要である。国民的議論は大切ではあるが、それに捉われてしまうと、国家100年の計を誤る。」

 すなわちエネルギー問題は、各専門家の「虫の目」だけでなく、「魚の目」、「鳥の目」、さらに、「宇宙からの目」といった、多面的なマルチ視点を確保すると同時に、不安や恐怖などの感情面は、極力抑えなければならない。
 原発恐怖症が癒えていない今の段階では、国民的議論での結論は出すべきではない、というのはまさにそのとおりである。

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佐川美術館

 有名芸術家より、幼児コンクール入選作品のほうに感動した

 3月最後の日曜日、滋賀県の近江・森山、琵琶湖のほとりにある佐川美術館を訪問した。
 この美術館は、1998年佐川急便が40周年の記念事業で財団法人として設立したものである。財団法人として設立された美術館は、日本にはこれ以外に数多くある。企業が競って節税のためにつくったもので、そういえば私の近所にも、チンケなのがあった。
 サクラ咲く H29.3.26 琵琶湖大橋 H29.3.26

 JR堅田駅から、ちらほら咲く桜の木を眺めたり、琵琶湖大橋を渡って約1時間歩くと、佐川美術館に着いた。企業イメージとは異なって、建物は清楚ながらも贅沢な造りである。コンクリートを多用しながら、周囲を浅いプールで囲ませている。

 佐川美術館中庭 H29.3.26 佐川美術館内 H29.3.26

 展示物は、佐藤忠良氏の彫刻と楽吉左衛門氏の陶芸、それぞれ30点ほど。もちろん初めて聞く名前で、作品もよくわからない。もう一人平山郁夫氏の絵画数十点は、独特の作風でわかりやすかった。これなら見飽きることはない。

 また今回は、幼児と小学生のコンクール入選作が多数展示してあった。幼いながらも工夫と緻密さの跡がみられ、他の作品より感動した。美術館の参観者の反応をみても、これが一番評判がよかったようだ。

禅問答の終わり

 国会議員のアホさ加減は、われわれ国民の愚かさの反映である

 ある事実を、意味のある情報や主張として展開するためには、その「根拠」と「論拠」が明確でなければならない。今回の森友学園問題では、そのいずれもがあやふやなまま展開しているから、らちが明かない。
 また「根拠」=事実は認めても、そこから主張へと至る「論拠」がまるで異なっている。

 たとえば23日の森友学園理事長の証人喚問では、首相が森友学園の土地購入や学校認可に「関与」していたがどうかが大きな争点になっていた(どうでもいいのに、首相自身が「関与していたら辞める」と言ってしまったからだ)。
 証人喚問の場で理事長が証言したもので、証拠に基づく明らかな事実もある。不思議なのは、その事実の解釈が、人によってまるで反対になることである。

     鬼太郎

 具体例で、理事長が首相夫人へ国有地の賃貸契約期間延長を求め、それに対し総理夫人付の谷査恵子さんから、「当局に問い合わせたところ、大変恐縮ながら現状ではご希望に添うことはできない」とFAXで返信したという事実がわかった。この事実は証明されている。
 これが総理の言う「関与」であるかどうかが、国会やメディアの一大関心事になっている。

 首相を攻撃したい野党やメディアの言い分はつぎのとおりである。
 首相夫人のお付のものが、役所に問い合わせしたことが、役所側に何らかの圧力を及ぼした。そのときはゼロ回答でも、土地購入で何らかの「忖度」が働いたはずである。だからこの件は、「関与」にあたり、約束どおり首相は辞任すべきである。

 これに対し首相側は、
 こんなものは「関与」とは言えない。ほとんどの政治家や有名人は、膨大な陳情を受けている。役所になじみのない陳情者に代わって、役所に問い合わせをすることも多い。それをすべて「関与」というのなら、すべての議員が何かに「関与」しているということになってしまう。首相はこんなことを「関与」といったのではない。こんな微妙なことで辞めていたら議員がゼロになる。


 どちらにしても、こんなアホ臭い禅問答をくだくだいつまで続けているのか。国会議員のアホさ加減は、われわれ国民の愚かさの反映である。

 さらに籠池夫人と昭恵夫人のメール公開で、民進党の辻元清美議員の名前が浮上してきた。これも、やっていないことの証明をしなければならない。お互い水掛け論である。
 こうなると最後は、昭恵夫人と辻元議員とで、どちらが胡散臭いかである。人を疑うことを知らないマリアさまと、女詐欺師との違いだ。これはもう明らかである。幕引きは近い。


 つぎは
 今回の土地問題の本質

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雪山参加

 そのうち半世紀前の冬山の道具を身に着け、近くの雪山で遭難する

 そろそろ雪山シーズンが終わる。
 といっても、ここ40年以上積雪期の山に登ったことはない。数年前の1月、長靴を履いて文殊山に登ったくらいである。そのときは泥交じりの雪で、とても積雪の山とは言えなかった。
 山好きな人のブログなど、雪山の記事をみると非常に羨ましい。いまいちど、真っ白な雪山に登ってみたい。

     冬山

 半世紀前の学生時代。新潟県にいたおかげで、越後三山や谷川連峰など豪雪地帯の山に何度も登ることができた。とくに三月の越後駒ヶ岳における、頭を超えるラッセルと頂上付近の白一色の展望は、ヒマと体力に恵まれた学生にしかできない経験であった。守門岳の雪まみれ登頂、越後三山おかめ覗き付近での滑落、後立山の雪洞生き埋め危機など、ほどほどスリルにも恵まれた。

 当時使っていた、上下のヤッケ、アイゼン、輪かん、ザイルなど冬山用の道具が、まだどこかにある。ゴミ屋敷寸前の我が家では、何がどこにあるかさっぱりわからない。見つけたとしても、劣化してまともには使えない。
 そのうち、半世紀前の冬山の道具を身に着け、雪山で遭難死した記事が出たら、それは私である。

学園理事長の証人喚問

 連日ばかばかしいことで大騒ぎしたことは、国会の悪しき前例として歴史に残る

 昨日国会で、籠池理事長の証人喚問が行われた。
 なぜかいま森友学園は、国会やマスコミで異常なバッシングに遭っている。今朝の新聞も、一面トップの扱いである。たしかに学園の理事長やその夫人、長男など、つぎつぎ山師のような怪しげな人物が登場した。役者ぞろいのストーリーが展開し、国民にとっては下手なドラマより面白い。
 
 9億円の土地を1億円で購入したり、国有地の借地や分割払い、値引き、迅速な対応など、前例のない役所の対応がつぎつぎと表面化してきた。首相の昭恵夫人が、その学校の名誉校長になっていたことから、首相を引きずり下ろしたいメディアや野党が大騒ぎしている。

    モー 結構  

 しかしそもそも、いったい何が問題なのか。
 「良心的」な役人が森友学園の教育方針と社会的意義に共鳴し、小学校設立に尽力しようと思っただけではないか。いい学校なら、設立実現のためできるだけ協力しようと思うのは人道である。学校創設の規制を緩和したばかりで実績も欲しい。
 さらに、あの理事長の押しの強さには、並みの役人なんか太刀打ちできない。バブル期に、尾上縫という料亭の女将が、多数の銀行マンや金融マン相手に、数千億円の不正融資を強要した事件があった。背広組は、しつこい要請には弱い。

 また今回の「事件」では、官僚が政治家の意思を「忖度」したのではないかといわれている。まるで「忖度」が悪いかのような風潮になっている。
 これもおかしい。役人に忖度させるのが優良政治家である。
 政治家の仕事は、自らの理念に沿った社会を作ることである。その理念を具体化するのが個別の企業や学校で、政治家の意思を忖度して個別事業者を支援し、よりよい社会を実現させるのが役人の仕事である。賄賂が無い限り、政治家が役人に圧力をかけて悪いはずがない。口利きや忖度がダメなら、政治家は何のためにいるのか(国会質問は、公開口利きである)。議会で寝ているのが仕事ではない。

 だから役人は、前例のないことでも柔軟に対応すべきである。絶対柔軟対応をしていけないのは男系天皇だけで、その他のことならいくらでも忖度していい。


 おそらく100年後には、緊迫した近隣外交をよそに、連日ばかばかしいことで大騒ぎしたことが侮蔑・冷笑され、メディアや国会の悪しき前例として歴史に残るであろう。
(この事件で怪しいのは、申請書の提出先によって異なる金額が書かれていたことである。程度問題ではあるが、これもわざわざ国会で大騒ぎすることではない。)

安心のコスト

 豊洲では地上リスクのない土壌汚染対策のため、とんでもない環境破壊を行ってしまった

 豊洲問題だけでなく、近年なにかにつけ「安全」と「安心」が問題となっている。解っているはずなのに、なぜかこの2つを混同している人が多い。そこで、これを文科省「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」の見解に基づいて説明しよう。

 まず「安全」とは、「人やその所有物に危害がないと客観的に判断されること」である。科学的知見によって証明されたもの。もちろん絶対安全はなく、リスクを社会が受容可能なレベルまで極小化している状態を「安全」であるとしている。

 「安心」は、「人が予測している状態と大きく異なる状態にならないと信じていることと、なにかあったとしても受容できると信じていること」である。個人の主観的な判断に依存するもので、科学的根拠である「安全」への信頼が必要。まさに心の問題であり、好き嫌いの感情が大きく影響する。

 ややこしいがざっくり言えば、「安全」は客観的なもので「安心」は主観的なものである。

      成仏 H27.12.15
   
 そこから文科省は、「安全・安心」な社会のために、つぎの5つの条件を提唱している。

①リスクを極小化し、顕在化したリスクに持ちこたえられる
 リスクを社会の受容レベルまで極小化することで安全を確保しつつ、その状態を維持できる社会。同時に、リスクが顕在化してもその影響を部分的に止め、機能し続けられる社会。

②柔軟対応と相互協力が得られる
 安全は、予見の範囲を超えて脅かされる。これを前提として、新たな脅威が生じても常に柔軟な対応が可能な社会であること。さらに安全を実現するための地域間、国際的協調ができる社会。

③安全に対する個人の意識が醸成
 個人が安全に対する知識と意識を持ち、安全な社会の構築に必要な役割を個人が果たしうる社会。

④信頼できる安全が安心になる
 安全確保に関わる組織と人々の間で信頼が醸成され、安全を人々の安心へとつなげられる社会であること。

⑤安全・安心における矛盾を合理的に判断
 どこまで安全・安心な社会を実現するべきか、合理的に決めていける社会。


 とくに重要なのは、「③安全に対する個人の意識が醸成されている」ことであろう。いくら科学的に「安全」だといっても、その意味を理解していなかったら、その他の①,②,④,⑤など、頭から分からない。まさに、国民の民度が問われる。

 すべての人が「安心」するためには、無制限のコストとエネルギーを消費する。
 たとえば、豊洲の土壌汚染対策費用800億円で費やした膨大な化石燃料(原油換算で1億ℓ~)。温室効果ガス排出は10万トン~にはなる。大気汚染も半端ではない。直接地上にリスクのない土壌汚染対策のために、とんでもない環境破壊を行ってしまったのである。

 同じようなことが原発の停止でも起こっている。
 まさに日本では、自分さえよければいいという、民主主義社会の膿が噴き出している。

豊洲の安心は都民の民度

 科学的安全を信頼して文明を形成できるか否かが、人とサルとの大きな違いである

 東京都議会の百条委員会で、豊洲問題の追及が佳境を迎えている。東京ガスとの交渉経過や、仕様変更、そして土壌汚染対策費用だけでなく建設費用が何倍にも跳ね上がったことの経緯が明らかになるはずである。
 なかでも喫緊の大きな課題は、移転の可否を左右する安全基準の問題である。

 豊洲における最新の環境調査で、地下水から環境基準100倍のベンゼンや微量のシアンなどが検出された。たしかにこの数値では、飲み水としては不適切である(大量に飲まない限り死ぬことはないが)。できるだけ環境基準に近いほうが望ましいのは間違いない(もともと環境基準というのは、あり得ないくらい厳しい数値である)。

    たそがれのうば桜 H28.4.09

 しかし、土壌そのものは厳しい環境基準をクリアしている。地下水は、床下深いところにあり、さらに順次汲み上げて浄化したものを排水する(場内で使うことはない)。揮発するベンゼンの大気濃度は問題にならず、念のため濃度検出器も備えている。したがって建屋部分には全く影響がない(離れたところの環境基準100倍で驚いていたら、場内で殺菌消毒やトイレもできない)。専門家は豊洲安全に太鼓判を押している。

 つまり豊洲では、科学的な「安全」が確保されており、移転には何ら問題がないのである。
 もともとこの場所の地下水は、環境基準43000倍ものベンゼンが検出されていた。それでも問題ないのに、ゼロリスクを求めるポピュリズムに負け、安全基準を環境基準にまで上げてしまった経緯がある(これはまさに、放射線の安全基準を何の根拠もなく1㎜Sv/年にしてしまったこととそっくりである)。

 もとより世の中には、完璧なこと、ゼロリスクなどどこにもない。築地にしても、豊洲より「安全」だったわけではまったくない。最近になって、土壌汚染は築地の方がひどいという事実が暴露された。また築地の建屋は、耐震強度が低く地震が起これば多くの死人が出る。

 それに地下水脈は広範囲に広がっているため、環境基準100倍のベンゼンは、とうてい豊洲だけでは収まっていない(逆に豊洲が原因とは限らない)。これがダメなら、東京近辺の適地は無くなってしまう。すでに日本は、ほとんどの地域が何らかに汚染されている。知らないから「安心」しているだけに過ぎない。むしろ、きちんと数値管理された豊洲以上に安全なところはない。
 そもそも土壌汚染が問題になるのは、このように広く地下水が汚染されることであって、その土地の上が危険なことはほとんどない(東京都はこの汚染地下水まで、ほぼ浄化していたのには吃驚した。やりすぎかも)。

 これでもまだ小池知事が、豊洲への移転を決断できないのは、「安全ではあるが安心を担保できない」恐れがあるからであろう。「環境基準100倍の地下水」という意味のない言葉が一人歩きし、人々の安心を損なってしまう。無知或いは悪意を持つマスコミや「知識人」が、その不安を増幅するような発信をするのは目に見えている。
 つまり問題は風評だけである。

       人類の未来

 石原元都知事は百条委員会の中で、「安全を保証する科学を信頼できず、風評に負ける(安心できない)のは文明国の恥である」と述べていた。このことは、「反原発でサルになる」と書いた故吉本隆明氏の主張とそっくりである。

 すなわち、安全なのに安心できないのは人間を含めた霊長類の性であり、その感情を克服し文明を形成できるか否かが、人とサルとの大きな違いなのである。

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原発避難訴訟

 今回の判決は、原発再稼働を進めるための大きな促進剤になった

 東芝解体とは逆に、司法界では原発の推進を促す有意義な判決が下された。
 東電の福島第一原発事故で群馬県に避難した45世帯(137人)が、慰謝料15億円の損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は国と東電に対し、原告のうち62人に、3855万円の支払いを命じたという(3月17日)。

 つまり、東電は巨大津波を予見できていたのに対策を執っておらず、国も回避措置を取らせるべきだった、と指摘した。これらの対応を怠ったために事故が起きて、原告の平穏生活権が脅かされたと裁判長が認定したのである。
 あのとき具体的に、津波が押し寄せてからの一つひとつの不具合を見ていくと、じつに簡単な準備さえあれば起こらなかった。そのうちの、ひとつでも対策が施されていれば、あそこまで重大事故には至らなかった。原発反対者に気を使うあまり、やるべきことをやっていなかった。3.11の原発事故は、いくらでも防ぐことができたということである。

    罷免する裁判官

 すなわち今度の判決によって、適切な対策さえ取れば原発事故は完全に防げるということが自明になった。原発は本質的に安全であるということが、司法のコンセンサスとなったのである。原告が裁判を起こしてくれたおかげである。

 いま原発再稼働に向けて行われている安全審査では、必要以上の安全基準が施されている。これからは、日本での原発事故などあり得ない。今回の判決は、迅速に原発の再稼働を進めていくための大きな促進剤になったのである。

東芝解体

 理不尽な反対の声さえなければ、原発事業は有力な産業である

 東芝は先日(3月14日)の記者会見で、巨額損失を出した米原発子会社ウェスチングハウス(WH)社の株式を売却し、今年度中に海外の原発事業から撤退する方針を発表した。
 WH社の売却といっても簡単ではない。米国で兆円単位の負債を抱え、にっちもさっちもいかなくなっている。東芝はこれ以外にも、主要事業をことごとく売却するという。

 東芝の解体以上に深刻なのは、原発事業の行方が定まらないことである。
 福島の廃炉作業でも、第一線で技術面の指揮を執っているのは東芝である。1~4号機のうち2基の原子炉をつくった東芝の社員がいなければ、今後の廃炉作業もままならない。
 それよりなにより、これからの原発の開発そのものがおかしくなる。せっかく、福島の事故で貴重なノウハウを蓄えたエネルギー分野が衰退するのは、人類の大損失である。

        いまに見て色鳥

 理不尽な反対の声さえなければ、原発事業は有力な産業である。全世界100億人の豊かな生活をまかなうには、いまの5~10倍のエネルギーが必要になる。それには、原発をはじめとした核エネルギーを欠かすことは絶対にできない。

 今回の東芝に対しても、多くの「放射脳」患者は他人事のように冷ややかである。東芝どころか、日本の原発維持に猛反対している。先のことを考えず、感情に任せて非難・批判しているだけである。
 民主主義社会では、自分勝手な主張が勝つ。かくて人類は破滅への道をまっしぐらに歩むのである。

稲荷大明神

 あと10年すれば、参拝者の半分はいなくなっている

 今日は町内にある、稲荷神社の例大祭があった。結城秀康が福井に築城したとき、北の守り神として建てたといわれる神社である。噂だけ。確認した人はいない。ほんとなら今年で415年目ぐらいになる。例大祭は、私が物心ついたときから催しているので、少なくとも60回になる。建物も60年は超えている。

     玄武稲荷例大祭 H29.3.19

 町内では、ほとんどの家が高齢者世帯になってしまい、ほんの50Mも歩けない人がいる。大した祭りではないが、町内の人たちが集まる数少ない機会である。
 ここ数年亡くなる人と空き家も増えた。それでも、10人以上の参拝者が集まった。あと10年すれば、この人たちの半分はいなくなっている。

 守り神でも、近所にあると我々が守らなければならない。ほんとはもう廃棄してもいいと思う。祟りが恐ろしく、誰もそんなことを口にする者はいない。

昭恵夫人を民進党の党首に

 面白いスキャンダルがなくても国民が政治に関心を持ち、有効な国会論議が行われる

 森友学園問題は、籠池理事長や周辺の特異なキャラのおかげで、ワイドショーとして大きな国民的関心事になってきた。土地売買の話からどんどん枝葉が広がり、こんにゃく騒動から弁護士依頼、安倍首相の寄付金、首相夫人のメールなど、TV局にしたらこんなおいしい出来事はない。

 その中に、首相の昭恵夫人のキャラも一枚加わっている。夫人は森友学園の名誉校長として登場し、講演や寄付金など森友学園との関わりが野党に「追及」されている。昨日は、籠池理事長夫人とのメールのやり取りが問題視された。

     おかめ分断

 もともと昭恵夫人は、居酒屋を経営したり、沖縄で反基地運動家と単独接触するなど、誰とでも自由に付き合う奔放な行動で知られている。従来の首相夫人のようなファーストレディでないとことは確かである。首相の手に余る存在だったのではないか。もっとも、どんな夫婦も人格は別である。今どきの夫婦で、自分の嫁の行動を束縛できる夫などいない。そのことで夫人は、首相の社会の窓としての役割を果たしている。
 しかも昭恵夫人は、以前から「家庭内野党」といわれていた。思想的にも安倍総理とは一線を画している。

 そこでいっそのこと、民進党は昭恵夫人をスカウトし、党首に据えたらどうか。昭恵夫人なら、国籍不明の党首よりはるかにインパクトがあり、政治思想もしっかりしている。党勢が回復し、2大政党に近づくかもしれない。
 安倍総理との党首討論では、TV視聴率はたぶん50%を超える。今回のようなばかばかしいスキャンダルが無くても、国民が政治に関心を持ち、有効な国会論議が行われるはずである。今のままでは民進党が衰退し、共産党が伸びるか自民党の独裁になる。どちらもいいことではない。

森友学園泥仕合

 森友学園の素晴らしい教育方針と、虚言癖のいかがわしい人格は分けて考えるべき

 森友学園籠池理事長の虚言に、日本中が振り回されている。ワイドショウで面白おかしく取り上げられるだけならまだしも、国会まで混乱している。国会は重要案件をほったらかしにして、大方の時間をこんな下らないことに費やしている。
 昨日はまた、首相が100万円寄付したとか大騒ぎである。だれもばかばかしいとは思わないのであろうか。

   馬 H28.324      鹿 H28.3.24

 そもそも、今度の「事件」では、何がどう悪いのかさっぱりわからない。9億円の土地を、廃棄物処理費用を減額し格安で売っただけのことではないか。土地は売らなければ、維持管理費がかさみ減価していく。国会での追及でも役人はきちんと答えている。賄賂が動いたという、野党が望むような答えが得られないから噛みついているだけである。手続きが迅速すぎるというイチャモンまで出ている。普通は反対だろうが。
 みんなして、無理やり罪人をつくろうとしている。

 こんなアホなことで首相が退陣することはないし、だれも辞めるべきではない。そんなことになったら、韓国に続き日本まで政治が混乱する。韓国の朴元大統領がつまらないことで退陣させられたのは、外国諜報機関の工作である。それに煽られた国民が発狂しただけである。日本国民はそこまで愚かではないはずだ。

 そう考えると、今回の「事件」を煽っている黒幕がみえてくる。いま国会で政府をつついている野党や、毎日籠池理事長の「虚言」を針小棒大に煽り立てているメディアのバックには、怪しげな工作員がうろついている。この問題を追及する野党の質問者やTV局コメンテーターの顔が、習近平か金正恩に見えてきた。
 
 仙人岩には隙間があった H27.8.3

 ただ、塚本幼稚園や森友学園の教育方針は素晴らしい。首相や夫人が賛同するのもわかるし、これを批判するのはおかしい。だがそのことと、学園を経営する人の人格とは全く別物である。
 罪を憎んで人を憎まず。逆も真なり。人格を憎んでも、行動の一部を称えることは大切である。

森友学園の転落

 この騒動のおかげで「教育勅語」のよさを周知することができた

 メディア集団の異様な森友学園叩きによって、またひとつ有望なベンチャーが潰れてしまった。もう年齢から言って、理事長が再建するのは難しいかもしれない。知名度もなく財務基盤がぜい弱な企業が、鶏と卵を打開し、ややこしい規制の壁を破るためには、ある程度胡散臭くなければ成功しない。大企業の創業者など、胡散臭さでは森友学園の比ではない。

 山師であり、インチキ臭いところはあっても、ここまでバッシングすることはなかったのではないか。見てくれが悪いのは仕方がない。視聴率稼ぎと興味本位で、つぎつぎあら捜しするのは見苦しい。どんな人も叩けば埃が出る。

            滑ったら谷底へ H28.5.28

 国会もひどい。野党ははじめ、総理の疑獄に追い込もうとしていたのが、だんだん「追及のための追及」になってしまった。結局森友学園つぶしのための、あら捜しとでっち上げである。他の重要事項を棚上げしての国会論争は、まさに「パーキンソンの凡俗法則」を地でいっている。

 民進党や共産党はもちろん、防御姿勢に入ってしまう首相や大臣も情けない。稲田氏などは、苦し紛れのウソがばれ、ややこしいことになってしまった。そもそも首相や大臣が森友学園に関係して何が悪いのか。公的支援を受けたとしても、賄賂が動いていなければまったく問題ない。社会の役に立つ組織を応援することこそ、政治家ではないのか。
 学園は何度も表彰を受けているし、教育内容は申し分ない。(理事長の人格は怪しいが)この学園の教育方針に賛同している人は大勢いる。日本に一つぐらいは、こんな学校が無いと困る。学園がつぶされたのは、日本社会にとって大きな損失である。

 それでも一つだけよかったことがある。
 この騒動のおかげで、日本中が「教育勅語」の良さを、あらためて認識することができたことである。

決算書の読み方

 いろんな指標が飛び交っていても、ほんとの企業の優劣はわからない

 仕事のうえで、中小企業の決算書を見ることが多い。
 30年前、公的診断で私が初めて会社を訪問したとき。同行した県職員の方がその会社の元帳をどさりと目の前に置いて、これで診断してくださいと迫ってきた。ベテラン診断士はそんなもので企業診断ができるのかと思い、びびった覚えがある。

 あれから30年たっても、財務に関しまったく進歩していない。決算書どころか試算表を作ったこともない。自慢ではないが、会計帳面をつけたことすらない。

 作った経験はなくても読むことはできる。日本酒のつくり方を知らなくても、おいしく味わえるのと同じである。酒の味わい方、飲み方、酔い方、楽しみ方は、つくり方とは全く別物である。
 酒は最初の一口で、おいしいかどうかわかる。
 決算書も同じ。在庫水準や借入金の過多、不良資産など、厳密にみるときりがない。助成金の審査など、短時間で多くの決算書を評価する場合、あちこち舐め回すわけにはいかない。

 私の場合、はじめに自己資本比率をみる。この指標は、その企業がそれまでどれだけ稼いでどれだけ蓄えたかをみるもので、企業の体力が一瞬で分かる。場合によっては、それだけで終わる。

 もちろん、企業の優劣はこれだけでは決まらない。単純ではないが、あえて項目を挙げるとつぎの3つになる。

 ①自己資本比率
 ②売上高の推移
 ③役員報酬

 ややこしいので、説明は省略する。
 もし、決算書以外で企業をみることができるなら、つぎの3つである。

 ①トップの資質、年齢と考え方
 ②製品・サービスの優位性、顧客
 ③社員育成

 30年経って、やっとここまで単純化できた。
 これらの数字が芳しくなくても、素晴らしい企業はたくさんある。さらに収益性だけでは決まらない。企業は、社会にどのように貢献するかが重要なのである(役にたっているかどうか判断するのは難しいのだが)。

韓国の脅威

 豊かさが各国間で平準化されようとするとき、国同士の摩擦が無い方がおかしい

 韓国の朴槿恵氏が大統領を失脚し、大統領府から去った。5月に大統領選挙が行われる。
 そのとき最有力候補と目されるのが民主党の文在寅(前代表)である。彼は筋金入り反日・親北主義といわれる。もし彼が政権を取れば、中国に最接近するはずである。中国が猛反対するTHAADの配備延期、「日韓軍事情報包括保護協定」の破棄を主張する。

 竹島どころか、対馬の獲得にも向かう。中国に肩入れし、尖閣を中国の領土として扱ってくる。それどころか、米韓軍事同盟も解消するかもしれない。金正恩と手を握り、朝鮮半島に統一国家が誕生する可能性が大きくなる。もちろんその時、統一国家の「敵国である日本」は、ミサイルの一番標的である。

        2武士

 日本はどうしたらいいか。
 北朝鮮に対する先制攻撃ができなければ、強くなるしかない。なにも圧倒的に強くなる必要はない。相手のちょっかいに、倍返しできればいい。
 半島だけでなく、日本の周囲の中国・ロシアは、必ず弱い国に付け込もうとする。強い国が弱い国をいじめるのは、歴史の必然である。平和国家日本には、それすら理解できない人が多い。
 また半島は、歴史的に「ひまわり政策」(周辺の強い国になびく)を取ってきた。

 「鳥の目」で見ると、平等・人権・民主主義の理念が世界に広がり、エネルギーを含めた豊かさが各国で平準化されようとしている。その段階で摩擦が無い方がおかしい。日本だけが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」していたら、引きずり落ちるのは目に見えている。

 このままでは、北方4島は返ってこないし、尖閣・沖縄はすでに中国の釣り針に架かっている。まさに、憲法9条を棚上げする時期が来た。日本に兵隊はいくらでもいる。

宅配便値上げ

 いま大切なのは、自分の仕事に誇りを持ち、厚かましく値上げを行うことである

 宅配便の半数以上を占めるヤマト運輸では、運賃の全面的な値上げを検討しているという。ネット通販が急増してドライバーが不足し、サービスの維持が困難になっているからである。この全面的な値上げは、27年ぶりだそうだ。
 同時に配達の時間帯を指定できるサービスのうち、「12~14時」を廃止し、ドライバーの労力の待遇改善をはかる。それ以外の配達時間帯の見直しも進める。

 いまの基本運賃は、関東から関西に箱の3辺の長さ60センチ以内(菓子箱1個)を送るのが864円と、決して安くはない。普通に買うより、2~3割は高くなるはずである。それでもネット通販が増えているのは、「便利さ」の度合いが、桁違いだからであろう。

      サツマイモ坂井丘陵地H25.5.13

 しかし、今回の値上げで分かるように、その「便利さ」は誰かの犠牲の上に立っている。ヤマト運輸が値上げを決めたのは、配達員にババを押し付けるブラック経営が、できなくなってきたからである。その意味では、最近のブラック企業批判は効果があった。いくら給料が高くても、自分の時間が持てないのでは生きている意味がない。
 
 素晴らしいのは、今回の取り組みで、2重に経済効果が見込めることである。
 まず値上げの分は、確実にGDPが向上する。宅配サービスの価値がそのぶん向上するからである。
 つぎに、宅配サービスの生産性向上の機運が高まる。これ以上値上げして欲しくないため、宅配ボックスの設置や集配システムの改善など、サービスを受ける人たちも、具体的に生産効率を上げる工夫をするようになる。ヤマト運輸自身も、さらに合理的な宅配方法を生み出す。

 そしてこのような動きが、介護や建設など、人手不足の事業分野に及ぶ。それこそ、遠慮せずに値上げをすればいい。いま日本に大切なのは、自分の仕事に誇りを持ち、厚かましく値上げを行うことなのである。

花粉症の活用

 鼻水の有効利用法を発見できれば、イグノーベル賞ぐらいにはなる

 また憂鬱な季節が巡ってきた。2月の後半から4月はじめの2ヶ月は、毎年花粉症に悩まされる。目がかゆいのはともかく、鼻水が止まらないのがしんどい。昨日行った山中温泉の近辺にも、それこそ花粉を蓄えた杉が乱立していた。その影響を引きずっているに違いない。

 1月くらいに医療機関で、抗アレルギーの対策が有効だと利いている。副作用が心配である。なにより医者嫌いの私が、余計な医療機関に首を突っ込みたくない。数年前、おかしな塗り薬で、鼻の周りが爛れてしまったことがあった。
 だから対策はマスクしかない。

     巨木

 問題なのは、アルコールが入ると鼻がつまり、息が出来なくなることである。そのため、口からたくさんのばい菌が入る。そして体内から大量の鼻水が出る。それをちり紙にくるんで捨てる。春先はその廃棄物処理に余分なエネルギーを使う。

 日本中の鼻水を回収したら、膨大な量になるはずだ。この鼻水の有効利用の研究など、聞いたことがない(たぶんどこかでやっている)。活用法を発見できれば、イグノーベル賞ぐらいにはなるであろう。

山中温泉

 昨日、山中温泉「お花見久兵衛」に一泊した。私の母方のいとこ同士、62才から73才まで8名、初めての会合である。
 この温泉街は、富士写が岳登山の帰りに必ず立ち寄っている。それでも、宿泊したのは2回目でしかない。芦原温泉のように手軽でないから、忘新年会や同窓会にはやや向かない。そもそも団体用ではない。

 コオロギ橋 H29.3.11 死の淵

 この温泉街は、こおろぎ橋からの渓谷美が特徴である。紅葉や新緑の季節と異なり、観光客は少ない。そのぶんシーズンオフなので、格安で宿泊できた。周辺の観光目的でなければ、安くて宿泊客が少ないのはありがたい。

 次回の会合は、5年後となった。そのとき、8人揃っているかどうか。たぶんだれかの追悼式になっている。

財政再建は必要か

 経済成長せず財政赤字が拡大しても、国民すべてが大金持ちになる

 先月(28日)のプライムニュースでは、久しぶりに「財政再建」をテーマにしていた。
 国と地方の借金が1000兆円を超えている。そうかといって、国がお金を使わなければ、経済は再生しない。企業や国民が投資や消費をしないからである。このままでは、果てしなく財政赤字が膨らむ。
 この何が問題かわからないのだが、将来につけを回すと言って心配する人たちがいる。

 とくに「財政再建派」の佐藤主光氏(一橋大学大学院教授)と小幡績氏(慶応大学大学院准教授)はこの番組で、経済成長を犠牲にしても消費増税すべき、と主張していた。財政規模は、毎年の税収を上回らないようにしなければならない。このままでは、国債金利が上がって国債価格が暴落し新規の国債が売れなくなるからで、日本のように国内で国債が買われていた方がデフォルトになりやすいそうだ。

 しかし、いくら国債の価格が下がっても、日本には遣いみちのないお金がわんさか余っている。その上、経常黒字が年々積み重なっている。国債を買わないということは、そのお金が消費や投資に回るということである。そもそも国債を発行しなくてもいいときでないかと思うと、わけがわからない。

     異物 腹に一物

 そこで、最近「シムズ理論」というのが注目されている。
 「シムズ理論」とは、件のプライムニュースによると、
 ≪政府が財政再建を放棄→企業や個人が増税予測をしなくなる→お金を使う→インフレになる≫
 ということで、デフレに悩んでいる日本にとって、夢のような政策である。アベノミクスの理論的支柱である浜田宏一氏も賛同しているという。

 財政拡大の論客である藤井聡氏(内閣官房参与)もよく似た話をしていた。彼は財政赤字額より、その対GDP比のほうが重要だと述べている。財政出動を行えば、その分確実に経済成長する。したがって財政赤字の対GDP比は少なくなるから問題はないという。



 「シムズ理論」や藤井氏の論理では、財政出動はインフレや経済成長のためである。
 すなわち日本の経済学者の理論は、
①経済成長なしで財政健全化する、
②経済成長して財政赤字の影響を少なくする
 この2つのいずれかを言っているに過ぎない。
 そうだとしたら、経済成長が止まったらややこしいことになる。

 ほんとにそれしかないのか。
 私のような経済の素人からみると、いま日本は第3の道に進んでいるようにみえる。すなわち、
③経済成長がなくて財政赤字が拡大し、国民すべてが大金持ちになる
 という、だれも考えたことのない理想の道である。

 現在でも、国民は膨大な金融資産(一人当たり1500万円)を持っている。偏っているのが問題なだけである。金持ちは何億円も持っているのに、預貯金のまったくない人が20%もいる。
 したがってこれからは、財政の赤字分を国民均等にいきわたらせればいい。これですべての人が金持ちになる。すなわち、
 現在は、国の財政赤字1000兆円→国民一人平均の金融資産1500万円
 これが、
 10年後、国の財政赤字2000兆円→一番貧乏な人の金融資産1000万円
 となる。どうせ日本では、お金は遣うものでなく神棚で拝むものである。 さらにその先になると、人口減少でお金がだぶつき、一人あたりの金融資産がどんどん増える。
 もちろん国民すべて死ぬまで、一生懸命労働することが大前提である。

北朝鮮への対応

 事ここに至ったら、尋常な手段で解決することはできない

 一昨日のプライムニュースは、元自治大臣の石井一氏が出席、北朝鮮への対応について自らの見解を述べていた。石井氏は、先ほど暗殺された金正男氏とこの3月に面会する予定だったという。暗殺される前に会わなかったのを、非常に残念がっていた。

 石井氏がこの番組で述べたポイントは以下のとおりである。

①周辺国に追い詰められたと北朝鮮は考えている
 北朝鮮側からみると、核・ミサイルを開発しなければならないよう、追い詰めたのはだれか。ロシア、中国、アメリカ、韓国ではないか。とくに日本から、100年前の「日帝・植民地」時代、徹底的に搾取され、今のような貧乏国になってしまった。核・ミサイルを開発しているのは、自己防衛のためで、生き残りのためには仕方がない。
 北朝鮮の人々はこのように思っている。

②国交正常化していれば拉致やミサイルも解決していた
 1990年の金丸訪朝のとき、及び2002年の小泉訪朝時、日本と北朝鮮が国交正常化する機会は、少なくとも2回あった。あのとき国交が結ばれていれば、中国や韓国のように経済発展し、核やミサイルを振り回す国にはなっていなかったはず。
 拉致問題にしても、小泉訪朝のとき金正日がいったん認めたわけだから、国交正常化なしでそれ以上のことができるわけはない。

 たしかに石井氏の言うように、北朝鮮の視点はわれわれ日本人とは異なる。あくまでも北朝鮮側に立った意見であり、このようなことも頭に入れておく必要があるのかもしれない。

          結城秀康の雄姿

 しかしいくら客観的に見ようとしても、石井氏の言い分は無理筋にあたる。

①周りが悪いというのは甘え
 周りの国が北朝鮮を追い詰めたというのは、如何にも甘えである。死刑囚が、罪を犯したのは社会や世間が悪いから、というのと同じ。減刑するとしても、銃殺を絞首刑に代えるくらいである。それに日本との併合時代には、むしろ経済発展していたはず。
 
②国交正常化しても、厄介な隣国が増えただけである
 日本の隣国で、国交を結んだ中国や韓国は、いまどうなっているか。日本から莫大な賠償金をせしめて経済発展したあげく、日本を脅かす存在になってしまった。韓国は怨念体質が抜けないし、中国に至ってはまさに日本を侵略しようとしている。
 孫子が言うように「隣の国を援助する国は亡ぶ」のである。

 
 したがって事ここに至ったら、尋常な手段で解決することはできない。核ミサイルが日本に飛び込むのを、いまかいまかと待っているわけにはいかない。必ず北朝鮮は、ありったけのミサイルをブチ込む。とてもイージス艦やパトリオットでは防御できない。

 ではどうしたらよいのか。
 先制攻撃である。国民を守るためなら、憲法9条は関係ない。このことを花道に政権が退陣すればいいだけである。先鋒にはじじいの決死隊がなる。もちろん国内に1発や2発の核ミサイルが落ちることは覚悟する。10発落ちるよりはいい。
 われわれ国民がこの気構えを持たなければ、まともに交渉もできない。

根拠と論拠

 なぜ国会のような大そうなところで、根拠や論拠のあやふやなものを騒ぎ立てるのか

 いい主張には、「根拠」と「論拠」がしっかりしていなければならない。
 「根拠」とは、主張のベースになる事実、データのことである。「論拠」とは、その事実から主張に至る道筋、理由づけである。これらがいい加減では、説得力のある主張(情報)とはならない。(ISOでも、情報とは『意味のあるデータ』と定義されている)

 たとえば、A社はブラック企業だという主張(情報)があったとする。
 その根拠は、「この会社の一人あたり平均残業時間が、月100時間ある」であった。これが正しいとする。では論拠は、???となる。たしかに普通の人が常識で考えて、100時間は多すぎるかもしれない。では90時間ならいいのか。95時間ならどうか、となる。個人事業主なら残業など無制限である。

 奥が深いのは、この「論拠」の部分である。じつはこれが難しい。「論拠」が異なれば、同じ「根拠」から、異なる主張が生まれる。だからこの論拠というのは、聞く人が共有できるものでなければならない。確実に共有できるものといえば、法律、ルール、基準であろう(それでも完全とはいえないが)。

 「論拠」があやふやだと、「それがどうした」ということになる。苦し紛れに、独りよがりの「人道」や「道徳」などを持ち出したら、それこそ水掛け論になる。

         おかめ 

 いまの森友学園の暴露合戦などは、その典型である。
 たとえば、
 ≪安倍晋三首相夫人の昭恵氏が学校法人「森友学園」の運営する塚本幼稚園(大阪市)で2014年12月と15年9月の2度講演を行った際、いずれも政府職員を同行させていた。3/7時事通信≫
 というニュースが入った。これは政府の答弁だから、事実であろう。

 しかしそこから導かれるのは、「それがどうした」でしかない。せいぜい過去の答弁の食い違いくらいである。
 この事件では、それ以前に「根拠」となる事実、データもあやふやなものが多い。なぜ国会のような大そうなところで、こんなことを騒ぎたてなければならないのであろうか。

ミサイル脅威と学園疑惑

 つまらない問題で騒ぐメディアや野党は、バカにするだけではすまなくなった

 昨日、北朝鮮のミサイルが4発、日本の近海を襲撃した。この国のミサイル技術は確実に進歩し、核兵器の小型化も進んでいる。日本が核攻撃を受ける可能性が高まっている。米軍の先制攻撃があるかもしれない。北朝鮮崩壊、大量難民など、おそらくこの1年の間に、深刻な危機がくる。

 ところが日本の野党は、むしろそのことを喜んでいるように見える。安保法制や共謀罪のような生ぬるい法律でさえ反対し、森友学園のようなチマチマした「事件」を大ごとのようにでっち上げる。そうやって、ほんとの問題を隠す。

    自衛隊パレード 戦車? H28.10.1

 国会質問を聞いていても、いい加減な根拠と怪しい論拠を並べているだけである。言葉だけは威勢がいい。自分のことは棚に上げ、いったいどの口が言っているのか。まさに、偽善者の発する「ポリティカル・コレクトネス」の世界である。
 韓国でも、つまらないことで大統領が弾劾されてしまった。これからまさに北の息のかかった大統領が生まれる。日本の脇腹に匕首を突き立てられるようなものである。


 今朝のワイドショーも、森友学園一色であった。これが「パーキンソンの凡俗法則」なら、愚かなマスコミとして、相手にしなければいい。もし確信犯としたら、バカにするだけではすまない。それこそ、共謀罪の対象になる。
 野党やメディアが共謀罪に反対している理由が、だんだんはっきりしてきた。

豊洲問題

 ゼロリスクなどどこにもなく、日本中至る所有害物質で満ち溢れている

 メディアの炎上商法といえば、森友学園と共に豊洲問題がある。
 先週、石原元都知事が、豊洲問題での「釈明会見」を行った。
 ざっと聞いたところ、専門的なことは部下に任せたと言って、自らの関与を否定している。まるっきり責任転嫁のようにみえた。いくら部下に任せていても、責任はトップにある。おおかたのマスコミも、同じような見かたである。

     もう枯れ尾花 H28.8.19

 しかしよく考えてみれば、石原氏はいったい何に対して責任があるのか。責任を取るというとこは、いまなにか悪いことが起こっているということである。どんな悪いことが起こっているのか。
 
 いま起こっている悪いことというのは、いまだ豊洲に移転できず宙ぶらりんの状態になっていることである。これは石原氏の責任ではなく、現知事の責任である。そして移転できるかどうかは、「豊洲が安全かどうか」それだけである。それさえ確認できれば、直ちに移転すべきである。盛り土や空間がどうのといったものは、メンツや不正の問題であり、移転した後に議論すればいいことである。

 つまり安全かどうかの判断。そんな簡単なことが先延ばしになっていることこそ、最大の問題である。そして「安全」が確認されたあと、「安心」を担保するのは、現都知事の責任である。

 そもそもゼロリスクなどどこにもない。日本中至る所有害物質で満ち溢れている
 もとより築地にしても、豊洲より安全だったわけではない。「知らぬが仏」だっただけである。最近になって、築地の汚染の方がひどいという「事実」が暴露されたのは、関係者が痺れを切らしたからであろう。

森友学園バッシング

 閉塞感と規制の壁を破り起業するには、この学園理事長の行動力を見習うべきである

 産経新聞によると、大阪府豊中市の「森友学園」開設の件で、籠池理事長が大阪維新の会議員や自民党の県議員とも接触していた事実が明らかになった。その前は、自民党国会議員の鴨池氏に接触、最初は「安倍晋三記念小学校」という触れ込みで寄付を募ったり、昭恵夫人が名誉校長に就任していた。それ以上に、財務省や経産局の役人に対し、数十回にも及ぶアタックを続けていたという。

 もちろん、面会した政治家たちは口利きを否定している。それでも籠池氏が用地の取得や学校開設を実現するため、議員の力を利用した贈収賄があったのではないかと疑われている。ほとんどのメディアは、連日このことを批判的に報道している。

     びっくり妄言

 ただ(贈賄など法違反は別として)、いまのところ違法性などまったくない。籠池理事長の何が悪いのかさっぱりわからない。いまどき、これほどバイタリティのある経営者は少ない。多少迷惑がられようが、首相をはじめ、利用できるものはすべて利用する。金も知名度もない起業家の、モデルになってもいい。

 日本で何か事業をやろうとすれば、いたるところにややこしい規制の壁が立ちはだかっている。それを政治家や官僚に働きかけて、事業に有利なように交渉するのはあたりまえではないか。しつこく交渉することで、はじめて役所の重い腰が動く。政治家が役所に働きかけを行ったとしても、悪いことではまったくない。
 ヤマト運輸が宅配業務に進出したときも、官僚や政治家への働きかけはそれ以上ではなかったか。

 だからいま、日本中のメディアが、揃って森友学園バッシングを行っているのは異常である。それこそ出る杭を叩きまくっている。このような国民の姿勢が、金太郎飴のような日本人を作り上げたのである。これでは日本には、マイクロソフトやグーグルは永遠に生まれない。

家族葬

 日本中の喪主が若返れば社会が活性化し、明るい日本の未来が開けてくる

 この年になると、知人がつぎつぎといなくなる。しばらく見なかった人が、じつは亡くなっていたということが多い。めったに死亡欄を見ないので、なかなか生死の状況はわからない。

 そのうえ近年は、「家族葬」が増えてきた。先日新聞の死亡欄を見ていたら、死亡者31名のうち、9名が内輪だけの見送りである。死亡欄に載せないことが多いので、実態はその数倍あるはず。「エンディングデータバンク」によると、2014年にはすでに家族葬が62%と圧倒的に多く、直接火葬場に送る「直送」も16%以上ある。一般的な葬儀は全体の21%しかない。これでは葬儀社が苦しいはずである(福井はもっと一般葬が多いと思う)。

         鬼太郎

 家族葬が増えた大きな要因は、亡くなる人が高齢化し、喪主となる子世代もすでに社会の第一線を退いているからである。葬儀は喪主の立場を利用して、世間に認めてもらうことが大きな役割で、棺桶に片足入ったような喪主では一般葬など無意味である。 だから家族葬どころか、直接火葬場に送られる「直葬」が多くなっている。
 
 つまり60~70代で亡くなる人が増えれば、喪主が若返り一般葬が増える。親戚や縁者と知り合う機会が増えて社会が活性化し、明るい日本の未来が開けてくる。もちろん、新しい葬儀ビジネスの市場が広がる。
 高齢者は、長生きする努力をしないほうが世のためである。

ゼロリスクを求めるリスク

 ゼロリスクを訴える人は、そのため悲惨な目に遭う人たちからの集団訴訟に耐えられるか

 添加物や薬の害、放射線の害を訴える人は多い。
 たとえば子宮頸がんワクチンを接種した人に、病的な症状が発生したとして訴訟になっている。症状は、実に多彩である。手足や全身のけいれん、不随意運動、歩けない、階段が登れない、時計が読めない、計算ができないなどだという。薬害として訴訟にまで進展したことで、ワクチンを接種する人も激減した。
 たしかに、どんなものにでも副作用はあり、薬害は必ず発生する。

 これに対しジャーナリスト村中璃子氏は、この薬害にはまったく根拠がないと「新潮45(12~1月号)」で述べていた。名古屋市で、同年代女性7万人(回答率30%)を対象に行った疫学調査では、ワクチンを接種していない人の方が症状の現れる確率が高かったという。しかも多くの医者は、この症状はワクチンの影響というより、精神病の一種ではないかと言っているそうだ。むかしから、このような症状の人はいくらでもいる。「精神病」といわれることを恐れるあまり、ワクチンのせいにしている可能性は大きい。

 実際この因果関係には、科学的、疫学的根拠は何もない。事実は、ひどい症状にかかったかわいそうな娘がいるということだけである。だれか責任を取ってもらう相手を必死で探している。

     道元禅師幼少 H28.10.09

 一方で、毎年15000人が子宮がんにかかり、3500人が亡くなっている。ワクチン接種でそれが激減する。それに対し、これまで3年で300万人あまりがワクチン接種し(もしワクチンのせいだとしても)、およそ1900人が副作用にかかっただけである。その90%は回復している。
 すなわち、毎年数百人の異常発症の「恐れ」と引きかえに、毎年15000人の女性の子宮と3500人の命を奪っているということになる。

 高齢者ならともかく、妙齢の女性の子宮が失われては、我が国の未来はない。村中氏の記述がほんとなら、子宮頸がんワクチンの薬害を訴える人たちは、日本がさらに少子化になることを望んでいるとしか思えない。

      仏様 H28.10.09

 何か被害があったとき、無理やり誰かのせいにしてしまうのは、このワクチンだけではない(慰安婦問題とそっくり)。アフリカでは、薬害を防ぐためDDTの使用を制限したことがあった。その制限期間中に、マラリアによる死者が数百万人も余計に発生したという。

 人間の天敵は、細菌やウィルスである。薬害をゼロにすると、何千倍、何万倍もの病害が発生することがある。
 薬害を訴える人は、将来ワクチンを接種しないことで子宮がんに罹り、悲惨な目に遭う人たちからの集団訴訟に耐えられるのであろうか。ゼロリスクはハイリスクなのである。 

日本のゴミ問題

 森友学園の追及は、自分たちの手におえない大きな問題を議論しないための方便である

 先日の国会質問で民進党議員が、森友学園の土地売却に絡んで、一般廃棄物と産業廃棄物の区別を問題視していた。埋設物が一般廃棄物の場合は処理費用が少ないから土地売却価格を安くする必要はなかった、という理屈である。

 ただ、一般廃棄物だろうが産廃だろうが、ゴミの中身は同じである。どちらに分類されようが処理費用が変わるわけではない。一般廃棄物は市町村が処理費用を負担するので、この場合ゴミ処理に税金が使われるのは同じことである。
 そのほかの、森友学園に関する民進党や共産党の国会質問も、ただいちゃもんをつけているとしか思えない。

 それより重要問題が山積みの国会で、いつまでこんなチマチマした問題を引きずるのか。まさに「パーキンソンの凡俗法則」である。また土地売却に関する疑惑なら、大手メディアの方が、遥かにスケールがでかい。

        ゴミ

 そしてこのようなゴミ地雷は、ここだけの問題ではない。日本中至るところ、廃棄物による土地の汚染が深刻である。問題の大阪国有地や東京の豊洲などは、氷山の一角に過ぎない。今後新しく利用とする土地の多くに、ややこしいものが埋まっている。
 
 あらゆるモノは、作られた瞬間から廃棄物になる。多くは一度もその使命を果たさず棄てられる。モノが商品として生まれるまでにも、その10倍の産業廃棄物が発生している。なにしろ日本では、毎年8億トンの資源や製品を輸入し、1億トンの製品を輸出している。すなわち、毎年7億トンものモノが、日本のどこかに蓄積されている。そのすべてが適正に捨てられているはずがない。

 日本人は、豊かな暮らしを享受し人生を謳歌している。副作用であるゴミや有害物質など負の側面を全く見ないで、文句ばかり言っている。森友学園や豊洲問題は、その身勝手さの矛盾が噴出したものである。
 国会での森友学園の追及も、自分たちの手におえない大きな問題を議論しないための方便にしか過ぎない。じつは自分たちがゴミだったのである。

福島賠償の電気代負担

 原発をなくしたあげく豊かな暮らしを望むのは明らかに身勝手

 朝日新聞社の試算によると、東電を含む電力7社では、1世帯あたり年約587~1484円を原発賠償の負担分にあてているという。賠償費用7.9兆円のうち5.5兆円分を「一般負担金」として、原発の出力などに応じ分担している。

 朝日新聞のことだから、こんな負担を強いる原発は廃止したほうがいい、と言いたいのであろう。金銭負担増をアピールすれば、原発事故の影響が実感できる。また、このようなネガティブ報道を繰り返すことで、国民の原発に対する嫌悪感が増大する。

     昼行燈

 しかし原発がすべて再稼働していれば、負担どころか大幅な値下げをしていた。燃料負担の少ない原発なら、これくらいの賠償負担など十分カバーできる。

 それに、1世帯年間587~1487円といっても、一人1日当たり80銭~2円以下にすぎない。しかもそのお金は、国内「原発被害者」の補償に使われている。そのぶん確実に国内経済が成長し、国民の所得が増える。いまのように中東から化石燃料を購入して外貨を失ったあげく、紛争を拡大させているのとはまったく異なる

 また経産省によると、補償費よりFIT(再生エネ買い取り)による家計負担の方がはるかに大きい。2016年度で年間8100円と、原発補償による「一般負担金」を大幅に超える。FITによる負担は、次年度以降さらに膨らむ。


 原発をなくしたあげく、世界最高水準の豊かな暮らしを望むほど身勝手なことはない。日本だけでなく世界が立ちいかなくなる。その前に日本は、中国の餌食になってしまう。